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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

the shape of water _孤独の隙間にみえるものを愛と呼びたい

 

2017 アメリカ 監督:ギレルモ・デル・トロ 主演:サリー・ホーキンス

 

未知なる生物との恋愛モノというくくりでは収まれない、ステキなお話でした。

ネタばれあり。

 

 

イライザは宇宙研究センターで夜勤の掃除婦をする、言葉を発することができない孤独な女性。

売れない絵描き&同性愛者の隣人ゲイルズ(おじいちゃん)、仕事仲間のアフリカ系ゼルダなど、60年代当時には「マイノリティ」としての立場に立つ、気のいい仲間たちに囲まれつつも、同じ日々の繰り返し。

 

そんなおり、彼女の勤めるセンターに夜中、密かにある「生物」が運び込まれます。アマゾンかどっかの川で捕らえられた「彼」は、半魚人風。意志は通じるし、言葉も理解しようとします。でもその異形の姿からひどい拷問をされ、非道な扱いを受けます。そんな「彼」に心を寄せていくイライザ。

 

イライザは「彼」をとても愛していき、このままでは殺されると知って、海に帰す計画を立てるのですが、最後に、ああ。。という。

 

決して哀しい物語ではありません。デルトロ監督は、未知の生物への愛へと向かわせるイライザの孤独を、どことなくおかしみを含んで描いていて、そこがとても好きです。

 

たとえば、片思いする男性の店で買った緑色のパイだらけのゲイルズの冷蔵庫、サラリーマンを解雇されて絵描きになったゲイルズのノーマンロックウェル的で家庭的な絵と売れない現実とのギャップ、薄い髪の毛への自虐突っ込み、イライザとゲイルズの2人の部屋それぞれに共有するアパートの半円の窓、友である2人の座ったままのタップダンス。 ゼルダと夜勤の仲間たちとの蓮っ葉な会話やトイレでの会話。またゲイルズもゼルダもイライザと会話ができる、つまり手話が使えるのです。

 

みんな貧しくて孤独だし地味だし、未知なる生物とイライザとのセックスを含む恋愛に注目がいきがちではあるんですが、私は俗っぽさは全然感じなくて、むしろパッとは気づかない程度に、たくさんの愛すべきものが散りばめられていて、全体にじんわりと暖かい気持ちになりました。

 

未知の生物とのセンセーショナルな恋愛ではなく、ただただ生きるものの孤独と、だからこそ通いあう心。

 

そこにほっこりしてしまう私もまた、きっと孤独なんでしょう。

 

つまり、私たちはみな各々にひとりぼっちなんだけれども、ひとりぼっちという名の列車に乗り合わせた隣人でもあって、「ああ、あなたも一人ですか、私もです」という、どこかの誰かへの、言ってしまえば人間以外のものも含めて、世界への慈しみみたいなものを感じるのです。

 

そういう気持ちを堂々と、愛と呼んでもいいのかもしれません。

 

 

おまけ(*⁰▿⁰*)

作中で「緑色のゼリーとかパイとか」を割と引っ張ってるんですが、私の妄想としては60年代を象徴するエレメントとして監督か誰かが「60年代といえば緑色のゼリーだよな」「だな。でもなんだってあんな緑色だったんだろうな」「いやーあれはフシギ。でもなんか気になるん分かる」みたいなことで出てきたのかなと思ったり。ほんとにどうでもいいですが。でもメロンソーダと違っておいしくもない気しますよね。 美味しくないもの、違和感への象徴か…いやでも映像が凝っているからもっと深い意味あるのかも。

 

もう一つおまけ。

作品はベネチア国際映画祭の金獅子賞、アカデミー賞も4部門で受賞しているそうです。