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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

仕事選びのアートとサイエンス_chat GPTの向こう側へ

 

 

2019 仕事選びのアートとサイエンス

不確実な時代の転職探し 改訂「天職は寝て待て」山口周 光文社新書

 

山口さんが自分の転職から得た経験と知見から思索した、不確実な時代の枠組で考える転職の心構えと取り組む姿勢ですね。

アート、サイエンスは、要は心と行動てことだと思います。

 

履歴書の書き方だとか、面接の話し方だとか、そういうのより、まず大事なのは、まさにこれだなと思いました。

 

というのも、私の会社の部署異動の話をきっかけに転職サイトに登録したりして、にわかに転職活動の真似事をしてるんですが、正直。

全然やりたいと思えるものが見つからないです。

実際面接までは行って結果、不採用でしたが、でもそんなにがっかりもしてないし、むしろどこかほっとしてたりして。そんなで受かるわけなくない?とも思います。

 

ああ。やりたいことがない。

 

その理由はいろいろあると思うんですが、いちばんには、私がそこで働く姿や仕事してるイメージがわかない、あと、どうしても待遇を気にしちゃう、ってことかなぁと、うすらぼんやり考えています。

 

で、こちらを読み、転職って求人サイトとかエージェントに登録する以前に、もう始まっているというか、人生そのものやん、と。

 

転職は求人サイトの登録ではない。

どう生きたいのか、まず考える。

その上で、その生き方に見合った仕事を探す、という前提やなと。

 

でその方法も書いてくださっていて、生き方に見合った仕事に出会えるための「偶然」を作れる思考と行動を日頃からとっておきましょうと。

 

なるほどなぁ。

 

いわゆるチャンス?ご縁?

「偶然」に出会うには、こんなんできたらなあという憧れではなく、ずっとやってても楽しい、苦痛じゃないと思える好きを知る。

そして、今の仕事と丁寧に向き合うこと、英語勉強したり、本読んだり、ブレない自分の行動で信頼を得ていくこと、などなどにより、計画していくんだそう。

 

私もいま、まさにそれに気づいたタイミング。

求人サイトに登録しまくって、求人見まくって、あれれ?なんも食指が動かないぞとなって。

だからこの本を読んでるし、英検の勉強全く手についてないことをはたと思い出しました。

 

英語はまあ、「不確実な時代」の備えとしてTOEIC730レベルには、勉強した方がいいとの助言ですので、絶対でもないでしょうが、英語いるなぁという危機感は間違いでもなさそう。

レベルが低すぎ段階だけど。

 

そして、私の図らずも転職の活動として見合う行動と言えば、目の前の仕事を丁寧にしてきたつもりです。が、その結果、部署異動という。

でもこれも、山口さんいわくの結局「不確実な時代」ゆえなのも理解。

だって部署編成が変わる大きな理由の一つが会社がAIの導入を進めているからです。

 

私は、正直、去年アメリカで脚本家たちがデモしてる報道見ていても、あーそうなるよなー、もうそういう時代来ちゃったなぁ〜と感じてはいたし、潜在的にはもっと前から実際の仕事で、ChatGPT ではなくても(そんな存在はまだ知らなかった)、こういう量産型の原稿作りは、テンプレを作って型通りに作った方が効率がいいし、人間ができることは、企画とか仕組み作りとか、アイデアの大元作り、などじゃないのかとは思っていました。ライターでいうならその人にしか書けないこと、今までにないもの、発想の転換力や融合が必要だなとはうすら感じてはきたんです。AIが侵し得ないリアルな生身の空間で。

 

ただ、実際にこうやって、部署異動や転職活動の真似事をやっていて、そしてこの本を読んで、あいや、もはやそういう領域でも、足りないかもしれないと感じます。書くという仕事、ライターに縛られることすら、もうやってはいけないんじゃないかと。

じゃあライターやってて、文字を書くじゃない活かせるスキルって何?というのが問われている。

 

まあそーゆーことかもと。

もしかしたら、全然違う仕事なのかもしれないなあ…なんてことも可能性としてはあり得るなぁと。

はい。

 

出版印刷に関わるメディア業界は、かつて写植という仕事が絶滅しています。

イノベーションが起これば時代が変わり、価値が変わり、生活が変わり、仕事が変わる。

そんなことはもう昔っから繰り返されてきています。

 

それが悲しいとか悔しいとかは全く思わないけど、じゃあ何ができる、何を生み出せるんだと言われたら、はて?となるので、さらにさらに、熟考と日々の暮らしの不思議を探していかねばならんと感じています。

あと、憧れでない「好き」と。