2023 アメリカ
プライム無料!
ネタバレあり。
劇場に観に行きたいと思っていたらあっという間に終わってて、うんもう〜マイナー映画はこれだから〜っとがっくりしていたら、Amazonプライムさんでもう観れたんです!
嬉しい〜
良かった〜(*´∇`*)
原作はミリアム・トウズによる小説。
ボリビアの小さなコミュニティで実際に起こった大規模なレイプ事件を題材に、アメリカにある、小さなキリスト教コミュニティーで起こった事件として「もし被害者たちが話し合ったら」という想定で書かれています。
映画でもそれは同じで、ほとんどが女性たちの話し合いのシーン。
だから、そこまで重いシーンはありません。
で、この女たちの話し合いは、男たちが街に裁判に行っている間に3日間限定で納屋で行なわれました。
女性たちは男性たちが戻る前に決めないといけません。
「許す」か「残って戦う」か「去る」か。
投票をしました。
結果は「残って戦う」と「去る」がほとんど同数。
じゃあどっちにするか?
戦うというのが暴力に訴えるか、そうでないのか、具体的に何を指すのかは語られなかったですが、最後の方で、「血を流さないか流すか」に言及していたので、「戦う=血を流す」ということではあるようです。
映画の終盤には結論が出て、その結論に私はホッとしたし、それを実行に移せたのも良かったです。
ただ、監督のサラ・ポーリーが、何かの記事で「そういう議論が可能であるということが希望だ」と語っていたように、
この映画はセンセーショナルな事件をモデルに、「女性たちの人生の選択」みたいなものを描いているんですね。
虐げられた人生。
奪われた尊厳。
そして女性たちは考えるのです。
どうすべきか。どうしたいのか。
じっくりと。
そして、そのしたいことをするために、必要な選択と行動は何なのか。
価値観は女性同士でも違います。
特に宗教の戒律や習慣がしみついている場合、分けて考えるのはとてもやっかいかもしれません。
でも、神の言葉って、女性を否定はしていないわけで、その教えに則りながらも、「これまでの規範」を超えた見解が可能ではあります。
また、自分たちの子どもたちに何を残したいか。
女の子に。
そして男の子に。
男の子に対して「何歳までを一緒に連れていくか」のシーンはなんだかリアルでした。
私も自分の子を連れていくか行かないか、考えましたね。
唯一男性として話し合いに参加していた記録係のオーガストは答えます。
「思春期の男の子はあやうい存在。でも教育によって希望はもてる」
オーガスト自身、母親の宗教への「異議」によってすでに村を追放されています。
そして大学に行っており、文字が書けない女性たちの代わりに記録を付けているのでした。
この村では女性は文字を教わることも学校に行くことも禁止されています。
映画の舞台は確かに現代にはない封建的で閉鎖的で家父長的なコミュニティです。
けれど、フィクションでしょ?と終われないものがあります。
「自分で考え、判断し、行動する」
ということが、現代を生きているはずの私たちに、どれだけできているのだろうか。
これは、女性だけの問題でもないかもしれません。
子どもたちが学校や地域で学ぶことは、なんなのか。
生きるために必要な力ってなんなのか。
それを考える時私はやっぱり
「自分で考え、判断し、行動する」
その力だと思います。
そしてそれが大人になるまでに、みんなできるようになっているのだろうか?と。
学校のテストで問われること。
受験勉強で身につけるもの。
そこに、この「生きるチカラ」の糧になるものがあればいいなと思います。
みんながそうだから、
それがルールだから、
自分がそうだったから、
大人がそういうから、
考えるのがめんどうだから、
考えても仕方ないから、
私は、自分のこれまでの人生で、これらの言葉を一度として言ったことがないと思っているけど、「絶対か?」と言われたら自信もないです。
ただ、何が自分の幸福かと言われたら、その答えはぱっとでないんですが、
「自分で考え、判断し、行動した」
そう感じて、自分の人生をちゃんと生きたと思って終わりたいです。
ぜんぜん今からでも遅くないよ~!と、自分自身に言いたいです。
日々は小さな選択の繰り返しです。
それを「これ本当にやりたかったこと?」と問い直してみるのもいいなと。
そういう小さなことが実はすべての始まりなのではないかなと。
とても大事なことなのではないかと。
思います。
すべての女性に、自分の道を生きてほしい。
そう生きれる世の中であってほしい。
道のりはまだまだかなあ。。
でも、小さな自分の選択ができる現代。
希望はあちこちにあると思いたいです。