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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

武器になる哲学_現実の人生でめっちゃタメになる哲学

 

 

2023 山口周 角川文庫

 

めちゃくちゃ、むちゃくちゃ。

面白かったです。

 

そっか哲学って、

なぜ私は生きているのか

それは私が考える生き物だから

 

みたいなね。

はあ、そうですか~…としか言えないような

答えになってんだか、なってないんだか、解釈はお任せします…というような、

あるいは、「とんちの限界を探れ!」みたいな。

そんな学問ではないのだ、と。

ちなみに上のやつは「われ思う、故にわれあり」(デカルト)ですね。

 

で、この山口さんの哲学入門書のいいところは、冒頭で山口さんご本人が語るように、この本が「主にビジネスで役立つ哲学」なことです。まあビジネスっていうか、自分たちの日常生活に取り入れられるよというさまざまな思考といいますか。

 

哲学、社会学、心理学、人類学、政治学、などの関連ジャンルを含めて「あの人のあの主張、研究成果は、実際に私たちの人生、生活でこう生かせるよね」という括り方でさまざまな哲学の論考を説明してくれています。

50も項目があるのですが一つひとつは4~5ページの簡潔な構成なので、読みやすいです。

ということで、そのなかで私が感銘を受けたり、気になったものをいくつかだけご紹介します。

以下ネタばれあり。

まず。

50の項目のなかでも、序盤の方で、めちゃくちゃ元気がでたのが

「06 自由からの逃走 エーリッヒ・フロム」

です。

「自由ってほんとにいいものなのか?」ということから入り、ヨーロッパでは16~18世紀に宗教改革ルネサンスを経て、日本では明治維新を経て、封建社会から解放されたとされる歴史ですが、その後、結局、「私たち自由になれましたか?」と。

フロムという社会学者・哲学者はちょうど20世紀を舞台としたドイツの人で、自由どころかナチスという恐ろしい独裁政権を生んでしまったドイツの暗黒時代を生きた人です。そういう背景もあって、「いや封建社会からの解放を望んで辿り着いたのがナチス全体主義)かよ」ということをですね。早い話、突きつけています。でナチズムを支持したのは、いわゆる下層・中流階級の普通の人々で、フロムはその普通の人々のもつ「権威主義的性格」を指摘しています。自由の重荷から逃れて新しい依存と従属を求めやすく、またこういうタイプは権威に従属したがる一方で自分自身も権威になりたがる。という特徴があるそうです。

要は、自由ってのは、相当難しいものだと。なぜなら強烈な孤独と大きな責任が伴うからで、「はい今日からあなた、自由だよ」と言われても人間そうそう馴染めないものなんだなあということですよね。

で、ここまでだと、まあよくあるちょっとした保守的になりがちな大人たちへのお説教な感じなのですが、「じゃあどうしたらいいねん」という部分も書いてあって、そこを読んだとき、私は全身に稲妻が走ったんですよ。(ハードルをあげ切る大げさぶり)

フロムは、個人の成長、幸福を実現するためには、

自分自身を分離せず、自分自身でモノを考えたり、感じたり、話したりすることが重要であること、何よりも不可欠なのは「自分自身であること」について、勇気と強さを持ち、自我を徹底的に肯定することだ、と。

もうこの文章以上の何も出ないし、すぐにマーカーで引きましたよ。線。

証拠写真

ちょっと汚いけど、、、



で、すぐに上司に出す企画書を作り出しました。もうよく分からんけど、とにかく「現状を何もせずに受け入れる」のはやめようと。

まあそんなこんなで、前回書いた部署異動もろもろの出来事で、非常に暗い気持ちだったんですが、一気に「自分大好き」に気持ちがシフトしたという。

自分大好き、とはちょっと違うかもですね。

私は、自分がこんな自分自身であるから、損をしている。評価されない。と思っていたんですが、そうではなくて、「自分自身なんかまったく出してない」ということに気づいたんですね。だから、評価もくそも、まずは自分を出す必要があると。

「自分自身でいること」に勇気とか強さが備わっているかどうかも、よく分からないけど、結局はそれも思い込みというか、オプションというか、自分自身がこれが勇気だ、強さだ、私だ、と思えればいいわけで、自分が傷ついたり恥かいたりするだけで、誰にも迷惑もかけないし。ということに気づいたのです。

エーリッヒフロム。

ありがとう。(山口さんも)

 

このフロムの項目はすごくインパクトあったのですが、それ以外にもマーカーを引いたとこがあります。

「04 ルサンチマン フリードリッヒ・ニーチェ

ここを読んで自分のなかにある「ルサンチマン」が怖くなりました。

ルサンチマンっていわゆる、やっかみ、妬みを複雑な感情で包み込んだものというか、

ニーチェがいうには、人は「ルサンチマン」にとらわれた時の、危険な2つの反応があるらしいです。

ルサンチマンの原因となる価値基準に隷属・服従する

ルサンチマンの原因となる価値基準を転倒させる

 

①は、たとえば高級ブランドのバッグを自慢する友達がうらやましくて、本当に欲しいわけではないけれど買っちゃう人。それも友達よりちょっといいやつを。

②は自分に劣等感を感じさせる強い他者を否定することで自己肯定する人。

この②はどういうことかというと、たとえば、わざわざ「高級フレンチVSサイゼリヤ」という図式を作ってサイゼリヤを選ぶのは、「サイゼリヤが好き」なのではなく、高級フレンチに行く=成功者に対するルサンチマンがあって、価値を逆転させることで自分の方が優位だと示したいから。

 

②のひねくれたやらしいタイプは私のことだと思って、ここの章を読むの苦々しい気持ちでいっぱいでした(;´Д`)

こういうマウント返ししてしまうというか、「モノの本質をわかってねーぜ」みたいな受け取り方で確かにルサンチマンの溜飲を下げること、よくあるなあと。

で、②の転倒パターンの人が自分のルサンチマンに対して、じゃあどうすればいいかというと、要は好きならば好きだけで、比較せんでいいやないの、と。

 

あと、②のルサンチマンは「じゃあフランス革命とかマルクスも全部、最終的にルサンチマンなわけ?」という語弊にもつながるので、なんでもルサンチマンで済ますのもどうかな、というのも山口さんは語っていらっしゃいます。

ただ、ルサンチマンは、非常に人の心をつかみやすくて、ビジネスとしては大いに利用できるわけで、消費活動ってほぼほぼこういうルサンチマンによって拡大してるんだと受け取れますよと。

自分はルサンチマンで消費するのか?それともルサンチマンを利用しビジネスするのか?

そう考えるとルサンチマンって、人間くさくてかわいらしいけど、でもめんどくさいところもあるから「少し距離を置いてたまにあう友達」くらいの感覚がよいのかなあと思います。

 

さてさて、最後に、私がもう一つマーカー引いたのがありまして。

「08 アンガージュマン ジャン・ポール・サルトル

です。

サルトルが提唱した「実存主義」は、この世界を創っているのは私たちなのだから、自分にも世界にも、自分は主体的に関わり、責任をもつべきだということなのですが、フロム同様、戦争だらけの20世紀を生きたサルトルは、その例として「戦争」をあげています。

私たちは戦争を外側からもたらされた惨事のように扱いますが、戦争に反対することも、兵役を拒否することもできたのに、それをせずに受け入れたのは自分自身じゃないか。だったら「戦争」は自分の選択肢なのだと。

そう言われたらぐうの音もでないのですが、私がサルトルアンガージュマンに感銘をうけたのは、そういう耳の痛い話ととらえたからではありません。

本来私たちは、自分の行動は「自由」であるのに、社会や組織に命じられた通りに行動する「クソ真面目な精神」を発揮してしまうとサルトルは指摘しました。

私たちの考える「成功」はいわゆる社会や組織に命じられるままに行動し、成果をあげることを指しているけれども、サルトルは「そんなものは何の意味もない」と言います。

自由であるということは、社会や組織が望ましいと考えるものを手に入れることではなく、選択するということを自分自身で決定することだ、とサルトルは指摘します。

これを私なりに解釈すると、できるだけアバンギャルドな道を選べということなのかなと。でも「自分で選択する」ということを自由の大前提におくことは、とても大事な視点だと思うのです。

私たちが、心から自分の意志で選択したものは、実は限られていて、親や誰かの助言やら、バイアスやら、無知や無自覚やら、臆病な保身から、そうそうできるものではない。

でも死ぬときに「自分で選んだ人生だった」と思いたい。

自由を求め突きつけられる孤独にも、責任にも耐えられる気はしないけれども。

そしてですね。

この本ではもっと後の章になるのですが、このサルトル実存主義をケチョンケチョンにしちゃったレヴィ・ストロースの「構造主義」も出てきます。

構造主義といえば、内田樹氏です。

内田樹師匠のエッセイは何冊か読んでいるのですが、構造主義をど真ん中にしたものはひとつも読んだことがなかったので、正直、全然わかっていない。

この本でも分かりませんでした。レヴィ・ストロースの項目は、「ブリコラージュ」をテーマにしているのですが、ブリコラージュとは、「いつ役に立つかわからないけど、とりあえず袋にいれておこう」という非予定調和の能力を指すそうです。

山口さんも本書で紹介していますが、サルトルがいうところの実存主義しかり、それはこの世界が「進化に根差している」という基点に立っていて、「未開の地より西洋が優れている」という優越感に結び付いている。対して構造主義は、世界は進化とかで前に進むものでなく、西洋だろうと未開の地だろうとそこに構造としてまずあるのだと。未開呼ばわりしてる時点で西洋視点ですしね。

構造主義はいわゆる「西洋がいちばんエライ」という西洋人の考えのアンチテーゼの要素があって、予定調和な「予測した目的のためのイノベーション」に対するアンチテーゼなんだと。

つまり、「役に立つ」とか「合理性」とか「生産性」とかそういう西洋的な価値観ではなく、「なんの役に立つか分からないけど、なんかある気がする」というざっくりとしたものが、自分や社会に結構な影響を与えたりするよと。

うーん、この世は結構もっとゆるふわっとした感じだよ?ってことかなあ。

でもやっぱりいまいち構造主義がつかめないので、また別途、何かしら読んでみようかしらと思います。

ということで、もっといっぱい発見や面白いものがあるのですが、特にマーカーを引きたくなったものをご紹介しました。

 

実は50の項目のなかには、「いやどういうこと?」というのもあったりしました。特に後半。「同質性」から生まれる差別を扱ったモスコヴィッシの項目とか、監視の圧力に言及したミシェル・フーコーの項目とか、正直、飛躍しすぎている気もしました。これはたぶん、内容の複雑さに対して、割いていいページ数が足りてない、言葉足らず感からじゃないかと思います。

 

でも「弁証法」とか「公正世界仮説」とか「悪魔の代弁者」とか「ナッシュ均衡」とかほとんど面白かったです。

あ、ナチスドイツのユダヤ人の大量移送の指揮を執ったアドルフ・アイヒマンの裁判記録「イスラエルアイヒマン」の作者で哲学者のハンナ・アーレントの「悪の陳腐さ」なんかは、目の覚める思いでした。フロムに似ているのですが、要は「悪って責任の所在を分からなくすることでフツーの人がするんだよ」というね。会社組織でも通じるテーゼ。

あ、「神の見えざる手」のアダム・スミスにもめっちゃ線引いてました。

私たちは「最適」になりたいのか、「満足」したいのか。ヒューリスティック(必ずしも正しくはないが直感で見つける経験則とか発見方法)な解を見つける柔軟性って大事だよねってやつです。

 

ということで、哲学初心者には「へー」「ほー」が盛りだくさんなので、盛りだくさんすぎて、一読では脳にインプットが行きわたらないので、何回も繰り返し読もうと思います。心が迷った時のバイブルとして。

巻末に「読みやすい哲学書」ガイドも付けてくれているので、いつかそれも読みたいな(∩´∀`)∩