「星の子」が良かったので、今村夏子さんのデビュー作という「こちらあみ子」を読みました。
かなり良かったです。
読後の余韻が続きます。
物語はあみ子の視点で読むんですが、このあみ子が最初はかわいいんですが、だんだんざらざらしてきます。
文庫の帯の「この感情のざらつきをずっと忘れたくない」って上手いこと言います。
ずっと忘れたくないというか、忘れられない、とか思い出す、が近いかもしれません。
こちらあみ子ほか、2つの短編も入っており、全部良いです。
部分部分では、あみ子の行動は、可愛らしい子供であり、懐かしさもあります。
だけど、世の中のあるべき形におさまれない。
解説で町田康さんは一風変わった女の子、と言い、穂村弘さんは異形の人と呼んでいます。
どちらも、なるほどという感じで、町田康さんの「外側」というのも得たり。
でも書道教室や道端の風景、お菓子など登場するディテールが懐かしく、身近で、既視感を感じさせます。
そして、まるで自分があみ子になった気分でいたら、あみ子はピーターパンのように中学生になっても同じで、だんだんその変わらないさまに、哀しみと愛しさの綱引きみたいな感情が生まれて、最後はおとぎの国に行ってしまった寂しさが残ります。
あみ子は、純粋であるが故に、自分が好きな誰かの心を重くする。
誰しもがどこかで自分のなかにあみ子を住まわしているけれど、あみ子だけでは生きていけないことを成長の過程で学んでいきます。
この「あみ子が実際いたらかなり周りは重かろう」という視点を決して見失わずに、それでいてあみ子にあみ子を徹底して辞めさせることなく、大人になったあみ子を登場させられるのは、この独特の文調だからできるというか、素晴らしいなと思いました。
また2番目の「ピクニック」も好きです。どちらかと言うと、あみ子より、読後感が優しいです。
最後の「チズさん」は短いですが、極め付け。
放課後に学童保育をサボってはお邪魔していたひいおばあちゃんをめちゃくちゃ思い出しました。
私が年寄りが好きなのは、やはりこのひいばあちゃんと過ごした日々ゆえなのは間違いなく、
切れ端ではあるけれども、今もなお、ひいばあちゃんの佇まい、歩き方、匂い、テレビの暴れん坊将軍、ジャスコのチーズパンなどなどが焼き付いています。
今村さんもおばあちゃんっ子だったんかな。
でもどれも胸にじわりと沁みる感覚は全体に違わなくて、そのどれもに共通する感覚として今の自分ではなく、幼い自分、子供の自分を彷彿とさせるようにわたしには感じられました。
優しくて、はかなくて、輪郭がぼんやりしていて、掴みどころがないような感じさえあり、同時におかしみも多少あって。
あみ子も七瀬さんもチズさんも、外側のままでいいから、時々会いに行きたい。
また読みたいと思いました。