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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

わたしはダニエル・ブレイク_社会派の巨匠ケン・ローチを観る②

 

2016 イギリス

かの社会派イギリス人監督、ケン・ローチの作品。また観ました〜(о´∀`о)

またも地団駄の衝撃。

ネタバレてます。

 

ダニエルは、大工のじいさん。

心臓を患って医者から仕事を止められたんで、支援手当の手続きをしに役所にいきます。

が、役所の担当者にご意見してしまったがために、なんと支援手当の申請が通らず。「なぬーん!」と役所に乗り込んでいくも、混み混みの順番待ち。

 

仕方なく順番を待っていたダニエルは、子連れシングルマザーのケイティが、役所のおばさんともめたあげく警備員につまみ出されそうになるのをみかねて、意見するんですが、まあ聞く耳ない職員と警備員に一緒につまみ出されます。

つまみだされ仲間(´∀`*)で、仲良くなったケイティ親子を支えながら自分は自分で支援手当が打ち切られるから、それの不服申し立てやら、いわゆる失業手当ですね、あれの申請やらをイマドキスタイルで、WEBサイトで手続きしろと言われて。

「できるかーい」ななかを、なんとかかんとか申請するも、その後も職探しのやり方から何から、役所からいちゃもんをつけられて。

いやそもそもダニエルは心臓悪いから働けないのに、しゃーなしに職探しさせられた上にですよ。

 

すったもんだの末に支給停止に。

こういうお役所あるあるはイギリスにもあるあるなんですね。

 

で、無意味な職探しと役所とのすったもんだのなかでダニエルじいさんは、子連れシングルマザーのケイティを助けたいと何かと世話をやくんです。

だけどケイティもまた、働き口が見つからず、果てには電気ガスを止められたり、自分は食事我慢して。

 

みかねたダニエルが一緒にフードバンクの列に並ぶんですね。でやっと順番が回ってきて、ケイティったら、お腹が好きすぎて我を忘れて缶詰めをその場で開けて、むしゃむしゃ手掴みで食べてしまいます。

あ…あ…と見ていたんですが、ケイティは我に返って泣き出して、係の女性がそんなケイティに「落ちついて、大丈夫よ」と慌てて声を掛けるんです。

付き添いのダニエルもまた、まさかケイティがそこまで追い詰められているとは思わず、駆け寄って慰めます。

 

このシーンはですね。

見たことない切なさ。

貧しい時代の話でもない、いわゆる発展途上国とかでもない。

先進国と言われるヨーロッパの大国ですよ。

 

シングルマザーが、フードバンクで缶詰めを手づかみで食らいつく…

 

こんな悲しい場面、見たことないです。

ヴィットリオ・デ・シーカの「自転車泥棒」より悲しくなりました。

 

自転車泥棒 (字幕版)

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  • ランベルト・マジョラーニ
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なんていえばいいでしょうか。

ケイティは私なんです。(入り込み具合が強め)

すぐそばの、横にいる仲間なんです。

 

でダニエルが泣き崩れるケイティに言うんです。

「ここの人たちは、君に辛くは当たらないよ」と。

 

同じ困った時のケア的存在である役所とフードバンクを対比させて、全然その視点が違うということを描いているんですよね。

 

一方で、ダニエルじいさん自身は、自らは決してフードバンクを利用しません。

職探しも高い技術を持つ大工として雇いたいという人から電話があるんです。「あんたほどの腕の持ち主はいない」と。だけど、医師から止められているわけで働けないという…。

 

そんなことでダニエルじいさんは、「自分はフードバンクを利用する立場ではない」と。家具を売り払ってなんにもなくなっても。

 

これはですね。ただダニエルを働けないじいさんという視点で見ていたら、頑固ジジイの下手なプライドに見えるかもしれません。

だけど40年職人として自らの腕で生きてきたプロフェッショナルとして見れば「プライド捨ててフードバンク行けよ」って誰が言えるでしょうか?

 

とはいえ追い詰められていくダニエルじいさん。

我慢ならず役所の壁に、落書きスプレー。

ギャラリーは拍手喝采も警察に補導。

 

ケイティと子供たちは、そんなダニエルじいさんを助けます。こういう助け合いが、当たり前に隣人たちにあるのが、ケンローチだし、イギリスなんでしょうね。

地べたの人たちは本当に優しいです。

 

ケイティは支援してくれる弁護士を見つけ、やっとまともに支援の正当な申請ができるところまできて、ラスト……。

 

「家族を想うとき」の3年前の作品ですが、「地べたを生きる庶民」視点は変わらずです。

どちらもなんですが、

ケンローチが描く貧しさって、どう言えばいいのか、「貧しい人」ではないんですよ。

普通に隣に住む人なんですね。

つまり、「家族を想うとき」のマイホームを願って過労しているパパ・リッキーも、立派な職人のダニエルも、また通信大学に通いながら子育てするケイティも、そもそも無条件に「貧しい」わけではなくて、「幸せ」を求めていったり、1人で子供を育てたり、身体を壊したりして、どんどん追い詰められていくんです。

 

だから、自分の家を手に入れるとか、子供を育てるとか、病気になるとか、まあ生きてたらフツーに「あるだろうな」というライフステージの変化をきっかけにじわじわと追い詰められていくんです。

 

自分のなかにある貧困の現実。

だからこそ、真に迫るものがある訳です。

 

そして、フツーの人々が貧しさと隣り合わせであることが、「現実」なんだと。

これが、今の現実の社会なんだと。

なんとなく平和で公平で進歩的で現代的な「私のいる世界」であなたには何が見えていますか?と。

 

突きつけるのがケンローチ作品。

 

カンヌ国際映画祭パルムドールほかいろいろ受賞してます。

家族を想うとき_社会派の巨匠ケン・ローチを観る①

Huluです(*´ω`)
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2019 イギリス フランス ベルギー 

ネタばれあり。

Amazonは有料なら見れます。

家族を想うとき (字幕版)

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  • クリス・ヒッチェン
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ケンローチ作品初体験です。
胸をしめつけられる衝撃!
なぜなら、これは私の家族の物語だからです。
(いつも以上の入り込み具合)

イギリスのニューカッスル
高校生の息子セブと小学生の娘ライザを育てるリッキーとアビー。
マイホームを持ちたいと、一念発起し
フランチャイズを利用して宅配便オーナーになったリッキーの労働時間は16時間。休みは週1日。

パートタイムで訪問介護士をしているアビーも、
朝7時半から夜の9時までびっしり利用者の家をまわります。

疲れ果てて帰ってきて、子供たちとのコミュニケーションもなし。
娘は優しくて一所懸命お父さんのお仕事のお手伝いしたり(パパと娘で宅配をまわるシーン大好き)するんですが
高校生のセブは、グレていくんですね。
公共物に落書きしたり、果てには万引きして。
で、怒ったパパにiPhoneを取り上げられて逆切れ。
家族写真にペンキスプレーして、家を飛び出します。

お父さんのリッキーがいかつい上司にネチネチとモラハラされながらも
休む間もなく過労気味に働いているのに、
セブのせいで
学校に呼び出されたり(結果2週間の停学)、
警察に呼びだされたり(警察官は来てくれた親に感謝しろって言ってくれたのに、セブまったく反省なし)
親にめちゃくちゃ迷惑をかけるんですよ。

で、それがなんでなんか?
親視点で見てると、私には分からなくて。
でもそれって我が家のことでもあって。

そうだ。このセブはほんとうちの娘だ。
だったらセブはなぜそうなのか?
それが知りたくて、じーっと見てました。

もうですね、ずっと切ない。
ふんだりけったりのリッキーは
最終的に仕事中に暴漢グループに襲われて
荷物を奪われ、ピってする荷物管理機械を壊され(弁償代が高いから壊すなよと散々上司に言われてるやつ)、
ギッタギタに殴られ顔を骨折して、
さらに、保険が全部利かないと上司に言われ
いろんな借金をこさえてしまうことになるのです。

いやいや、どんな保険はいらされとんねん。
傷害負わされて、5000ポンドの借金て!
ちなみに、5000ポンドは80万円ちょいですね。
セブが荒れ荒れだから、休みを1日ほしいと言っても罰金で1000ポンド。
日本円だと16万円ちょっと。
週休1日にプラス1日休みをとるのに、これが給与から引かれるの?
いや計算おかしない??
詐欺じゃない?この仕事。
PDFとかいう宅配便。


で荒れ狂う思春期セブ問題(わがお嬢問題)ですよ。

最終ね、お父さんが大けがしたから心配して家出からは帰ってきてですよ。
そこはやっぱり心配なんですね。息子君。
お父さんリッキーはホッと一安心するも、
借金・・・怪我・・・借金・・・怪我・・・と絶望に近い心理になっており、
なんと翌日、大けがしているくせにバンに乗って仕事に出ようとします。
そこにセブ現れ、「父さんどこ行くんだ?怪我しているのに仕事にいくな!」と。
立ちふさがるんです。
いいぞ!やっと愛を素直に伝えるんだね!
でそこでセブは語ります。
「前の家族に戻りたい。前の父さんに戻ってほしいだけなんだ」。

だってさ!
思春期わかりにく!!
それで万引きするん?
めちゃくちゃ親に迷惑かけるん?
甘えすぎじゃない?

でも。
でも、そうなんだろうなと。

きっと彼はお父さんやお母さんが大変な想いをして働いているのを
理解していないわけじゃないんでしょう。
だから、親に「働くな」とケチはつけられないわけで。
でもさ、それって何のためなんだよ?
俺がマイホーム欲しいつったか?
それよりも、家族みんなが笑って毎日過ごせればいいやん?
でも、マイホームのために、家族のために
ケータイの留守電でしか会話しない。
俺のことを誰もみない。誰も聞かない。
今日、俺がどんな1日を過ごしたか。
何を考え、何をみているか。

と、セブの心の声を代弁(個人的解釈です)しましたが
私は自分の反省を込めて、
こういう思春期の気持ちってのも、かつて自分にもあって、
それと同じなのではないか?と。

たとえばライザは素直にお母さんお父さんに甘えられるんですよ。
一所懸命、お手伝いしたりして喜ばせようともします。
誰がみてもとってもかわいいんです。
でもセブは、素直になれない。
どころか親に鞭打つかのように、めちゃんこ迷惑をかけまくります。
なぜ兄弟でこんなにちがってくるのか?

これはもう年齢だと思うんですね。
セブは思春期っていう。
自分を振り返ってみても、思春期って他者と自己が分かれてくる時期、
「私って何者」という気持ちが芽生える時期ですよね。
この気持ちの写し鏡として親をみたときに
「そうあってほしい大人像=自分がなりたい大人像」ではないわけです。
親も一人の人間なんだと、すぐに気づければいいんだけど、
自分のサンプルとして、いろいろ「いやいやいや~~どうよ?」という部分が
日々の生活のなかに、積もっていく。
「ちょっと親を否定する1回」が入ってくる。

たとえば、
いつも疲れている。
お金の心配をしている。
仕事のことばかり愚痴っている。
それ以前に、話す時間がない。
自分には勉強のこと、お小言しか言わない。
笑って過ごす時間がどんどん減っていく。
でもそれは「みんなの幸せのため」だっていうからなんも言えない。
結果これですか?
そんなんで親の苦労に素直に「感謝」なんかできません。

一方でなんだか中途半端な自分がいて、
行く先の不安や自信のなさでいっぱいだけど
でもそんな気持ちを「あんな親」には素直に言えないし、
しかも言って拒否されたら悲しすぎて許せないし。

そう。
やっぱり寂しいし、でもそれを素直に見せるには
ちょっぴり成長しちゃってプライドがあるのが思春期。

今ちょっとだけ見えたのは、
ケンローチ監督に見せられたのは、
ぶれながら成長しゆく子供の気持ちに寄り添うことの大事さと。
時間がかかるってこと。

尾木ママもいってましたけど、思春期は揺らぐんだと。
今日はまだ子供。でも次の日には大人。でもその次の日はやっぱり子供。
むかついた2時間後に爆笑もするし、さっきまで満たされていたのにもうイライラする。
そんな情緒不安定な自分を自分がいちばん持て余す。

ただこの作品の親子の姿に、子育て中の私の入れ込み具合がちょっと強すぎる傾向は否めずというか、
ケンローチが真に描きたいのは、「思春期の子育ての大変さ」ではなくて、
その背景にある「社会」なのではないかとは思います。

なぜ、お父さんお母さんが、法律で定められた8時間を超えてあくせく働かないといけないのか。
それが、あのフランチャイズ宅配便の仕組みだったり
訪問介護士の仕事が、人の下の世話まで扱うなかで時間に追われて、っていう部分です。

これ2019年の作品なんですけど、翌年の2020年にコロナが起こって
注目されたのが「エッセンシャルワーク」です。
そして、父リッキーと母アビーの仕事が見事にこのエッセンシャルワークです。
コロナ禍で、宅配便は仕事が激増したでしょうし、
介護は休むことができない「いまそこで困っている人」相手の仕事です。

ケンローチ、預言者
エッセンシャルワーカーの実情をこれでもかと見せつけたこの作品がコロナ前に世に出ていることに、
イギリスでは「ケンローチ・・・すごいっす!」と感涙した人たちもいたのではないでしょうか。

私もまさに、ブレイディみかこさんのエッセイで描かれていた「イギリスの現実社会」が
ケンローチの「家族を想うとき」にリアリティあふれる映像で描かれている!
と大きな感銘を受けました。

tsubatarou.hatenablog.com
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この作品にもみかこさんが語っているイギリスの人たちの「互助の精神」が見て取れるんです。
介護士をしているアビーなんか、「どんな利用者も自分のお母さんだと思ってケアする」という
ものすごい崇高なスピリットがあって、仕事に誇りをもってるんですね。
仕事上の理不尽に怒るアビーに、バス停で居合わせたおばちゃんもやさしく声をかけたりして。

ケンローチ監督は、こういった個々の人間にある実直さや市井の人々の助け合いはしっかり描いていて
同時に、国や経済の構造(宅配便FCのシステムなど以下同文)のおかしさ、エグさを描くので
この対比には嫌悪感が生まれるほどゾッとさせられます。

「あ、ケンローチ氏は“社会の理不尽”に怒っているんだ」とは感じました。
同時に、底辺層からのまなざしが絶対にぶれないので、
というかもう100%そっち側の味方なので、
こんな監督がいるイギリスはやっぱりすごいなあとも思います。

たまに思うんです。
どれだけテーマが深い作品でも、何かを描く場合に、「経済」ということを抜いてしまって
本当にそれは真の人間の姿なのだろうかと。

たとえば、私はベッタベタのアメリカのドラマが好きなんですが
どっちかというと、舞台が「お金がある世界」が多いんですよね。
日本のドラマでもそうかも。
そらそうか、とも思います。
貧乏で余裕なく暮らしているしみったれた庶民の日常を描いて何が面白いん?ていうのも分かる。
自分もそう思うから。

そこにきて「パラサイト」やら「万引き家族」やら底辺視点の作品がにわかに出だして
これって格差社会という時代の流れもあるんでしょうが、
でもケンローチって、60年代から、底辺世界を徹底して描いてきた監督さんらしく。

だって、そら60年代だろうと、そのもっと前だろうと、今だろうと
底辺の苦しみや物語は存在していたわけで。

そんなわけでもう御年86歳だそうです。
この作品は3年前だから83歳の時の作品。
えー-!すごくないですか?

あとそう!
私が観ていてす~っと心に浮かんだのは倉本聰さんの「北の国から」とあと山田洋二監督の「息子」とか「学校」とか。
このお二人は年齢的にはケンローチ氏よりちょっと上かな。
でもまあ、同世代っちゃ同世代。

でももうそろそろ後進が活躍しないといけないですよ。
アラ90に現役させてちゃだめじゃん。
イギリスにも「ケンローチを超えた社会派監督」登場すること期待してます。
(もういるのかな?)

あ、あとこれ見て「イギリスは日本よりお父さんの子育て当事者意識は高いな」とも思いました(我が家比較)
リッキーはセブとぶつかってはいるんですが、それはその分、リッキーが子育てにめっちゃ参加してるからだし、それが当たり前なんですね~~。

それと結末ですが、分かりやすいハッピーエンドではない、、というか「あとは想像に。。。」と観た人にゆだねる感じです。
でもこのゆだね方は私は正解だと思います。

ナイチンゲール_白人によるオーストラリア支配を圧倒的に描く

 

 

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ナイチンゲール (字幕版)

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  • アイスリング・フランシオシ
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2019 オーストラリア

ちょっぴり端々と結末のネタバレあり。

 

イギリスによるオーストラリアのかつての侵略ですよね。

かなりストレートに描いています。

いつも思うんですが、自国の暗黒な歴史をきちんと見つめる作り手がいるって素晴らしい事だなぁと。

 

ザクッとあらすじをいうと、およそ200年前のオーストラリア。クレアは軽犯罪でアイルランドからオーストラリアに流刑になったんですが、刑期を終えても軍隊将校ホーキンスに気に入られ愛人みたいなことをさせられながら、オーストラリアで夫と赤ちゃんの娘と暮らしていました。

でこのホーキンスがクレアとの愛人問題を上司に嗜められ、出世を阻まれたことの腹いせに、部下2人とクレアをレイプして、夫と娘を殺しちゃいます。そしてホーキンスは、出世の望みを叶えるためにローンセストンという場所にいるお偉いさんに直訴するため、旅立ちます。

クレアはそんなホーキンスを追いかけてリベンジするっていう話です。

 

この物語は、クレアの復讐劇ではあるんですが、影の主役ともいうべき存在がいまして、

それがクレアの道案内人であり、バディともなる、先住民アボリジニの若者ビリーです。

ていうか、監督のジェニファー・ケントは、クレアよりビリーを描きたかったんでないか?と思うくらい、ビリーが冴えた魅力あるキャラです。

 

ビリーを通してアボリジニがいかなる非道な迫害を受けていたかを丁寧に描いています。

奴隷として?なのか、普通に気に入らないと頭を撃ち抜かれるし、サクッと殺されて、それが公道で平然と行われる、そういう扱いです。

 

ビリーとクレアの会話としては、さらにいわゆる植民地支配で行われる同化教育、白人として教育され自分たちの文化や習慣を無理やり捨てさせられてきたと語られる場面もあります。

 

クレアだってアイルランドがイギリスから迫害されていたとしても同じ白人としては、アボリジニを差別する側の立場で、ビリーを名前では呼ばず、「ボーイ」って呼んでます。ボーイっていわゆる男性使用人への通称かしらね。

 

それが、だんだんとビリーが信頼できる人柄で、アボリジニの話なんかも聞いてるうちに、名前で呼ぶようになって、とても信頼し合う仲間になるんですが、そもそもビリーの名前も、アボリジニ的には「ビリー」じゃない気がするし、クレアも仲間だけど他の白人の前ではビリーを使用人…というか奴隷に見せかけないといけない(しかも目の前で鎖に繋がれたアボリジニたちが次々とワル面のにやけた白人に銃殺され)…とかのエピソードは、アボリジニにとってはもはやこの時代のオーストラリアはひたすら生き地獄でしかなく。なかなかにやりきれません。

確かにクレアはクレアで過酷な人生ではあるし、復讐したいのも分かるし、最後、復讐が一応成功?したのも良かった…とも思って観たんですが。

 

アボリジニの存在は知ってはいたし、イギリスの侵略の末、差別を受けてきたことも知ってるんですが、こういう作品を見ると、自分が何にも知らない、悲しいくらいに分かってないことがよく分かります。

✳︎今のオーストラリアはさてどうなんでしょうね。。2008年に政府が公式に謝罪はしたようですが(めちゃ最近やがな)…現実社会。

 

 

ストーリーとしては、なんとなく展開が読めるし、クレアの夫エイダンがあまりに無謀だったり、クレアが復讐旅の途中、いいところまできて復讐をためらったりして、そのせいで逆にホーキンスたちに窮地に追い込まれたり、ホーキンスに従順な少年エディの泣き叫んで謝る場面に「それやったらぜったいどSホーキンスにうざがられて最悪なんかされるて!」という読み通りな展開など、ちょっぴりイラッとした部分もあるものの、きちんとイギリスのオーストラリア支配を描ききる覚悟と強い熱量には、有無を言わさないものがあります。

 

それだけにベネツィア国際映画賞での受賞はじめ、たくさんの賞を受賞しています。分かる。

 

ナイチンゲールというのはジャケットにもある鳥の名称です。鳴き声が美しいらしく、ビリーが鳥を自分の保護神と思っていたり、クレアが歌が上手いことに絡めてるっぽいです。

オーストラリアには様々な野鳥がいそう。

 

 

 

ここがすごいよ五社英雄_ちょっとネタバレあり

観れるだけ五社英雄作品を観るという楽しい強化期間を実施しました。

なんで五社英雄作品かと言うと、先日「マツコの知らない世界」で、マツコちゃんとIKKOが五社英雄作品の女優さんたちを信仰の対象レベルに褒めていたから、リピート含めてどうしてもまた観たくなってしまいました。

Amazon貼りましたが有料。観たのは、全部Huluです。Huluありがとう(´∀`=)1ヶ月1050円。

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「鬼龍院花子の生涯」1982

ヤクザの父・鬼政(仲代達矢)に幼い頃拾われた松江(夏目雅子)を通して、父の生き様を描く。花子は、鬼政の実娘で松江の妹のことで、花子が死ぬまでを物語としています。

 

「陽暉楼」1983

高知の花柳界が舞台。女衒の父(緒形拳)と芸妓の娘・桃若(池上季実子)の愛憎の物語。芸妓同士のトイレでのケンカシーンが有名。

 

「櫂」1985

根は純真だが女好きな女衒の夫(緒形拳)に振り回される女房(十朱幸代)の哀しい半生記。いちばん好き。

 

吉原炎上」1987

19歳で吉原に売られた久乃(名取祐子)が花魁としてのし上がっていきます。花魁たちの群像劇でもあります。

 

 

「陽暉楼」と「吉原炎上」は子供の頃から何回か観ていて、女優たちの美しさと脱ぎっぷりの迫力とダイナミックな物語に、呆然とした記憶あり。

あと「肉体の門」も何年か前に観てました。

 

肉体の門」1988

肉体の門

肉体の門

  • かたせ梨乃
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戦後を生き抜く売春婦たちの物語。

 

子供の頃見た(たぶん親父さんの観ていたやつを襖の隙間から覗き見)のも含め、どれもテレビの深夜放送だったと思うので、やっぱり深夜放送はスゲーなあ、育てられてるなあと思います(=´∀`)人(´∀`=)

今はもうテレビは深夜放送でも無理なのかしら…

他にも観ていたり観てなかったりもあるんですが(後述)、自分的に「ここがすごいよ!」と思うのが上の4作品なのでここを「五社作品」の基準にして記しておきたいと思います。

 

ここがすごいよ五社作品

①俳優陣の色気と美

五社作品の舞台って明治末期〜昭和初期が多いですよね。だいたいが芸妓、花魁、女衒界で、主役は女優さんなんですが、めちゃくちゃキレイ。

吉原炎上の名取祐子さん、陽暉楼は池上季実子さん、浅野温子さん、櫂は十朱幸代さん。鬼龍院花子は夏目雅子さん、岩下志麻さん、夏木マリさん。

今も有名な女優さんが若い頃、どんだけキレイ!ってのもあるけど、十朱幸代さんなんかは40代でめっちゃキレイだし、吉原炎上でも、遊郭のお母さん役の倍賞美津子さんもキレイ。

みんな首が長い。

 

で、女優はもちろんだし男優さんがね、またすごいわけです。緒形拳さんのあの漢くさい色気は凡人にはムリ。

仲代達矢さんいわずもがな。

そして特筆したいのは根津甚八さん。私は根津甚八さんのなんかアイシャドウが似合いそうな、YMO時代の坂本龍一バリの知的✖️色気みたいなのも、あれは昭和50年代だからこそのものだと感じます。

 

②撮り方の美

五社作品における女優たちを始めとする色気って、なかなか現実ではお目にかかれないものだし、どうやって五社監督は画面にかもし出してるん??

とため息ついて眺めていました。

共通点として気づいた特徴のひとつに、割と端々に顔のどアップが何秒間か入るんですね。

それかな。

全然普通にシロートなんでなんにも分かってはないんですが。

というかよくよく観てたら、アップ時に全体にあんまり表情がない。じーっと見つめるだとか、わなわなってなっているとか、決意を固めるたりしていそうですが、セリフも音もないです。役者の顔のアップによって、すべてをさらけ出していそうで、実は何も見せていないような、深いサジェスチョンがあるようで、無に帰すような、それが分からなくて逆に目が離せず吸い込まれそうな不思議な感じ。

 

あと所作。花魁の佇まいひとつとっても、女衒の女房にしても、「凛とした」という言葉そのものの品があります。

がちゃがちゃした人いないです。

浅野温子さんが役的にがちゃがちゃしてそうですが、凛とした目力ががちゃつきを上回る感じ。22歳でアレはすごいですよね。終盤の駅のシーンとかも安定感が凄い…

 

もちろん、西川峰子さんが「ここ噛んで〜」と赤い布団の海で、血を吐きながらのたうちまわるシーンなんかは狂気をはらんでるんですよ。

藤真利子さんの金魚鉢のシーンもいわんや。

だけど吉原炎上は赤をメインに画面が美しくて、人間臭さがあるようでいて、あんまりないんですね。

画面を「絵」として完成させているなあと。

 

③時代風俗

大正前後の風俗描写もめちゃくちゃ質が高くて(エロの方ではなく社会文化の方)、廓の細かい作りだとか、日本家屋の土間とかまちの陰影な美しさだとか、遊郭の習わしや花魁道中みたいな催事の描写ひとつとっても、美術や時代考証の確度の高さに見入ってしまいます。

あと音楽もいいです。何か起こりそう!ってわくわくします。

 

④セリフ

なんていうか、各作品これだけダイナミックな展開において、ムダなシーンもセリフもひとつもない気がします。

全部が絶対的な必要性を持って、必要な場面で発せられていると感じます。

特に土佐が舞台な作品が多いから土佐弁のリズムっていうのが大事なんではと。

「なんちゃあないき」「つかあさい」「なめたらいかんぜよ」とか、掛け合いを聞いていたらリズミカルで心地いいです。

私はそもそも自分のネイティブである大阪弁が映画で出てきたとき、多少の違和感があっても作品の流れを邪魔するものでなければ、何も思わないタイプなんで、ネイティブな土佐弁がどんなものかはわかりませんが、五社作品のセリフまわしのリズム感は素晴らしいなと思います。

 

名作と言われる作品であっても中だるむシーンってあったりするんですが、退屈する瞬間がほぼなかったです。

✳︎ただ「鬼龍院花子の生涯」は、他作品に比べて展開に若干の無理くり感というか、なんとなく「んなアホな〜」な気配も。制作年代では初期の作品だからかと思います。

 

⑤深いテーマ性

どれも女優の脱ぎっぷりや狂気じみていく様が強烈なインパクトをのこすんですが、宮尾登美子さんの小説がベースの作品が多くて、それらは明治末期から昭和初期にかけて、つまり家父長制が当たり前にあった時代に生きた女たちの哀しい物語なんですね。

私が特に今だからこそ刺さったのは「櫂」で、女衒の統領である緒形拳さんの女房、十朱幸代さんがほんとに切なくて。「わ、分かるよ、分かるよ十朱幸代さん!」って涙なしには観れなかったです。

 

亭主はあちこちで女に手を出して、その女との子を作ってですよ。

で、その妾の子を育てろと言われたり、別の女を住まわすから家から出ていけと言われたり、愛情持って育てた子を今度は返せ言われてです。

十朱幸代さんは「悪いことしちょらんのに」なぜか周りからも大将に謝れ、許してもらえと助言されて、でも謝らないから、とんとん拍子にすべてを夫に奪われてしまいます。あのラストの雨のなか、橋の上で十朱幸代さんが傘をさして去っていくシーンは、きっと一生忘れられません。

で、実は緒形拳さんは女房に戻って欲しがったという。

どーゆー理屈。

男のメンツ。

ひたすら、はあ?な。

でもこれ、今現代を生きる私は、「今とこの時代と、どこが違うねん」と強く感じました。

 

そもそも女衒という職業が少女を売り買いする商売で、子供が裸になって値踏みされたり、「そこの子も連れていきな」ってな具合で実にかるーくかるーく、お金に代わっていくんですね。

実は緒形拳さんは、そんな女衒という職業に劣等感を持っていたりするわけです。

劣等感があるから余計に「わしがお前たちを守り食わしてやっている」という自尊心を守りたい気持ちが強まるし、女房に男として認めて欲しいという願望が、純真を通り越して、ひたすら抑圧と支配という形で発露されます。

 

今のモラハラ夫問題と原理的には同じで、まあまだまだ難しい普遍的な課題なんかなぁと思います。

この「男のプライド」ってのがやっかいだとしても、頭から否定しても多分いい方向にはいかないでしょう。ならば、「子供の予防接種につれてくイクメンでカッコいい俺」というプライドにスライドさせた方がいいのかもしれないし、

「一家を支える男の役割を降りたら、意外と楽しく生きれたヨー」という実体験や実績が必要かなと思うんですが、日本が多重苦なんは、だんだん全体的に貧しくなってきていて、役割を降りにくかったり、役割を降りたものの貧しさに心が荒んだりしやすい、そして結局、皺寄せは女性や子供に来やすい、そんな土台なところで。

 

確かに現代は、女衒がふつうに違法だし、あの時代よりは豊かだろうし、文明は発展しているけれども、女や子供ってことで意思や存在が軽く扱われやすいことは未だにあるし、人生が経済力や環境に左右されやすいのは、なんら変わってないですわね。

 

だから、これだけ五社監督が美しくも哀しい女の物語を描いても、根本的には今も弱き妻としての十朱幸代さんはたくさんいるし、モラハラ男尊女卑の緒形拳さんも潜在的にはまだまだいるなぁと。

これは実に悲しいことだし、社会課題として変えていかないといけないです。

 

一方でです。

じゃあ十朱幸代さんは、モラハラ夫に負けた弱い女性なんか?

トイレで取っ組み合いのケンカする名取祐子さんと浅野温子さんはみじめなんか?

五社監督はそうは描いてないです。

 

むしろ十朱幸代さんなんかは、下手なハードボイルドより後ろ姿がカッコいいし、髪わしづかみにして取っ組み合ったり、好き放題言いあっている花魁たちなんかね、なんだか清々しかったりするんです。

 

「耐えて忍ぶだけが女ですろうか」

十朱幸代さんのセリフです。

 

確かに奪われている。

虐げられてもいる。

けれどもそれでも意思を貫く姿には

やっぱり尊厳が宿っているんですよ。

誰も我慢なんかしなくていい。

奪われても踏みつけられても

自分を失わないこと

美学とかいうと空々しいけど

彼女たちの「負けてなるものか」、

「何くそ」的な気高いスピリットが

作品全体に横たわっている。

そしてそれこそが五社作品の肝なんだと。

私は思います。

 

 

おまけ①結局どうなん

内容が内容だけに、下品にもゲスにも過剰にシュールにもなりかねないところを、非常に鋭敏なバランス感覚や感性を持って、比較的万人がエンタメとして受け取る事ができる芸術作品に押し上げている、これはもう五社英雄の高い感性、さらに深い人間洞察や、原作への敬意や理解、宮尾登美子の原作自体の骨太さなんか全部がまざりあって、さらに俳優から裏方まで作り手の高い熱量があって生み出されたミラクルな作品なんじゃないかなあと、40年の時を経て感じる次第です。

 

ちなみに人間としてのザ・五社英雄を知りたくてググッたりしてみたんですが、情熱はむちゃくちゃあるけど、妻を大事にする家庭人でもなんでもなく女遊びも普通に?する昭和によくあるステレオタイプ的なのしか得れず…だからほんとのところはよく分からないです。

 

おまけ② 脇役が楽しいです。

私的に印象的なのは、成田三樹夫さん。子供心に、こいつはほんま悪い奴やなぁ!と思っていました。

あと井上純一さん、丹羽哲郎さん、小林稔侍さん、左とんぺいさん、益岡徹さん、大村崑さんとか!

ひそかに、藤山直美さんとか紳助も出てたり。

仙道敦子さんが子役でよく出てきて、かわいいス(●´ω`●)

石原真理子さんもめっちゃかわいいし。

草笛光子さんはすでに貫禄。

あと岸部一徳綿引勝彦ハナ肇とか。✳︎敬称略

中村晃子さん出てたり!

脇の人たちがすごいデスよ(´∀`*)

 

おまけ③他作品

今回を機に4作品だけでなく他にも、「北の螢」(1984)、「陽炎」(1991)、「女殺油地獄」(1992)も観ました。

これらに関しては確かにテイストは五社作品だけど、残念ながらというか、そうなんかあと発見したというか、上の①~⑤をほぼ感じなかったです。

で、何が違うんだろうと考えたんですが、たぶん全然テーマが違います。女性の半生を描いた作品と、どちらかというと任侠やアクションに寄せた作品とで。

原作が宮尾登美子かそうじゃないかが、大きいかも。でも「吉原炎上」は登美子作品ではないし、それだけじゃない気がします。

製作会社?五社作品はだいたい東映だけど、「陽炎」「女殺油地獄」は松竹だから、それかなあ?とも思ったですが、「北の螢」は東映

 

うーん。もしかしたらかける予算と時間?

だって「吉原炎上」であれだけ生々しい火事シーンをやっておきながら(たぶん予算的にもかなりな予測)、「北の螢」のクマに襲われるシーンなんかは明らかに安っぽいです。「え・・・それでいいの?」って引くくらい。。雰囲気や俳優は五社作品ですが、ていねいに時間をかけて作り込まれた感じが私にはしなかったんですよね。。。セリフもぐっと来ない。。

 

だからなんていうか、監督がすごいとか、脚本家や俳優がすごいとか、映画ってそうじゃないんだなあとも思いました。今回の強化月間を通して。お金を出す製作会社の力の入れ具合とか、世に出すタイミングとか、様々なせちがらい事情もあるんでしょうね・・・。

そういう現実のなかで稀にミラクルが起こるというか。

だけども(私的に)ミラクル作品を多数生み出している五社英雄はやっぱりすごいです。

あと極妻シリーズは、何を何回観てて何を観てないかも、もう自分でも分からないのでそっとしておきます・・・。

 

ではでは。

 

※製作費をwikiで調べたら「吉原炎上」は総額1億2000万円。「北の螢」は不明でした。ただ「陽暉楼」の製作費が約8億円。

てことは「吉原炎上」がむしろ少ないような。フシギ。

 

 

 

お正月に観た深夜映画ベスト4

テレビ東京で(大阪ではテレビ大阪)深夜にやっていた年末の映画が、ゴールデンタイムのロードショーとは全然毛色が違うことは、世間的にはどれだけ認知されているのでしょうか。

 

私には分かりませんが、テレビ東京がやる年末年始の深夜映画って、映画がジブリかディズニーアニメ、もしくはグレムリンホームアローンだけじゃなく、めちゃくちゃ奥が深いことが分かる絶好のチャンスなんですよ。

 

テレビに局側の、特に民放のいろんな勝手な規制ぽいもの、忖度ぽいものがあることもどこまで認知されているか分かりませんが、深夜の枠は少し緩めで、かつテレビ東京のメジャー局のゴールデンタイムに対する反骨精神みたいなものに、私は素直にリスペクトを贈りたいです。

 

というのも、この2023年に向かう年末年始にテレビ東京が「バイス」、続いて「スポットライト 世紀のスクープ」を放映したからなんですが。

て言ってもこれらの作品は、別に知る人ぞ知る名作とか、新進気鋭の監督による問題作だとかでは全然なくて、アカデミー賞ノミネート&受賞している超有名作品で、なぜにこれらを「ゴールデンタイム」に流さないのかの方が、私的には不可思議なんですが。

 

 

2018アメリ

 

2015アメリ

以前書いた感想。

どちらもプライムで無料じゃなかった残念(つД`)ノ

 

 

でもでも。視聴率の問題?つっても話題性は十分あるわけですよ。賞的にも出てる俳優的にも。

まあそういうのもある上で、さらにテレビ東京の深夜放送が「バイス」ときて「スポットライト」を連続で流すことが粋な計らいであるんです。

観た人なら分かるんですが、どちらも、アメリカの汚点ともいう史実をテーマにしている作品という共通点があります。

しかもこの順番が大事で、「バイス」は、ブッシュ政権の当時、アメリカ史上最強で最凶と言われる副大統領ディックチェイニーを描いた物語で、2001年の911同時多発テロからの核兵器虚偽によるイラク侵攻に至るまでの政府の内幕を描いています。

で、「スポットライト」はちょうど同じ時期に起こったカトリック司祭の性的虐待事件を暴くボストン・グローブ社のジャーナリストたちを描いています。

どちらもtrue story がベースなんですね。

しかも権力側の不正や犯罪を描いているわけです。前者は権力側の視点。後者はそれを暴くジャーナリストの視点という違いがまた面白いのです。

 

とはいえ、どちらもアカデミー賞に乗っかるメジャー作品。

バイス」は、アダムマッケイが監督、主演がクリスチャンベールで、製作にブラットピットが名前を連ねているというまんま表街道。ゴールデングローブ受賞作。

「スポットライト」はアカデミー2部門受賞。私のお気に入りマークラファロに、マイケルキートンが主演で渋い!

まあそういう全米的に評価がめちゃくちゃ高い作品。だけど深夜放送。

 

深夜放送にこういう粋があるテレビ東京はやっぱりテレビ東京なんだなぁと、よく分からないけど、一目置いてしまいます。

 

さて、そんな年末年始に盛り上がる深夜映画ですが、そんなこと言いつつ全部観た!とかではなくて、正直私が観たのは、「バイス」と「世界から猫が消えたなら」2つだけ。。(BSのない我が家)

他にもこのお休みに観たのありますが、全部Amazonプライムビデオの無料作品です。

までも、普段よりいろいろ観れたから、せっかくだし、良かったランキングをしたいと思います。

前置き長!

 

 

私的年末年始に観た映画ベスト4(22〜23年)

 

 

4位「バイス

ゆーて4位ですが、クリスチャンベイルのビジュアルの寄せ具合が神すぎてやっぱりすごいんですよ。

で、同じくアダムマッケイ監督、ブラピ製作の「マネーショート」もなんですが。

 

アメリカの事情や社会を知らないとアダムマッケイ作品はなかなか難しいっていう。

私は特にリーマンショックの舞台裏を描いたマネーショートに至っては、金融に無知無関心ぶりを発揮して途中で寝落ちしました…ごめんなさいブラピ。(でも頑張って観ました)

でも「バイス」は全然まだ分かりやすくて、しかもコメディ。だから80年から2000年代の当時のアメリカの政治事情をぼんやりとでも知識あればめちゃくちゃ面白いはず。

そうでない私みたいなアメリカの大統領はレーガンクリントン、ブッシュ親子でしょ、くらいしか知らな〜い(´∀`=)という人には、事前に

映画評論家である町山さん番組の記事を読むのがおすすめ!

これ読んだら映画内容もすごくよく分かるし、楽しめます。

 

3位「老後の資金がありません!」

 

2021日本

 

だって嫁の天海祐希さんと姑の草笛光子さんが「私ね、昔宝塚入ろうと思ってたの」「私も」「あなたには無理」とかいう会話してるんです。

いやガチヅカやん。ていう楽しい突っ込みが入れれます。

草笛光子さんは宝塚ではなくSKDの方の歌劇団出身みたいですね。

面白いし、楽しいし、なんかさすがというか。天海祐希さんのコメディエンヌぷりの安定。草笛光子さんのじじい変装の「まさか」展開。

とにかく夫松重豊さん始め、柴田理恵さん、毒蝮三太夫さんとか俳優が安定してて、「日本の典型的家族」を描きながらも視点に偏りがないし、むしろ結末なんかは現代的。過ぎておじさまおばさまはついていけるのか?

 

三谷幸喜さんが脇役で出てるんですよ。

私、まあ三谷幸喜さんは嫌いではなかったんですが、「鎌倉殿の13人」を観てから、なんてゆーか、この人すごい脚本家なんだなと改めて再評価したというか、いやマジで才能というか、日本も捨てたもんじゃない!って思うに至るタイミングで三谷幸喜さん出ているもんだから、なんとなくこの映画自体の株が上がってしまったというか。

監督は前田哲さん、脚本は齊藤ひろしさんっていう人なんですが、なんで三谷幸喜さん出てるんでしょう。ナゾですが、良かった)^o^(

画面全体的に高齢層で構成されているのも、私は好感を持てまして、だからやっぱり安定しているんだと思いますし、まさに老後の心配が我が身のリアルとしてあるものの、「あるもの」に固執して欲張らず、視点を変えてみれば人生まあまあ楽しめるんだというテーマにも共感でき良かったです。

2位「前科者」

 

2022日本

ドラマを観るつもりで続編的映画の方を見てしまったんですが、圧倒するものがありました。

 

有村架純ちゃん演じる若くして保護司、しかも保護司って無償のボランティアなんかい…という日本のセーフティネットの脆弱ぶりを露呈した功績の高い作品。

にも増して、とにかく森田剛さん演じる殺人前科をもつ工藤誠の人生の壮絶たるやたるやで、涙涙。

監督はこれを、森田剛さんの人生を描きたかったんだ!と何故か観た後、確信しています。

監督の岸喜幸さん、NHKのドキュメントやってたり、納得。生ぬるさのない描き方は、そーゆー感じ!

 

1位「黒い司法 0%からの奇跡」

 

2020 アメリカ 原題 Just Mercy

 

事実をベースにした死刑囚の冤罪という黒人差別に抗う法廷モノ。

それだけで観たくなる!

で、お正月にまたも号泣。

いちばん泣いたし、ついこないだの90年代にまだこんな差別があるアメリカ、かつこーゆー作品作るのもアメリカ。

これを作るアメリカがやっぱりすごいなぁと思うし、なぜアメリカが強い国か?って、こんな作品を作れる国だからだと思います。

 

アメリカを経済や政治でみると、アメリカイズNo.1ってみんな思ってそうなイメージがあるけれど(トランプ大統領だけのイメージ?)

映画の中のアメリカは、自分たちを全然「いい国」なんて思ってないですよ。

アダムマッケイ作品もだし、この映画もですが。

ちなみに監督のデスティン・ダニエル・クレットンは黒人じゃなく、日系の血も入ってるミックスな方のよう。

 

きちんとアメリカ人がアメリカを批判できるって大切なこと。それができて、そしてこういうコツコツ世の中を変えてきた人たちが実在している事でやっぱりアメリカ強しです。

 

あと主役のマイケルBジョーダンカッコいい〜♪

全体に抑えた感じの役柄は演技なのか素なのか?分からないけど。

 

ということで、いろいろ観れた楽しいお正月でした。また今年も名作にたくさん出会えますように。

楽しみだなぁ(´∀`*)

 

 

Dr.stone_科学を愛する少年が人類を救う(大人も楽しいアニメ)

 

 

 


息子と毎夜、1〜2話ずつ見出しました。

最初の5話くらいまでは、

あージャンプネッ(゚∀゚)

髪型独特な少年が科学で地球救う?

はいはいはいはい〜

と全く琴線に触れなかったんですが

何話目くらいからでしょう。

 

面白いやん!

千空(髪型と喋りが独特な主人公16歳)すごいー!

こんなんやりたいー!

と毎回キャッキャと感嘆するようになりまして。

 

ざっくりしたあらすじとしては、地球上の全ての人類がある日突然、石化してしまいます。

3700年後、科学大好き高校生の千空くんが石化が解けて、高校生のまま目覚めます。

で、近代文明の全てが朽ち果て、大自然に還っていた地球で自給自足を知恵と科学を駆使しながら、はじめます。そんで自らが蘇ったナゾを解き、仲間を蘇らせたり、200万年の人類の発展を科学の力で取り戻し、全人類を蘇らせたるぜ!と獅子奮迅するちゅー話。

 

選民思想の人類最強の司くんに命を狙われたりしながら。

 

主人公の口癖は「そそるぜ、これは(ニヤリ)」。

何を言ってるんだこの子は…と最初は引いてたんですが、あ、この人はこういう、いちいちふくみを持たせたキザなものいいの子なんだと段々慣れてきたら、上からな態度に見えて逆に千空ちゃんは裏表のない付き合いやすい子ダナということにも気づきました。えらそぶりながらも、間違いは必ず謝り反省する千空。めっちゃ素直!

 

この千空が駆使する「科学」がまた広範囲。

最初は、火をおこしたり、塩を海水から作ったり、まあここらへんは、想定できます。

それが徐々に発展していって、シーズン1ラストまでには、ラーメン→サルファ剤(抗生剤)→電力→スマホ!まで開発。

でも、単に化学の手順通りに作っていくんではないんです。

 

科学の世界はトライアンドエラー

一つの物質、一つの薬品、一つの道具を作るためにあちこち冒険し、失敗しながら、何度もアイデアを試して作り上げていきます。

 

確かに千空は賢いです。

だけども、科学を「賢い学問」としてではなく、モノづくりの面白さとして描いているんですね。

 

確かに人類は奪い合いや殺し合いを繰り返してきました。未だに繰り返しています。

 

けれども一方で、知恵と工夫と好奇心で、これまでこの世に影も形もなかったあらゆるモノをたくさん生み出してきもしました。

 

これも紛れもないな事実で、「記憶力」を問われる試験勉強なだけな科学が、科学なわけじゃない。本来は実にクリエイティブでワクワクするモノづくりの知恵なんだなと。

私も中学生の時にコレ観たならば、きっと理科の成績上がってたはずー!

野望は未来ある息子に託し(*´∇`*)

 

気づいたらシーズン3(龍水編)まで一気に観ちゃいました。

 

 

結局、ダイナマイトや蒸気機関で走る自動車、気球まで作っちゃった千空と仲間たち。

次は何作るのかなあ(´∀`*)

そして人類石化のナゾは解けるかなあヽ(・∀・)

続編が楽しみです。

 

 

 

 

 

 

ある男_描きにくいことを描いた骨太な名作でした✳︎何回か更新しました。

ある男 2018 文藝春秋 平野啓一郎
積ん読をやっと読みました。

面白かったです!

平野啓一郎さんの「マチネの終わりに」を何年か前に読んで良かったので、そろそろ次を読もうかなと手に取ったのが「ある男」です。なんとなく。

帯に「愛したはずの夫は、まったくの別人だった」とあるので、あ~そういう恋愛がらみの男女のアレか~~と読む前に一瞬よぎったのですが
「マチネの終わりに」も男女のアレだったものの
アレを超えた世界規模の骨太作品でもあったので、とりあえず読んでみるとしました。
大枚をはたいてハードカバーを買ってしまったし。


いや、帯!
やっぱり全然違うやん。
いい意味でやっぱり骨太でした。

ネタバレあり。
✳︎すみません。上手くまとまらず、誤字もあって何回か更新しました。

物語は里枝さんという一人のアラフォー女性の物語から始まります。
里枝さんは幼い息子を脳腫瘍で失い、息子の闘病を含めて、すれ違い続けた夫と離婚します。
その頃ちょうど、宮崎の実父が亡くなり、そのタイミングで田舎に戻り、実家の文房具屋を手伝っていました。

そこに「谷口大祐」なる朴訥とした優しい男性が現れ、二人はひかれあって、再婚します。
ところがこの大祐さん、林業をしているんですが、仕事中に事故で亡くなってしまいます。

里枝さんは息子に父に夫にと次々と愛するものに先立たれる不幸な女性なのでした。

でも真の物語はこの後スタート!
なんとこの夫である「谷口大祐」さん。
実のお兄さんが大祐さんのお葬式にかけつけるのですが、「誰これ?これは弟じゃない。」と言い出すんですね。

里枝さんは離婚でお世話になった弁護士の城戸さんに相談します。城戸さんは「谷口大祐」を調べていくうちに、里枝さんの亡夫はホンモノの谷本大祐とは似ても似つかない全くの別人だということが分かります。

じゃあ、里枝さんの夫は誰だったのか?
ホンモノの谷口大祐はどこにいったのか?

というところから本筋に入るのです。
弁護士の推理モノっていいですね。
もうね、これだけでも十分面白いですのに。

でも平野啓一郎さんは推理作家ではぜんぜんなくて、たぶん純文学系の方なので(芥川賞も受賞されてます。読んでないけど)、
この推理小説ばりの「身元捜し」の展開の中で、社会のいろんな姿を浮き彫りにしていきます。

たとえば、東日本の大震災によって奪われたささやかな安心感のある日常。
1923年の関東大震災での朝鮮人虐殺。
在日韓国人朝鮮人にとっての右傾化する社会。
ブローカーを介在した戸籍売買という犯罪。
凶悪犯罪加害者の家族(子供)の悲惨すぎる人生。
夫婦の危機、いわく「思想」の違い。
日本の死刑制度の是非。

数え上げるとかなり濃厚です。
そしてそのどれもの考察が深くて、唸りました。
どれもに真に迫ってくるものすごくあって、特に私が心に残ったのは、「暴力」を身近に感じてしまった主人公の城戸さんの心情を描く生々しい場面です。
(そうそう〜主人公は里枝さんじゃないのです)

在日3世であり帰化している城戸さんは、それまでとくに差別など受けずに、意識もせずに40年近く生きてきました。
けれど2011年の東日本大震災が起こった時、報道番組で、震災にからめた関東大震災朝鮮人虐殺を扱った小さな特集をたまたま目にします。
さらに2013年、当時ひどかった隣国へのヘイトスピーチのニュース報道を観て、関東大震災朝鮮人虐殺の番組を思い起こすに至った城戸さんは、パニックシンドロームみたいになってしまいます。何かをきっかけにそのことを考えだすと、息苦しくなって立っていられなくなってあわや倒れそうになるのをじっとこらえる…。
この城戸さんの苦しみの描写は本当に臨場感があって、文字を追うだけで、自分もパニック症状が出たかのような気分になりました。
こういう辛さ、よく分かります。
一緒くたにはできないですが、私も子供のころ、夏休みに戦争展を観に行って、あまりにショックでご飯が喉を通らなくなりました。B29が来るんじゃないかと暗闇が怖くて不眠症になり、激痩せし、ちょっとしたことで鼻血とじんましんが出たりして、親に心配をかけたことがあります。

暴力を自分の間近に感じたとき、目にしたとき、その恐怖で人は崩壊するかもしれない。

また、「偽谷口大祐」の歩んできた「犯罪者の息子」としての過去も、言葉にならないくらいに悲しくてやるせなかったです。

殺人を犯した加害者の子供として、家族を失い、どこにも頼る場所がなく、いじめられ、つまはじきにされ。
なぜ、小学生がこれほどまでの苦しみを背負わなければならないのか。
でも一方で苦しみを背負わされた「偽谷口大祐」を守っていきたいという人もいたことも分かります。
偽大祐が通っていたボクシングジムの人々。この場面が本当に救いで、丹下のおっちゃんを思い出しました。゚(゚´Д`゚)゚。→明日のジョー

うなりながら考えました。

無知による悪意や憎悪、暴力を向けられた時に、たとえそれが間違っていると理解していても、自分が自分の存在を決して否定せずに堂々と生きられるものなのだろうか。

平和に生きてるつもりの日常の中で知らない人からの悪意に触れたとき、私たちはどうすればいいのか。

それは…分かりません。
けれど、美涼ちゃんが、反ヘイトデモに参加してるのをテレビを見て知った城戸さんは、嬉しかったのです。

美涼ちゃんの強さは「正しいこと」への屈託のなさ。

自尊心も平和も、めっためたに打ち砕かれそうな悪意、憎悪、暴力の恐怖から、たった1人の行動に救われることもある。

私が「戦争ノイローゼ」から救われたのも周りを見れば、笑っている友達がいて家族がいて、穏やかな日常に立ち返れたから。そしてきちんと戦争にNoを突きつける現実の社会(の価値観や活動)があったからです。夏休みが開けたらしばらくして、いつのまにか治りました。

人を攻撃して生きるのか、
愛を持って笑って生きるのか。


主人公の城戸さんは、物語のなかでさまざまに判明していく事実を直視しつつ、里枝さんに「夫の正体」を報告しに行きます。
遺された子どもたちとともに未来を生きる里枝さんに。辛く険しい道を生き抜いてきた彼の正体を。

平野さん、なかなか描きにくいところを描いています。不穏な空気をまとった今の社会を忌憚なく描く様には感銘を受けました。

これは「マチネの終わりに」でもあった要素ですが、それ以上に今回は主人公が日本に暮らす平凡な(弁護士だけど)人物なので、余計にシズル感を持って琴線に響いたのかもしれません。

私たちはもっと柔らかく生きた方が絶対に幸せなはず。


ちなみに以前「マチネの終わりに」を読んだときに、とっても感動したので私の周辺の女性たち数人におススメしました。
でも読んだ人が全員「いや・・・なんか好きじゃない」となりました。
なんでやぁ?となったんですが、「ある男」を読んで分かりました。

多分女性の描き方です。平野さんの作品には「きゃしゃな美女」がよくでてきます。
銀河鉄道999メーテル的な?

なので、「ある男」は本当に素晴らしい名作だし、平野啓一郎さんは素晴らしい小説家ですので、私の意見などたわごとではありますが平野さんに一言だけ言いたいです。
「きゃしゃな美女」は…できれば登場させない方向でいけないでしょうか。そうしたら女性読者が爆増するはず。

あ、あと本物の谷口大祐は生きているのか?もしっかり描かれています。
いやー良かった(=´∀`)

「ドライブ・マイ・カー」_優しい陰キャであるために

ドライブ・マイ・カー 2021

プライムで無料でしたので見ました。
178分と約3時間の長編でした。
原作は村上春樹さんの短編作品ということなんですが、一言でいってめちゃくちゃ「春樹の世界」に忠実だったのではないでしょうか。

原作を読んでいないので、ディテールがどこまで反映されているのかは全くわかってはいないのですが、春樹作品の読後感と、映画を鑑賞した後の余韻がまったく一緒でした(*'ω'*)

もう原作読まなくていいでーす♪
というくらいに、春樹さんを感じたのですがいかがでしょうか?

観ててつくづく思いました。
以前に「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだ時の
tsubatarou.hatenablog.com

結局なぜ私は村上春樹を読むのか?読みたくなるのか。主人公の気持ちに近づいたかと思うと急に突き放されたりしつつ、人の心の在り方をとても素直に忠実に描くからだと思います。

これに尽きるのです。映画を観ても。
ネタバレあり。

テーマは村上春樹さんらしく、やっぱり「喪失」です。

で今回は映像ということでなんだか活字よりも余計に感じるのが、おシャンティ(住んでいるマンションが高級タワマンだとか)もなんですが、いちいち「セックス」「オナニー」「ヤツメウナギ」みたいな、おばちゃんがギョッとするマテリアルを放り込む点ですね。

それで今回もいつものように「春樹さんはセックスという要素を入れることで、何を言いたいんだろう」と悩みました。

西島秀俊さん(主人公)が妻(霧島れいかさん)とセックスしているシーンや、
「妻がセックスの時に」とか言うと、
観ている方は知った風な顔をするか、
もしくは「お、おおぉお・・・」と目を泳がせながら落としどころを探してしまうというか。

活字以上に。

私の解釈としては「あれはマテリアル」なんだろうなと。性への言及があることで、俗世間と人智を超えた世界とに地続き感が出るというか。

そうでなければ、遠藤周作さん的な「人間の業とは」的要素がめっぽう強くなるかもというか。

遠藤周作作品も好きですが、
私自身は信仰に生きる人生観としてのキリスト教をよく分かっていないわけで、
ヨーロッパの映画に漂う「ベースに神あるよなあ」というのを村上春樹作品にも感じつつ、
そこはソレとしてそっとしておいてみたいと思います。

だけれどもそこが村上春樹作品が欧米で人気の理由のひとつかもしれないですね。
会話も日本人がしないストレートトークだしなぁ。

一方で「喪失」との向き合い方は人類みんなの大きなテーマなので、宗教的要素に無知でも言いたいことはまっすぐ伝わります。


で今回、映像の春樹作品を観て、ぐわんと残ったのは
先述の「人の心の在り方が率直」ていうのがもちろんなんですが。

「春樹って暗いよなあ」ということ?
というと語弊があるかもですが、これまでも私は春樹さんのこの「暗さ」に随分救われてきました。


今回の「ドライブ・マイ・カー」でも印象的だった人物として、妻を失った主人公の家福さん(西島さん)の雇われドライバーを勤めるみさきちゃん(三浦透子ちゃん)。

さきちゃんは23歳というのにまったくの「静」の人。あの無口さ、無表情さ、過酷な幼少〜思春期、けれども憎しみに支配はされていない静謐さ。

あそこには私の(個人的な)憧れが結構つまっていて、
実際私は、ああいうタイプの人になりたいという願望がどこかにあります。

「なりたい」というのとは違いますね。
「そっち側にいる方が安心する」とでもいうのでしょうか。

村上春樹作品は「キャラクター」の奥にある、人としての「核」の部分をいつも見せてくれて、
なんとなく「ああ、私は私であっていいのだ」と思わせてくれるんですが、
要はみさきちゃんって、一般的にはぶっちゃけ、ただただ陰キャな23歳なんですよね。

20代が元気や色気や青臭さを求められがちな現代社会において、みさきちゃんという存在は、異質。

だがしかし、その静けさの中にはすこぶる揺るぎない信念みたいなものがある。悲しみの深さが300年生きた大木のようなどっしりした静かなるバイタリティを培養させている。

孤独の果てに、主人公やみさきちゃんがたどり着いたものは何か。

それは残されたものとして「生きること」。
そしていつの日か、チェーホフの「ワーニャ伯父さん」のセリフのように
「ああ苦しかったよ~頑張ったよ~」と神様に嘆いて
安らかに最期を迎えること。

そうそう〜。
これは原作の故なのか、映像ゆえなのか分からないけど、私の中の「村上春樹が苦手~むずい~」って感性に共感できる部分として、ちょっぴり・・・どころか全然分からないのがチェーホフの部分です。

ずっと意味不明なチェーホフの「ワーニャ伯父さん」という芝居のセリフだけが続いたりして、
なんか・・・いけ好かないんですよ(笑)。
このいけ好かなさが・・・まあ魅力的ではあるわけですが(=゚ω゚)ノ

だからといって、なんでも「難しい!」で済ますのもな~とも思い、無知なりにチェーホフの「ワーニャおじさん」をウィキペディアでちょっとだけ調べてみました。

「ワーニャ伯父さん」のざくっとしたあらすじとしては、セレブリャコーフというエライ教授が持つ領地の管理人であるワーニャ伯父さんが、エライ教授がクズであり、自分がそんな教授の使用人として何十年も働いてきたことに対して、「あ、ばかみたい」と途中で気づいたものの、自分の人生を今さらもとに戻すこともできず、苦悩しちゃうっていう物語です。

映画では、この芝居を演出家の家福さんが役者を募ってワークショップ的に公演する、という流れなんですが、
「ワーニャ伯父さん」の物語の説明もないし、
セリフの読み合わせしているシーンも意味不明。

で、「ワーニャ伯父さん」の芝居のセリフの最後の最後が映画の最後の最後に登場します。
「ああ、人生ってつれえなあ」みたいな。
そんなぼやきの伯父さんに対して、姪っ子のソーニャが
「でも生きていきましょう。そして死ぬときに苦しかったよと神様にきいてもらいましょう」みたいな返答をします。
そこまできてやっと「あ、、そういうことか!チェーホフは主人公の思いなんだ!」と今さらに気づくのですが、映画はもう終わりっていう。

さらにさらにです。
このチェーホフ芝居を一層ややこしくしているのが多言語進行なんです。。

日本語、中国語、韓国語、アジアのどこかの言語、さらに韓国の手話と
登場人物がバラバラの言語を使います。
そしてバラバラでいながら会話として成立するんですね。

そんなアバンギャルドな芝居なので
映画を観ているうえでも、チェーホフ×多言語の演劇シーンは、ひたすらやっかいでした。。

誰も相手の言語に合わせない。
けれども芝居としての会話は成立している。

芝居役者の一人である(そして主人公の妻の不倫相手の一人である)岡田将生さんが途中で語ります。
「他人のことは理解できない。だけど自分を知ることはできる。自分を知ることで他人を理解できるかもしれない」
というようなことを。

言語の違いはまさにそうです。
相手の話す言語を知らないと、
相手が何をいいたいのかそれすら分からないわけで、
それでどうやって他者を理解するのか。

いや、理解なんかできない。
でも、自分の言語をぶつけあうことで、
多言語のなかの自分の言語を見ることはできる。
たくさんある未知のコトバの数々に、やっぱり自分自身のコトバも存在する。

他者のなかにあってこそ自己は存在する。

…難しい解釈は置いといて(*´Д`)

今回の「ドライブ・マイ・カー」ですが
映像でも陰キャ的ポジティブを引き出してくれる村上春樹という存在に
「あ、わたくし陰キャとして明日も生きていいんですね。いつもありがとう」と言いたい。
という結論にしたいと思います。

ダイエット大作戦⑤_体重計、くるとった…

えー。

体重計、狂ってるー…

 

2.5キロ減ったと思っていましたが、ちゃうやん。

何故か増えてます。

最軽量したら、1.5キロやん…!

コラ体重計!

 

肝心な時に騙すなよう_:(´ཀ`」 ∠):

 

まだまだ前途多難。

ダイエット含む人生全て。

 

ああ。

 

ダイエット大作戦_④まさかの2.5キロ減量

3週間目にして。

 

ことの起こりは

月曜断食の2回目。

あまりに空腹を我慢しすぎて、

火曜日に反動でどか食いをし、

あっという間に元の体重に戻ってしまい、

全てに自信がなくなって

やさぐれていたんですが。

 

ちょうど仕事でも同調圧力を感じる腹立つことばっかりありましてですね。

 

久しぶりにブルーハーツ聴きました。

なんやかんやでトレイントレインってやっぱりいい曲ですね。

 

弱い者たちが夕暮れ

さらに弱い者をたたく

その音が響き渡れば

ブルースは加速していく

 

お嬢にも聴かせました。知ってました。

 

いい奴ばかりじゃないけど

悪い奴ばかりでもない

 

ほんとにね。

イジワルな人間って寂しいんかもしれません。

そもそも人間は寂しい生き物なんですよきっと…_:(´ཀ`」 ∠):

 

 

 

 

話がそれましたが、

それでもなんとか3回目の月曜断食を敢行。

いやごめんなさい…。

実はポテチ食べました…

でもポテチと炒めピーマンのかつお節醤油和え

くらいかなぁ。

 

それでポテチ食べたおかげか、火曜日はドカ食いせずに済み、2.5キロ減りました!

3週目にして。

 

ということで、

月曜断食を続けるならば、無理せずつまみ食いくらいは許すことも大事だなぁと。

いちばんの敵はストレスってことで。

 

竹脇まりなちゃんのダンスエクササイズは朝からお出かけがない日は続けています。

10分だから、よいのだと思います。

10分でも汗かきます。

 

さてさて。

2月までの目標値がとりあえずあと2.5キロ減なので、まだまだ頑張ります。

(クリスマス、正月という難関が待ち構えているぜ…)