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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

「ルポ 虐待」「児童虐待を考える」考察②母性は、ぜんぜん絶対じゃない

ルポ 虐待  2013

ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)



児童虐待から考える 2017

児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか (朝日新書)

 

2冊の本の中で、杉山春さんは、ネグレクトのような病理的な虐待行為を生み出してしまう原因の一つとして、社会規範に関して言及しています。

 

それは「母親が子供を育てるべき」という社会規範です。

杉山春さんは取材の中で、2010年の大阪の二児置き去り事件の2児の父親や父方の祖父母、また母方の祖父、さらに被告である母親本人にも、この社会規範が強くあったことに気づきます。子育てのために最低限必要な、経済力や生き抜く力、環境は全て素通りされてしまうくらいに。その社会規範だけで、浮気をした22歳の母親を罰するような形で、孤育てへと追い込んで行った面があるのではないか、と。そして結果的に、そのことが2人の子供を死なせてしまった要因となったのではないか、と。

 

読んでいてやるせなかったのが、事件後の裁判で、二児の父親と祖父母が被告である母親の極刑を望むような発言をしていたことです。

マジか…と。。

……

 

 

子育ては母親の役割であるべきで、他の何より優先されるべき母親の仕事である、という暗黙のルール。さらに女性にはその特性が備わっているし、得てして子供とその世話が好きであるという、母性の神聖化というか絶対視。

 

そういう価値観がないと、なかなかその発想にはならないように思えました。

 

正直言って、私の周りにもめっちゃあふれています。

ほんとに溢れすぎてて、そう思えない自分の方がおかしいのかな?と自信が持てなくなる時も多々あります。

 

たとえば、ママーママーと寄ってくる子供や、母親が抱っこしないと泣きやまない子供をみて、やっぱりお母さんが好きだよねえ、というセリフは耳タコです。ほか、子供にはお母さんがそばにいないと、こんなに小さいうちから保育所いれるのはかわいそう系のエトセトラ。

映画やドラマにも母親が身を削って子供の命を守る寓話的なものもよくあります。

あと、2人とも仕事を持っているのに、仕事の話は男性と、子育てや家事の話は女性とだけする親戚の集まりの空気とか。あ、宴会の準備や片付けに動いているのは女性だけなのも、うちの親戚だけなのでしょうか。

 

そもそも、子育てってなんなのでしょうか。

資格がいるわけでもなく、学校で教わる訳でもなく、人は9ヶ月の妊娠期間のあと、出産したら親になります。お母さんにもお父さんにも皆に、子育ての魔法や天性が備わってるわけはなく、個人的なスピードの違いや向き不向きはあるとしても、子育てのだいたいのことは経験を通して身につけていくものです。実践です。

 

で、なぜママーママーと子供が寄ってくるかというと、毎日ご飯を与えてくれる人だからです。だから子供はお菓子やおもちゃをくれるおばあちゃんも大好きです。

お母さんが抱っこしたら泣き止むのは、毎日泣き止むまで必死で抱っこし続けたからです。またはお腹が空いていておっぱいが欲しいから。

お母さんが苦労して命がけで子供を救うのは、他に助けてくれる人がいないからです。

 

仕事も趣味も夢も。お母さんにも子育て以外に夢中になることがあるのは普通のこと。子供を育てながら、夢や目標を持つことを、誰だって望んでいいし、男女隔てなく、子育ても子育て以外の話もできる関係性の方が、てか性別関係なく話せる内容が多い方が心地よいという感覚を、私はやっぱり捨てられません。

 

そもそも、お父さんだって、おじいちゃんだって、赤の他人だって、子供と毎日ご飯を一緒に食べて、一緒に寝て、笑ったり泣いたり、いろんな経験をともにすれば、同じです。

子育ては実践を通して学びさえすれば、お母さんじゃなくたって、ぜんぜんいいわけです。

子供としっかり愛着感情を持ちあえます。

私が我が子に感じる愛おしさのような感覚は、生物学的に母親だからというよりは、距離の近さと互いの成長の歴史の中に小さな種として埋め込まれてきた気がするのです。

子供がすごいのは、そういった愛着をすーっと身に付けられるところであって、お母さんにしかできないことなんて、本当になんもないんです。それがいいとか悪いとか以前に。

 

杉山春さんは、実はこの社会規範は戦後の高度経済成長とともにもたらされたと語ります。

 

それまでは、子育ては大家族やご近所さんが一緒になって行なってきていて、また現代ほど密着して、時間をかけて、ではなかったそうです。

 

核家族化がすすみ、父親はサラリーマン化し、母親は主婦になる。そんな昭和後期のステレオタイプなファミリースタイルが家族を維持するための営みを役割分担制に変え、そのなかで子育ては母親だけの重要な役割になっていきました。

 

このステレオタイプの役割分担は、子育てを画一化すると同時に子育ての孤立化を生みました。

 

子育てはどんどん家庭のなかに押し込められ、母親の役割として、社会から分断されていきます。

 

そんななか、経済成長は陰りを見せ始め、お父さんの稼ぎだけでは、家族を維持できない、役割を分担している場合じゃない時代がやってきました。離婚率もグンと上がりました。

 

だけれども、一度根付いた社会規範はなかなか変わりません。その価値観だけは社会にどんと太く根をはり、現実とのひずみをもたらします。

 

そんな状況が久しく続く今。そろそろ稼ぐのも子育ても、家族や社会がシェアしていくという価値観が定着してもいいはずです。

 

今は、日々の食事に困るくらいの貧困が社会問題になっています。もはや夫婦2人で働けど楽にならないほどに経済は弱っています。ましてやシングル親の厳しさたるや。

 

治らない傷口に滲む血のように、社会の痛みと比例して、虐待事件は起こり続けます。子供が死んでいく社会なんて、誰も望んでいません。だけど、お母さんやお父さんだけに責任を負わせ厳罰化しても、傷口は塞がらない。

 

ならばまず出来ることは、お母さんに無理な役割を背負わせないことです。家族が。社会が。

子育てをみんなで分かち合うことです。

 

個人レベルでは、おかしいと思うことは、社会規範に縛られず、おかしいということ。

社会規範に縛られず、生き方を自分で選択していくこと。

子育てを自分ひとりで抱えないこと。行政や社会のサポートをがめつく利用すること。

何より、話すこと、伝えること、聞くこと、知ること。それらを通して考えるのをやめないこと。

 

すぐには変わらない。

でも今リアルに子育てに関わる自分が、社会規範に縛られずに自分の生き方を見つめて、少しずつ考えや行動として、積み重ねていく。それが未来の誰かの子育てを、変えていくことになると思うのです。