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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

ホラーなのか、社会派なのか/ネタバレまくり

 

ゲット・アウト(字幕版)

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  • 発売日: 2018/01/19
  • メディア: Prime Video
 

観たかった映画をやっと見れた2 です。

 

怖かったです。

 

この映画はネタバレせずに見たほうが良いので、まだ観ていない方は読まないでください。

すぐ下に結末ネタバレ書いてるのて(´Д` )

 

 

 

 

 

最後、クリスが派手にやらかしつつも脱出出来て良かったです。←結末ネタバレ

 

この怖さは、感じたことある怖さです。

普通に見える人たちが実は狂っているという。

 

私は高校生の時に観た「カッコウの巣の上で」という1975年にアカデミー賞を5部門受賞した映画に似ているように思いました。

カッコウの〜は、マイベストムービーなのですが、なんでだろう。

あ、ロボトミーが出てくるところが似ているのかもしれません。

 

カッコーの巣の上で [Blu-ray]

カッコーの巣の上で [Blu-ray]

  • 発売日: 2010/10/06
  • メディア: Blu-ray
 

ちなみにプライムビデオで観れないです。

カッコウの巣の上で」はアカデミー獲ってるんですよ?

Amazonぜひ配信を。

 

ちなみに映画もこれが一番名作だと今も思っているし、ジャックニコルソンが群を抜いてマイベストアクターです。

次が田中邦衛さんと蟹江敬三氏。

我ながらなんか系統似てる…

 

若い頃の衝撃には、なかなか叶うものないですよ、ほんとに。

 

カッコウの巣の上で」はホラーではなくて、全面的に社会派映画です。

この「ゲットアウト」はホラーなんで、ホラーとしての楽しみ方ができます。

私自身はどちらかというと、ホラーとして面白かったです。

しかも、じわじわくる静かなホラー。スティーブンキングの「ミザリー」的なホラーですね。

 

ミザリー (字幕版)

ミザリー (字幕版)

  • 発売日: 2015/10/14
  • メディア: Prime Video
 

 

普通(だとイメージしがちな)の人が実は狂ってるやん、てやつです。

そこに、白人が黒人の肉体に憧れ、肉体を奪おうとするという設定があって、人種差別がテーマにもなっているんではないかということですが、監督の意図は全く知らないので、聞いてみたいです。

 

私自身は、個人的にはそれほどそこを主張したかった訳ではなくて、たとえば「カラーパープル」みたいな、もう本当に心がぐわんぐわん揺れる傷みを伴うテーマ性はなくて、皮肉程度には入っているんだろうなぁという印象でした。

 

カラーパープル(字幕版)

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  • 発売日: 2015/04/30
  • メディア: Prime Video
 

 

最近なら「それでも夜は明ける」とか。

 

それでも夜は明ける(字幕版)

それでも夜は明ける(字幕版)

  • 発売日: 2014/10/02
  • メディア: Prime Video
 

 

全部名作です。

 

そもそもこの映画は、人間の負の思考を巧みに利用してホラー化しているという視点に立ってみれば、最初から割と人種差別は関係ないと感じました。

ただ、

たとえば「彼女の実家に行く」という、たいていの彼氏が億劫に感じる小さなネガティブな思考に、「白人の彼女の実家に黒人の彼氏が行く」という人種を絡めることで、その億劫さをさらに、「なんか起きるだろな」という要らぬ胸のざわざわ感に拍車はかかったし、

主人公のクリスがやたら彼女に優しくていい奴ぽい雰囲気なのも、不穏な空気を感じさせます。

 

さらに、彼女の実家のパーティーで、クリスが白人に囲まれているなか黒人を見つけて安心する感じ、彼女の弟が酔っ払いでチャラそうな感じ、彼女のお父さんお母さんがインテリな感じ、クリスの友人が必要以上にうるさい感じ、そういうちょっとしたことも、私たちが日常的に、不安に思ったり、きっとこうだろうと決めてかかっていることの皮肉に思えてきました。

 

そう、この映画は多分人種云々以上に、私たちの日常にある固定観念や社会通念やバイアス(先入観)全てを皮肉っている、と受け止めるのは考えすぎでしょうか。

 

私が、あいたあ〜やられた〜と思うのは、誰かの差別や被差別じゃなく、自分に潜むバイアスや固定観念なんだと。

 

バイアスや固定観念が何を導き出すかというと…それがこの作品のホラーの下地にある

不安

なんだと思います。

 

不安と狂気は紙一重

私の中にもある不安、狂気。

 

そう考えると「カッコウの巣の上で」とは毛色やテーマは違うけどやっぱり社会派なんかも(*´∀`)♪

 

それはそれで良しとして、「カッコウの巣の上で」はズバリ管理社会へのアンチテーゼやとわたくしは解釈してますので、それもまたいつか書きたいと思います。

 

 

よそ者が世界を前進させる/ネタバレあり

 

スポットライト 世紀のスクープ (吹替版)

スポットライト 世紀のスクープ (吹替版)

  • 発売日: 2016/09/07
  • メディア: Prime Video
 

 

プライムビデオで吹き替え版を無料視聴しました。

観よう観ようとなかなかチャンスなく、やっと観ました。

面白かったです。

 

ボストンのメディアが、教会の神父による子供への性的虐待を暴くという2002年に実際にあったスクープをベースにした作品です。

 

ボストン・グローブという新聞社の4人だけで構成された特集記事担当ターム、スポットライトの軌跡です。

 

最初はいち神父の犯罪行為に過ぎなかった(それはそれで重罪だけど)問題が、探るうちに、多くの性的虐待カトリック教会そのものによる隠匿の事実が明るみになっていきます。

 

ボストンというコミュニティを盾に教会には逆らうなともとれる友人からの助言に

 

マイケルキートン

「有力者の圧力に屈しなければ、街中を敵に回すということか」

 

という切り返しにはしびれました(=´∀`)人(´∀`=)

 

不可侵だった世界に斬り込むには勇気と強い意志が必要ですが、やはりそこはジャーナリストだなとしびれると同時に、新聞記者のブラックな環境もしみじみ思うことであり。

 

後で調べたんですが、スポットライトの4人は、このスクープ報道でピューリッツァー賞を取っています。

 

この神父による小児性虐待事件は、そもそもマイアミから来た局長がスポットライトチームに持ちかけたのが発端です。

 

知らなかったですがボストンってニューヨークよりちょい上にあるアメリカの大都市なわけですが、なかなか保守的なんですね。強い地元愛と表裏一体に、外部から来た人間を「よそ者」という感覚で排他的に扱うのが全編通して描かれていて、自由の国アメリカにも限界があるんだなぁ、都会だろうと田舎だろうと、そもそも移民の国のアメリカだろうと排他的な面はあるのかもと驚きました。

 

ボストン調べたら、歴史が古い都市らしく、人口は約66万人。

東京の足立区くらいの人口です。

 

LGBT割合が高く、大学やIT系企業も多数あるみたいでなかなか進歩的なように思えるんですが〜

 

あと日本ではアメリカやヨーロッパみたいにキリスト教など宗教が生活に根付いている訳ではないので、その感覚もまた違うんかなと思いました。

 

ただまあ、どこでも保守的な面はあるんだろうし、外からの異物、異端が混ざることでレボリューションやイノベーションが起きるのも世の習いなので、多角的な視野が必要なメディアは特に

 

外からの目

 

というのがとても大事なことなんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんで当たり前ができないの?社会適合の外側に子育ての可能性はあるか ネタバレあり

 

推し、燃ゆ

推し、燃ゆ

 

 

芥川賞

21歳!

 

読みました〜。

すぐ読めます。直木賞か?と思ってしまうくらい、とにかくさらさら読めます。

 

すごく面白かったです。読む人の五感に響く生々しい文章にとても魅力を感じました。

 

肉を感じる て表現、すごいね。

 

 

アイドルの推し活が行き過ぎる主人公が身を滅ぼしていく姿が、私にはどーしても、いわゆる勉強ができない部類に属する受験生の娘と重なりました。

ほぼ同一化して読んで、やるせなくなりました。

 

「推し、燃ゆ」のあかりんが、いつも身体が重い、提出物のメモを書いても書いたことを忘れる、部屋にいつ買ったか分からないペットボトルが落ちているという場面が描かれていますが、我が子の場合も全く同じ!

とにかく楽しいこと優先で勉強をしない、授業をちゃんと聞かない、宿題忘れる、約束やぶる。

定期テストの結果がどれほど悪くても、家に帰ったら友達とゲラゲラ電話したり、マンガ読み耽ったりできる図太さもよく理解できません。

 

これまで、何度もケンカしてきました。いつも話し合っても状況は変わらず、親の育て方のせいかと自分を責めたりもしてきました。

もしかしてADHDなどなんらかのグレーゾーンなのかもとも疑って、今もまだ正直疑っているし、というか、半分そうなのだろうとも思っているというか、もう今は、たとえば心療内科などに行けば誰もが何らかの病名がつく時代なので、何かではあるんでしょう。

 

まさに主人公のあかりんのように。

 

でも一方で、本当にこの子は出来ない子なのかなぁとも思うんです。普段の彼女は短絡的で先を考えて行動できないところはあるけれど、基本的に気持ちが健やかで、すぐ楽しいことを見つけてきて、文句はいいつつ家事手伝いもしてくれて、時になるほどと唸るようなことを言ったりします。彼女は、私には、出来ない子には見えなかったりするんです。

 

あ、親バカですかね。。うーん。

 

でも、あかりんも、そうでないか?と。

 

むしろ今の日本の学校教育への違和感のほうが大きいです。「推し、燃ゆ」を読んで、さらにその思いが強まりました。

 

今回は「推し、燃ゆ」感想というよりも、小説からも感じた日本の教育について、それと親としてできることは何か、などなどを考察していきたいと思います。

 

ネタバレてますのでご注意を。

 

現代の中学生はなぜあんなにプリントにまみれているんだろう

 

推し活と、そのための居酒屋バイトしかやる気が出ないあかりんは、成績や出席日数を満たせず高校を退学します。あかりんは、親や先生から言われることも理解はしている。でもなんで他の当たり前のことが出来ないのか自分でも分からない、私だって聞きたいといいます。

 

うちの子は中学生で、義務教育ですから、そうそう退学にはなりません。

でも、同じ思いなのではと思います。

 

現代の中学生はプリントにまみれています。大量の配布プリントの整理を何度か手伝いましたが、だいたいが見にくいし読みにくいです。

 

整理番号がついていないから、プリントを順番にまとめるにも手間取り、下手すると理科なのか社会なのかも分からないこともありました。 

 

教科書だけじゃない副資料もやたら多く、一教科で3冊くらい。全教科でそれされたら、そりゃ混乱するよなぁ。カバンもいつもぱんぱんです。

 

この状況ではなかなかに、学校の勉強にはついていけないのではないかなと。てか、ついていけない子供を、プリントと宿題の管理でまずは振り落としたいのでしょうか。

 

整理整頓力はあるに越したことはありませんが、それは分かっていますが、ただ性格的な個人差があるのも事実です。そもそも私自身、整理整頓も自己管理もできない子でした。今も整理整頓は苦手です。

 

今って情報を与える側の「情報発信リテラシー」も進んでる時代です。デジタル化とユニバーサルデザインが当たり前になった時代です。誰もが理解しやすく、使いやすいことが良し!とされて久しいです。

 

いま、私の仕事であんなにたくさんの量のプリントを使っていたら、非効率すぎて逆に「仕事できない人」になります。ペーパーレス化ができていない非エコ、非サステナできっと批判も浴びます。

 

もしも山盛りプリントが"あえて"整理整頓能力を磨くための教育委員会の施策だとしても。じゃプリント管理できないうちは、学力もずっと身につかないという二重苦を背負うことになります。

 

さらにそのプリントに書かれている内容も、プリントの山の高さに比例して、ただひたすら覚えないといけないことが詰め込まれているだけのようにみえます。

いわゆる詰め込み教育だよねと。

 

中学校で学ぶ学習は基礎的なものです。

義務教育で関数が必要かとか、化学記号が必要かとか、そんなことを言いたいわけでなく、

知識や示唆を通して、世界をどう見るのか?どう行動するのか?が勉強じゃないのか。

 

学ぶことが未知なる世界や可能性をいかに広げるか、学ぶ事で始まる想像や創造がどれだけ自分を助けるか、大量のプリントで子供たちにきちんと伝わるのだろうか…と。

 

プリントの山の中から、大事なそれを見つけ出せない子は多いのではないか。

と感じます。

 

画一的な成績評価が子供の可能性を見捨ててない?

もうひとつ感じるのは評価の方法です。学校の成績は、進学に直結します。進学は、職業や将来の選択肢につながっていきます。

 

けれども、その評価基準が著しく画一的に感じます。

詰め込んだものを消化できる能力だけを評価しているように思えます。

生きていくために必要な力はそれだけではないはずで、たとえばコミュニケーション力。

議論する力。自己主張する力。

聞く力。話す力。他者との違いを理解する力。多様な世界とつながる力。

 

本来ならば、人間が生きる助けになるだろう大切な知恵や能力や経験が、画一的な評価基準のせいで無視されて、育めるはずの可能性や将来の選択肢を削ぎ落としてしまっている気がしてならないです。

 

周りから「何にもできない」と言われる主人公のあかりんや、うちの娘を擁護するわけではないけれど、彼女たちに本来ある、生きる力、彼女たち自身が育める力。認められるべき力。

 

それを一切合切スルーして、ダメな子と評価するしかないのが今の日本の教育ならば、というか、今の日本の現実なのです。

 

割と救いようがないです。

 

小説も現実も。

 

私自身、なんで勉強しないといけないのか分からず結果勉強しなかった人間です。そんな自分を悔やみ大人になっても引きずっています。

 

だからこそ今なお学校教育はなんら変わってないんだなぁという既視感にセンチメンタルになります。

 

でも今は親です。いち親としてできることはないか。

 

どれだけ意味があるかは未知だけど、これだけは!と以下の3つだけは気をつけたいと思っています。

 

今の日本の学校教育の評価で、私自身が子供を評価しない

だからといって、学校の勉強を無視しろとは絶対言っちゃダメです。それとは違います。知らないことを教わることは大事な機会だから。だから学校の勉強は大事だということはずっと言い続けていくつもりです。

そうではなくて、通知表と同じ評価はしないようにしたいってこと。

なんで努力しないんだとか、そんなんじゃ生きていけないとか、そーゆーことを言わない。実際言ったこともあるんですが(あるんかい)、まあ狙い通りに努力するわけもなく。ただただ反発になって返ってくるだけです。溝が深まるばかりです。だから、たまに言いたくなっても言わない!

 

分からないものに毎日向き合うって相当なストレスなはずなんで、本気で理解させたいなら親自体が時間を割いて一緒に勉強する必要があると思います。

でも現実かなり難しい。中学の勉強はもう私には解けないものもあり、方程式も文法も忘れました…

 

ただ、できない事実や間違えた事実を受け入れるのは大事なんで、そこからが始まりで間違えてなんぼなんだよとは話しています。間違えてエライ!と。

 

学びは本来楽しいものと伝える

学びは授業の中にも外にもあって、毎日の中で、知ること、考えること、間違えること、やり直すこと、あなたがやっているすべてが学びだと伝えること。

学ぶことって本当はもっと身近で、割と楽しいよと。プリントや机の上だけじゃないよと。勉強に対する苦手意識を払拭して欲しいんですが、これがなかなか難しいです。

ことあるごとに面白そうな本をおすすめしたり、興味深いニュースや出来事を話題にしたり、あの手この手でやってますが、なんかいい方法ないかなぁ。。

ちなみに「推し、燃ゆ」は学校で話題らしく、マンガ専門の娘が、この小説なら読みたいと言うので、買いました。私が先に読んだので、娘にはまた感想を聞きたいと思います。

 

子供の底力を信じる

学校の成績は悪いけど、頭の回転が早く、人と分け隔てなく接することができる娘のバイタリティを信じること。

てかむしろ楽しみなこと。それを彼女に伝えること。ディベート大会で劣勢から五分五分に持ちこんだ彼女の討論のスキルが全く成績に反映されないとしても、私は素晴らしい能力だと信じているし、自分でも自分を認めてあげてほしいです。

 

推しを鋭く考察するあかりんの文章力も、バイト先でどれだけ失敗してもへこたれない根性も、どこかで花開きますように。

 

 

 

 

 

 

 

男子がカッコいい90年代から2000年代の少女漫画界エース

娘が好きで。
というか、そもそも私自身が10代から読んでました。
いくえみ綾作品。

潔く柔く は読んだことなくて、初めて読みました
思った以上に良かったです。
切ないしやるせない…
そして、いくえみ作品はあれですね。

良い奴が最後幸せになりますね。
卑怯めなキャラはなかなか幸せになれないけど…

ちょっとすっとします( ̄▽ ̄)

ここがステキ!いくえみ作品

揺れ動く感情の機微を画(え)とコマで見せていくんめっちゃ上手い

潔く柔くを読んで、いくえみ綾は、気持ちを掘り下げてコマ運びで見せていくのめっちゃ上手いなぁ…(T ^ T)
って、改めて発見しました。

少年マンガはあまりこれが上手くないというか
タッチのあだち充さんとかは別格ですが
いくえみ作品の醍醐味はここだと私は思います。

しかも、こう少女マンガ界なのにキレイ事じゃないんです。どろっとした女子のヌメっとした嫉妬心や、劣等感みたいなん描くのバツグン。
息飲む泥沼感。
うわー女のヤなとこ見てもうたわぁ…というか、それはつまり自分のヤなとこ見てもうた、なのか…

一方で、特に男性キャラがそうなんですが、一瞬の前向きさや優しさをサラッと見せて、人柄を語らせるのも多いです。

悲しい環境にいる人間に悩ませて成長させる

いくえみ綾作品を読んでいる人はご存知でしょうが、とにかく、主人公や周辺の人は「何かを喪失してる」ことが多いです。

しかも、それが肉親や友人だったり結構大切なものを失っている場合が多くて、基本的にどの物語も「喪失」を前提に、残されてしまったけど生きていかねばならない人たちの生き様が丁寧に描き綴られていきます。

たとえば、「潔く柔く」は主役がコロコロ変わるんですが、でもその主人公たちはハルタという存在の喪失を軸にして繋がっています。喪失から物語は始まり、出会い、ぶつかり、拒絶しつつも、分かり合おうともがく若者たちの、まさに群像劇ちゅーか

それにね、結構私は励まされるといいますか。


出てくる男子が全方位的にカッコいい


いとしのニーナ 1 (バーズコミックスデラックス)

いとしのニーナ 1 (バーズコミックスデラックス)

いくえみ作品以上にカッコいい男子が登場するマンガ見たことない!

と言ったら、言い過ぎでしょうか。

好み?

まあ、とにかく一度読んで欲しいです
立ち読みでパラパラ見るだけでもいいです

出てくる主役級男性、ほぼカッコいいから。
(脇役が雑な扱いで絵柄だけで分かる笑)

で、どっちかというと、女性キャラより優しくて懐が深い男性が多いです

で、嘘くさくない!その辺にいそうな顔立ちといでたち

おしゃれ!

まあシンプルに絵が上手いんだと思います


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いくえみ綾は、昔の作品も今ぜんぜん違和感なく読めるので、ぜひ90年代から2000年代初頭作品、お楽しみいただければと思います

新しめ作品は映像化。びっくりしましたよ、いくえみ綾なんや!!と…昔と今は作風がやはり違います
てか今をよく知らない……

[asin:B08SQ83S1W:detail]

母はなんで暴走族マンガを読んでるんだろう

 

 

娘が「めっちゃおもろいねん」と熱く語るので、へー「新宿スワン」の作者なんや、新宿スワンは面白かったからじゃあ読んでみようかなあーっと読んでみました。

 

…まあ、「ろくでなしブルース」現代版?

 

 

ホットロードも思い出しました。 

名作。

 

 

しかし、PTA的には、中学生が単車乗り回して、ヘッドにタトゥー入れて、バイク屋でバイク盗もうとして友達のお兄さん殺しちゃうとか、いかがなものか?

 

今もまだこんな卍會とか愛美愛主と書いてメビウスとか、芭流覇羅(バルハラ)とか、名前つけるのでしょうか?

パラパラて走ってんでしょうか…

 

なんか夢の世界

 

まあでも、かつて自分も、ホットロードに憧れたり、ロンタイベイビーに憧れたり、スケバン刑事に憧れたり、ケンカが強い不良に憧れて、自分が強くなった気がしたり、したなぁ…

 

 

リアルではカツアゲするより、される側だったけど…されたこともないけど

 

2巻、ドラケンのセリフいいですね

 

頭を下げる知恵は持たなくていいから

人を思う心は持て

 

ってやつ(うろ覚え)

 

強くて、寛容で、オトナなキャラには憧れるもんです😊

 

もっとこういうシーン増やして欲しい!

そしたらぐっと読書層広がるはず\(^ω^)/

 

 

 



 

 

違和感いっぱい。NHKアニメ「銭天堂」を見て「私は飯炊きばばあじゃねー」と熱く語る母

NHKの銭天堂 という番組をたまたま、何気なく子供と見てました。

アニメです。

https://www6.nhk.or.jp/anime/program/detail.html?i=zenitendo

クッキングツリー ていう話で、以下ホームページから引用

 

幼(おさな)い兄弟の翔平(しょうへい)と北斗(ほくと)は、いつもお腹(なか)をすかせている。母親がごはんを作ってくれないからだ。そんな2人の家に銭天堂(ぜにてんどう)の紅子(べにこ)があらわれ、『クッキングツリー』という盆栽(ぼんさい)のような木を置(お)いていく。その木の実はいろいろな料理(りょうり)の味がして、お腹がいっぱいになる2人。ところが、母親に『クッキングツリー』を取り上げられて……。

 

なわけなんですが。

 

最後、「ご飯作らないお母さん、悪いお母さんだった。良いお母さんになるね。」

とお母さんがクッキングツリーに悪い心を食べられて、立派な朝ごはん用意して、めでたしめでたしってオチなんです。

 

いや、かなり違和感あり。

ありすぎて、一緒に見ていた息子に「お母さんは飯炊きばばあちゃうでー!」ってつい熱く語ってしまいました。

 

これ誰向けの番組なんか。子供向けだとしても、親向けだとしても、偏見とかなり前時代的な認識が感じられます。

大人はまだしも、子供には絶対見せないで欲しいです。

 

 

ここがおかしい銭天堂

 

①お母さんは飯炊きばばあじゃない

ストーリー設定の部分。お母さんがご飯を作ってくれないから子供たち腹減るってのは、外出自粛のコロナ禍だから?

 

作らなくても売ってるし、スーパーの売れ残りお惣菜やウーバーイーツ頼んじゃだめなん?

(ウーバーイーツは高くて手が出ないけど、まあ他力を頼るってこと)

 

助けにきた紅子ばあさんだって作ってなくて、ただ魔法でハンバーグやらグラタンやらエビフライやら出しただけじゃん。お母さん、もっとできませんて。

 

魔法が、今後の子供たち2人の空腹のなんの解決にもなっていません。

 

私が紅子ならば、子供たちに料理教えます。買い物行ってモノの買い方、値段から教えて、ご飯の炊き方と、火を使わず料理作ったり、少ない材料やあり合わせの材料で料理する、生きる手段を教えます。

 

子供たちが生き抜くことが物語の主題ならば。

 

 

固定観念が生む理想は残酷

そんでね、ハンバーグはまだしも、グラタンやエビフライってそんな簡単ではないんです。

まあまあなハードル高めのスキルと時間いるんすよ。一般的にはどっちかゆーと特別な記念日の料理ですよ。

 

まあ確かに美味しいわけですが、魔法で子供に食べさせて夢みさせて、なんか意味あんの?

 

それをお母さんに日常的に作れってか?

はい、ごめんなさい。私は無理です。

コープの冷食に依存しないと、家事と仕事の両立はできません。

血反吐吐きながら頑張れば、できるかもしれません。でも「毎日エビフライ」に血反吐吐くお母さんより、スーパーの惣菜や冷食使ったりして、楽しく生きているお母さんでいたいです。

子供にとっても。

プロデューサーさん、エビの値段も知ってんのかな…あのレベルのご飯毎日出したら、まあまあなエンゲル係数なりますよ。カネモですよ。

 

これ見てるお子さんたちの中には、シングル家庭で超絶忙しいお母さん、お父さんの家庭の子もいるかもしれない。

子供食堂に頼っている家庭もあるかもしれない。

 

そんな現実があって、その現実を生きる人たちにこれ見せて何を思わせたいのか。

 

子供に間違った夢を刷り込まないで欲しいです。

 

 

③お母さんが「悪い」から、子供たちは空腹なのか

そのオチはないでしょう。。

もしこのオチがまかり通るなら、世の中悲しすぎる。

お母さんに背負わせすぎです。

この家のお父さんは?

お母さんの仕事は?

収入は?

家賃は?

生活保護は?

国や自治体の支援は?

周りの理解者は?

 

それら全部、何ひとつ触れず、全部お母さんがただ悪いという結論にして、「悪いお母さん」に全部おっかぶせて、

それ見て、私は何を思えばいいんでしょう。

ほんで、めでたしめでたしって何が解決したんですか??

お母さんの本心は?仕事は?ワンオペは?

なんも解決してないです。

こんなんイヤです。

バカみたい。

 

悲しすぎます。

救いがないです。

萎え萎えです。

 

唯一、差し入れ持って行って助けようとするご近所の女子は真っ当だとは思います。救いは紅子じゃなく、そっちでしょ。そこには可能性感じます。

 

久しぶりにメディアにムカつきました。しかも子供向けアニメ笑

 

世の中にはいろんな考え方や価値観があります。

自分の家庭や育ってきた環境や知る機会もそれぞれです。

たまたま見てびっくりしたけど、この番組に批判が殺到しますように。

もうなんか、1週間くらいはブルーでウツウツ過ごしそう…(;ω;)

 

 

 

 

 

 

孤独だから、リリカルに生きたい。萩尾望都「ポーの一族」

 

 

巨匠と呼ばれ、名作と呼ばれ。

でも「鬼滅の刃」読む今の若者が、「ポーの一族」を喜んで読むか?

って言ったら正直読まないと思います。

ええ。

 

じゃ、BLの元祖として腐女子が読むかって言ったらやっぱり読まないと思います。

そもそもBLじゃねーしな。

 

だけども私は「ポーの一族」を若い人に読んで欲しいです。

 

何故か?

 

ポーの一族」には、若さの残酷さとか悲しみとか孤独とか、全部あるから。

 

そして、「東京喰種トーキョーグール」で、グールが人間を喰らう以外にコーヒーだけは飲めるという話の50年近くも前に、

すでに萩尾望都師匠は、「ポーの一族」でバンパネラは、血を吸う以外にバラのエキスのお茶だけは飲めるということをやっているからです。

 

 

ダークファンタジーが隆盛する今という時代に先駆けて50年。

 

約束のネバーランド」「呪術廻戦」「進撃の巨人」「寄生獣」etc。微妙にファンタジーのメインストリームからはそれているものがあるとしても、ひとつの大きな系統として、より発展していっているように思います。

 

たとえば宮沢賢治の「注文の多い料理店」が、ダークファンタジーに分類されるかは分かりませんが、常識的な固定観念とは全く異なる視点から、人間という存在を切り崩して、生物としての傲慢さを残酷なユーモアで描く重苦しさは、何か根底に共通の価値観がある気がします。

 

まあ「ウォーキングデッド」だって、そーなんです。

 

ポーの一族」はそういったダークファンタジー的に人間の悲しさを残酷に見せつける系統になぞらえば、すごく正統派なんではないかと思います。

 

19世紀のヨーロッパ的耽美な世界がまぶされて、よりファンタジックであり、詩的であり。

 

ということは。

あなたが知らずに楽しんでいる漫画やアニメの元祖なんですよ、と。

 

昔の作品に、今のブームの源流的な要素が透けてみえる現象は、別に知らないままでもいいと思います。

 

私のこじつけなのかもしれませんし。

 

だけども、もし。私が1970年代に高校生だったりしたら、「ポーの一族」をどう読んだだろうか。

 

昔も今も、若者のまなざしは、さほど違ってないんじゃないかなーー

 

なんて。

そらテクノロジーや表現手法は圧倒的に進化してるんですが。

 

本質的には若者は、息苦しさの中で孤独にもがいているんだと、やっぱり私は思います。

 

だからこそ日常の中に、リリカルな時間を持つことが救いになる。

 

そして46歳だってリリカルに救われています(=´∀`)人(´∀`=)

 

 

 

 

 ↓これもまたポーの一族とは違ってすごい作品。まあまあ重いので、落ち込んでいないときに読んだ方がよいです(;^_^A

残酷な神が支配する(1) (小学館文庫)

残酷な神が支配する(1) (小学館文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカをマーケットにしちゃった!BTS「DYNAMITE」を3日で20回YouTubeガン見


Dynamite

Dynamite

 

Dynamite

Dynamite

初めて聴いたのがいつかは忘れましたが

多分昨年の末あたりか?

なんかでかかっていたのを、子供がBTSだよと教えてくれて。

 

衝撃を受けました。

そして忘れられず

YouTubeで3日、見続けました。

ダンスキレキレだし、英語歌詞も上手いし、懐かしい80年代チックな世界観もおしゃれだし、楽しそうだし、明るくてポップで、でも少しファンクで色気あって、きちんとスタイリッシュで!現代的に洗練もされていて。

最高じゃないか!

なんなんだ!

BTSって、すごくない?

どこ向かってるん??

 

という衝撃が三日三晩やまず。

 

3日目にして、誰が誰やらの見分けもついてきました。

 

 

オマージュだとは思うのですが、ダンスのデジャブ感…これマイケルジャクソンじゃないですか?

ってマイケルのbeat it を見たら

まんまやんかー。

 

 

で、曲はちょっとファンクで、ブルーノマーズぽくないですか?

私はブルーノマーズのアルバム3枚持ってます。自慢∧( 'Θ' )∧

24K Magic

24K Magic

Just the Way You Are

Just the Way You Are

Locked Out of Heaven

Locked Out of Heaven

 

 

いいよねぇブルーノ(о´∀`о)すでに私はブルーノマーズの時点で、懐かしいような、ジェームズブラウンなような、ファンクで、カラッと色気あってキャッチーな曲に衝撃受けていましたんです。

 

ここにきて、さらにそのブルーノへのオマージュ的なものがKPOP界No. 1のBTSから発信されるという。

でね、BTSのすごいのは、ダンスも歌も、さらに英語も!めっちゃ上手いんですよ。

シロート目ではありますが、惚れ惚れします。

 

歌だけ聞いてたら、アメリカ生まれの人か思うくらい。違和感ない!

…まあシロート耳の独断ですが、ビルボードNo. 1とってんだから、あながち間違ってないかなと。

 

でね、BTSの他の曲も、聴きました。

かっこええがな(●´ω`●)

 

IDOL

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はすでに世界狙ってる感じあります。

ジョナスブルーにも似てるような。

トロピカルハウスちゅーんですか。

言葉の意味はよく分からんが、いつも美味しそうに思います。

 

思うんです。

 

日本に寄り道せず、最初からアメリカ視野にいれたら、良かったんちゃうのかなと。 

だって結局、例えば私ら日本の40代以上にとって、マイケルジャクソンは、洋楽の、ダンスミュージックの元祖なのだし、その誰もが納得するアメリカを代表するダンスできるミュージシャンへのオマージュという戦略で、アメリカでも日本でもファンの年齢の幅を広げることに成功してるわけです。なんなら、ヨーロッパや他の地域でも。

 

韓国のすごさは、アカデミー賞受賞した「パラサイト」しかり、きちんと戦略を持って、アメリカをマーケットにしたこと、そのものにあると思います。

 

じゃ日本はなぜ韓国のように、それをやらないのか?やったけど上手くいってないのか?は、知りませんが。

日本にも世界的なすごい人がいるけど、戦略じゃないよね。個人レベルのすごい人だよね。あ、でもアニメは巨大市場持ってますね。

 

BTSの「DYNAMITE」はストリーミング配信からTwitterなどで拡散されて世界的ヒットへ上りつめたわけで。

でた!Twitter…恐るべしTwitter…( ;´Д`)

 

アメリカをマーケットにすると、世界がマーケットになるんだなぁ…ってしみじみ思います。

 

トランプさんは自分が大統領じゃないと、アメリカが弱くなってしまうと考えていらっしゃるのかもしれないですが

 

アメリカってやっぱり強い国ですよ。

 

カルチャーが。

 

武力で強くなくたって、カルチャーが強ければ、滅ばないし、栄えます。

 

それを大事にできるかです。

 

ちなみに私はもともと大学で韓国語を専攻して、韓国に行ったこともあるんですが、それゆえにブームの韓国カルチャーにはまるまい、はまるまい、底なし沼に落ちるまい…と生きてきましたが、そーゆー

韓国だとか日本だとかアメリカだとか、音楽も映画も食文化もあらゆるものが国境を飛び越え出している今。

 

どこの誰が何を好きでも、やってもいいじゃん、こだわる意味あんの?的に、国や人種の枠組を飲み込んじゃってる今。

 

矛盾している感じだけど、その先鋒を切る韓国カルチャーはやっぱりすごいと思う次第です。

 

 

 

 

 

 

 

意識高い人と意識高い系は、全然ベツモノだった話

いやー、ほんとに。

 

今日は、

意識高い自分は隠すモノ

絶対人に見せちゃダメ

 

っていう20代からの格言をいただき、すごい目が覚めたって話を書こうと思います。

 

ええ。

 

分かります。

 

意識高い系って引かれるもんね。

そう思われたくないもんね。

 

自分でも、ガシガシ来られたら、引くときあります。

 

まあでも、あんまりガシガシくる人、いません。

 

意識高い系ってそもそもなんなんだと疑問に思い、

 

意識高い系 - Wikipediaをググッと見たならば

 

厳密には というか、そもそも

意識高い人と意識高い系は別ものだそう。

 

意識高い人は意識の高さを実践につなぐことができる人で

意識高い系は、ポーズの人

とされているようです。

 

意識高い系って実際に意識高いんじゃなく、意識高い人がやるようなライフスタイルを真似ている感じ?承認欲求が強くて空回りしている人らしいです。

 

勘違いしてました。そこの区別ついてなかったデス。

しかし、辛辣ですね。

 

読書しても自分の人生にイノベーション起こせてない私のことやん。

 

でも

 

要は行動したらいいんであれば、例えば読書だってスタバでMacBookだって(意識高い系にはそういうひとつの行動例があるらしい)、行動だし、何にも始めない人より、一歩踏み出しているわけで。

 

何をそんなに批判する必要があるんだろう?

 

と、遠い星の出来事のように感じるのは、私がすれっからしのBBAだからかもしれません。

 

Wikipediaによれば「意識高い系」は、特に2008年くらいにTwitterやらSNS使う学生さんから生まれているみたいで、ってことはいま30ちょいくらいの世代か。

 

Twitterの発言に、意識高い系が滲むらしいです。

 

私が目が覚める思いだったのは、自分が意識高い系やんってことではなくて、20代と話すことで今の若者がSNSのど真ん中にいる実感を持ったからです。

 

私なんかは未だにTwitterの良さが分からなくて。使い方も分かったような分からないような。

短い言葉に個人がつぶやくことの魅力というか。

知らない人が、だよねー、って返信したり、ん?返信?合ってます?

リツイートの意味と役割は教えてもらって覚えました。

まだインスタは分かるんです。

Twitterがな…いかんとも…

 

どうしても、何かワザを仕込まねばと苦悩してしまうというか。

五七五で行くべき?韻を踏むべき?とか。

よく考えたら、個人的になんも外向きにつぶやきたいことないよな…とか。

 

言葉の練り思案や、発する意味思案みたいな底なし沼にハマって、あっぷあっぷするだけで、結局何にも発信できない

というのが実情でしょうか。

 

そんなだから、一歩引いてみちゃうんでしょう。

 

でも確実に若者にとって一つのリアルな世界がそこにあるんだなぁと。

 

発信したいものがあって、Twitterをその手段として見たときに、すごく威力があるのは、うすらぼんやりは感じます。

 

私も曲がりなりにも広告の世界にケツ半分腰掛けているので、マーケットの香りはプンプンします。

 

どう見られるか?どう承認されるか?

に悩むのは、自分を売り込むためであるなら、意味もあるかもと。

 

でも私ならプライベートでそれしたくないなぁ。

 

やるとしてもきっと飾るだろなあ。でもどこに向けても二面性は持ってたいなあ。10面くらい持ってたいです。

 

そんで自由に生きたいなあ。

 

ああ、自由に生きたい。

 

は!これが…つぶやきなるもの?

 

 

*じゃブログは、なんでやってんだろう?

と考えたんですが、読書が好きな私にとってブログはライトエッセイみたいな感じで、読み物感覚で身近なんかなと。あとやり方が分かりやすいのと、誰かとやりとりを前提としなくていいことと、頭の整理と記録ができて、書く欲求も満たされるから?かなー

 

 

 

 

 

 

「逃げ恥スペシャル」が新しい!結婚、出産の問題の核心を突く

お知らせ|TBSテレビ:火曜ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』

 

もう若い人はテレビドラマを見ないんですって。

うちの中学生も小学生も確かに見ない…かというと、たまには見てます。

親のアレですね。趣味の影響。

感想をやいやいゆーのが楽しいですもんね。

 

「逃げ恥」スペシャルも視聴率良かったそう。

 

意外です。

 

だって、新しすぎます。

意識高すぎです。

 

私は好きですよ。そら。

やれ鬼滅はジェンダーレスや、やれ子育ては社会でするもんや、ウォーキングデッドの多様性すごいとかそんなことばっかり、ぶつぶつ考えてひっそり書いてるんで。

 

結婚も出産も子育てもドラマで描かれていた問題は、ほぼリアルに自分がぶち当たってきたカベだし。そしてリアルにはあんな風に、新しい夫婦のあり方、子育ての解決策を何一つ成し遂げれなかった前時代人間だし(T-T)

 

そんなもんだから、日本でアレ(逃げ恥)が受けるにはまだ5年は早いくらいに思ってました。

 

夫婦別姓に、男性育休に、同性婚とシングルの補償のなさに。

 

…つまりは、ガッキーと星野源ちゃん

 

つまりはメジャーに乗っかれた

 

という。石田百合子さんやら。

 

アメリカでは、レディガガさまやマドンナさまだけでなく、テイラースウィフトやアリアナグランデとか若い人も意識高めぽいですよね。

 

それを権力では止められない。

 

あれに憧れてました。

 

もちろんアメリカだって問題山積みだろうけど、

 

モノを言う=かっこいい

 

図式があって

 

私は、大坂なおみちゃんが、夫婦問題とは違う人種問題だけども、マスクでアピールしてるのとか、かっこよくて、賢くて、勇気と人間への敬意が詰まっていて、リスペクトしてるんですが

 

一方で、日本的な、というか、やりすぎだの、持ち込むなっていう批判記事も見たことがあって

 

ほんまに悲しいな としんみり思うんですが

 

日本は大坂なおみちゃんスタイルよりガッキースタイルなんでしょうかね

 

制作サイドはそれ分かってて。

 

今はまだ、婉曲さをとっぱらって、ストレートにテーマをぶち込めただけで、御の字なんかも。

 

もしかしたらSATCみたいなドラマが、日本でも作れるのかも?

 

韓国やタイに負けずに。

 

ということで、逃げ恥新春スペシャル はとにかく新しかった!

 

リアルになんもイノベーションを起こせてない自分がどんどん「古い人」になっていきます。

 

それがこんなに嬉しいことだとは、老いも捨てたもんじゃありません(о´∀`о)