20代のころ、神戸で生まれ育った一つ上の従姉妹に、「恵まれていて、いいよね」と言われたことがありました。
従姉妹は高校生の時に母をくも膜下出血で亡くし、翌々年に阪神大震災で家を失いました。
NHK朝ドラ「おかえりモネ」を観ているとあの時を思い出します。
40代に入った頃、ふと従姉妹が、神戸の震災の頃の話をしました。
それまで一度も従姉妹から震災の話を聞いたことはありませんでした。
最近やっと、震災や災害のニュースを見れるようになったと。今まではどこのニュースだろうと一切見れなかったと。
ふとした言葉でしたが、私が想像する何百倍も。
何年も。
その時になって、ようやく私は従姉妹に計り知れないいろいろな思いがある事を、知ったような気がします。
ずっと、同じ視線で、同じ位置で見れないことの意味を考えてきました。
想像力はとても大事だけど、現実とは違う。
何も言えないし何もできない。
気持ちを受け取りいたみを分かち合うことも。
このカベはなんだろうと。
20代の頃は従姉妹に対し
勝手に恵まれてると決めつけないで
私には私の悩みがある、あなたは知らないだけ
言葉にはしないでも、一瞬そう感じたのも事実です。
人を理解なんかできないな…、私って小さいなぁと強く身につまされた思い出でもあります。
でも。
私にできること。
私にとって大事にしなければならないこと。
そこだけは失っちゃなんねえ、でもそれがなんだかぼんやりしていて、はっきり見えない。
坂口健太郎さん演じる菅波先生が、モネ、清原伽耶ちゃんに言いました。
僕にはあなたの気持ちは分からないけれど、分かりたいと思う。
ただの小さな意思表示です。
でも、「意思」には可能性を感じさせるものがある
どうしようもない理不尽な世の中に
立ち向かうために必要なのは
I want to
なのではないか
誰もがそれを持つ権利があって
信じる自由がある
前々から思っていたけど「おかえりモネ」はいい脚本です。
失うことの、喪失の、計り知れない影響力
小さなボタンの掛け違えで、人の心の、混じり合いそうで、混じり合えないはがゆさ
理解しあえない現実への、悲しみややるせなさ
そしてどう生きるのか
毎朝ぼんやり、しんみり、じんわり、観ています。