本はいつも、文庫化されてから買うので、ハードカバーは、安売りか古本でしか買いませんが(多崎つくるはハードカバーがAmazonでセールだった)、
「猫を捨てる」はなぜか、新品をハードカバーで買いました。表紙のイラストがなんとなく気になったのかもしれないです。
村上春樹のエッセイも読んだことなくて、初でございました。
春樹さんの子供の頃の思い出、お父さんの戦争体験、父親の期待に応えられず不仲になっていった大人時代…
ページ数も少なく短い文章ですが、春樹少年はこうやって村上春樹になっていったんだ、がなんとなーく分かります。
春樹さんは、1949年生まれなんで、ドンピシャな団塊世代というか、私の親世代ですが、偶然にも私には自分と重なる部分を感じました。
まず、親が教職員。春樹さんのお父さんは高校だし、私は両親ともに小学校だけど。
あと、親の高い理想に応えられず勉強が好きになれなかったところ。
春樹さんは早稲田大学行って、私は超三流大学行ったけど。
親と折り合いが悪かったところ。本が逃げ場だったところ。多分読書量も質も違ってけど。
阪神間で育ったところ。てか春樹さんは芦屋メイン、私は大阪だけど。
まぁちょいちょい共感できた訳です。
春樹さんが死に対しての虚無みたいな部分をいつもうっすら、あるいはくっきり描くのは、わずかながらにも子供の頃に聞いたお父さんの戦争体験につながってるのかもと思いました。
今なお存命する戦争を体験した人ももうほんとに少なくなりました。だから戦争体験者を肉親に持つ人も少なくなりました。
私のおばあちゃんも、夫の祖父母も戦争が終わったのが20歳の時。もう今、みんな他界しています。
そういえば、先日6日は広島原爆投下、9日は長崎原爆投下の日でした。テレビで広島市長の挨拶を見て、あー広島の人なんだと胸がちくりとました。私たちは広島と長崎と沖縄の人たちに生かされていると、いつも感じます。もちろん出兵や空襲や言論統制や不自由さや閉塞感や飢えや貧しさといった戦争がもたらす全てを知る人たちにも。
どんどん戦争が歴史の1ページ化していっている気はします。
生きにくい世の中と言われる昨今、戦争を生き残った人の気持ちを思います。原爆投下や空襲の惨禍を体験した人が、その後の復興をどのように見ていたのか気になります。失ったたくさんの大切なものをどのように扱ってその後を生き抜いたのか気になります。
日本の夏は「戦争と平和」が必ずセット。最近は火垂るの墓もテレビでやらないけど、NHKはドラマ作ってますね。三浦春馬くんも出ている「太陽の子」。終戦の15日放映らしいです。
見るかと言われたら見ないかもしれませんが。戦争ドラマは割と見てきているので嫌いではないのだけど。
1年に3日くらいは戦争と平和を考える夏。それはそれで日本の夏の風物詩のひとつとして、この先も続いて欲しいです。
春樹さん、いかがですか。
とか考えていたら、NHKが、実際に被爆して生き残った人の日記Twitterをしていました。
#ひろしまタイムライン
https://twitter.com/nhk_1945ichiro/status/1291728306232950784?s=21
Twitterって現代の生々しさが、より痛みを伝えることもあるかもしれない。怖いし切ない。
日記は年末まで続くそうです。