LUSE 2019 アメリカ
よくできた映画です。
テーマがとてもいいです。
ネタバレありあり。
アフリカの戦場で暮らしていたルースは幼い頃、白人夫婦に引き取られ養子になってアメリカで暮らします。
高校生になったルースは、成績優秀、スポーツ万能、めっちゃいいやつ。
でも、社会の先生なんかしら?ウィルソン先生って同じ黒人の女性の先生が、ルースのロッカーを勝手に捜索して、違法な花火を見つけるんです。
違法な花火ってなんだ。
んで、世界の有名人をピックアップして提出させたルースのレポートが、なんか暴力肯定派の人だった、と、母親を呼び出すんです。
まあ、ここまではいいとして。
私が、ここが間違いのスタートだなって思ったのは、
この呼び出しの後、ルースの両親は、ルースを疑う態度なんです。ずっと。
なんで?
んで、ウィルソン先生が割と生徒を型にはめて退学にさせたりする先生なもんだから、ルースはそれを両親に伝えるんですが、それはスルー。
なんで?
まあまあ問題だろってこと訴えてますよ?
そこは我が子を全面信じてよし(=´∀`)人(´∀`=)でしょうよ。
まあ疑われたら、ルースも気分悪いわね。
だから、いろいろ策略を練って、ウィルソン先生に復讐するんです。
でもって頭がいいもんだから、復讐がことごとくうまくいってウィルソン先生はクビになり、ルースは優等生としてスピーチしてめでたしめでたし。
というあらすじではあるんですが、この映画はあらすじも面白いし、スカッとするっちゃするんですが、この映画が伝えたいのは、全然そこじゃないです。
これね、日本人もよく分かると思います。学校の規律が厳しいから。未だに意味不明な罰則とか校則がたくさんあるから。
特に子供時代に、受験やヒエラルキーに悩んだ人なら。
クビになったウィルソン先生にルースが会いに行って言います。
同じ陸上部のデショーンがマリファナで退学になった時、先生は言いましたね?
だから黒人はダメだと言われるんだ。ルースを見習えと。ルースになれと。
僕はそれが辛かったと。(ルースの復讐はデショーンのためでもある)
それに対してウィルソン先生は
私たちはアメリカで一つの箱に入れられるんだ。
あんたも私も黒人はみんな同じ箱に入れられる。
だから、その中で箱からはみ出さずうまく生きて行って欲しいんだと。
ルースは言います。
ステレオタイプに括ってるのは、箱に入れたのは、先生だと。
このやりとりにこの映画の全てが詰まっていると言っていいと、私は思います。
この会話の黒人の部分を、子供とか落ちこぼれとかに入れ替えたら分かりやすいです。
アメリカは、徹底した実力主義でそれはいい変えれば超競争社会です。
誰にでもチャンスがあるとしても特に有色人種は飛び抜けて実力を持っていないといけない。
そういう暗黙の了解をルースとウィルソン先生は語ってるんですね。
ルースがスピーチの練習で1人、涙ぐむシーンは沁みますね。
自分のコミュ力を上げて、演技力をみがいて、生きていく術を学んだルース。
ルースがオバマに例えられる場面があるけど、なるほどルースのスキルって、ただ優秀なんじゃない、これぞ政治力だなと。やぼったく言えば世渡り力。
でもルースは政治力を身につければ自分が幸せなのかを考えます。
完璧を求めないで。
これはルースだけでなく、世界中の子供たちの声だなと。
私はこの映画を完全にルース視点で観ていたんですが、子を持つ親として、ルースの両親にあんまり共感出来なかったんですね。
そもそも、最初に言ったように、ルースを疑わないだろって思うし、トラウマに苦しんだルースを支えたならなお、そんな事で我が子を疑うか?って。
でも、どっかで、身につまされる気持ちもあって、思春期の子供の扱いって難しいとは思うんです。
それまではわーお母さんー!だったのに、思春期に入ると、ある日急に境界線が生まれて、どこまで聞いてよくて、どこまで踏み込んでいいか、互いに探り出すみたいな。
だいたいが子供が親をウザがるんですが、ルースなんかむしろ、親に対して、くそババア呼ばわりもせず、めっちゃいい子で、それ故に、疑ってかかる両親はひたすら理想主義者か完璧主義者なんでしょうかね〜。
私は自分が思春期の頃に、見えない学校のヒエラルキーからはみ出したから、そーゆー大人の押し付けにはほんとうんざりするんですが、でも同時に、思春期の子供に「そのスカート短すぎへん??」とかチクチク言ってるんで、親って難しいなぁと思いはします。
でも、やっぱりどんな悪ガキだとしても、親は味方でいたいし、無理矢理にでも、たとえフリでも、味方に見せる方がよいかなと思ってます。
だからルースの親、頑張って。私も頑張るから(о´∀`о)
なんか、ムーンライトでも思ったんですが、白黒はっきりしないグレーなアメリカ映画って、やっぱりちょっと日本的な感じがします。