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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

福田村事件_森達也は100年前の何を遺したかったのか


2023 日本

ネタバレあり。

 

1923年、関東大震災

10万5000人の死者・行方不明者を出したその当時、人々は混乱のなかで、不安や恐怖の答えを探して、一つの暴力的な道を辿りました。

 

震災後の混乱に乗じて、反乱を起こす分子が現れたから自警団作ってやっつけろ!と。

不安と恐怖は、政府やマスコミに焚きつけられ、人々は自衛という名のもとに朝鮮人社会主義者にリンチと殺戮を行いました。

 

この震災後のリンチ、殺戮の犠牲者の数ははっきりしておらず、この「はっきりしない」ことに日本政府の不誠実さが滲み出ているんですが、6000人に及ぶと言われています。

 

これが史実であることが悲しいです。

この悲しみは、どうやって癒えるんでしょうか。

ドイツのように、国がホロコーストをしっかり認めて、未来にノーを受け継いでいく活動をちゃんとしてこればよかったんじゃないか。

 

なぜそうしないのか。それでは癒えないからなのか。でもまず私たちが真に癒されるには自分の国の、自分のうちに眠る弱さや愚かさと向きあうしかないでしょうに。

 

森達也監督は人間のこの弱さと愚かさの行き着く先を100年前の史実を通して作品にしました。まるで己がその罪を背負っているかのように、忘れようとしません。

 

この事件のことは知っていたんですが、史実をもとにしたフィクションとはいえ、映像でみるとすごい考えさせられました。というかずっと瑛太が鉈で頭を勝ち割られるシーンが脳裏から離れません。その後の残虐なシーンも。

讃岐の行商人の眼鏡の青年が「俺はなんのために生まれてきたんだろう」と言いながら、竹やりで刺され死にゆく場面も、「この子だけは」と川に飛び込み刺される母子のシーンも、ほんとに怖くて。

 

普通の村人が、なぜこんなに残虐になれるのか。

 

政治不満などから目をそらすために仮想敵を仕立て上げ、陰謀論や流言飛語を広めて、敵意の矛先をずらすという権力者の手法は、古代からあるのだと思います。

でも現代を生きる私たちは、そんなにバカじゃないと思っています。

それがもうたぶん落とし穴。

 

私は私を疑わないといけない。

私の知っていることがすべてなのか。

私の当たり前はどこにいても誰にとっても当たり前なのか。

 

もうきっとそれだけなのです。

同じ過ちを繰り返さない方法は。

だけどそれが難しい。

だから忘れないようにと。

森監督はこの映画を撮ったのだと思います。

 

小さな映画館ですが満席で、次の回もたくさん並んでいました。

やっぱり森達也人気!

 

世間がタブーとすることを首尾一貫して追いかけてきた森達也さん。

森達也さんを知ったのは、「放送禁止歌」でした。

 

 

世の中ではアンタッチャブルにされている問題に、空気を読まずに、飽くなき探求心でとことん突き進む、すごい人がいる!と、めちゃくちゃ面白かったです。

もう20年近く前になるんですね。

 

当時はこういうジャーナリストは、日の目を見ないんだろなぁと勝手に残念がっていたら、あれ?森達也さん、なんやかやとよく名前みるなあ、映画もよく撮るなあ、となり。

もはやドキュメント界の一翼を担う有名なクリエイターやんと。大御所?

今回の「福田村事件」にも、エンドロールをみていたら俳優陣に限らず、名だたる脚本家や音楽家が参加しているようでした。

 

でもみんなが森達也さんに惹かれるの、分かります。

ということでちょっとだけ

 

森達也、ここがいい!

 

を。

 

①分かりやすい

今回のような史実に基づきながらもドキュメントではない映画(100年前の事件ですし)だからこそ余計にそれを感じたんですが、森達也さんの作品ってストイックというか、情緒に頼らないんです。

 

メタファー的に何かを匂わしたり、意味するところを表情やセリフ回しに含めたり、そういうのがやっぱり芝居の作品であっても全然なくて。

大事な部分だけを切り取りつないでいるだけというか、だけどそこには息をしている人間がちゃんといて、体温があるんですよね。

 

「i 新聞記者」でも望月衣塑子さんが仕事をしている姿に、怒ったり笑ったりしている姿を淡々とつなぎ合わせていました。

 

この淡々としたシンプルで余計なものの入る余地のなさが、読んだり観たりする側にとってはとても分かりやすいのではと思います。

 

小学校高学年くらいなら理解できるというか、裏を感じさせない見たまんまな感じ。

セリフも森さんが伝えたいこともストレートだし、だから重いテーマを扱いながらも意外と多くの人に伝わるんではないかと思います。

 

②圧力を意に介さないユーモア

森達也さんのように、世間的に「言っちゃダメよ」なことを、空気を全く読まずに追求するというのは、だいたいどこかから批判を浴びたり、圧力をかけられるとも思うんですね。主に権力サイドとかから。

実際に森作品にもその圧力がまんま出てきたりします。

 

で、森達也さんはその圧力にもあるがままに淡々と対峙します。まるで意に介さない感じには、もはやユーモアさえ感じます。

 

似た感じの人でいうと、アメリカのマイケルムーア監督でしょうか。

 

 

圧力をものともしない姿って関西弁でいうと「いちびり」にも見えてくるというか、いえ決してご本人はそうではないと思うのですが。

たとえばチャップリンや落語が「圧力(権力)をいちびる」ように分かった上の演出ではない気がます。

 

ただ圧力も含めて淡々と向き合う森作品をみていたら「私ってば、何をくよくよ気にして(о´∀`о)」となんだか晴れ晴れとした気分にもなってくるんです。

 

実はこういう「空気を読まないことで生まれる空気」が偶発的に醸造するユーモアこそが、この世で一番の人間の強さなんじゃないかと思います。

 

というわけで久しぶりの劇場鑑賞でしたが、

森達也さんはなかなかにパワーアップを続けてました。