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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

未来世紀ブラジル_人間ってネットにはないことが8割

 

1985年 イギリス 監督テリーギリアム

 

AIの普及や技術のニュースなどを見るたびに、最近私が思い出すのがこの映画です。

 

コンピュータによって徹底管理されたディストピアを描く作品で、初見はいつ頃かなあ。

大学生くらいかなぁ。20代とかの若い頃だったとは思います。

 

公開は1985年。当時は小学生だったのでリアタイでは全然知らないです。

 

が、今、AIやらchatGPTやらが、実際に自分に関わりを持つようになってですね。

私はそれ自体が悪いことだとか良いことだとかはあまり関心なくて、ただまあもうそうなるんだろうなあという感覚ではあったんですが、ここ最近急にですね。

 

こわ!と思うようになりました。

 

それは、chatGPTで作った文章が支離滅裂だったとか、そんなバカな!な虚偽の歴史を語るとか、そんなことでなくて、いやそれも真偽を別ソースから探せない世代が増える将来的には怖い話だけれども、使途不明金が発覚したからです。

 

…まあ子どもが知らぬ間に使ってたんですけど。

怖いのは、いつのまにか金を使ってしまえるキャリア決済の仕組みおよびセキュリティ感覚の希薄さと、何よりそこに「人がいない」ことです。

 

アップルに問い合わせたら、電話に出ないということはなくて難しい用語などは使わずにいろいろ調べてくれたんですね。

だけども、じゃあ電話番号が漏れたりした場合に第三者からの引き落としをどう防げばいいですか?と聞いた時に、

  • キャリア決済に制限かける
  • 電話番号をかえる

という提案をされました。さらに暗証番号とかもちろん変えて当然として。

いやこれ自体も適切な回答でなんら問題はありません。

でもなんかモヤモヤしてて、未来世紀ブラジルのテーマ音楽が頭になりだしたんです。

 

ブラジィール♩と…

 

誰もが知るアクアレーラ・ド・ブラジル(ブラジルの水彩画)ですね。おそらくこの映画のテーマとはかなり離れた極地から生み出されただろうあの陽気なサンバの名曲。

 

で、最近chatGPTとかですね。触れる機会があって、ああそうかと。

 

どこにいっても個人情報を要求されることが怖いんだと。

 

個人情報の漏洩がたまにニュースになりますが、もうなんか、それはもはやあって当然くらいな気もするんです。だって、システムとかアプリの開発って最初から完成したものなんかほぼなくて、開発側はバージョン上げていくんですね。

でもユーザーはいわば未完成なものを使ってるけれども、そんなことはもはや問題視せずにいて、もう世の中そんな感じなんですよ。

子どもの世代なんかはもっとそう。

だからそれよりも私が怖いのは、

何をやるにしても

ネットだと個人情報を求められる

ってことです。

数々のID、数々のパスワード、数々のメールアドレス、数々のクレジットカード、数々の生年月日や性別や居住地域、家族構成、収入。その登録。

 

どんどんそれが増えていく。

 

そしていつのまにか、それがないと、なんにもできなくなるんです。

 

物を買うのはもちろん、

サブスクやらSNSなどやら。

公共料金の支払いやら。

困ったときの問い合わせやら。

 

はたと、自分の現状をみて、もはやネットに支配されている。

AmazonGoogleやインスタやサブスクが2割程度からいつの間にか8割くらいに私の日々を占めてきているなと。

 

だから未来世紀ブラジルの管理社会を今、為政者が実現しようと思えばできそうだなと。

 

個人情報さえ掴めば、人を操れますよね。

 

で。です。

これを最早当たり前になってなんにも感じないことが一番怖いのかもしれないので、我に返らねばとなんとなく思っています。

 

もう私には、私自身の人生にデジタルが生み出すライフスタイルをなくすことはできません。

でも、じゃあ本当の私がそこにいるかというと。

生身の私は日々、朝ご飯を食べて、歯医者に行って何故か焼き芋の匂いの充満する歯医者さんの待合室に座って順番を待ち、帰りにキャベツが高かったからと別のスーパーにいき100g89円の鶏むね肉に喜んでキャベツではなく白菜を買い、子どもとyoutubeみて笑って、風呂に入って、朝はお布団がぬくすぎて出られなくなっています。

 

そーゆーのは、ネットは知らんですよね?

私が書かない限りは。

そして書かないことがほとんどで。

私のほとんどを生成するネットやアプリにはない生きた私を、私は大切にしなければいかんなあと。

ネットやアプリに書き込んだ個人情報にはない、瑣末な自分の日々のおかしみを、なくしては、いけない。

楽しいことも辛いことも。

 

それを無くさないことが、優先することが、管理社会へのアンチテーゼなんではないかと。

未来世紀ブラジルにならないための策なんではないかと。

生身の人間ではない個人情報の集大成でしかない

おまえさんに何が分かるんだ?と。

 

ということで、気軽になんでもほいほいダウンロードして登録しないように気をつけたいと思います。特にポイ活。

ドラッグストアでアプリ探して開くの面倒だし。

 

 

✳︎ちなみに映画の感想ですが、独特。

尺が長いし、テリーギリアムの世界って急にどした?みたいな虚実混同スタイルでもあるし、80年代の映像なので、なんだこれ?って思う人もいるとは思うんですが、いや私もその1人ですが、この映画のディテールの一つひとつの不可思議さが割と明確に残像として残っていて、そして何より、80年代にこの作品を作る先見性ですね。

私が2020年代に、ぼんやり考え出したことを40年前にすでに、ほらみろよ、言わんこっちゃないと言わんばかりの、予知夢的な感じを2時間かけて教えてくれます。ブラックコメディとかシュールとか超えてなんかもう頭がカオス。

で、こーゆー映画を作るに至ったテリーや、製作会社とかね、そーゆーのがやっぱり奇跡的だと思うし、訳の分からないものにお金をかけるということ自体が私はステキなことだと思うし、無くしてはならない生身の人間ゆえの偶発性やダイナミズムだとも思うので、最終的に、だから映画は面白いと伝えたいと思います。