ネタバレあり
1967年7月、デトロイトで起こった暴動の最中、アルジェモーテルで実際に起こった警官による殺人事件を、当事者の聞き取りをベースにフィクションとして構成した作品です。
2時間22分のなかで、とにかく衝撃と恐怖に満ちているのが若い白人のデトロイト市警の警察官による尋問シーンです。
銃、権力、レイシズム。
非常事態宣言の混乱のさなかの閉鎖空間での、殺戮と呼ぶしかない尋問。
ありもしない銃を誰が撃ったのか、いや既におもちゃの銃を撃った奴は殺しておいて、尚且つです。
で、殴られて脅されて、その底なしの恐怖が伝わるのが、黒人の若者たちだけでなく、一緒にいた白人のパリピ女の子たちも殴られまくるし、服ビリビリされるし、っていうのがポイントじゃないでしょうか。
もうそこにはなんの理屈もなくて、ただただ殺したかった、支配したかった、怪物の姿。
この残虐な尋問シーンの緊迫感たるや、胸が痛いでは済まない、とにかくなんでもいいから言うこと聞いて早く終わって助かってくれ!と祈らずにはいられませんでした。
でもこの顛末において、最も忌まわしいのはその後、その怪物たちが無罪を勝ち取ってしまうことです。
腕力において圧倒的弱者の女子の服ビリビリやぶる、殴りつける警官の正当防衛って何?
どんな言い訳もできなくない?
それを分別わきまえているはずの裁判官がどの口で無罪とかいうの?
ともう本当に怒り通り越してキモッという。
そして、ただそのモーテルに居合わせてしまっただけで恐怖の尋問の最後に殺されたフレッド、助かったけれど警察官も白人も「憎い」を超えて見ることすらできなくなったラリー。PTSDという診断すら得られてなさそうです。
ここにはラリーが入る聖歌隊の教会くらいしかはっきり描かれてないけれど、黒人の支援団体やコミュニティだってあったはずです。
「なんで黒人と一緒にいるんだ?」と警察官に問われたパリピ女子の1人が叫びます。
「は?何いってんの?今は1967年よ」
ずっと変わらないのです。
1867年の奴隷解放宣言から100年たっても。
1967年から50年経っても。
監督の キャスリン・アン・ビグローさんは、重厚な社会派作品を手がける女性の映画監督だそう。
白人で、アカデミー賞も獲っている方です。
この作品を世に生み出したことは素晴らしいと思います。
素晴らしい作品に監督の人種なんか全く問題ではありません。
しかも女性であるのは嬉しいし(*´꒳`*)
ただ、当事者ともいえる黒人の監督がこの史実作品を描いてこなかったのはなぜだろうと素朴に疑問も感じます。
優れた監督がいなかったから?
ハリウッドに白人以外の表舞台で活躍する監督ってどれだけいるのか?
人種を超えてさまざまな教育、チャンス、可能性のequal opportunity は本当に存在するのか。
いまなお。
いろいろとずっしり問いかけてくる作品です。