子育て 仕事 両立 ワーママ アラフォー 映画 本 読書 感想 フリーランス 起業 正社員 40代 生き方 プライムビデオ 

子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

「ルポ虐待」「児童虐待を考える」考察①子育ては、がめつくありたい

「ルポ 虐待 ー大阪二児置き去り死事件」  2013 ちくま新書

ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)

児童虐待から考える 社会は家族に何をしいてきたか」 2017 朝日新書

児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか (朝日新書)

 

「この虐待事件は、残忍な親のもとで行われた子殺しなのか?」

「ルポ虐待」は、杉山春さんの、そんな疑問から始まります。

2010年、大阪で起こった二児置き去り死事件を、事件直後から取材しはじめたルポライターの杉山さん。2013年に懲役30年の実刑を受け、服役中の母親にスポットを当て、その子育ての実態や生い立ちなどに迫っていきます。

 

もう一冊の「児童虐待を考える」は、それより後に書かれたもので、厚木市で起きた父親のネグレクトによる5歳児遺体遺棄事件の取材を中心に、時代の変遷のなかでの子育てにおける社会的な課題を浮き彫りにしていきます。

 

 

子育てをとりまく父母たちの孤立、貧困、また今なお廃れない古典的な社会規範と家族像、逆に現代的なSNSへの現実逃避。杉山春さんは著作の中で、子供の虐待死へとつながっていく社会的な課題を提示しながら、それらが絡み合うことで生み出される虐待の病理的な構造を見出だしていきます。

 

子育てまっただ中の私自身、本書で書かれている病理につながる社会的構造のほとんどのことが他人事ではありませんでした。子供を授かってから今までのなかでリアルとして感じてきたことが、たくさんあったのです。正直、読んでいて本当に怖かったです。

 

虐待は非道な鬼親によって行われるのではない。

 

そう春さんが言うように、たとえば子供を叱るときに叩いてしまう、怒鳴ってしまう、そんな自分に戸惑い混乱する、親としての自信をなくす、なんてことをただの一度も経験したことがない親は、いないのではないかなと思います。

心身への抑圧でいえば、直接的なことだけじゃなくて、大阪の事件のお母さんが裁判で「離婚して子供のまわりに自分しかいなくなってかわいそうだった」と証言したみたいに、離婚や経済状況の悪化によって子供に強いてしまう環境の変化に罪悪感を感じたり、この子がこんなことになったのは自分がふがいないせいだと考えてしまったり、上手くできないのは私が劣っているからだと自尊感情を失くしていったり。特に親としての経験値の低い乳幼児期は、本当に親子密室で世界が狭く、気に病むことばかりです。

 

そこから抜け出したくて、積極的に子育てコミュニティに参加したり、ママ友作りに必死になるケースも多いでしょう。ただ、ママ友作りが功を奏する場合もあれば、逆に苦しみを増やしてしまう場合があるのが辛いところで、

この大阪の置き去り事件のお母さんも、布オムツ頑張ったり、子育てサークルの運営に積極的に参加したけれども、サークルメンバーとのトラブルをきっかけに、辞めてしまいます。

21歳の母親は、失くした居場所の穴埋めをするかのように浮気に走ります。杉山さんは彼女が子育てサークルを辞めてしまった、そして浮気をした、という事実だけを書いていますが、彼女が穴を埋めようとして埋められない寂しさの果てに悪循環に陥ってしまう様が、見てきたかのように目に浮かびました。彼女にとって子育てサークルでの挫折はかなり痛手だったんじゃないでしょか。そして悪循環は止まることを知らず、あれよあれよと離婚となり、2児を連れて家を出るはめになります。

 

私自身、上の子のママ友作りに失敗した経験があります。その原因のひとつには、当時社会復帰をめざしていましたが、安定した職場になかなか巡り合えず勤務先を転々としていたのがあったのではないかなぁと思います。子育てで経済の安定って本当に大切です。でもそれ以前に、何もかも中途半端な自分に自信が持てずにいて、夫とのコミュニケーションも上手くいかずで、とにかく不安でした。だから人とつながるのが怖かったし、傷つくのが怖かった。そんな自信のなさで自分の心も行動も固く縮こまってしまってたんだろうと、時を経たいまは思います。

 

ただ、私の場合は、2人目の出産後からは、職場が安定して、さらにそこで働くお母さん仲間を得たことで状況が変わりました。なんとなく自信がついたというか、自然と保育所で仲良しのお母さんが出来たり、役員をしたりできるようにもなりました。

 

だけど、思います。今の子育ては孤育てになりやすい。私自身も仕事、仲間ほかいろいろなものを得る幸運に恵まれていなければ、どんな状況になっていてもおかしくなかったと。

 

虐待につながる構造も、多くの親が抱えてしまう悩みや自信喪失とは無関係ではなくて、ただそこに、社会的な課題が過度に積み重なることで起こってしまうのだと感じます。

 

じゃあ、どうしたらいいのか??

 

杉山さんは、社会的な支援、行政や支援者のサポートをしっかり受けることが大事といいます。そのことに気付いて、と。

 

大阪の置き去り事件のお母さんは、離婚してからはほとんどなんの支援を受けていなかったそうです。

私の場合は、職探しも保育所も学童も、ずいぶん公的なサポートを受けてきました。

職探しはマザーズハローワークを利用したし、待っているだけでは待機が長引きやすいと聞いて公立の保育所に入るために市役所に「いつになりますか!今何人待ちですか!」と電話をしたり笑

学童を卒業させられてしまう「4年生の壁」問題ではファミリーサポートの説明を受けに行って申し込みもしました。夫に反対されたのもあり実際には利用しなかったですが。自分の住む市にはなかったから、子供を後ろに乗せて自転車で30分の、隣の市にある病児保育所に申し込みも行ったし、民間のベビーシッターも資料取り寄せ、電話で相談もしました。今思えば使えそうなものは手当たり次第だったです。でもいざという時に頼れる場所があるという安心たるや。子育てを安定させるには、もう何はなくとも不可欠です。

 

私が結構必死だったのには、「夫」と良い関係が築けてなかったこともひとつにあります。「夫」って本当にやっかい。子育てや家族のあり方、価値観の違いに離婚は何度も考えました。なんといっても彼が子育てに私が思っていた以上に積極的ではなかったことがあります。夫自身が仕事でストレスを抱えていたし、そもそも子育ては母親が中心にすることといういわゆる昔ながらの普通の日本の家庭の価値観だったからです。だから離婚も考えたし、「俺が食べさせてやってる」と言われるのが嫌で嫌で経済的な自立を強く望んできました。そして毎晩毎晩、離婚についてネットで調べました。

でも、この離婚の勉強で、考えが変わりました。離婚のケースによって法的手続きがかなり大変だったり、養育費を貰えない場合が多い実態を知り、そうか!子持ちのシングルが世の中を強く生き抜くには知識と情報が何より不可欠だ!!と。

結局今も離婚はしていませんが、それからかと思います。ありとあらゆるものを利用することに抵抗がなくなって、またいつでも「それは何故ですか?」と聞きまくる、めんどくさい人になったのは笑

 

杉山春さんはさらにいいます。必要な人ほど、公的機関に不信感を持っている人もいて、公的サポートが介入しにくいと。

それも分かる気がします。利用者に寄り添って、細やかに親身に、みたいなものを期待すると、あれ?っていうことも多いのが行政です。

市町村によってもかなり差があるようです。自分の住む市が子育て支援に決して積極的ではないことも感じます。学童の民間委託含め、これまでの中で、手厚いと感じたことはほぼなくて、むしろ今住む市より、私が育った市や以前住んでいた市の方が充実していました。学童運営を市から委託された民間企業は、契約上の違反や現場指導員の不当解雇などのいざこざで、今裁判沙汰になっています。。そんな学童にすすんで子供を預けたい保護者はいませんよね。。😔でも学童がないと困る保護者は本当にたくさんいます。

 

また、生活保護や学費支援みたいなものを受けるとなると、面倒な手続きがあったり、収入だけでないプライベートなこと根掘り葉掘り聞かれたり評価されたり分類されるんだろうなぁとも思います。クソ意地で生きてやる!みたいな強い気持ちがないうちは、一時期話題だった生活保護受給バッシングや世間体を気にする気持ちに、私も陥るだろうなあと思います。

 

春さんも書いていましたが、なかには、困っているから相談しているのに、子育てのやり方や仕事を批判する担当者に当たる場合もあるかもしれません。批判する割に、こっちが聞かない限り最低限の情報しかくれなかったり。。ただでさえ子育ては手探りでおっかなびっくりです。実際私も、市が行っている発達の健診で子供が引っかかった時、責められるようなことを言われた訳じゃないですが、自分に責任があるのかと悩みました。でもそれを保健師さんに伝えるのは恥ずかしかったし、伝えたところで処理業務だけは山積みで、人手や予算はカットされているだろう行政が、いち母親のちっぽけな不安感に親身になって寄り添う余裕があるとも思えませんでした。

 

さらに私が苦手なのは、学校や教育委員会含む公的機関からの通達や申請書などの文書類です。なんであんな、分かりにくいのだろう。言葉遣いが専門的だったり、言い回しが長くて結論がどこにあるのか分からなかったりして、頭の中になかなか内容が入ってきません。

あれじゃ申請、出し忘れます。書面作りの時は、小見出しつけるとか、図解入れるとか、コピーライティング習ったり、客観的に読み手の立場に立ったチェックをしたり、配布が目的じゃなくて、伝わってこそ目的達成だということを意識して欲しいなあと思います。

 

あと日々普通に感じるのは、働いているから支援がいるのに、平日昼間に手続きが必要なこと多くないですか?いや、手続きのために休まないといけないんですが…みたいな。

 

一つひとつはちょっとしたことだけれど、行政の縦割り仕事や本末転倒な部分は日常で度重なって感じます。まあ今に始まったことでもないし、常態化し過ぎてもはや諦めもあります。

 

それに結局は、行政が何に予算を割くか、税金を使うか、どこを大事にしてチカラをいれるか、現場の現状を知り柔軟に対応できるか、対応のための改善を図れるか、つまりどのような考えで機関をマネジメントするか、予算を割くかは、市長や上の人の考え方、やり方に左右されてしまう、そんな状況があるということです。

だから子育てが始まってからは、投票にきちんと行くようにしてますが、なかなか世の中はパッと良くはなりませんよね😣

 

 

でも、それを踏まえても社会的な支援を受ける権利は誰しもに与えられているものです。子育てを取り巻く支援も重箱のすみつついて利用すべきです。

なんなら行政とケンカしたっていい!と今の私は思っています😳

 

子供と一緒に生き抜くために行政や社会的サポートを利用しよう!と力強く語りかける杉山さんの言葉に、改めて背中を押してもらった気がします。

そんなのはぜんぜん恥ずかしいことじゃないんだと。若い人は特に抵抗があるかもしれないけれど、イギリスやドイツやらふくめ世界を見れば、公的サポートや他者からの支援は、もっと当たり前だったりするんですよ。支援する側もされる側も。

 

 

なんというか、春さんの語るさまざまな課題や解決への示唆のなかで、公的サポートというのが、ソフト面ではなくて、一歩踏み出せば具体的な解決策につながるハード面での方法であることもふまえて、まずは記しておこうと思います。