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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

不登校気味な高校生①

かれこれ4週間。

お嬢ちゃんが学校行きません。

うち1週間はコロナ陽性、1週間は濃厚接触者だから、明確なサボりは2週間かな。

 

サボりって言ったけど、原因は、いじめ未満の友達関係ですね。仲良し女子たちから総すかんという。友達が学校行くモチベだった彼女には充分な動機でしょう。

 

クラブに入らなかったというか、体のこともあって入れなかったこともあるし、狭い教室のただでさえ少ない女子のなかで、グループから総すかんはきついとは思います。

大人からすると、もう少しうまく立ち回れよーとかヤキモキもするんですが、じゃあ自分が10代の頃に上手く立ち回っていたかというと、お嬢ちゃん以上にど下手だったなと(´∀`=)

 

一応担任の先生には出席日数の確認がてら、友達関係のことは伝えていて、途中から入れる部活なんかないですか?とかも聞いてるんですが、なかなかいかんともしがたい状況なのか、芳しいお返事がないです。

 

で、じゃあ不登校気味な原因はそれだけなんかというと、確かに友達総すかんが大きいけど、そもそもじゃあ何故友達関係が壊れたり、それを理由に不登校気味なまでになったかというといろーんなことが絡み合っているのではと思いました。親の不仲もあるだろうし(TT)、自己肯定感の低さや、進路や将来への不安。昼夜逆転気味、SNSスマホ依存→これねー、ほんとSNSは友達関係のステータスだから、スマホネイティブ世代は困ります。

 

ということで、この1か月のお嬢ちゃんの不登校気味問題に関して、いろいろ本人との対話をしつつ、今とりあえず私が思っているのは

学校にどうやったら行けるかは考えない方がいい

17才がもっと広い視野と時間軸で生きていく力を持つために、本当に必要なことを考えなきゃな

 

ちなみに本人とはまあまあ話ができているから、そこは良かったです。遊ぶ相手いないし、母しか話す人おらんから(主にジャニーズ)、と本人談。

 

ということです。

正直、まだまだ友達関係の傷から全然脱せてないから今は日々少しでも、今日は少し良かったと思えることがあればいいかなと思うんですけどね。

 

んで、親は親で不安になり、「不登校」をググってみても、塾やら通信教育やら家庭教師やらの広告くさい情報しか出てこないので

日本ってほんと福祉や暮らしサポートが衰退してるよな…と実感しつつ、

とりあえずじゃあ「実録・不登校気味」として何か役に立つかも、立たないかもと思いつつ、少しずつ記録して行こうかなと思います。

 

文科省のデータだけ。

全国的に子供の不登校は8年連続で増加。

毎年過去最高を記録。

文科省 2020年度の「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要」より。

https://www.mext.go.jp/content/20201015-mext_jidou02-100002753_01.pdf

 

学校行っても行かなくても、今日より明日が少しだけ、楽しくなりますように。

何ができるかな…

 

 

 

はじまりのうた_「好き」には自由が詰まってる

 

 

2015 begin again

キーラ・ナイトレイの歌を中心に、全編に音楽があふれている作品。

ネタバレあり。

ざっくりストーリーとしては、最初は一緒に作曲してたのに、彼氏だけ売れっ子ミュージシャンになって、さらに浮気され振られたグレタと、妻に不倫され、いろいろ壊れちゃって娘を置いて家を出ちゃったアル中で会社もクビになったプロデューサーのおっさんダンが出会い、ともに自分たちの音楽を作っていく、って話です。

 

 

ここが良かった「はじまりのうた」

 

音楽があるだけで平凡な景色が美しくなる

 

舞台はニューヨーク。

お互い人生のツラメな節目に立つグレタとダンおじさん。

ライブバーで全然客にウケてなかったグレタの歌をたまたま酔っ払いながら聞いたダンは

こ、こ、これだー!! 

となり、一緒に音楽作ろうと持ちかけます。

グレタも最初は、なんやこのホームレスみたいな酔っ払いオッさんは?と感じつつも、まあじゃあやります〜と。

ダンは元自分の会社に売り込みに行くんですが、そもそも会社をクビになってるもんだから、スタジオが使えないんですね。

だもんだから、お金を一銭もかけずにデモを作るためのアイデアを思いつきます。

 

音楽を愛する売れないミュージシャン(の卵的な人)たちを集めて、ニューヨークのさまざまな場所の喧騒のなかで演奏and録音していくんです。

 

これがとにかく観る側をわくわくさせてくれるんです。

なんで、こんなわくわくするんだろう?と考えて、もちろんニューヨークのあちこちが登場するステキさもあるんですが

 

ずばり

私にもできるやん?

が詰まってるから。

場所は路上、メンバーは半素人、録音はMacBookにソフト入れて。

つまり今どきの自主制作のやり方を描いてるわけです。

だからやろうと思えば誰でもできる、それが楽しく描かれているのが、わくわく感の素なのではないかと。

まずこれがベース。

 

さらにです。

無愛想でまだプロになりきれない半人前なグレタと、純粋だけど故に商業主義になかなか合わせられないダンが段々と距離を縮めるなかで、決定的に心が通じあったシーンがあるんです。

それが、2人でそれぞれのお気に入りプレイリストを聴きながら夜のニューヨークを歩き回るシーンです。

スマホにイヤホンつないでプレイリストを聴かせ合うという。

まあなんてピュアな!

10代の頃にやってるやつですよ。

でもここはもう最高にステキな場面で、音楽とともに人生を過ごしている誰もが共感できると思います。

「恥ずかしいの入ってるよ」とか言って、高校生かよ、キュンキュンするー(●´ω`●)(とかいってる私が恥ずかしい(о´∀`о))

 

でニューヨークの道端に座ってシナトラを聴きながら、ダンがグレタにニコニコして

「こんななんでもない平凡な景色が、意味を持ち、美しくなる。ぴかぴかの真珠になるんだ。音楽があれば」

なんてことを言うもんだから、このホームレス風味なオヤジがもう、坂口健太郎さんを超えた、ブラピを超えた、超イケメンに見えてきました。

え!ななんか急にカッコいい人がいるー!?

お似合いの2人がいるー!

みたいなもう結ばれるしかないシーンです。

✳︎ただ…これについては後述。

 

あと、ダンの娘でお年頃ティーンエイジャーのバイオレットがギター上手いやんってシーンもカッコ良かったです。

 

つまりこの映画って、音楽そのものはもちろん音楽好きのすべての人へのオマージュというか、応援映画になってるなあということです。

 

 

マーク・ラファロという役者

 

ダンを演じるマーク・ラファロがめちゃいいです。

人生に傷ついて投げやりだけど、根はピュアな心を持つ、愛あふれる人で、ダメオヤジがグレタと出会って段々と変化していくという、なかなか繊細な人間を素晴らしく表現していて。

こういう年配の人物のピュアを描くとき、下手したら

何おやじが若い女に色気づいちゃってキンモ!

と下世話に見える難しさがあって、というか私がドラマや映画によく思うことなんですが(=´∀`)人(´∀`=)、ダンは全くそれとは違ってまして、どっちかというと正統派二枚目でもないし、シュッともしてないんですが、目元に知性がうっすら漂うからでしょうか。ステキな役者さんだなぁと思います。

 

「結ばれない」という自由

 

そうなんです。グレタとダンは恋愛としては結ばれません。

映画では2人が一瞬の見つめ合うシーンが幾度かあります。

それが、どういう意味があるのか。

いろいろ想像させるけど、それ以上2人とも何も語らないし、何も始まらないのです。

 

これが私はとても良いなと感じてて、オヤジのピュアを真性にしてるというか、ある意味では古典的なピュア。

やり尽くされたハリウッドにまだ、こんなピュアがあるんかい!

という驚きと同時に、人間同士の関係なんて、どんな呼び方したって、これは恋愛だとかこれは友情だとか、どれくらい好きだとか、不倫だとか裏切りだとか、周りがとやかく言うことじゃないし、そんな型にはめて割りきれるもんじゃない、名前のない愛情や結びつき方があるんだよ…という余韻が私は好きです。

 

 

ということで音楽は生きる糧になりうるものだし、その存在の不思議さ、「好き」の楽しさ、何ものにも縛られない自由さがあることを改めて気付かせてくれる作品でした。

 

おまけ

マーク・ラファロさんは「スポットライト」にも出ています。こちらもいいです。

アベンジャーズのハルク役でも知られています。

 

監督は「モダンラブ」のジョン・カーニー。

あいまいで多彩な人間の感情やつながりを巧みに描いているのは共通してます。ジョンカーニー監督の持ち味ですねー。

私の特別なドアマン

私の特別なドアマン

  • クリスティン・ミリオティ
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マルーン5のアダムレヴィーンがグレタの元カレ役を!通りでめちゃ歌上手いはず…

 

 

はちどり_くすぶっている14歳に見えるもの

 

2020 はちどり

韓国の作品です。

 

ゆっくり少女の視点で日常が進みます。

 

とにかく、若さが息苦しい!

そして主役のウニ役のパクジフちゃんが超かわいい!

 

お母さんとお父さんが仲が悪いとか身につまされすぎーとか

韓国って長男可愛がり過ぎ、ひいきしすぎだよとか、

浮気しといて戻ろうとする彼氏アホやけど分かるそんなもんとか

ファーストキスに照れて唾を吐くってアバンギャルド〜とか

後輩女子から告られるとか体育会系じゃなくてもあるんやね、しかも日本以外にもとか

やっぱり韓国って親しみ感じるわとか

友達の裏切りとかまさに今の我が子のいざこざやんとか

ウニがオンマ!オンマ!(お母さん!お母さん!)と大声で呼びかけてるのに一向に気づく気配(つもり)がないお母さんの立ち姿とか

なんやかやで仲直りしよるな親はとか

漢文塾の先生のヨンジは女子大生だけど、そして舞台は94年だから、80年代の韓国の民主化運動や学生運動の名残を忘れちゃダメだよねとか

私95年に韓国行ってたわ、まさにあの時の韓国かあとか

どこにも輝けるものを見出せない10代と、そんな10代に無関心な大人たちって、目の前にあるいろんなもん、すごく見逃してるんだろなぁとか

いわゆる不良のレッテルと、そうじゃないフツーの中学生って実はそんなに境目なんかなくて、まさにレッテルが貼られるかどうかなだけじゃない?とか

 

でも何よりね、このウニが素敵なんです。

すごい、いい子を見つけたねえと。

ウニとその目にうつるもの、周りの空気をふわふわ感じるだけでもステキな作品です。

 

 

約30年経って私の青春時代と娘の青春時代くらいの時間差。

若者は、何か変わったでしょうか。

もっと生き方に器用になったでしょうか。

なってないでしょうか。

ウニにとってのヨンジみたいな存在に、出会えるでしょうか。

出会えますように。

 

アイアムまきもと_阿倍サダオさんは「チャーミング」ができる役者やねえ

 

2022 アイアムまきもと

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娘とイオンに観に行きました。

娘いわく、「大人向けやん…」

確かに…客席は結構埋まっていたけど、ご年配ばっかりでしたな…(´∀`=)

 

とはいえとはいえ!

めっちゃ良かったー!泣けた泣けたー

 

阿倍サダオさん演じる牧本は、山形県庄内市役所の福祉課に務める「おみおくり係」。

身寄りや縁者がいない孤独死したご遺体を、親族を探して自腹で葬儀して、無縁墓地に納めるまでが仕事です。

 

このまきもと氏が、まあチャーミングなキャラなんです。

それがもうこの映画の何よりの魅力。

 

着る服も食べるものも独自のルールのもとに生活し、時間通りの決まった行動を好み、人の話の飲み込みがすこぶる悪い。

 

遺族探しに夢中になり、ご遺体を警察署の遺体安置所になかなかお迎えに行かず置きっぱなしだから、刑事の松下洸平さんが「早く遺体を取りに来なさいよ!」と怒鳴り散らすんですが、気にしない。

でんでんさん演じる葬儀屋さんが「許してくださいよ、まきもとさんも謝ってんだから」と投げるんですが、「いやこの人一言も謝ってないですよ!」と返す松下さんに「じゃあ謝ります。すみません」と言ってしまい、「じゃあって何!」とますます松下さんに怒鳴られるシーン、なんとなく成り行きが読めるながらもめっちゃ好き。

 

この辺りの会話のラリーをもっと続けてほしい、ずっと観てたいです。

 

今思ったけど、「裸の大将」もそうだったな…

 

阿倍サダオさんの本領はこーゆーところにあるんだなとしみじみ思います。

 

そんなこんなのまきもと氏なのですが、市長が変わり、ゆるゆるだった福祉課で、まきもとさんの特性を活かした「おみおくり係」が廃止されることになってしまいます。

 

最後のご遺体の遺族を探すべくあらゆる小さな情報をかき集めて(まきもと氏は写真は虫メガネで見るタイプ)、亡き人の過去を遡っていきます。

 

そうしたらですね。

なんにもないように見えるご遺体にも、その人生にはいろんな出来事があって、いろんな人とのつながりがあって、実は家族があったり、友がいたり、さまざまな想いがあったことが分かってくるんですね。

 

人に歴史あり!

最後のシーンは泣けるし、宇崎竜童さんの歌う「オーバーザレインボー」がしみじみ沁みました。

 

だけど良かっただけに残念な部分も少し書きます。

一つは、多分観た人7割がた思うと思いますが、ラストに向けてまきもと氏に起きる展開。いやいいんですよ。そうくるかなって読めたし。でも、、やっぱりそこはお決まりパターンに依存せず新しい展開にチャレンジして欲しかったなあ(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)

あと方言が使われなかったこと。

方言が強いと意味が伝わりにくいという配慮もあるんかもですが、

舞台が山形県庄内エリアで、それは全面に出てるんですよね。ちなみにまきもと氏が勤める市役所が庄内市役所って最初の方に出てきたと記憶してるんですが、酒田出身の友達に聞いたら、庄内は市というのはなくて日本海エリア全般を庄内と呼ぶそうな。

 

で、庄内は割と映画の舞台になってて、有名なんでいうと「おくりびと」。

今回のまきもと氏が「おみおくり係」だから絶対「おくりびと」の影響なのか、オマージュなのか、パロディなのか?なんかしらの成分は入っているんでしょうかね。

 

あと言うまでもないことよ。と思われるとは思うものの、タイトルがもう「アイアムサム」のオマージュというか、パクりというか、まあオマージュという解釈にしとくとして、引っかけてはいますよね。

 

いや、アイアムレジェンドの方?

 

ではない気はします。

 

 

話がそれましたが、ともあれ庄内の美しい景色をバンバン出しているわけなので、やはりリアリティーある画面作りにこだわりが欲しかったなあと。つまり方言が良かったなぁ。

せめてイントネーション寄せるだけでも、さ。

 

ちなみに原作はウベルトパゾリーニ監督の「still life」。

ちょっと観てみたくなりました。

 

 

三度目の殺人_犯人探しより気になったこと

 

2017 三度目の殺人

 

注意。ネタバレ結末バレあり

 

是枝監督作品ということに1/3過ぎたあたりになんとなく気づいて、やっといろいろ合点がいった作品。

 

というのも、だいたい前情報なしに見ちゃうから、こーゆー話がまったり進む映画には、ノルカソルカが割と分かれやすいんです。

この映画も、スジはなんとなく見えるだけに、作り手が何を見せたいのか、思わせたいのかがクエスチョンなもやもやを抱きながらみていて。

 

で、福山雅治パパからの是枝監督で、ああー!とね。

とはいえ、共通点は主役が福山雅治パパってだけで、筋もテーマも全く違います。

 

今回は是枝監督がライフワークとしている「家族」ではなく、「死刑制度」とか司法とかっぽくて、それだけに是枝監督と気付かないままちょいダラダラ観てしまったんですが、

いやでも福山雅治パパの姿は完全に「そして父になる」の後日談の程をなしていませんか?

 

キャラ似てる〜

 

結局、息子にも(そして父になる)娘にも(三度目の殺人)、仕事中心で寂しい思いをさせてしまい後ろめたいお父さん。

 

今回は福山パパは弁護士です。ざっくりあらすじと結末ネタバレまでいいますと、福山パパは自分の事務所を持つマチ弁だけどマインドがサラリーマン弁護士というか。

数ある案件のひとつとして役所広司さん演じる強盗殺人被疑者を死刑回避すべく、いつもの司法界あるある予定調和なルーティンで仕事を回そうとしたものの、この役所広司演じる三隅という被疑者、30年前にもすでに殺人を犯していてムショ帰りのおじさんがクセ者で、話すたびに証言がころころ変わって、つかみどころがなく、いろんな違和感や被害者の娘である広瀬すずちゃんの証言も相まって、全然別の真相にたどり着きます。

にもかかわらず、というか真相を知るが故に結局、職務を真っ当できず三度目の殺人=死刑判決という結末になっちゃったよーというのが大筋。

 

深夜に観てて途中で中だるんで少し居眠りしたから、もしかしたら違う面もあるかもですが、だいたい。

 

予定調和な司法界を描いてるからか、映画自体もちょっとなんだか予定調和的に進む感があり。

とはいえ、

  • 予定調和ありきで真相解明なんか求めてない裁判
  • 死刑回避優先がむしろ法廷の予定調和を助長してない?
  • つまり死刑制度があるが故にきちんと真相解明に向き合えてなくない?
  • 被害者がいい人、加害者が悪人じゃない殺人をどない解釈すべき?

 

みたいな部分を考えてみることができたかなあ!という作品ではあったかなとは思います。

 

私は是枝監督とは別視点から、死刑制度に疑問を感じていて、それは「死にたい犯人」に対して死刑がいかほどに意味があるのかという点です。

 

死刑というのが誰にとっても極刑たりえるのか。

むしろ自死を望む人の合理的な手段として悪用?される側面があるのではないかと。

 

「死ぬより生きてる方が辛い状況」というのは、もう今のこの日本ではそこまで稀なケースではないということを感じるのは、私がネガティブな思考だからというだけではないと思うし、結局世界的に死刑が廃止されていった過程には、人道性と同時に、合理性もないよね、という結論があるからかなぁと思うのですがいかがでしょうか。

 

まあそれを含めて日本の司法界が世界的にみても50年くらい遅れをとっていたり、イチ犯人にもイチ被害者にもなんにも視点なんか合わせずにお役所やっつけ仕事になりがちあるあるだったり、

それって「はいはい困った世の中だこと(๑>◡<๑)」では済まされなくない?

当事者の気持ちになってみて!という広瀬すずちゃんだったり。

 

是枝監督作品って、実は素直に面白いと思うわけではないんです。

どっちかというと是枝監督はお父さんな人。お父さん視点の家族や社会なんですよね。

だからそこになかなか新しい気づきがあったりしてついつい、観た後に何日か考えさせられるんですが、

お父さん視点にはなるほどという面もあるけど、やたら哀愁重視な面があるというか、「日常では構ってやれないけどいざとなったら守ってやるぜ」的なある種のエゴもサラッと感じるというか。

それを是枝監督が分かった上で描いてるんでしょうが、

私は福山パパよりも役所広司パパよりも、

この後の広瀬すずちゃんが真相をつまびらかにしなかったことによるPTSDなんかでずっと暗い人生を背負っていくことになるんじゃないか、

それが心配です。

 

日本の司法の体質は非常に問題だとも思うんですけどね。

それって日本のお父さん体質にも通じている気がします。

 

お父さんの役割が「世の中の悪人から守ってやるぜ」ではなく、フツーに我が子のオムツを取り替えたり予防接種に連れて行く時代かなって思うし、そうあってほしいなあ。

司法界にも権威に胡座をかかず、イチ生活者の視点を持ってほしいよね。

 

ちなみに福山パパが死刑判決後に最後に役所広司なる三隅につぶやく「あなたはただの器…?」の解釈としては、かつて三隅を裁いた裁判官だった自分の父親の入れ知恵というかマインドコントロールにより、広瀬すずちゃんに性的虐待していた父親を三隅に殺させた、つまり法で公に裁けない罪をコマ(器)としての三隅に裁かせた…って意味かと深読みしつつ…あーでもちゃんとあの辺も見てないかも…でもそうだったらちょい役なのに橋爪功(福山パパのパパ)がすごすぎて面白いのに( ̄∇ ̄)

という感じで予想したんですが、真相は知りません。

 

地獄の花園_ケンカが強くなりたいな♪

 

2021 地獄の花園

 

バカリズム脚本だったんですね。

ばかばかしいけど悪くない!

てか正直めちゃ良かったですよ(о´∀`о)

 

地獄の花園ここがいい

 
ある種の社会風刺という解釈

OLって社会でどういう存在ですか。

日本の会社はいわゆる総合職と一般職に別れていて、会社の利益に直接つながらない、キャリアアップがない事務員が一般職なイメージですよね。

制服きて事務するOLは一般職の代表的存在。

会社には必ずいるけど出世しないし花形でもない。結婚までの腰掛け仕事だの、ちょい頭悪そうな男のことしか考えないチャラ軽女子だったりのステレオタイプがあるかと思います。

 

まあ正直、こんないかにもOLスタイルなOLはもう今では化石じゃないのかとは思うものの、この作品ではいわゆるコンサバなフツー、一般女子の代名詞的に扱っているんじゃないかと思われます。

 

それが派閥争いしてるんです。

ケンカで。

ムショ帰りのOLとか、響きだけで愉快。

しかもさりげなく会社はちゃんと再雇用してたり。

もちろんフツーに仕事もしてるんですが、ケンカが生きがい、で覇権争いが勃発してるんですね。

そんな中に現れたのが広瀬アリスちゃん演じる北条蘭。一匹狼のOLとして、派閥の頭を張るつわどもたちをやっつけまくり、トップとして君臨します。

で、あらすじとしては、永野芽郁ちゃん演じる主人公の田中直子はカタギのOLで、蘭の友達なんですが実は…っていう。

まあいわゆるケンカマンガの典型を寄せ集めて、OL社会にぶち込み煮込みました。っという構成です。

そこに多分マンガ大好きだろうバカリズムの脚本が元気いっぱいに息づいています。

 

で、私が興味深かったのは、あんまり違和感なく観れたこと。一つには役者陣の演技力もあるんですが脚本もいいし演出も良かったです。

 

古いステレオタイプを現代的に上手く解釈できているというか、むしろ廃れたはずのステレオタイプが実はリアル社会に未だ現存していることを作り手が理解した上で、あえて取り入れたようなあざとさがあり、逆に違和感なく観れたというか。

 

クローズなんかは、ガチすぎて息苦しい、暑苦しいみたいに感じる冷めた人でも、こちらは、ある種の社会風刺感覚で、俯瞰して捉えることができ、観やすいんじゃないかなと思います。

 

まあ政治でも会社でも学校でも覇権争いしてますしね人間。的なね。

そういうのがバカリズムの根底にあるんかなと。

 

 

ちなみに永野芽郁ちゃんのセリフで出てくる

クローズ、ビーバップハイスクールは映画、ろくブルはマンガで知ってるけど、湘南爆走族は漫画も映画も知らないです。

観とくべきか?

ロンタイベイビーは読んだんですけどね〜(出てきてないけど)

 

 

 

クセ強い役者陣

広瀬アリスちゃんがメンチ切りまくり(関西弁でガン飛ばすこと)でカッコいいです。

鋭い目つきが似合ってるうー!

メンチが似合う女優。

で、ケンカシーンも広瀬アリスちゃん、うまい!

 

啖呵切る姿がさまになってるし、動きもキレがあってめっちゃカッコいいです。

 

あと小池栄子ちゃん、菜々緒ちゃん、室井滋さん、エンケンさん、脇役みんながいい感じです。

密かにファンのファーストサマーウイカちゃんなんかはどストライクです。もっと出番欲しかった〜♪( ´θ`)

 

ただ永野芽郁ちゃんが主役なんですが、周りの個性派に飲まれ気味。まだまだ若いし頑張って〜(*≧∀≦*)

 

オンナが強いということ

単純にそれが痛快。

これまで男が闘う漫画も映画もいまいちノレなかったから、自分はケンカ映画は嫌いなんだろなと思っていましたが、違うな。

男が闘う物語はつまらないけど、女が闘う物語は面白いという発見をしました。

うーん何故か?

同じ女性としてシンパシーを感じてみれるんでしょうか。

逆にケンカ作品が好きな男性の気持ちも、あ、そーゆー感じかぁとやっと理解できた気がします。

自分も強くなった気分になれるんですよね。

分かる!

私もいけすかない上司やおっさんにメンチ切りたい!

 

ということで、娘おすすめ作品でしたが、いい歳したおばちゃんもフツーに楽しめた「地獄の花園」でございました♪

 

Dearにっぽん_生き方に迷ったら…まさかの不登校?

 

コロナ以降、私には仕事に対する軽いルールというか向き合うスタンスがあって、のめり込まない、というか思い入れすぎない、いうか。

 

なんでも100より8分目くらいがいいみたいなことって言われたりしますが、私は6割くらいがちょうどいいなあ。快適だなぁと。

 

にも関わらず世の中が元気っぽいからか、最近なんだかエネルギー注入が高まってきてて、しんどいです。そろそろスローダウンしちゃわないと、また体調崩しそう…(コロナ後遺症の喘息とじんましんが2か月経ってやっとなくなってきたのに)

 

ってことで「Dear にっぽん」というNHKのドキュメント番組があるんですが、これ見てたら、なんか元気でるんですね。

 

今年スタートしたばかりでまだ10本も製作されていないっぽいんですが、毎回いろんな地域にひたむきに生きる市井の人に密着して、その日々にスポットを当ててるドキュメンタリーです。

 

じんわーとね、きます。

 

決して華やかな表舞台には立ってないし、えげつない社会問題のど真ん中にいるわけでも英雄的すごい人たちなんかでも全くないんです。

 

地味ーな仕事、普通の学生、普通のお母さん、だけどいろんなものを抱えていてですよ。

抱えながら、生きている。

自分の道を。

 

SNSで話題になるわけでもなく、世間から評価されるわけでもなく、でも本来人はこうやって目の前のことを考え生きているんだ。

目の前の今を生きてるんだ、というシンプルな事実。

 

ところで娘が最近学校に行かないんですが、どうしたものかと悩んでます。

どうもよくよく聞いたら友達とトラブっているようで。

最初は朝起きてこないし、理由聞いてもなんやかや言い訳みたいなことしか言わないから、「夜更かしすぎ」「金払ってんねん?行きや」と言ってたんですが、2週間くらいあーだこーだやって、なるほど友達が原因かと理解してきました。

 

確かに娘にも非はあるんですが、女子のあるあるな揉め事なんですよね。大人からしたらたわいないって言ってしまえばそれだけの。でも友達の存在が学校に通うモチベの大半を占めている彼女には大きな痛手で。

 

しかもバイト先でも、役に立たないダメバイト扱いされてるらしく…。゚(゚´ω`゚)゚。その話聞いてたら邪魔扱いぶりにちょい笑ってしまったんですが

なんなん…不器用すぎやろ…

まー自分の事より歯痒い限り。

 

で、進級や進学に手厚い私立の担任の先生に出席日数の相談をして、とりあえず後もう何日来なかったら進級できませんよ的な切羽詰まった危機的な状況にはないのは確認して、ならまあ、ちょい様子見かなと。

 

親が出来ることはもう、学校行けってやいやい言わないことくらいしかないかも。もちろん先も不安だからヤキモキしまくるけど。

 

あと、学校に行かない日は録画してる「Dearにっぽん」を一本ずつ見せることにしました。

 

若いって素晴らしいけどさ。

でも実際、不器用だし世間知らずだし間違えるし挫折するし自信なくすし、もがいてるよね。

 

努力しろよ

打ち込めよ

学べよ

前向けよ

 

って言われても、かつて高校生だった自分はなんにも頭に入らなかったです。むしろウザかった。

 

でも親になって言ってるわあー(。-_-。)

口走っちゃうわあ

 

せめて辛かったなとか、よう頑張ったなとか

言ってあげたらいいのに。

そうよ。それ大事。

 

でもそんな陳腐なことしか言えないから

もう私には限界だから

生き方に迷ったらとりあえず「dear にっぽん」みる。

 

で今は行こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ビリーヴ 未来への大逆転_100年前なら、私は法廷にも立てなかった

2019 on the Basis of Sex (原題)


元気がでる女性活躍の映画です!
しかも実話をベースにしてます。
良かったです。

ネタばれあり。
1950年代、やっと女子に入学の門戸を開いたハーバード大学を首席で卒業したルース・ギンズバーグは、
弁護士として活躍を夢見ていたものの「女性」であることから、どこの事務所からも採用されず、唯一受け入れてくれた大学の講師として就職。

夫のマーティンは税法のエキスパート弁護士として活躍するのを尻目に、「くう~」という悔しさをかみしめつつも、1970年、ある裁判に出会い、「これが私の道だ~」と訴訟を起こすことになります。

その裁判が、独身男性に親の介護の助成がないのは法律の性差別だ、撤廃しろ。というもの。
当時は介護をするのが女性だからということで、女性だけの特権だったそう。
すでに敗訴していた(というか誰も弁護してくれなかった)訴訟で
ルースと夫のマーティンは闘うことを決意。

でもこれがなかなかすったもんだで・・・
ベトナム帰還兵や公民権運動では闘うACLU(アメリカ自由人権協会)の友人メルに協力を頼みますが
忙しいだのお金がないだので二の足を踏まれたり、
キャシーベイツ(ミザリーの頃と全然変わらない)演じる大御所弁護士も時期が早いと難癖をつけるし。。

まあそうなんですよ。なんていってもルースは学校で生徒たちに法律を教えていても
実際に法廷で弁護したことがない、っていう。
なりたくてなれなかった弁護士の初仕事がこの「男女差別撤廃裁判」って。
でも男性側の差別を撤廃する案件っていう目の付け所は賢いですよね。
男性社会の法廷でも受け入れてもらいやすそう。
ということで「憲法に違反している先例を作っていこうぜ」という目論見なんですが、
でまあ、ルースの結果的には素晴らしい口頭弁論で勝っちゃうんですが
なににつけ「弁論」て大事だなと思いました。
相手をどう説得するか。

もう冒頭から圧迫面接みたいな、パワハラ一歩手前みたいな判事の質問攻め。
「女性が家庭を守ってきた何千年と変わらない事実が証明しているじゃないか」
公民権運動を擁護している味方と思っていた判事ですら、
「あなたは何がやりたいのか」と。
最初ルースはタジタジしてしまうんですが、反論の4分間で素晴らしい弁論をします。

「100年前なら、私はこの法廷には立てなかったでしょう」

「2年前、5年前、10年前とその先例を繰り返して変わらない今がある。
でも今、社会が変わっていく中で、時代遅れにならないうちに、この裁判が新しい先例になるべきです」

かっこいい~!
気づいた人も多いかもですが、
判事たちは最初は「ギンズバーグ夫人」と呼んでいたんですよ。
でもこのルースの反論で「ギンズバーグ教授」て呼び方を変えてましたよね!

で、プラスでこの映画で押さえておきたいポイントを2つ。

夫マーティンが超最先端。

ルースがここまで頑張れた背景には本人の優秀さと能力と熱意はもちろんなんですが
いろんな「運」もあったと思うんですね。
もちろん「女性というだけでもたらされる不遇」というのがあまりに多いし、
だからこそルースは立ち上がったわけですが、
その中で突出して「いい運」なのが、夫マーティンとの結婚生活ではないかと思う次第です。
このマーティンが妻の才能の一番の理解者で同じ夢を持つ一番の仲間なんですね。
つまり男女差別の意識が1950年時点でマーティンにはすでに全然なくて
お料理もルースより上手だから担当してて、育児もそらもう普通にやってて!
だから、そういう人もいるんだなーと。

実在ルースは連邦最高裁判事まで上り詰めた

最後のクレジットでご本人が出てきます。
ルースはこの裁判をきっかけに、性差別の法律を多数変えてきたそう。
そして女性で二人目の連邦最高裁判事になったそうです。

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監督はミミ・レダー。
ディープ・インパクト 」の監督さんなんですが、wiki見たら「ER緊急救命室」の監督もしてたんですね~。
で、主演のルースを演じるフェリシティ・ジョーンズは「博士と彼女のセオリー」出てましたね!
tsubatarou.hatenablog.com
エディ・レッドメインとの共演が多いからか、顔もうっすら似ている気がします。。
夫マーティン役のアーミー・ハマーは、「ホテル・ムンバイ」にも出てます。
tsubatarou.hatenablog.com

むらさきのスカートの女_じわるなあ今村夏子さん

2019 むらさきのスカートの女 今村夏子


最初、タイトル(と表紙絵)がずっと気になっていて、作者をよく確認せずに古本を買ったんですが
いざ読もうと思って「あ」と気づいたら今村夏子さんでした。

面白さがじわじわくるといえば今村夏子さん。
ということで気づけば3冊目です。

tsubatarou.hatenablog.com
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3冊目で確信したんですが、今村夏子さんの作品は
ストーリーや登場人物の「背景や全体像がみえない」という特色があるんですね。
あらすじは書かない方がいい作家作品の代表の一人です。
ネタばれすると絶対ダメ系。

一体どこに連れていかれるのか分からないまま徐々に「え!この人って」とか「そういうことかい!」とかとか
この読み進めながらじわる感じがたまらなく「おもろいやん~」となるのです。

なので、ざっくりと背景だけいうと、
「むらさきのスカートの女」という小学生の怪談話に出てきそうな人物を
執拗にウォッチするのが、主人公の「黄色いカーディガンの女」(自称)であります。
もうこれ以上は書けない。。。

とにかく、この表題の「むらさきのスカートの女」の語感、響きだけで
ちょっと陰気くさい、ちょっと「ユリゴコロ」に似た怪しさを想像はしそうになるんですが
今村夏子さんの作品って、そうじゃないんですね。ホラーとかミステリーじゃないのです。

なんていうか、髪や服装やいでたちで、その人にあるだろう生活状況などをすごく想像させるんですが
登場人物は底辺らへんの人で、基本的に「貧しい」んです。
その貧しさは、一寸先にこの人がどうなるか分からん…という危うさをまとわせながら、同時に「おかしみ」をはらんでいます。

フシギなもので貧困のやるせなさと同時に、生きることのおかしみみたいなものを感じさせるので
読んでいると妙な「心地良さ」が湧いてきて、最後には「おもろいなー」と独りごちてしまいます。

そして、この奇妙な登場人物たちは、貧しいながらも自分としては真っ当に生きようとはしていて
ちょっとした気苦労や社会とのズレ感にえらく共感しながら読み進めてしまうので、
「むらさきのスカートの女」よ!どうか!ハッピーでいてくれー!という凡庸な希望を込めるんですが、
結果「ん?これは…どうとらえればいいのだ?」という結末を迎えるので
それがまた面白いんです!

うーん。芥川龍之介太宰治夏目漱石を読んでいるような感覚に似ているかもしれません。
とかいって「蜘蛛の糸」「走れメロス」「心」とか教科書に載ってたのしか読んだことないけど(*'ω'*)
きっとそんな感じなのではないかと!

でもでも、上記の文豪たちより私は好きかも!
女性の視点への共感度が高いというか、寓話性やうんちくが一切なくて、
それなのに社会の底辺らへんの視点、生やした根っこから少しもぶれずに世の中を見つめるような巧みさ、鋭さは
これはもう才能なのかなとも思うし、夏子さんの文学や「書くこと」への愛情というか
分からないですが、こういう作品を書ける人というのは
ご自身がかなり面白い人なのではという気がしてきます。

物語としては大したことは起こりません。
それなのに、これだけ面白い。
じわる。
ほっこり優しい気持ちにもなる。

すばらしいなと思います(*´▽`*)

NHKあたりでドラマ化したら絶対みる~☆彡

「ガザの美容室」「ホテル・ムンバイ」_戦争や紛争と向き合う作品

2015 パレスチナ・フランス・カタール2019 オーストラリア・インド・アメリ

戦争にまつわる映画を2本、観ました。元気出ないけど大事なことを伝える作品をみるのも大事。
ネタばれあり。

ガザの美容室

パレスチナのガザにある、美容室が舞台です。
女性店長とアシスタント、お客さん、全部女性。
おそらく、美容室の日常のたわいない風景です。

とはいえこれは、どうみても日本の日常とは違うなあと。カルチャー的な面で。

だってお客さんがたくさん待っているのに、店員は夫と電話してんですよね。。

あと、お客さんも「早くしてよ」「まだ??」と歯に衣着せずに怒ってるんですけど、
店主の女性が一向に気にした感がなし。もうこの「一事が万事ゆっくり」が日常なのかな?
多少はデフォルメもあるんでしょうか…

会話は全体にとげがあって、みんないらついてるんです。
店長も店員も急がないし謝りもしない(*´ω`)
(でもちょっとコメディタッチ)
全然お客様が神様じゃない。
このフシギ。


で、そんななかで、停電が起き、遂には外で銃撃戦が始まります。
パレスチナのガザがいつも戦禍にあって、そのなかの「日常」は、やっぱり日本の「日常」とは違うんです。
で、みんなちょっとざわつくんですが、どうしようもないわけです。
なので、不安を抱えながらも、普通に営業を続け、普通にメイクをされて、普通に「早くしてよ」と待っているんですね。

途中で、お客さんの夫(たぶん)がスマホに「おいまだかよ」みたいな電話をかけてくるんですが、
「え?タバコ?そんなもの買って帰れるわけない」みたいな。
「食事は冷蔵庫にあるから食べといて」みたいな。

でも、外の銃撃戦が終わらなくて、女性陣も煮詰まってきて、取っ組み合いのけんかが始まったり、妊婦が産気づいたりして、美容室ももう大騒動に。

とにかくですね。
彼女たちの日常は、戦争や紛争とともにありながらも、結婚を控える花嫁がいて、妊婦がいて、医者にかかれないぜんそくのおばちゃんがいて(どうもイスラエルの方がいろいろ進んでるらしいけれどなかなか行けない)、はすっ葉な女子から、敬虔な女子、まあいろいろなんですね。
で、面白かったシーン。
はすっ葉な女子がヒマだから、「もし今店にいる私たちが政府だったら」と言い出します。
「あんたは電力大臣、あんたは社会問題相、あんたは対イスラエル問題相、あんたは厚生相」とか言っていくんです。
これね、女が国を仕切ったら戦争しない、戦争しているのは男なんだっていうことを浮き彫りにするシーンです。
パレスチナの複雑な情勢とイスラエルとの絡みとか、全然分からないんですが、
そういうことを、ガザの美容室に集う「やる気があるのかないのかまったりした美容室とイラつくお客たち」の夕方の姿を描くことで、語っているんだなというのは分かりました。

「ホテル・ムンバイ」

こちらは、2008年に実際に起こったインドの商業都市ムンバイでの同時多発テロをベースにした映画。
170人以上の多数の死者を出したテロだったそうで、そんなことがあったことも知りませんでした。
5つ星ホテルのタージマハル・パレス・ホテルでも30名以上の死者が出たそうで、その半数は「お客様をお守りせねば!」というホテルの従業員だったそうです。

こちらはホテルレストランのサービススタッフであるのっぽの主役アルジュン(デブ・パテル)がいい味を出しています。
でも、とにかくこっちはもう無差別に容赦なく撃たれて死んでいくので、ただただ怖いです。
このテロの背景も、やっぱりイスラムをベースにインド・パキスタンとの緊張やそこにいろいろ食い込む欧米との絡みなど
背景が複雑で難しいんですが、実際には首謀者がまだ捕まってないそうで。。
首謀者はつかまらず、ほぼ射殺された10名の実行犯は貧しい10代の若者だったりするのをきちんと描いていて、なんともやるせないです。

あと、従業員がホテルのことをすごく誇りに思っていて、本当に命がけでお客様を守ろうとするんですね。
シェフの「お客様は神様だ」という教えもあり。
でもって、映画では最後に「ホテルが復活したよ、よかったね」というところまで描いているんですが。
でもそれって、なんていうか・・・複雑ですよね。
ガザの美容室」ののほほん具合とは、いわば真逆といいますか。
「誇りを持って使命感として」みたいな部分は、少し男性チックな発想だなと、この2本の作品を連続で観て、ちょっと思いました。

でも、白人女性のお客に「パグリー(ターバン)が怖い」と言われたアルジュンが「とても大事なものなんですが、どうしてもというなら、はずします」と言ういいシーンもあります。白人の側のエゴを描いてますよね。

とにかくこの映画は、虐殺の容赦なさぶりが際立っているのでずっとビビって観てました。