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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

未来世紀ブラジル_人間ってネットにはないことが8割

 

1985年 イギリス 監督テリーギリアム

 

AIの普及や技術のニュースなどを見るたびに、最近私が思い出すのがこの映画です。

 

コンピュータによって徹底管理されたディストピアを描く作品で、初見はいつ頃かなあ。

大学生くらいかなぁ。20代とかの若い頃だったとは思います。

 

公開は1985年。当時は小学生だったのでリアタイでは全然知らないです。

 

が、今、AIやらchatGPTやらが、実際に自分に関わりを持つようになってですね。

私はそれ自体が悪いことだとか良いことだとかはあまり関心なくて、ただまあもうそうなるんだろうなあという感覚ではあったんですが、ここ最近急にですね。

 

こわ!と思うようになりました。

 

それは、chatGPTで作った文章が支離滅裂だったとか、そんなバカな!な虚偽の歴史を語るとか、そんなことでなくて、いやそれも真偽を別ソースから探せない世代が増える将来的には怖い話だけれども、使途不明金が発覚したからです。

 

…まあ子どもが知らぬ間に使ってたんですけど。

怖いのは、いつのまにか金を使ってしまえるキャリア決済の仕組みおよびセキュリティ感覚の希薄さと、何よりそこに「人がいない」ことです。

 

アップルに問い合わせたら、電話に出ないということはなくて難しい用語などは使わずにいろいろ調べてくれたんですね。

だけども、じゃあ電話番号が漏れたりした場合に第三者からの引き落としをどう防げばいいですか?と聞いた時に、

  • キャリア決済に制限かける
  • 電話番号をかえる

という提案をされました。さらに暗証番号とかもちろん変えて当然として。

いやこれ自体も適切な回答でなんら問題はありません。

でもなんかモヤモヤしてて、未来世紀ブラジルのテーマ音楽が頭になりだしたんです。

 

ブラジィール♩と…

 

誰もが知るアクアレーラ・ド・ブラジル(ブラジルの水彩画)ですね。おそらくこの映画のテーマとはかなり離れた極地から生み出されただろうあの陽気なサンバの名曲。

 

で、最近chatGPTとかですね。触れる機会があって、ああそうかと。

 

どこにいっても個人情報を要求されることが怖いんだと。

 

個人情報の漏洩がたまにニュースになりますが、もうなんか、それはもはやあって当然くらいな気もするんです。だって、システムとかアプリの開発って最初から完成したものなんかほぼなくて、開発側はバージョン上げていくんですね。

でもユーザーはいわば未完成なものを使ってるけれども、そんなことはもはや問題視せずにいて、もう世の中そんな感じなんですよ。

子どもの世代なんかはもっとそう。

だからそれよりも私が怖いのは、

何をやるにしても

ネットだと個人情報を求められる

ってことです。

数々のID、数々のパスワード、数々のメールアドレス、数々のクレジットカード、数々の生年月日や性別や居住地域、家族構成、収入。その登録。

 

どんどんそれが増えていく。

 

そしていつのまにか、それがないと、なんにもできなくなるんです。

 

物を買うのはもちろん、

サブスクやらSNSなどやら。

公共料金の支払いやら。

困ったときの問い合わせやら。

 

はたと、自分の現状をみて、もはやネットに支配されている。

AmazonGoogleやインスタやサブスクが2割程度からいつの間にか8割くらいに私の日々を占めてきているなと。

 

だから未来世紀ブラジルの管理社会を今、為政者が実現しようと思えばできそうだなと。

 

個人情報さえ掴めば、人を操れますよね。

 

で。です。

これを最早当たり前になってなんにも感じないことが一番怖いのかもしれないので、我に返らねばとなんとなく思っています。

 

もう私には、私自身の人生にデジタルが生み出すライフスタイルをなくすことはできません。

でも、じゃあ本当の私がそこにいるかというと。

生身の私は日々、朝ご飯を食べて、歯医者に行って何故か焼き芋の匂いの充満する歯医者さんの待合室に座って順番を待ち、帰りにキャベツが高かったからと別のスーパーにいき100g89円の鶏むね肉に喜んでキャベツではなく白菜を買い、子どもとyoutubeみて笑って、風呂に入って、朝はお布団がぬくすぎて出られなくなっています。

 

そーゆーのは、ネットは知らんですよね?

私が書かない限りは。

そして書かないことがほとんどで。

私のほとんどを生成するネットやアプリにはない生きた私を、私は大切にしなければいかんなあと。

ネットやアプリに書き込んだ個人情報にはない、瑣末な自分の日々のおかしみを、なくしては、いけない。

楽しいことも辛いことも。

 

それを無くさないことが、優先することが、管理社会へのアンチテーゼなんではないかと。

未来世紀ブラジルにならないための策なんではないかと。

生身の人間ではない個人情報の集大成でしかない

おまえさんに何が分かるんだ?と。

 

ということで、気軽になんでもほいほいダウンロードして登録しないように気をつけたいと思います。特にポイ活。

ドラッグストアでアプリ探して開くの面倒だし。

 

 

✳︎ちなみに映画の感想ですが、独特。

尺が長いし、テリーギリアムの世界って急にどした?みたいな虚実混同スタイルでもあるし、80年代の映像なので、なんだこれ?って思う人もいるとは思うんですが、いや私もその1人ですが、この映画のディテールの一つひとつの不可思議さが割と明確に残像として残っていて、そして何より、80年代にこの作品を作る先見性ですね。

私が2020年代に、ぼんやり考え出したことを40年前にすでに、ほらみろよ、言わんこっちゃないと言わんばかりの、予知夢的な感じを2時間かけて教えてくれます。ブラックコメディとかシュールとか超えてなんかもう頭がカオス。

で、こーゆー映画を作るに至ったテリーや、製作会社とかね、そーゆーのがやっぱり奇跡的だと思うし、訳の分からないものにお金をかけるということ自体が私はステキなことだと思うし、無くしてはならない生身の人間ゆえの偶発性やダイナミズムだとも思うので、最終的に、だから映画は面白いと伝えたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

実録!離婚調停①弁護士なしで調停したよ_ネガティブな自己分析シリーズ

今回は、離婚調停のために家庭裁判所に行ってきたので、そこで学んだことをご紹介したいと思います。

 

行く前から気が重くて仕方なかったのですが、行った結果。

 

ますます気が重くなりました。

 

ああ。調停よ。いったいお前に何の意味があった・・・

今回は初めての離婚の財産分与調停について、記録しときたいと思います。

 

私が調停にいたったのは、夫と離婚の財産分与面で折り合いがつかなかったからなのですが、調停って、申し立てると調停委員が夫婦の間に立ってもめごとの調整を図ってくれるというウワサじゃないですか。ウワサというかそれが調停の存在意義というか、そういう役目を負う機関なはずです。確か。

で、弁護士はお金がかかるのでつけていません。まあこれが後から「弁護士に頼めばよかった・・・!」ということが何度も起こってしまうのですが、でも今のところ、付けずでもよかったのかもとも思います。まだ結果でてないけど。

 

とりあえず1回目の調停では、それぞれの財産や収入を開示して、「ほなどこで折り合いつける?」というのを探っていくのだと思っていました。

落としどころを当事者同士じゃ模索できなかった人たちが調停委員さんに間に立ってもらって、互いの話を聞いて「じゃあこういうのはどうですか?」みたいにすすめるという感じで思っておりました。

まあそこは確かにその通りだったのですが、その調停委員さんが折り合わせるための中身がですね。思っていたのとなんだか違いました。

 

まず、私側の財産分与の不服に対して「普通はこうしますよ」と。

で養育費に関して「うちの家裁ではね、通常こうしてますよ」と。

 

なんだろう。

調停委員さんからのお言葉は、「普通は」「うちの家裁では」ばかりで、法律の根拠の部分がよく分からないのです。

なんというか、離婚後の経済事情を左右する大事な決断内容に対して「普通とかそちらの事情は知らんがな」とね、感じてしまうんですよね。

切羽詰まった身としては。

 

そして、これは私の想い過ごしかもですが。

早く終わらせたそうな雰囲気を出してくるといいますか。

だから「普通」の型にはめようとするのか?と邪推。

 

さらにです。これが一番「どうなん?」と思ったことなのですが、

「夫さんがこの件に関してこういう要望があるので、あなたにLINEを送ると言っていますので、お返事してください」と。

え!

夫婦間のコミュニケーションでヤバイことなってるから調停委員さん挟んでるのに!

なぜ勝手にLINEでやりとりOKみたいなことに!!

と。

でですね(夫要望に対して)

「それはできません」

と言ったら

「え」

と。男性女性のお二人とも。(調停員は男女ペアなのです)

「じゃあ、ご自身で夫さんにお断りのお返事してください」とな。

いやだから、そういうお断りとかして、感情的な攻撃的な言葉や態度が折り重なって、心が疲弊して、話し合いが進まず、これじゃラチあかん!となって調停をお願いした次第なのです。

 

なのに、また結局自分たちでLINEしあうっていうのが調停ってことなの??と。

 

なんというか調停委員さん、、人と人をつなぐの。。下手じゃない?

 

いや私が世間知らずなだけなのか?

調停は法律に長けた人に介在してもらうんだよね?

それより実は「見合いを勧める親戚のおじおば」の離婚バージョンみたいな感じに進むのか?

当事者間で話せばなんとかなるって結論なの?

 

なのに、本来の意味すら私は知らず、勝手に「法の名のもとで当事者間をとりなして公平な取り決めが促進されるもの」と思い込んでいただけなのか?

 

ぬぐい切れない不安が募り、なんだか混乱してきたんです。

 

とりあえず「調停委員」ぐぐってみました。

 

そしたらいろんなことが後から分かりました。ダイジェストに驚いた2つ。

 

・調停委員さんは法律の専門家ばかりではなく、社会的地位が高かったり社会的な信頼ある立場の普通の人も多い(定年退職した校長先生だとか、地域の自治体の役員やっていただとか、そういう社会的信頼を得ている一般人)。

・業務委託的に依頼されていて、報酬はさほど多くない(ボランティア感覚)

調停委員 | 裁判所

 

つまり調停委員さんは、法律のプロではなくて、一般の方が多いらしい上に、法律に疎い人もいるって話で。

まさかの!

ここは明治時代の村役場か!

 

なかにはですね、「女性が家庭の仕事をするのは昔から当然のこと」みたいなことを言われたり、差別的なことを言われたことがあるなど、個人ブログにはあったりして。

でも…ありそうやんこれは本気で。

と思ってしまえる自分の経験からの実感。

 

少なくとも、私の場合は、期待していた「シングルマザー予備軍に優しく寄り添う感じのステキな調停委員さん」ではないことは確かでした。

 

なので「夫婦間ではラチあかんし調停してみよっかな」と軽く思っている方(軽くするものでもないだろうけど)、ぜひ再考ください。

 

あと、弁護士!

本当なら調停についてきてほしいところですが、お金がかかります。

だから30分5500円でもいいです。

1回弁護士には相談しておきましょう。

法テラスに電話したら、弁護士協会を紹介してもらえます。

弁護士協会で当番の弁護士さんが的確な調停での対応を答えてくれます。

「普通は」とかではなく、ちゃんと法律上でのお話をしてくれます。

何もないよりは、1回だけの相談でもいいです。

私は1回相談しといて本当によかったです。

こんなにありがたいとは考えもしませんでしたが~

※収入次第では確か無料で相談ができます(年収いくら以下なら無料とかあるのですが、具体的な上限年収を忘れました。地域によっても違うかもしれませんので法テラスで聞いてみてください)。

 

でもまだ1回目。

次は次でどう出てくるのか、もうなんだか逆に楽しみです。

 

新しい生き方に向けて!やってみよう離婚★まずは困った、金がない_ネガティブな自己分析シリーズ

 

腰痛をきっかけに家事ができなくなり、さまざまな夫婦の亀裂が浮き彫りになって、上野千鶴子的「ありのままの私で生きる!」目覚めと、加齢による不調の焦りから離婚を口走ってもた…弱き自分よ…という自己分析からほぼ1年半!

 

えー

気づかぬうちに1年以上。

時が過ぎゆくのってめっぽう早いですね。

誰も気にしていないとは思いますが、あれから離婚問題がどうなったか、今何をめざしたいのかを自分のために記録したいと思います。

 

あれから、離婚を前提にお付き合いというか別居しています。

夫が家を出て18歳の上の子も自身の選択で一緒についていきました。

✳︎ちなみに夫と上の子は我が家からチャリで10分かからない所に住んでいます。

 

もう一年前になりますが、離れた当時はつきものが落ちたかのように、人生がポジティブに感じました。

これ強がりじゃないのです。でもじゃあ何が変わったかって、本当に気持ちなだけです。

「私は誰にも支配されていないし、体裁を気にせずに生きればいいんだ」と思えたとたん、生きる気力がわいてきたといいますか。

 

そんな選択肢もあったんだ。

自分で生きていけばいいだけなんだ。

と。

 

で、1年経って最近は?というと、

お金の心配ばかりしています。

これぞザリアル。

 

家計簿つけだしたら、だいぶヤバいことに気づきました。

教育費、老後。

教育費、老後。

教育費、老後。

そのループ。

要は先のための貯蓄がないのです。

財産分与で査定額の半分を夫に渡して現在のままの住まいを手に入れたので、預金もすっからかんだし、児童扶養手当みたいな行政からのひとり親補助金も収入的にギリギリなさそうだし、出費にも無頓着だったから、なんとなくピンチです。

ていうか、もっといろいろ考えておけば良かったよ…

無頓着すぎだよ自分…。

 

 

で不安になっていろいろ調べたら、

下の子を大学に行けるようにしておくとしたら、4年生大学って私立だと400万円くらいかかるらしいし(国公立でも200万くらい)、60歳の定年退職時の単身者の平均預金額は800万円くらいだそうで、それでも足りないからパートしたりして65歳までをやりすごす必要があり、その後支給されるはずの年金も生活のすべてをまかなえるほどにはもらえない時代到来なので、NISAやらiDeCoやら信託やら利回りがよいもので少しでも蓄えを増やす賢い投資をしないといけない。

 

つまり、今後10年くらい以内で必要になる1200万円がない上に、その先の老後の資金も全くないって話なんだから、もうこれ路頭に迷うだけな人生やん(=´∀`)人(´∀`=)

 

などなど先を心配しだすと夜も眠れません。

 

私自身もですが、いろんな社会保障の充実ぶりが日本の良さであるとは思うんですが、少子高齢社会に突入した今、そしてこの先一体、この国はどうなるんだろう。

 

とりあえず、あとしばらくは家計簿を見つめ続けることにします。

 

 

✳︎娘について

元々口うるさい母はずうっとうっとおしがられていたんですが、別居してしばらく経つと、今度はパパと揉めてばかりのようで、何度かうちにも家出?してきました。

 

もう18だけどまだまだメンタル的自立には程遠い彼女は、一体どこに向かうのか。上の子が父との暮らしを選んだ当初は悲しくて仕方なかったけど、ていうか、娘と信頼関係が築けなかった現実をなかなか受け入れられなかったけど、でも今はいろんな意味で一度離れてみて良かったんだと思います。

さびしんぼうがいつか自分の足で立てるようにゆっくり見守っていければなぁ。

 

 

 

 

 

 

すばらしき世界_すばらしき役所広司さん

 

すばらしき世界 2021 西川美和監督

 

久しぶりに邦画を観たからか、役所広司さんだからか、めちゃくちゃ良くて、泣きました。

 

殺人の罪で13年間の刑期を終えて出所した男の社会復帰の物語です。

シリアスとコメディのバランスが絶妙。

役所広司もだし、橋爪功、仲野太賀、北村有起哉、六角精児。敬称略。

絶妙な塩梅でできる演者たちが揃い踏み。

梶芽衣子さんも良いです。

少しネタバレあり

 

復帰も何も元反社だから、いわば社会経験ゼロといいますか、唯一できるのはムショで覚えたミシンでの縫製で、そんな内職は見つからないし、運転免許も切れてるし、短期ですぐ手が出ちゃうしでね。

でも弁護士さんも奥さんも、生活保護の担当さんも取材したいというライターも、スーパーの店長もみんないい人たちで、そういった関わる人たちに少しずつ支えられて、なんとかかんとかゆっくり社会復帰をめざしていきます。

 

だけど世間の理解はなかなかないし、身体も悪いし、免許もとれないし、思うようにはいかなくて、一回もうダメだと反社の兄さんに頼るんですね。で反社の兄さんは歓待してくれて世間よりよっぽど優しくて。

あわやヤクザの世界に戻るのかと思いきやギリギリのところで、カタギの世界との繋がりを取り戻します。

 

重いテーマですが、人が立場や過去にとらわれず人を信じる姿を描いていて、これもまた一つのリアルだと私は思いました。

 

キモは、ヤクザよりも空が広く見えるというカタギの世界でも、現実には理不尽がたくさんあって、そこにどう向き合うか。

 

すばらしき世界はどっちなのか

はたまたそんなものは結局存在しないのか

 

西川美和さんの映画は鶴瓶師匠の「ディアドクター」が印象的でしたが、主人公が憎めなくておかしみがあるあたりが共通点でしょうか。

山田洋次的な感じもします。

ヨーロッパ的な雰囲気もあるかも。

はみ出したりしくじったりした人をふわ〜っと優しく包み込む印象。

 

 

 

 

 

夫と暴力とこの世の成り立ちのこと_ネガティブな自己分析シリーズ

✳︎夫への悪口が過ぎたので反省し加筆修正しました(*´ω`*)とはいえ書いてますのでそーゆーのがしんどい方は読まないでください。

 

また失敗しました。

別居中の夫です。

 

詳しくは複雑なので省きますが、子どものゲーム課金が話題の昨今ですが、似たようなことが我が家で起こり、ナゾの引き落としでもめています。

子どものことだからと夫に電話して直接話したけど、結果なんにも前向きな受け取り方をせず、自分の損失ばかり数えてます。(ように見える)

あげくに、俺のやり方にケチをつけるな

あんたは子どもを俺に押し付けて苦労してないから知らん

知らんくせに口出しすな

 

と、最終怒鳴り出しました。

 

てゆーか

こんなに久しぶりだけどやっぱり冷静に話せないんですよねえ。

そして夫は怒鳴りだすともう言葉が届かないし、私もうまく言葉が出ないのです。

ということで

理解できない人の

理解できない行動を

引き起こすネタを作ってしまいました。

できる限り関わるべきではなかったです。

 

しかし…なんでこうも私は怒鳴られると言葉がでなくなるのか。まあそれが向こうの望む通りの展開なんでしょうが。びびらせるという。

 

 

それは結局彼に恐怖を感じるからなんですよね。

つまり怖いから。肉体的にも腕力でも自分より圧倒的であると認識したら、人間こんなに萎縮してしまうんだなと。

 

だって最終勝てないですものね。

勝ててないですよ。いつだって。

一度たりとも。

素手では。

 

ただうちのお父さんとも怒鳴りあったことあるけど、こんな怖くなかったです。

殴られたことはないからか。

殴り合っても勝てそうだからか(笑)

やっぱり1回でも手を出す奴は信用ならんのか。

夫のことは心の底から信じてないからか。

何かが気に食わなくてもめるたびに「引きこもり」「無視」「離婚する」を持ち出されてきたからか。ドタキャンされてばかりいたからか。

 

家庭内にしろ家庭外にしろこの世に暴力というものは存在していて、その圧倒的な支配力を直接感じることで、惨めで救いのない気持ちになってしまうのです。

 

その結果私はあらゆる「暴力」的なものに、どんどん嫌悪感が募り、恐れと憎しみと拒絶と屈辱感と

社会への絶望

を感じるのです。

 

こんなんじゃ離れた意味がない。

 

そこでです。一つこのガクブルのメンタルをリセットするために、落ち着きを取り戻す思考作りのトレーニングとして、本当にこの世は絶望しかないのか。「この世の成り立ち」をおさらいしてみることにします。

 

この世の成り立ち。つまり人類はですね、なぜに自然界の「強いものが支配する」掟から脱して、法治国家を編み出したのか。

だって、いくら私が軟弱だとしても、今の社会は暴力をノーと捉えることが常識ではありますよね。

一応。

 

歴史的な視点でみると、長い人類史のなかでそれはごく最近の変化だとしても。

 

ダーウィンがどう見るか知らないけれど、もしこの暴力OK→暴力NOの変化が進化だとしたら、肉体的、力的支配の掟が今は許されないことだとしたら、なぜ人間はその道を選んだのか。

 

女性が不利な世界はまだまだ続いてはいるけれども、そういうことを抜きにしてそもそも神様は男性に力を与えて狩りをさせたし、女性には子育てをさせた、という人類史があるなかで、どうしてその自然界の掟から人類だけ「社会🟰支配構造の変化」を作ることになったのか。

なぜ人類はそれで他の生物より圧倒的に繁栄できたのか。

 

それは人類が集団行動をするようになったからでしょう。

暴力では数をまとめきれないから。

肉体的能力より頭脳の方が発達して

支配構造や社会的構造を成立させるに優ったから。

要は強いよりかしこいことの方が、より多数に対する支配力や統率力を発揮できたから。

 

むちゃくちゃ極端に単純化して言えばですが。

だとしたらです。

 

暴力に対して私ができることは

賢くあること。

賢くあるとはどういうことかというと

この世のあらゆるものを利用して

暴力の支配から逃れること。

 

そのためには知ること、行動することが大切。

 

あとね、「サピエンス全史」の上巻しか読んでないけど、そこで書いてあることで、おお!と私が思ったのは、この人類の集団行動には、親しみとか思いやりの行動があって、それが集団化をより強めたのではないなと。

つまり、人類の強さは、他者への親しみを伝える行為だとか思いやりだというわけですよね。

 



だとしたら、暴力に勝る強さは思いやり。

うーん考えさせられますけど、めちゃくちゃ救いがあります。

要は思いやりを感じないと人は集団ではいられない。暴力や恐怖では強固な集団行動はできないのです。

 

でも危機に直面したときに取るべき行動となると、それはもう草食動物と同じく、足早にトンズラすることだと思います。

暴力が届かない世界まで走って逃げろ!と。

そして暴力から離れた世界で、平和な世界で知り学び行動する。

 

つまり人類の進化の歴史を個人の歴史として歩む。

 

これまでは

何故にすぐ手が出るんだろう

すぐ怒鳴りだして威圧するんだろう

と思っていたんですが

人類史にあてはめると

そもそも生物の多くがそうやって生きながらえてきているのだから

そこに明確で個人的な理由はないのかもしれません。

ただプリミティブなだけで。

 

歳を取ったら昔を懐かしがるといいますが、最近の私は加齢に反比例してプリミティブを懐かしがる風潮が苦手になりだしました。

だって「昔」って女性にとっては理不尽だし不利なことの多いことったらないわけで。

それはともかく、男性のなかでも分かりやすい順列がつけられるのが肉体的支配力なんですが、その力がプリミティブを代表する一つであることが確かな限り、そうなるよなと。

 

だから、

暴力を嫌悪する思考は間違ってないし

逃避して忌避して遠ざける行動は正解。

 

むしろ自分が弱い立場だと早々に認識して

そうすべきですよね。

うん。

夫への接触は軟弱な私のおバカな行動だったと深く反省。

 

で人類史に話を戻しますが、そうは言っても人類はね、まだ暴力を全然拒絶はしていません。暴力に知恵を授けてより大規模に戦争🟰暴力を使って支配権を争っています。強い国が弱い国へ。

その中で結局酷い目にあうのは小さきものたち。

 

そう、社会は暴力をNOと謳っても、平和を掲げていても、現実にはここかしこに存在します。

 

一方で暴力にあらがう人もいます。

思いやりだって一人ひとりの小さなものを積み重ねたら暴力よりもきっとある。

人を想うことで始まるコミュ力や集団力で平和を勝ち取る歴史もあります。

 

逃げ足の力。

数の力。

対話の力。

そして「支配構造」からはみ出て「力」に頼らない価値観。考え方。

思いやることで生まれる人とのつながり。

 

自分を守る武器を持たないと。

個人的には

はみでる価値観→ここ伸ばしたい!

 

自分は暴力ではないものをどれだけ見つけることができるか?

自分は何を見て何を信じるのか?

 

何よりまず、逃げる。

そして別のものを作っていくのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画スパイダーマン_お正月の深夜テレビ放送から3シリーズを通してみてみる

お正月の深夜のテレビ放送の映画を見る。というのが私のお正月スタイルのひとつです。

 

tsubatarou.hatenablog.com

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そんなこんなで2024年のお正月、深夜にやっていたスパイダーマン

テレビでは初代3部作とアメイジングシリーズの2つを連夜やっていて、私は過去に初代の第一作は何回も観ていたので、飛ばし。初代の2からアメイジングシリーズまでを録画して観ました。

でもスパイダーマンの映画は、マーベル版シリーズもあります。それも観ないとスパイダーマンは語れない?ということでマーベル版は追加でプライムで視聴。

 

一番最初は、サム・ライミ監督のスパイダーマン3部作ですね。トビーマグワイア主演。

初出は2004年。

 

次にアンドリューガーフィールドが主演したアメイジングスパイダーマン。2012年からの2部作。エマストーンも出ています。マーク・ウェブ監督。

 

 

で一番新しいのがマーベル(MCU)が製作したスパイダーマン ホームカミングをはじめとする3部作。トムホランドがピーターパーカー(スパイダーマンの少年)役で2017年公開。

21年に公開された「ノーウェイホーム」は、アマゾンプライムでまだ有料なので見ていません。400円を出すか出さないか迷ったあげく。

 

 

これを延々と見続けたのは、スパイダーマン通になりたかったわけでは全然ないのですが、これだけシリーズ化するってやっぱり魅力があるってことで、その魅力を知りたいと思った次第です。

 

でも正直、テレビで正月やった2シリーズはすでに過去に全部観ていたことに観てから気づき。

それを全然覚えていないってことは、そんなに印象なかったんだろうとは思うんですが、改めてマーベル作品もふくめ通して観てみて、いや魅力があるのは分かりました。

ただし、、まあ当たり前っちゃ当たり前ですが

スパイダーマンが敵と戦って勝つ」

という大筋はどれも共通しております。

特に悪役との戦いシーンは、自分がアクションにそもそも興味がないから寝ちゃったりもしてしまいました。戦いシーンが終わったらすっと目が覚めるという「うまいことできている自分」にわれながら感心しつつ。

 

そう。

そもそも私はアクション映画、好きじゃないんです。

じゃあダメじゃん(;´∀`)

でもでもです。

だからといって「しょうもな!」とは全く思わなかったんですね。

むしろ面白かったです。

ということでアクション映画が好きじゃない私による

 

ここがいいよスパイダーマン

をお送りしたいと思います。

一部ネタバレあり。

 

1.いけてない主人公ピーターパーカーの成長物語

いろいろ映画化もされているアメコミ作品を全然知らないんですが、確かスーパーマンのクラークケントも性格優しめの冴えない新聞記者かなんかだった気がするので、「主人公が弱め」というのはアメコミ界の王道なのかもしれないですね。

スパイダーマンであるピーターは10代なので、学校のヒエラルキーの最下層だったり、一部の生徒からからかいを受けていたり、もちろんケンカも弱いし、女子にももてないし、でも頭は良くて成績はいい「理系ガリ勉」みたいな感じです。

これは基本どのシリーズも共通です。だってそこがやっぱり魅力だと思うんですよ。

スパイダーマンも、要は少年誌で展開されているような少年の成長物語なんです。コミックを読む読者層が自分事としてとらえることができる設定ですよね。

 

特にマーベルの描くスパイダーマンシリーズは、コメディの要素が強く、ダメなピーターパーカーが等身大に人間くさく、実に面白いです。深夜放送のテレビ放映って基本吹き替えなので、吹き替え版で観てたんですが、吹き替えの翻訳家のセンスもありますよね、きっと。めっちゃセリフ展開が面白いです。

トビー、アンドリュー、トムと歴代ピーターを演じる役者さんはそろって小柄でなんとなく雰囲気は似てて(でも顔立ちとか体つきは全然違う)、だけどマーベル版のピーターであるトムホランドは3人のなかでは一番特徴のない顔立ちというか、パッと印象に残らない感じです。でもだからこそ余計に、ピーターの地味な冴えないキャラに合っているのかもと。

※もちろんトムホランドは全然イケメンですよ。そら。そういう役作りに合っているという意味。

 

とにかくスパイダーマンの何が魅力かって、それはもうスパイダーマンである高校生ピーターパーカーそのものだと思うので、シリーズの3人ともにその後も活躍されているポテンシャルの高いいい俳優さんだし、ピーターのキャラがあってこその少年から大人への成長だったり、「ヒーローとは強さより心が大事」っていう部分にもつながっていくので、そこに共感や魅力を感じないと、全然面白くないんではないかと思います。

 

2.スパイダーマン=蜘蛛男だからこその活躍

これも「そらそうだろう」と言われたらそれまでですが、スパイダーマンはなんでスパイダーマンになったかというと、実験にされていた特殊な蜘蛛にかまれたりしてスパイダーマンになります。これはうろ覚えですが?3シリーズともに共通だったと思います(むしろはっきり覚えてないってどういうこと)。

だからスパイダーマンの並外れた身体能力の基本は、蜘蛛と同じように壁をつたうことができたり、蜘蛛の糸を出したりできることなんですよね。蜘蛛の糸はピーターが自分で化学薬品で作ってた気もするけど。化学に強いピーターが、蜘蛛の特色を採り入れることで、NYのビルの谷間を飛び回ったり、高いビルを這い上がったりという、スパイダーマンならではの、スパイダーマンだからこその動きを実現しています。

でもね、ビルの谷間を糸を出して飛び回るのはよいとして、スパイダーマンが全身タイツで壁を登っていく姿、かっこいいのでしょうか?

そう。私は逆にそこがスパイダーマンの魅力だと思うのです。

だって、蜘蛛ってそもそも「かっこいい昆虫」でもないし、どっちかというと気味悪く思われたりもします。

それを人間と融合させるって発想そのものがすばらしくないですか?

カフカの小説「変身」から着想を得ている「ザ・フライ」とか有名ですが、要はあの路線というか。

 

 

だからなんていうのか、そもそも「かっこよくないもの」をね、取り入れてるんですよね。冴えないピーターといい蜘蛛といい。

かっこいい虫、たとえばクワガタとかカブトムシとか、そういう人気昆虫ではないんです。バッタからきてる仮面ライダーとも、そこが違う。

身近な昆虫としてハエでもよかったけど、そうするとさきほどの「ザ・フライ」のホラーになってしまうので、「蜘蛛」ってすごいバランス感覚に優れた発想だと思うんです。アイデア勝負のアメリカっぽいですよね。

で、その「実際かっこいいか~?」というスパイダーマンが活躍して「キャー♪スパイディー♪」と女子から黄色い声援を受けたり、子どもからあこがれの存在に見られてヒーローになっていくっていうのが、シンプルに面白いと思いました。

 

3.映画内の女子の扱いの変遷から時代を読み取れる

これは上野千鶴子氏を心の師とあおぐ私だからっていうのだとは思うので、おまけ的な要素です。

サムライミ版はまだ2000年代初頭だからか、登場する女子がキャーキャー要員です。

ヒロイン役のピーターのガールフレンド、MJ役のキルスティン・ダンストもキャーキャー言っています。あとキルスティン版はなんか、妙に色気があります。

トビーマグワイアのピーターも3シリーズの中ではいちばんシリアスというか、影があるので、他シリーズに比べてアダルトな雰囲気があるんですよね。そのなかで、まだまだ女子は「ただ助けられる存在」の域を脱していません。

で、マークウェブのアメイジングシリーズでは、ヒロインのエマストーンにこのキャーキャー要素が一切なくなります。それだけではなく、エマストーンは、「助けられる存在」を超えた「活躍さえする存在」になっています。でも、私は2の結末がどうにも好きじゃないので、マイナス1。

なんにしろアメイジングシリーズ初出は2012年なので前シリーズ最後作公開の2007年からの5年間のあいだに「世の中のジェンダー感覚・常識」が変わったのをスパイダーマンの変遷で見て取れるのが、面白いです。

そして最新のマーベル版では、ヒロインに限らず、登場する人物の人種の壁がぐっと低くなって多様性豊かなメンツになっています。ヒロインも有色人種で、2作目のファーフロムホームの主役のトムホランドとヒロインのゼンデイヤはプライベートでもカップルなんですって。

ゼンデイヤは黒人と白人のミックスで、歌手としても知られる存在。美人さんで、トムより長身ですが、とっても仲が良いようです。

Something New

Something New

  • Hollywood /Republic Records
Amazon

 

ジョンワッツ監督によるマーベル版は、そういう「今どき」全開だし、他のシリーズと違って大きくコメディに振り切っているので、私としても一番笑っておもしろく観れました。そしてハリウッドはいつも、しっかり時代を牽引しているなあと感心します。

 

ほかにも「CG頑張りました」から、映像美への挑戦に変わりゆく映像技術の変遷だったり、敵役のキャラデザインの凝り具合が作品ごとに差がありすぎな気がしたり、マーベルだからってアイアンマンとか出す必要そんなになくない?とか、悪役の悲哀がジョーカーの悲哀と同じだなぁと感心したり、いろいろ思ったんですが、どのシリーズもそれぞれテーマが違っているし、どれもそれぞれの魅力があって面白いです。

そして、上に挙げた、というか原作から連綿とぶれずに続く「ピーターは基本冴えない」「蜘蛛がヒーローだよ」という、この2つを絶対的な根源としていることで、スパイダーマンをシリーズを超えて優れたエンタメとして成立させていると私は思います。

 

21年公開のノー・ウェイ・ホームも早くAmazonプライムで無料化してほしいです。

 

 

 

 

 

友がみな我よりえらく見える日は_市井の人にスポットを当て続けるルポライター上原隆さん

 

 

ノンフィクションライターの上原隆さんを知ったのは、「フリーライターとして稼いでいく方法、教えます」の肥沼和之さんが「上原隆さんみたいなライターになりたい」とか、憧れるとか、そんなことを書いていて、「へー上原隆ってどんなライターなんだろ」と興味を持ったのがきっかけです。

tsubatarou.hatenablog.com

 

でも、地域の図書館で探してもないんですよ。で、大きい図書館で探したら2冊くらいだけあったので借りました。借りられたのは「君たちはどう生きるかの哲学 (幻冬舎新書)」だったんですが、遡って上原さんは哲学者の鶴見俊輔氏を師事しており、というか憧れてたりしたりしてて、なんかこう脈々と文筆家というものの時代の変遷というか、血筋というか系統というか、承継みたいな?ものがあるのかも、みたいなことを感じました。

 

でもこの本はルポではなくてコラムなので、ルポ系が図書館にないものだから、しょうがなくブックオフオンラインで何冊か手に入れて読んだのが上の「友がみな我よりえらく見える日は」と「喜びは悲しみのあとに」です。出版年順で読みだして、いま他のも読んでいるのですが、上原隆さんの作風?を理解する上でこの2冊を最初に読んだのは、正解だったと思います。

 

スタイルとしては、市井の人にインタビューしたり調べてまとめるルポルタージュです。取り上げる個人の物語をショートショートくらいの長さで短編にしてまとめられています。

市井の人ってそう、肥沼さんもやっていた「友達の人生へのインタビューをまとめる」みたいなところから始まっていて、たとえば役所勤めしていた学生時代の友人が事故に合って目が見えなくなって、とか、映画制作の写植屋さんだったけど写植という仕事がなくなってどうしようみたいな50代独身女子とか、障害児を育てる父親だったり、妻に熟年離婚された夫だったり、新宿でキャッチするお兄さんだったり、大手企業のリストラに合った人たちだったり、不倫したりされたりのそれぞれだったり、パチンコ依存症の妻を持つ夫だったり、EDの自分だったり(すごいな)。

 

ほんとに「隣のあなた」なのです。

 

そこに個人の感想みたいなのは一切なくて、実際に聞いたり調べたりしたことだろう内容が分かりやすく淡々とつづられています。

私小説風というか、描かれているのは個人のごくプライベートな側面であって、だから登場人物の名前などは本名ではないし、いろいろ変えているのは変えているんでしょうが、一言でいってとても面白かったです。

 

リアリティという意味ではノンフィクションなので申し分ないし、ネタ的にも、絶妙というか、「事実は小説より奇なり」というほど奇をてらった内容はほぼなくて、中年の不倫や恋愛ネタは若干数が多い気がするものの、それほど下世話な週刊誌風でもなく、どちらかというと日の当たらない場所にスポットを当てたかったんだなという感じ。

 

上原さんが師と仰ぐ鶴見俊輔氏があとがきを寄せていて、褒めています。

 

私は、上原さんみたいなスタイルのライターさんを正直知らなかったので、ひとつのジャンルを確立したというか、なかなか実は真似のできないライターさんではないかとおみそれしています。(正直、市井の人ルポ~?と興味なかった)

で、文庫の裏表紙の上原さんのプロフィールに「ボブ・グリーンタッチのルポを書く」とあって、そうなの?そういうジャンルがすでにあってアメリカでやってたんか!と。

何にも知らないもんですね。。ということで、上原さんが結構最近も出版されているのが分かってきたので、それを読みつつ、今後はボブグリーンの本も読んでみようかと思っています。図書館で探して。ボブグリーンはさすがにあるような気がするし。

ライターって芋づる式に脈々とした流れがあるものです。

 

ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた_小さな希望を見つけに。GO!GO!斎藤幸平!

 

2023 斎藤幸平 KADOKAWA

ネタばれ少しあるけど大きくはなし。

 

齋藤幸平さん版リアル「ディアにっぽん」。

※「ディアにっぽん」は日本各地の市井の人々にスポットをあてたNHKのドキュメント番組

↓ちょっと書きました

tsubatarou.hatenablog.com

 

 

コロナ禍に机上の学問を超えて、フィールドワークをしようぜ!という編集部からの企画に斎藤幸平さんも乗り気で始まった毎日新聞連載の書籍化です。

 

「人新生の『資本論』」は挫折した人も、これなら読める!という読みやすいエッセイです。

 

tsubatarou.hatenablog.com

 

 

タイトルの通り、齊藤さんはさまざまな体験をしていきます。

たとえば…ウーバーの配達員をやってみて、そのシステムのおかしさを感じたり、豊岡市林業として労働者協働組合を実現しているネクストグリーン但馬に潜入したり、男性メイクをみずから経験して「他人の目を気にしすぎじゃないか」と感じて、西村宏堂さんに「自信がない人が生き方を変えられる道具なんだ」と怒られたり(宏堂さんナイス)、東日本大震災いわき市の復興の今を見に行ったり、石巻市で持続可能な復興を探ったり、水俣を訪れて公害の歴史と今を勉強したり、ちょうどコロナ禍の時期でテレワークを考えてみたり、日本ではなかなか進まない子どもの性教育を考えてみたり、アイヌの今を知るために北海道のウポポイに出向いたり。。。

 

全部で23?の場所に行き、話を聞いて、実践し、考えているんですが、正直その数が多すぎる上に、一つひとつは数ページだし、テーマの範囲が広すぎて、全体的な印象としてはちょっとごった煮感。

 

しかも私が個人的に心に残ったのは、西村宏堂さんが斎藤さんにナイスな突っ込みをする「男性メイク」の回という、ライト系だったりするんですけど(∩´∀`)∩

斎藤さんは現在ちびっ子子育て真っ最中なので、性教育の回もよかったですね。

あと、ウーバーイーツを取材に行くのではなく、実際にやってみたのはすごくいいと思いました。自転車でこけてて気の毒だったけど。

 

斎藤さんは大阪市立大学(現大阪公立大学)の先生をされているので、関西バージョンが結構あって、「釜ヶ崎にもいったんだあ」という感慨もありました。

✳︎2022年からは東大の先生のようです

 

とにかく扱っている対象が広範囲なので、「斎藤さんだから消化できるんだよ」とも思います。「斎藤さんだからできるんだよ」というのは若いからとか、お金出してもらえるから、ではなくて、やっぱりそもそもの知見があるんですよね。

 

だからどのテーマも斎藤幸平さんの環境経済とか資本主義経済と気候変動とか、研究分野での知見を通して考えてみるという感じ。だから扱っているテーマは広範囲ですが、すべてリアルタイムの社会問題に対峙するかたちなので、「斎藤幸平が見た聞いた!地べたのニッポンのいま」として一読の価値があります。

 

この本のだいご味は、斎藤さんが訪れる先々が、釜ヶ崎とか箕面市の暮らしづくりネットワーク北芝とか、はたまた水俣とか、外国人労働者救済支援センターとか(書ききれない。。。)どこにしろ、草の根で社会問題に地道に取り組んでいる人々であることなんです。

 

だからこれは、「地味すぎて話題にはならないいけど、地域や地元、誰かのために地道に活動している市井の人々の物語」でもあります。

 

お金にならず。

日の目をみるわけでもない。

だけど、この世界の小さな埋もれているものに日々向き合い、人生をささげている。

そういう埋もれている人々に出会えるのが本書です。

 

福田村事件_森達也は100年前の何を遺したかったのか


2023 日本

ネタバレあり。

 

1923年、関東大震災

10万5000人の死者・行方不明者を出したその当時、人々は混乱のなかで、不安や恐怖の答えを探して、一つの暴力的な道を辿りました。

 

震災後の混乱に乗じて、反乱を起こす分子が現れたから自警団作ってやっつけろ!と。

不安と恐怖は、政府やマスコミに焚きつけられ、人々は自衛という名のもとに朝鮮人社会主義者にリンチと殺戮を行いました。

 

この震災後のリンチ、殺戮の犠牲者の数ははっきりしておらず、この「はっきりしない」ことに日本政府の不誠実さが滲み出ているんですが、6000人に及ぶと言われています。

 

これが史実であることが悲しいです。

この悲しみは、どうやって癒えるんでしょうか。

ドイツのように、国がホロコーストをしっかり認めて、未来にノーを受け継いでいく活動をちゃんとしてこればよかったんじゃないか。

 

なぜそうしないのか。それでは癒えないからなのか。でもまず私たちが真に癒されるには自分の国の、自分のうちに眠る弱さや愚かさと向きあうしかないでしょうに。

 

森達也監督は人間のこの弱さと愚かさの行き着く先を100年前の史実を通して作品にしました。まるで己がその罪を背負っているかのように、忘れようとしません。

 

この事件のことは知っていたんですが、史実をもとにしたフィクションとはいえ、映像でみるとすごい考えさせられました。というかずっと瑛太が鉈で頭を勝ち割られるシーンが脳裏から離れません。その後の残虐なシーンも。

讃岐の行商人の眼鏡の青年が「俺はなんのために生まれてきたんだろう」と言いながら、竹やりで刺され死にゆく場面も、「この子だけは」と川に飛び込み刺される母子のシーンも、ほんとに怖くて。

 

普通の村人が、なぜこんなに残虐になれるのか。

 

政治不満などから目をそらすために仮想敵を仕立て上げ、陰謀論や流言飛語を広めて、敵意の矛先をずらすという権力者の手法は、古代からあるのだと思います。

でも現代を生きる私たちは、そんなにバカじゃないと思っています。

それがもうたぶん落とし穴。

 

私は私を疑わないといけない。

私の知っていることがすべてなのか。

私の当たり前はどこにいても誰にとっても当たり前なのか。

 

もうきっとそれだけなのです。

同じ過ちを繰り返さない方法は。

だけどそれが難しい。

だから忘れないようにと。

森監督はこの映画を撮ったのだと思います。

 

小さな映画館ですが満席で、次の回もたくさん並んでいました。

やっぱり森達也人気!

 

世間がタブーとすることを首尾一貫して追いかけてきた森達也さん。

森達也さんを知ったのは、「放送禁止歌」でした。

 

 

世の中ではアンタッチャブルにされている問題に、空気を読まずに、飽くなき探求心でとことん突き進む、すごい人がいる!と、めちゃくちゃ面白かったです。

もう20年近く前になるんですね。

 

当時はこういうジャーナリストは、日の目を見ないんだろなぁと勝手に残念がっていたら、あれ?森達也さん、なんやかやとよく名前みるなあ、映画もよく撮るなあ、となり。

もはやドキュメント界の一翼を担う有名なクリエイターやんと。大御所?

今回の「福田村事件」にも、エンドロールをみていたら俳優陣に限らず、名だたる脚本家や音楽家が参加しているようでした。

 

でもみんなが森達也さんに惹かれるの、分かります。

ということでちょっとだけ

 

森達也、ここがいい!

 

を。

 

①分かりやすい

今回のような史実に基づきながらもドキュメントではない映画(100年前の事件ですし)だからこそ余計にそれを感じたんですが、森達也さんの作品ってストイックというか、情緒に頼らないんです。

 

メタファー的に何かを匂わしたり、意味するところを表情やセリフ回しに含めたり、そういうのがやっぱり芝居の作品であっても全然なくて。

大事な部分だけを切り取りつないでいるだけというか、だけどそこには息をしている人間がちゃんといて、体温があるんですよね。

 

「i 新聞記者」でも望月衣塑子さんが仕事をしている姿に、怒ったり笑ったりしている姿を淡々とつなぎ合わせていました。

 

この淡々としたシンプルで余計なものの入る余地のなさが、読んだり観たりする側にとってはとても分かりやすいのではと思います。

 

小学校高学年くらいなら理解できるというか、裏を感じさせない見たまんまな感じ。

セリフも森さんが伝えたいこともストレートだし、だから重いテーマを扱いながらも意外と多くの人に伝わるんではないかと思います。

 

②圧力を意に介さないユーモア

森達也さんのように、世間的に「言っちゃダメよ」なことを、空気を全く読まずに追求するというのは、だいたいどこかから批判を浴びたり、圧力をかけられるとも思うんですね。主に権力サイドとかから。

実際に森作品にもその圧力がまんま出てきたりします。

 

で、森達也さんはその圧力にもあるがままに淡々と対峙します。まるで意に介さない感じには、もはやユーモアさえ感じます。

 

似た感じの人でいうと、アメリカのマイケルムーア監督でしょうか。

 

 

圧力をものともしない姿って関西弁でいうと「いちびり」にも見えてくるというか、いえ決してご本人はそうではないと思うのですが。

たとえばチャップリンや落語が「圧力(権力)をいちびる」ように分かった上の演出ではない気がます。

 

ただ圧力も含めて淡々と向き合う森作品をみていたら「私ってば、何をくよくよ気にして(о´∀`о)」となんだか晴れ晴れとした気分にもなってくるんです。

 

実はこういう「空気を読まないことで生まれる空気」が偶発的に醸造するユーモアこそが、この世で一番の人間の強さなんじゃないかと思います。

 

というわけで久しぶりの劇場鑑賞でしたが、

森達也さんはなかなかにパワーアップを続けてました。

 

 

正々堂々_走り出したくなる!

 

 

2020 西村宏堂

 

西村宏堂という存在、ステキです。

元気もらえます。

 

1989年生まれだから今34歳ですね。

 

LGBTQで僧侶でメイクアップアーティストな宏堂さんは、幼いころから自分を女の子だと語り、でもそれを言っちゃいけない悪いことのように思春期を過ごしました。

 

高校時代は自分のあいまいなアイデンティティを語ることも、心開ける友達もできず、きっとここでなら受け入れられるとアメリカに留学するも今度は「日本人だから」と殻にこもってしまった宏堂さん。

同じLGBTQでありながら自由に振る舞う友達から影響を受けたり、同じ日本人のミスユニバース森理世さんの本の言葉に触発されたりして、自分らしく生きる道をみずから探して進んでいきます。

 

LGBTQでなくても、自分らしさとは何ぞやと悩んだり、自分に自信がなかなか持てない青春を過ごしている若者、またそんな経験を持つ大人も、宏堂さんの悩みはとても共感できるんではないでしょうか。

 

ともかくそんな宏堂さんは、ゲイチャットを心の拠り所にしたり、同じような性認識を持ちながらも家族にも認められていて、電車でも堂々と恋人といちゃつくゲイの友達をみて、段々と、自分もそうありたいと変わっていきます。

 

で、アメリカでは、美大に入ったり、ミスユニバースのメイクアップを手がける日本人メイクアップアーティストのアシスタントを始めたり、はたまた帰国して僧侶になるための厳しい修行に身を投じて仏教を学んだり(宏堂さんはお寺の子でお父さんお母さんが僧侶)、いきいきと挑戦していきます。

 

人間って、変わるんですね。

 

宏堂さんがなんで変われたのか。どこにそのきっかけがあったのか?

私なりに読んでから考えてみたんですが、

 

まず自分の苦しみや不安から、真正面にぶつかっている。いらんプライドがないなと。好奇心に素直。失敗を恐れない。

 

あと、そもそも宏堂さんは変わったわけではないのではないかとも思うんです。

 

というのも宏堂さんは「人と自分が違う」ということを、望むにしろ望まないにしろ強く感じてきた人です。

他者と自分をしっかり線引きするのは人としての成熟への大きな一歩だと思います。

宏堂さんは、自分は男なのか女なのか、親も含め周りの認識と自分の感覚がなぜ違うのか、どうすり合わせていけばいいのか、幼いころから悩んできたわけで、そこだけ切り取ると「幼いころから大変そう」なんだけど、そういう悩みをもって考え続けてきたからこそ、「なにごとも自分しだいなんだ」という気持ちに早い段階でたどり着けたんではないかと思います。

 

「自分ってなんだろう」という人生の旅をずっと続けて、その中で視野が広がっていって、新しい世界を吸収していくことで救われたんだなと。

 

ただその悩みって何の意味があるの?人生のなかでそんなこと考えても無意味という人もいるかもしれないですが、すごい意味ありますよね。

 

だって、自分を知らずにいて、自分で自分を救う力が持てるのか、ってことです。

宏堂さんはその悩みを持ったうえで、日本を飛び出すことで、ところ変われば価値観も観念も変わることを知ったり、仏教を通して日本という国はなんなのか、人とはなんなのかを言葉として発する力をつけたり、自分を自分の力で救っています。

もうはや「ジェンダーとは、自分とは」を超えて「この世の在り方のナゾ」にまでせまっていっている感。すごい。

 

あとご本人がおっしゃっていることで、私も大切だなと思ったのが「知識をつけること」。

 

自信のないものを克服するために知識をつけようというのは、とても基本で当たり前のことだけど、案外見逃しがちでもあって。

私も最近まで気づいてなかったんですが、私のクセとして、不安になると本を読みだすというのがありまして、どうしたらいいか分からない状況の不安解消に「まだ知りえていない知識を吸い込んで、ひとつ賢い自分になっておけば安心」みたいな?

すごい保身で単純な動機なんですが。

まあ本を読めばそれで直接解決することはほとんどないのだけど、なんでなんだろう?っていうものを掘り下げて、それをちょっとずつ解明していく行為が不安を消していくといいますか。

物事の因果関係をつかんでおけば正しい行動ができるんじゃないかという期待というか。ぜんぜん考えたこともないような新しい知識を得るという麻薬のような喜びから抜けられないというか。

あと差別とか偏見とかって、他者への想像力も大事ですが、視野が狭いというか、「ちゃんと知らない」ゆえに陥りがちでもあると思うので、できる限り自分のふるまいに気を付けたいというのもあります。

これはもはや「思考のクセ」なんで、もしかしたら宏堂さんもそういうクセがあるタイプの人なんじゃないかな?となんとなく感じ勝手に親近感(*‘∀‘)

 

あと、中学のときから英語が好きだったり、宏堂さんが美術の予備校でデッサンの上手い人を見て、美大に行くの辞めたっていう挫折?(にもいたらない諦め)も、同じだったというのもあったりで、世代も現段階の仕上がりも全然違うんですけど、妙に共感できたというか。

 

でも宏堂さんは、結局アメリカにも行ったし美大にも入ったし、私がやりたくて成しえていないことを全部やっとるんです。

 

そういうところが素直に「すばらしいがな」とわくわくしました。

 

もう50手前の私が言うと、ええ歳こいて~になるのは承知のすけですが、

やりたいことをいつまでも追いかけていいじゃないか!

世界が広いことを私はまだ知らないじゃないか!

と「うおー」と叫びながら太陽に向かって走り出したくなるような、うずうずした気持ちになりました(●´ω`●)

 

そしてこの気持ちをぜひ若者と一緒に!と、美容系に進みたいという高3のわが子にこの本をプレゼントしたんですが、3日たってまだ読んではないらしいです。いつか、心が迷子になったときにでもそっと読んでみてくれたらと思います。