ゴールデンウィークの5日間は、何にもしなかった5日間でした。
出かけた感はゴミ出しとスーパーだけ。子供たちは友達と遊んでいましたが、高校生はダンスしたり、たこパしたり、小学生は鬼ごっこしたり、デュエマしたりしたそう。
そして私はぼんやり、撮りだめみたり、スマホゲームしたり。雨もあり。
一瞬、子供たちが自立したらもっと、こんなぽっかり穴が空いたような寂しいような虚しいような気分になるのかなぁなんて考えに、涙が出そうになりました。
昔、大学生のころ、予定がないのがイヤで、必死に予定を入れていた時期がありました。
それに疲れて虚しくなって、今度は誰とも会わないようにしたりもしました。
夏休み、バイトにも行かず、電話にも出ず、一人暮らししていた片田舎の住宅街を、ひたすらあてもなく自転車でフラフラ走り回っていました。
コロナでもないのに。
そしてある日、それも虚しくなって、やめました。周りにもうっすら「あいつ大丈夫か」と心配をかけたみたいです。
一体私は何がしたかったんだろう。
と今も思うんですが、一方で、その片田舎を自転車で走っていた夏の風景をやたら覚えているのです。だからって、それが人生の何かの教訓になったわけでもなく。甘酸っぱい思い出な訳でもなく。
せめて隣の県に踏み込んだり、もう少し遠出すれば、なんかの格好はついたような気もしますが、市内を一切出ず。
強いて言えば、
人生、そんなもんかな
と身に染みた時間でしょうか。
このゴールデンウィークも、あの時の既視感を感じながら、うすらぼんやり過ごしていたら、いつの間にか終わってしまいました。
あの頃と違うのは、モンゴルの大草原みたいにやたらと広大でどっち向かえばいいか分からず、漠然と期待と不安を感じた未来が、今はもう、都心の借家の小庭くらいに収まっていることでしょうか。
そして私は結局、子供たちが成人したら、やっぱり自転車であてもなく出かけているような予感がします。
ママチャリで。一人で。
…自転車って何歳まで乗れるんでしょうか。
なんやかや好きな乗り物です。
あ、じゃあその時のために、人混みのなかで急ブレーキかけないおばちゃんになっておこう。
この先20年くらいは、自転車に乗れるくらいには健康でありますように。