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子育てと正社員の仕事の両立にぎりぎりな40代の母ブログ

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

夫婦別姓問題に思う、ファーストネーム呼び、もしくは呼ばれたい名前がいいと思う持論

夫婦別姓が社会的に話題になる時代になりました。

 

あーようやく。

私は旧姓で仕事を続けるつもりだったし、いうほど、ここに疑問を持ってきたわけではないですが、

結婚したときに、よく分からぬまま、夫が入っていた夫側の本籍地(夫の田舎)に入る?ことになり、知らずに本籍地が夫と同じになったことに腹が立って、夫に文句を言ったことを覚えています。

たかが書類じゃんと割り切ってきたさまざまが、なぜ本籍地で引っかかって何が解せなかったのか。

 

これまでなんのゆかりもない土地をお前の本籍地だって言われる違和感もなんですが、結局、まだまだ日本の結婚って、「土地=家」なんだなぁと思わされたからかも。

つまり、個人の自由意思以上の、家としての繋がりなんだなと。

なんか、戦前の家父長制度がよぎってぞっとしたのを覚えてます。

 

で、結局、夫に訴えて国の制度がどうにかなるわけでもなく、自分自身が本籍地のことまで考えが回らなかったわけだし、本籍地は後からでも選べるんですが、仕事と家庭とクソ忙しいなかで煩雑な手続きを夫ともめながら進めるのもなんだかなぁ、今の住所も引っ越すかもしれないしなあ、とこの件は放棄したのでした。

 

今から本籍地を変えてもいいんですが、夫と一悶着あるでしょうし、定年退職してからやろかな。

 

というわけで、基本的に夫婦別姓は「家」の結びつきを源流にした古臭いやり方を改めるには大事なポイント!だと、ふんふんうなずいてます!

 

でもなんで日本で夫婦別姓がこれだけ話題になるんでしょね。

私が思うには、実は私自身も気付かぬうちに「家」基本に行動してるくらい、根っこの問題な気がします。

個人の呼称もそうなんですよね。

欧米人は、大人でも親しくなるとだいたいファーストネームで呼び合うじゃないですか。

日本ってだいたい苗字呼びです。

仕事とかだとほぼ苗字なはず。

 

ファーストネームで呼びあうことができるようになれば、姓がどうとかそこまで気にしないんかなぁと。

 

でも実際には、えー恥ずかしい〜、気持ち悪い〜みたいな感覚が私にはあります。

 

というのもわたくし、英会話を習い始めたんです。で、レッスンでは先生も生徒もファーストネーム呼びするんです。

 

これが私はとても清々しい気持ちというか、良いなぁと思うんですが、じゃあ明日から会社の人もファーストネームで呼ぼう!とはならないんですね。

風習とは恐ろしいものです。

 

ということで、日本では問題の根は深いきがしています。

 

姓なんか、たかが呼び方。されど個人の個性。

 

そんななかで、夫婦別姓が社会的に話題になるのはとても良き機会なんじゃないかと思います。

 

ちなみに姓を変えた経験者として、自分が個人的にどうだったかというと、結局仕事は転職したときから面倒くさくなって新姓でしています。

郷に入ればのごとくに、新姓も今やしっくり「自分のもの」に思えています。

 

ただ、私の周りには結婚しても仕事は旧姓のままの人もいて、そういうなかでは結婚により、改姓することで自分が2つの姓を持っていると言えるんです。

 

自分としての姓。

家族としての姓。

 

それが煩わしさを生んではいるんですが、同時に姓なんざ変えられる、執着するものではなく自由に使い分けるもの、という土台の感覚がすでに、2つの姓を使い分けている人にはあるんですよ。

いや、あるんじゃないかなと。自分含めて。

 

姓を簡単に、変えることができる。

 

つまり、自分のアイデンティティは何ものにも縛られない。

 

2つの姓を使い分ける人は、世の中の古臭いしきたりを、実生活に合わせて合理的にチューニングしてきています。すでにずっと前から。

働く女性には特にそんな人は少なくないんです。

 

その視点から見れば、しきたりや書類や制度は、実情のもっと後から、やっと追いついてくる、腰の重い頭の硬い頑固オヤジで、そんなオヤジを尻目に、今を生きる若い力は枠からはみ出て、新しい道をすでに歩いているのかもしれません。

 

2つの姓を持つからこそ、自分とは何かを考える。

自分らしく生きたいと考えさせられる。

 

結婚は、姓問題は、家族を作るだけでなく、自由とは何かを学ぶ大きな機会なんだと。逆説的に。

と私は今、感じています。

 

それと!

あだ名付け名人ってどこにでも結構いますよね。

あれは素晴らしい能力なんじゃないかと思います。

オリジナルワードでその人の個性を呼び名に置き換える能力。

私も付けてもらったニックネームがあるんですが、というか好き勝手に呼ばれがちなんですが、苗字だけ、ファーストネームだけで呼ばれるより、気持ちがふんわりします。

 

究極は、みんなあだ名を自分だと思えられればよくないですか。こだわりがあれば自称もあり。

呼ばれたい名前で呼ばれるのがいちばんだ、ちゅー話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

衝撃の事実!お好み焼き焼いたらマヨネーズがない!

晩ごはんに起こりました。

ホットプレート出して、生地焼いて、さあお好み焼きを食べようというときに。

あ!

マヨネーズがなかったんです。

買いに行くのめんどくさいなぁ

どうしよう…

と30秒思案しまして、作っちゃうことに。

 

クックパッドみると、だいたいブレンダー。

ブレンダーがないねんよ…ハンドミキサーでできないかなあと検索したら

ありました。

しかし、卵を卵黄のみ、とするレシピ多し。

 

まあそこはもう気にせずに、全卵で、ハンドミキサーで作りました。

驚いたのはサラダ油の量。

あ、サラダ油も、ひまわりとかベニバナとか1種類のやつにしてね、とか書いてますが、そこも気にせず。

 

で、量ですが卵1個に対し、油が175ccて!

ほぼコップいっぱいですよ。

マヨネーズって超ド級コレステロールやん!!

えげつな!!

と愕然としたんですが、

とりあえずお好み焼きを食べねばならないので、

レモン汁やら塩コショウやらも加えて、ハンドミキサーしました。

5分くらいでしょか。

これがブレンダーならば30秒くらいで出来るそうですが、ハンドミキサーは何やら、そこまでの何かのチカラが足りないらしく、まあまあ根気よく撹拌します。

 

これが、かの乳化か…憧れの。

理科だったか家庭科だったかで習ったものの、初体験。

 

エマルジョン。英語でいうと。

 

で、出来た出来た(=´∀`)人(´∀`=)

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できあがると、量としてはまあまあなボリューム。

そらコレステロールがハンパないんだから、量くらいは欲しいですね。

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味は市販より、さっぱりしてます。

コレステロール感が全く感じられないくらいに。

こらやばいすね。

実はコレステロールすごいのに、

こんな爽やかな感じ出すなんて。。

 

お好み焼きにはこのさっぱり感が実によく合いました。

手作りマヨ、かなりイケる・:*+.\*1/.:+

往復20分かけてスーパー行く時間考えたら10分弱で出来上がったのも圧倒的スピード。優秀です(*^▽^*)

 

 

でも冷えたきゅうりを食べるには物足りないです。

冷えたきゅうりには…

 

そう。

 

やぱり

 

ゆずみそ

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なのデス(*´∀`*)

 

 

*1: °ω°

ゆずみそ が諦められています

夏の冷えたきゅうりを食べるときといえば

ゆずみそ!

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コープで買ったこの会津天宝醸造さんのゆずみそがすごいおいしくて、でもコープではたまーにしか、売られてないんです。

 

でもまあゆずみそなんて、そこいらのスーパーにあるだろうと、たかを括って舐めてたんですね。

 

近所のスーパーどこもないです。

会津天宝どころか「ゆずみそ」なる存在そのものが市場にないのです。

パウチ入りの風呂吹き大根用の柔らか〜い白味噌ベースのはあるんですが、そうじゃないんです。

違う違うそうじゃない。

コープは、激レアの、幻の、食品を扱っていたのでしょうか。

クエレベルの。

まゆ毛のあるコアラのマーチレベルの。

 

 

で、もちろん探しましたよ。Amazon

ない…

 

えー。

 

で、会津天宝でググッたら、あったんですよ、公式サイトが。

http://www.aizu-tenpo.co.jp/shop/item/112150

でもね…送料1050円するんですよ…

286円の単価に対して。

 

ということで3週間が経つ頃、たまたま寄ったスーパーに、ありました!万代!

びっくりしたー!

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こちらは、ますやみそのゆずみそ。

喜びというより、またなくなったら困るという危機感からふたつ購入。

山盛り積まれてたけど。

もしかしてきゅうりが売れやすい夏季限定的な扱いなんでしょうか。

通年で欲しいです。

いや通年でなくてもいいから(冬に単体できゅうり食べるかは自信なし)、もう少し期間延ばしてもよいのでは。

 

ますやみそさんは、会津天宝さんより、味噌味が濃いめ、でもゆず風味がしっかりあり、ちょびっとのみそで、美味い(*^▽^*)

これはこれでいけますー

 

でもなんでこんな、ゆずみそ市場、層が薄いんでしょうね??

関西ではゆずみそ需要ないのんか?なんとなく。

西より東なイメージ。

 

じゃ、関西人は夏の冷えたきゅうりを何で食べるのか。

 

もろみみそ?

金山寺みそ?

マヨネーズ?

ぬか漬け?

ピクルス?

 

ピクルスは確かにステキです。

酢漬けは私もしております。

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ゆずみそ

酢漬け

夏の2台巨頭。

 

なのに、ゆずみそがなかなか見つからないのは困るので、味噌業界さん、小売業さん、ぜひ関西でも普及させてください(´∀`*)

 

夏以外も。

テレワーク、リモートワークで、ホントに仕事してんのか?疑惑について

もうかれこれ、何年も社会人というか、組織の人間やってきて、組織ってあれですよ。

FBIとか悪の組織とかじゃなくて、会社勤めですけども。

何年やってても、「…合わないなあ」と定期的にがっくりくる時期が巡ってくるんですね。

 

で、なんでそんな組織が合わないかって考えたりもするんですが、

意味不明なトップダウンの指示に従いたくない

同調圧力がしんどい

とかももちろんあるんですが、

 

いちばんはやっぱり

管理されたくねー

というか。

 

何時に何をしようと目的達成してたら別に問題なくない?

っていう思考が出ちゃあ消えてを繰り返してる時があります。

 

もう

朝の9時出社する意味

とかそんなんまで疑問に思っちゃう時があり

 

そんな人間がこの世界で組織で逞しく生き抜けるのか?といえば、まあまあやっかいなんではないかと思う次第です。

 

そして、そんな私なのに、そんな私に限って、妙に管理されてしまうんですね。

 

今日何を何時間したか?を書けと言われています。

毎日。上司から。

 

理由は、実はうちの部署がひまなんじゃないか?って幹部が言っているらしく。いや、ヒマって…笑。リモートワークの人増えたから会社も不安なんでしょうね。あと自分たちがヒマなんだろうな。

 

私はそんなことに時間使うより、ちゃんと生産性上げる方法を考えませんか?と上司に訴えました。

 

中間管理職の上司からは返事はありません。

 

で、管理シートに何を何時間したかを書いていくんですが、やったらやったで、自己管理ができて意外と便利だったりします。

 

スケジュールたててタスクを完了させていくだけっていうか。

 

ただ、まあそんな管理嫌いの私の主観を指し抜いても、リモートワークに対する、あいつホントに仕事してんのか??という不安を解消するには、管理を厳しくするのじゃ効果ないと思うんですよね。

 

まずひとつには、きちんと目標立てて、そこに向かうこと。向かってタスク切っていくこと。

中長期を見通した目標を土台に、週次や毎日のミニタスクのレベルで完了していく。内容は上が決めずに個人やチームで決める。

 

もうひとつは、基本タスクとは別に、新しい企画やプロジェクトに取り組むこと。なんでかって、人って決められたことをこなす喜びもあるけど、何にもないところから自分で考えて、日々に創造する喜びがあれば、おのずと前向きな動きになっていくからです。

 

自分はそう。

 

管理シートは、さまざまなタスクを可視化して整理して自分で効率化をつかんでいく訓練の手段に利用するべきというか。

 

同じ管理でも、押し付けられたものでなく、主体性のある管理にしていくんです。

 

ということで、管理もいいけど、人に怠けられたくないなら、仕事の意味や価値、目的を与えることが先決じゃね?

 

というそれだけの話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダイニングテーブルを拭く

 

 

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有給の朝に、紺色のカップでトマトジュースを飲みました。

バリ土産(for myself)のコースターに乗せて。

なんでしょう。

どこの何の風景だよって脈略なさぶりですが、なんかグッとくるといいますか。

色彩だけが目に飛び込んでくるといいますか。

 

紺色と黄色って合いますよね。

全く気づいてなかったけど。

ドラマのワンシーン見てぼんやり思いました。

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で、お、いいね〜紺色と黄色、つって。

 

イケア、TSUTAYA、なんかが紺と黄色ですよね。

あと最近毎日見てる「ダイヤのエース」の青道高校のユニフォームと。

 

 

黒と黄色も合うと思います。

でも黄色には紺色の方が合う気がします。

どちらの色も別の何かを受け入れてくれる余裕がある感じ?

 

そっか、ゆとりなんだと。

テレワークでは、仕事の合間に米が炊けます。

ダイニングテーブルを拭けます。

 

テレワークするまでは、子供たちが学校に行く前に家を出ていたので、誰かがまだご飯中だったり、ダイニングテーブルを毎度拭く余裕などなく、汁がこぼれていようと、パンくずが散らかっていようと、そんなものをどうにかする余裕はなく、まあ朝起きるの遅いからだよと言われたらそれまでですが、

ダイニングテーブルは拭かない

拭かないものなのだ。

そんな存在になっていました。

 

で仕事から帰ってから拭くのかというと、拭いた記憶ないです。

 

じゃあいつ拭いていたのか?

うーむ。分からない。

そのまままた晩ごはん食べていたのか?いたんだよな…

 

何が言いたいかと言うと、テレワークになって、朝ご飯の後にダイニングテーブルを拭くようになって、まあダイニングテーブルで仕事してるからってのもあるんですが、ダイニングテーブルって汚れるんだなぁ〜拭くもんなんだなぁ〜と気づいたよ、という些末な話です。

 

私はまあ根がズボラだし、家事にキラキラしたものをなかなか感じる余裕がなく長年やってきたし、もし今代わりに誰かに無償か格安でやっていただけるならば、ほいほいお任せするくらいなんで、

ダイニングテーブルが汚れていることに気づかなくても全然良かったんですが、身の回りを丁寧に扱うのは、なかなか良い気分。

 

もし今、あなたがダイニングテーブルを拭かないタイプで、でも家のダイニングテーブルが割とキレイなのだったらば、ぜひダイニングテーブルを毎日拭いてくれている人の幸せをそっと願ってあげてくださいね。

あと、たまには拭いてあげてくださいね。

 

もしあなたがダイニングテーブルを拭かないタイプで、ダイニングテーブルが汚いことにも気づかないとしたら、私はそれはそれで、全然アリ!だと思います。それはステキに頑張っていた私でもあるのだから(´∀`*)

 

最初の色の話と全然違うオチに思えますが

結論的には

テレワークがこの先もずっと続きますよーにー

という話でした*\(^o^)/*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

君はぼんやり過ごせるか

今週のお題「やる気が出ない」

 

やる気…出てないですねえ。

お題が自分の気持ちにぴったりだったので、嬉しかったくらいです。

 

まず、会社がやばいです。

どんどん仕事減ってるし、新しいプロジェクトが中止になったし、経費削減に必死だし、幹部が一部、姿が見えません(*゚▽゚*)

 

私はかつて、新卒で入社した会社が入社8ヵ月後に倒産するという経験があり、倒産に慣れ親しんでいるまではいいませんが、まああるよな〜とは思うので、不安でいっぱいとかではないですが、年齢的に転職活動がしんどいなぁとコンサバに身構えています。

 

まあ「終わり」は新しいスタートと思えば。なんて。

 

でも今はプロジェクトで燃え尽きた感があり、やる気がないので、じーっとボーっとしておきたいなあ〜(´∀`*)

 

次に、ダイエットがうまくいかない。

夜ご飯抜いているのに1キロ増えるってどういうことでしょう。

モチベ上がらないです。

まあでも、カルピスクリームソーダを毎日くらい飲んでるので、それかな。キットカットとか胡麻団子とかも。

胡麻団子ってなんであんな美味しいんでしょうね。

 

もう一つに、スマホゲームしすぎ。

本を読む、映画を観る、と違って、なんでこんな「ムダに時間使ってしもた」感があるんでしょうか。

何が違うのか。

自分の身になると思えるものがないからか。

多分そう。

 

でも、「花束みたいな恋をした」の麦くんも言ってましたが、映画を観たりする余裕がなくても、パズドラする時間はあるんだよね、むしろパズドラしか出来ることがないって精神状態。

 

麦くんは仕事に追われてましたが、私もそう。仕事に家事になんやかやを背負う人生って、「追われる」のって、やる事の多さに、やる気が反比例していく気がします。

どんどんやる事増えて、どんどんやる気がなくなって…

投げやりな気持ち。分かるわあ。麦くん。

これが長引くとウツ手前みたいになっていくんですが、そんなパターンも読めてきた46歳は、

やる気をなくしたからには、何もやらないのがいちばん良いと思います。

 

何もやらない。

結構難しいですよ。

ぼんやり過ごすって。

 

そもそも、なんでやる気を出さないといけないのか?

誰が私にやる気人間を目指させた?

 

誰もいなかった。私は自分のことを自分で決めて、自分で何をするか選べば良かったんです。

 

母や会社員という役割は役割に過ぎないので、それよりも私が私であることの原点に立てば、誰も何も私に何かを強いることはできないはず。

 

とのん気にやけくそ気味に構えていたら、仕事でミスってしまいました。

 

でもね、ミスで大事なのは、その後どうするかです。

 

やったことは、例え失敗しても、二十年後には笑い話にできる。しかし、やらなかったことは、二十年後には後悔するだけだ。
マーク・トウェイン

 

10年後、じゃないんだね。20年見張っての結果なんだね、トウェイン。

 

あとね、固定資産税を払えよ、車税も払えよって通知が来ました。ますますやる気がなくなりました。でもこの税金がコロナ禍の格差をなくすために役だっているんですよね?きっと。どっかの誰かの私腹を肥やしていたり、忖度の隠蔽に使われてないですよね。

 

自分に返ってくるんなら払います。義務だから。

 

梅雨に入りました。

 

 

絶望の中の希望を描くのは生半可ではない

 

滅びの前のシャングリラ

滅びの前のシャングリラ

 

 

作者買いしました。

凪良ゆうさん。「流浪の月」良かったので。

 

「流浪の月」とはなんだか違いました。

1ヵ月後に惑星が地球にぶつかり滅亡する。

その時に日本で暮らす5人の物語です。

 

 

私がいちばん最初に浮かんだのは「アイアムアヒーロー」という漫画です。

これはいわゆるゾンビ化の世界崩壊の物語。

 

 

怖かったなー…映画化もされてましたね。

 

何が怖いって、結局滅亡とか崩壊する世界って、暴力に溢れちゃうんですよね。

 

で、その暴力が自衛手段として肯定されていくわけですよ。だってやらなきゃやられるわけですから。

 

だからね、人って絶望したら、地球自体はまだぴんぴんしていても、人間さまが自ら崩壊していくし、自ら滅亡の道を歩み始めてしまうんだなぁと。

 

悲しいです。とことん。

 

でも「アイアムアヒーロー」は滅亡はしなくて、生き延びてやる!っていう希望があるんですが、「滅びの前のシャングリラ」は、完全、希望を失ってしまっている事実を前提としています。

 

それが故に読む方も、最後に惑星が地球からそれるかも?などの大どんでん返しを期待したりもするんですが、そーなる感じもなく崩壊した社会の暴力が加速していきます。

 

じゃあどこにシャングリラ=理想郷があったのか。

 

 

私ならもう出てきて次のページで死んでるキャラです。1ヵ月の最初の1週間と生きていれない気がしますね。すぐ心がやられちゃいます(´∀`*)

 

きっとスーパーで買い物した帰りなんかに襲われて。食べ物とか電池やらカセットコンロを奪われて、刺されて道端に転がってるはず。

 

そんなくらいに、暴力社会を生き延びれる気がしないし、自分のバイタリティも希薄です。

 

そんなびびりでバイタリティのない私は、この作品に正直、いくつか微妙に違和感がありました。

 

一つには私がお気楽な考え方なだけなのかもしれないですが、私が思う終末世界は、この物語ほどシンプルに絶望が蔓延している世界ではない気がしています。

 

いくら何万メガトン級の惑星がぶつかるって聞いたとしても、人類の多くはその事実を受け入れないのではないかと思うから。

 

たとえば「デイアフタートゥモロー」という映画では、これも人類が滅亡に向かう話なんですが、滅びの前に異常気象が続くんです。

 

デイ・アフター・トゥモロー (字幕版)

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それが故に人々は最期を迎える前にすでに数々の天災に巻き込まれていて、絶望的な展開を身に染みて体験しているんです。

 

かたや、「滅びの前のシャングリラ」は、地球滅亡を知る場面がニュースでしかないんですよね。天候が秋なのに急に雪が降って氷点下に変わったり、竜巻起こったり、空に惑星が浮かんでいたりは全然せず、政府発表やメディアのニュースの情報だけを発端にひたすら人々が絶望していって社会とルールが崩壊していきます。

 

そんなメディア通じたものだけを信じる人ばかりかなぁ…と。

 

人間は割とリアルに実感する自分事ではないことにはお気楽な部分があったり、特に日本はことなかれ的な面があるので、見て見ぬふりと言いますか、作中にも出てきますが、横で誰かが殴られていても、誰も助けないみたいになるわけで、そーゆーいざという時ですら他人事として捉えがちな面があるのに、ニュースを鵜呑みにして絶望一色にってならない気がするんですよね。

それがいいのか悪いのかはともかく。

 

もちろん世の中は間違いなく平時より荒むには違いないんですが。

 

 

もう一つには、ポジティブな社会的活動が描かれていないところです。

 

いま、コロナ禍という現実社会も、失業や貧困が増えています。日々の閉塞感もあいまって、ゆるゆると人類を蝕んでるようで不安になります。

 

その中で、プラスへ向かおうとする活動もあります。フードバンクが地域のあちこちで生まれてたり、支援策が打たれたりのニュースもあります。

 

人類は滅亡や斜陽を前に"個"の要求ばかりでなく、かたや作中に出てくるアブない信仰宗教のようなネガティブなものだけでもなく、社会としてのポジティブな動きもあるんじゃないかなぁ。と。

 

平和ボケと言われたらそれまでですが。

 

あともう一つ。

まだあるんかい。

 

いちばん分からなかったのは、この物語が終末の暴力社会を描くことで何が言いたかったのか?の部分です。

 

私がこの物語に「アイアムアヒーロー」の既視感を感じたのは、平時には冴えなかった若い男子が、有事を迎えて女子を守り活躍するって展開です。

 

なんだろう。語り手は4人いて男性だけでなく女性パートもあるっちゃあるんですが、男女別なくその全部が暴力をあまりに自然に受け入れすぎというか、暴力世界ってのはつまり、考えることやコミュニケーションや他者への信頼を奪われた圧倒的なチカラで支配される世界な訳で、それが突如起こる。

 

つまり戦争状態と同じです。

 

誤解を恐れず書くならば、長く平和が続いていた日本が1ヵ月たたずして、シリアの内紛時みたいな状態になると想像することができますか、という厳しい問いかけがそこには生まれてきます。

 

そこの説得力?

 

シリアのニュースを私たちがどれだけ切羽詰まって感じているか、そこに暮らす人たちが何を思って日々を生きているだろうと想像するのに似ているといいますか。

 

戦時中の日本でもいいです。空襲や沖縄の地上戦でもいいです。

 

つまり、とてつもなく複雑で難しいんですよ。

暴力社会で絶望の中の希望を、想像するのも描くのも。

 

平時には冴えなかった男子の有事ヒーロー化物語が嫌いな訳ではなく、「アイアムアヒーロー」なんかは世界も人間も、とても丁寧に描かれていて素晴らしい作品で、むしろ優れた作品もたくさんあると思ってはいます。

 

ただ今回、「流浪の月」からの作者買いだったわけで、あれ?私は既視感のヒーロー化男子が読みたかった訳じゃないけども…と正直違和感がぬぐえず。

 

人間の絶望と希望の奥行きと複雑さと底なし具合とそれを想像する難しさと息苦しさを文学だからこそどう描くか、そこすごい大事だと思います。

でも、そういった登場人物にシンクロして、息苦しくなるような、自分に返ってくるようなケツの座りの悪さ、居心地の悪さ、苦々しさみたいなのが全然なくて。

 

あまりに登場人物たちの行動に迷いがなくて、人間らしさを奪われていく恐怖がなくて、なんも考えない世界にすぐに染まってしまえば絶望しないで済むのか?そう言いたいのか?と読んでいて分からなくなってきて。

 

いろんなこと考えながら読んでいたら、よく分からないうちに世界は勝手に絶望して、勝手に混沌として、で「絆を取り戻した家族愛」みたいなものに割と強引に結論として引っ張り上げられてしまったと言うか。

 

どこに絶望を感じ、どこにシャングリラ=理想郷=希望を感じたら良かったのか、私にはいまいち、すんと胸に落ちるものがなかったです。

 

早い話、あんまノレなかったんかな…

 

という屁理屈の文句ぽいことも思うんですが、そんな気難しい話じゃなく、終末エンタメとして楽しみたい!という目的ならば面白いでしょうし、今ある平和な世界で当たり前の大切さに気づかせてくれる、ってことで良いのではというならば、まあそれはそれで有りなのかな(^_^*)

 

<追記>

最期の、何故に主人公たちの暴力をすぐ受け入れる姿に関して、後から、主人公たちは、いじめや親からの虐待や芸能界の搾取とか、すでに平時に厳しい現実を生きている人間だから、有事に活躍した…みたいなことで、すんなり有事の暴力社会を受け入れた体なのかな?とぼんやり考えました。

 

それでいうと、思い出したのは村上龍さんの「半島を出よ」。

過酷すぎる人生を背負ってきた少年たちが北朝鮮の潜入部隊と闘う、ぐわんぐわん来る物語。

 

半島を出よ〈下〉 (幻冬舎文庫)

半島を出よ〈下〉 (幻冬舎文庫)

  • 作者:村上 龍
  • 発売日: 2007/08/01
  • メディア: 文庫
 
半島を出よ〈上〉 (幻冬舎文庫)

半島を出よ〈上〉 (幻冬舎文庫)

  • 作者:村上 龍
  • 発売日: 2007/08/01
  • メディア: 文庫
 

 

すべてにおいて深く唸らせる物語です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛って、結局なんなのだ

 

ノベライズ 花束みたいな恋をした

ノベライズ 花束みたいな恋をした

  • 作者:坂元 裕二
  • 発売日: 2021/01/04
  • メディア: 単行本
 

 

昨年、劇場公開された映画「花束みたいな恋をした」のノベライズです。

 

「子供に読書おすすめ大作戦」で、これだったら本を読むというので買ったのに、いつもの結局私が読んだだけバージョンです。

 

菅田将暉くんと有村架純ちゃんですからね。

まあ映画観たい延長なんでしょうね。

 

ただ私が、おお?おおう⁈ となったのは、脚本が坂元裕二さんという部分。

 

そうなんだあーと。

 

坂元裕二さんのドラマはどれも面白いからだいたい観ている…というか、たまたま観て「めっちゃよかったやん」と思うドラマがだいたい坂元裕二という人が脚本を手がけているということに、1〜2年前に気づいたといいますか…

 

たとえば「カルテット」「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう…」(だろう?うろ覚え)「最高の離婚」「woman」「anone」(好きな順)

 

 



今やっている「大豆田とわ子と3人の元夫」も面白いです。

 

坂元裕二さんがいかなる脚本家か、Wikipediaで見ましたらば、トレンディドラマ時代から活躍されてる方で、女優の森口瑤子さんとご結婚されていて娘さんがいる、という特に必要なかったプライベート情報も仕入れてしまい、まあそれは置いときます。

 

そして「花束みたいな恋をした」ノベライズですが、読後の余韻でずっと考えてしまっています。

 

何をか?というと、愛って結局何か?に尽きる話なんですが、というよりも、人を想う難しさと言いますか。

 

どんな好き好き言ってても、20代から付き合い始めて50年、ずっと好きってなかなかないわけで。

 

それはたとえばうちのお母さん、腹立つときもウザイときもあるし、でもまあ嫌いにはならないよね…

 

というたわいない家族とのつながりや、

 

生き方も考え方も全然違うけどずっとつるんでるよな…

 

という友達関係のつながりも、全部ひっくるめて。

 

そもそも恋愛はそこいらの好きとは別格に、「好き」であるものなんですか?

 

性的な魅力を感じている間柄だから?

セックスするから?

 

でもそういう生物としての要求には、個人差や年齢による加減が出てくるし。

 

子供作ったら、性的な魅力はもういらないから、子育てチームメイトは恋愛対象者じゃなくていいわけですよね。

というか恋愛感情がなくなってもいいですよね。

 

でもじゃあ、子供なしのカップルは?

おじいちゃん、おばあちゃんのカップルは?

ゲイやレズビアンカップルは?

子育てしてないカップルはなんでカップルでいるの?

 

カップルがゲシュタルト崩壊してきた…

 

というように、交尾やら繁殖やらという生物の目的を差し引いた部分で、人間の「人を想う」心理や行動を考え出すと、答えが出なくて3日くらいずっと考え続け、疲れて放棄する…ということがままあります。

 

そもそも「花束みたいな恋をした」は、普通の20代の男女の出会いから別れを描いているだけっちゃだけの物語なんですが、自分に当てはめて考えださせるツボというか地雷というか、そんなもんをプチプチ押されてしてしまい、訳が分からなくなってきます。

 

考えてみれば、坂元裕二さんの脚本の物語は全部そんなんだなあと。

 

展開やセリフが抜群に気が利いていて面白い上に、「人を想うってなんだろう」をいつも投げかけてくるといいますか。

 

私の実感を込めた人間の「人を想う」基本としてひとつ思うのは、人間は寂しい生き物だというのは思うんです。故に人を想う。人を乞う。でも乞うゆえに寂しい。

 

現に今、私が親としての寂しさを感じたりするからなんですが。

 

でも坂元裕二さんの描く物語は、私の個人的な見解みたいに、人間は寂しい生物だよっていいたい感じではないんですよね。

もっとその向こう側なんですよ。

 

もっとなんというか、もちろん基本寂しいし、個体では生きていけないし、社会的なつながりを持っているわけだし、そこ大事だとも思うんですが、

そこを超えた魅力があるんだよと。

 

傷ついたり、寂しかったり、ヘナヘナになっちまう人生のなかで、まあまあな苦しいことがある人生のなかで、あなたはひとつも「生きててよかった」瞬間はなかったですか?

 

そう、そんな感じの問いかけといいますか。

 

生きてて良かった瞬間を振り返って考えた時に、実は私がどうでも良いと忘れ去った出来事や、当たり前だとタカを括って視野に入れてない日常のやりとり、過去だけどその時は大事だと感じた気持ち。

 

そこいらにまあまあ、その「生きてて良かった」って言ってもいいくらいの瞬間は隠れていたりはしませんか?と。

 

月見うどんの最後にぷっくりした黄身を吸う瞬間みたいに。

 

もしかしたら絶望して終わったかもしれない人生を、何かが生かしてくれている。

 

「何か」は、自分であり、自分が関わるあらゆるものと自分との化学反応であり、化学反応から生まれる今と未来の自分を作っていくエネルギーであり。

 

そんな瞬間をひとつでも持てて、今生きていて良かったかどうかでいえば、良かったんじゃないかと思えるなら人生上々。

 

それは自分もだし、人類や生き物全般で見ても、同じレトリックが当てはまるわけで、他人も同じなんですよね。

 

つまり。ヘナヘナだけど生きててよかったと思う自分と同じように他人もヘナヘナかもしれず、同じように生きてて良かったと思っているだろうと想像しませんか?と。

 

人は自分であり、生きていて良かった瞬間を求める仲間。

 

自分を大事に想う=人を大事に想うってほぼ同義。

 

自分も人も、丁寧に扱ってみれば、小さな「生きてて良かった」は沢山ある。

 

そこに、恋愛だとか家族だとかのレッテルを無理に貼る必要もなくて、ただそれだけのことなんじゃないのー?

 

とまあ、坂元裕二さんは問うているんじゃないのか。なんて考えるに至りました。

 

勝手に。

 

坂元裕二さんの物語は頻繁に出てくる登場人物のミニエピソードが抜群に面白いんです。

 

お金でも評価でもない、持っているもののサイズや数じゃない「生きてて良かった」が、溢れています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祝リングフィットアドベンチャー完了

リングフィット アドベンチャー -Switch

リングフィット アドベンチャー -Switch

  • 発売日: 2019/10/18
  • メディア: Video Game

 

去年から、ダイエット目的というか、加齢臭対策から始めたリングフィットアドベンチャー

 

最後の最果ての国、完了!

ドラゴが呪い?から解けました。

あー長かったです。

最初は仕事が休業から明けて、週3日くらい休みの日にはやっていたものの、秋からフルタイムになり、回数激減。

かろうじて土日のお休みだけ続けて。

 

でもまだ運動は必要だから、次のコースがあるみたいで良かったー(*゚∀゚*)

 

先日、会社の健康診断で要再検査と診断され、肝臓数値が基準値のかなり上ということで、精密検査したら、脂肪肝でした。

 

お医者様がいうには、

とにかく痩せなさい

食べないこと!

 

先生、運動はいいんですか?

と聞いたら

 

運動ではね、痩せないから

食事制限してね

ただ食べないと筋肉減るから、筋肉減らさないくらいには運動もして

 

おそらく生半可な運動で体重は減らないんでしょうね〜

 

ということで、ダイエットというよりは、筋肉を使っておこうくらいで、引き続き週末に30分くらいでしかないけれども、リングフィットアドベンチャーを継続していきたいと思います。

 

加齢臭対策にはなっていますように。

汗はかくから、きっと大丈夫かな(=´∀`)

 

 

 

赤の他人だから、救えることがある

 

52ヘルツのクジラたち

52ヘルツのクジラたち

 

「52ヘルツのクジラたち」町田そのこ 2020

 

孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた彼らが出会い、新たな魂の物語が生まれるー

という帯だけの前情報で読み始め、冒頭だけ読んですぐ、なんや王子に出会うシンデレラチックな若い女子の話か〜と先走って、ハイハイ(*゚∀゚*)みたいにタカをくくってたら、中盤から、次から次に起こる出来事が刺さりまくって、涙か止まらなくなりました。

 

若い女子ですが、全くシンデレラではないです。

面白くて一気読みしました。

ちょいネタバレ。

 

この物語は、傷ついた子供が、大人になり、別の誰かを救う連鎖で成り立っています。

 

救いの前にたくさんの痛みと哀しみと絶望も出てきます。

 

母親が再婚し、弟が生まれたことをきっかけに、成人になるまで邪魔に扱われ、傷めつけられ、なのにただただ母親の愛だけを求め奴隷のように生きるしかなかった主人公のキナコ。

 

身体中虐待のあざだらけで、話すことができない、母親と祖父から「ムシ」と呼ばれる少年。

 

キナコを母親から救いながらも、自分を不完全と語り、また自分自身も善良な母の愛という呪詛に苦しめられるアンさん。

 

そして、アンさんがキナコを救い出すシーンに目頭が熱くなり、今度はキナコが虐待を受ける少年を、どうやって救うのか、ずっと気になって読んでいました。

 

キナコは彼を救うことができるのか?

 

キナコ!

 

このアンさんとキナコが生み出す救いの連鎖がすっと入ってくるといいますか、物語の背景やつじつまとしても、またキナコという人物の心の変化としても、割と苦痛を煮詰めた激しめの展開の中にあって、無理なく自然な流れで読めました。

 

一人称で事実ベースの叙述もいいのかも。

 

でも、筆運びの軽妙さ以上に、私がこの物語に惹きつけられるのは、これが決して非現実的な救いの物語ではないと思うからです。

 

ニュース見てると、虐待で死ぬ子供があまりに多い気がします。悲しい事件は世の中が貧しくなり、荒んでいくほどに増えます。

 

しかも虐待は、ニュースの中だけじゃなく、今もしかしたら自分ちの近くに暮らす子供のことかもしれない。とにかく外から見えないのが虐待とDV。だから他人への暴力より、やっちゃダメのハードル下がるし、それってほんと、どうやったら防げるのか。

 

確かに、暴力や虐待、無知や差別は、全部が全部、世の中からなくならないかもしれません。

それが社会かもしれません。

 

でも。

 

絶望を味わってその後救われた人間が、絶望にいる人間をまた救う。

 

いや、あるでしょ!

それが人間だとも思うのです。

 

特別に性善説を好むわけではないですが、私の知る人には、自分も、子供が苦しむのを見たい人はいないから。

 

一度死んで、生き残ってひとりで生きる覚悟したキナコが、少年と一緒に暮らす、一緒に生きていくという選択をしたのは、私はなんらおかしい事ではないと思います。

 

赤の他人が、虐待を受ける子供の家庭に介入するのが難しいことは、見聞きして知っていました。

 

現実には、行政がなかなか、そっか!いいよーとはすんなりならず、少年との関係を肩書き的にどうするのかとか、実母許可するー?とか、なかなか厳しいとも思うし、物語にもそれは出てきます。そして現実的な対処法を提示しています。

現実的な対処法が出てきて嬉しかったです。

 

世の中は法律を中心に血縁を重視する仕組みになっていますが、私は個人的には血のつながりが何かいいことをもたらす事ってそんなにないんじゃないかと思っています。跡継ぎとか財産分与とかでも、だいたい骨肉に争いがちですよね。

 

そもそも家族の最小スタイルである夫婦は元は他人です。世の中は、基本、他人で成り立っているわけです。

他人同士に婚姻とか、戸籍とかの社会的なルールで契約をさせて、それを血縁で繋げていく。まあそれは正味、社会的な便宜を考えたルールにすぎないとも言えるわけで。

血がつながってても、一個人としては、自分じゃない人=他人だし。じゃ、元は他人の親子があってもいいし、昔娘だった息子を持つ親になってもいいわけで。

 

もし世の中がもっと、「家族ってそもそも他人やで」という事実に価値を見出して、人と人との関係に名前をつけずに、人と付き合ったり、繋がったりできる雰囲気があれば。

 

アンさんは苦しまずに済んだかも。

 

虐待されている子供を「他人が救う」サポートシステムがあれば。

あと、近所の大学生や電車でたまたま子連れと乗り合せたサラリーマンまで、普段子供との関わりが少ない人が参加しやすい仕組みがあれば。

 

虐待を止める、虐待にならない多様なつながり方で救われる小さな魂がたくさんあるかも。

 

だからこの物語は、そんな赤の他人がただただそこに消えそうになっている魂を見つけたから、戸籍も血縁もないけど救いだすんだっていう、私の理想の社会のお手本。

 

しかも、今ある社会のルールで実現できることを示唆してくれていて、素晴らしいなぁと。

 

家族もですが、他人同士も、子供って面白いなぁと思える「ゆとり」が、コロナのこの先に、どうか、どうか失わずに、広がっていますように。

と他人である我が子の寝顔を見ながら、祈ります(´∀`*)

 

あ!あと、ついてる栞がステキ!

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ちなみに2021年の本屋大賞1位でーす。