積ん読をやっと読みました。
面白かったです!
平野啓一郎さんの「マチネの終わりに」を何年か前に読んで良かったので、そろそろ次を読もうかなと手に取ったのが「ある男」です。なんとなく。
帯に「愛したはずの夫は、まったくの別人だった」とあるので、あ~そういう恋愛がらみの男女のアレか~~と読む前に一瞬よぎったのですが
「マチネの終わりに」も男女のアレだったものの
アレを超えた世界規模の骨太作品でもあったので、とりあえず読んでみるとしました。
大枚をはたいてハードカバーを買ってしまったし。
いや、帯!
やっぱり全然違うやん。
いい意味でやっぱり骨太でした。
ネタバレあり。
✳︎すみません。上手くまとまらず、誤字もあって何回か更新しました。
物語は里枝さんという一人のアラフォー女性の物語から始まります。
里枝さんは幼い息子を脳腫瘍で失い、息子の闘病を含めて、すれ違い続けた夫と離婚します。
その頃ちょうど、宮崎の実父が亡くなり、そのタイミングで田舎に戻り、実家の文房具屋を手伝っていました。
そこに「谷口大祐」なる朴訥とした優しい男性が現れ、二人はひかれあって、再婚します。
ところがこの大祐さん、林業をしているんですが、仕事中に事故で亡くなってしまいます。
里枝さんは息子に父に夫にと次々と愛するものに先立たれる不幸な女性なのでした。
でも真の物語はこの後スタート!
なんとこの夫である「谷口大祐」さん。
実のお兄さんが大祐さんのお葬式にかけつけるのですが、「誰これ?これは弟じゃない。」と言い出すんですね。
里枝さんは離婚でお世話になった弁護士の城戸さんに相談します。城戸さんは「谷口大祐」を調べていくうちに、里枝さんの亡夫はホンモノの谷本大祐とは似ても似つかない全くの別人だということが分かります。
じゃあ、里枝さんの夫は誰だったのか?
ホンモノの谷口大祐はどこにいったのか?
というところから本筋に入るのです。
弁護士の推理モノっていいですね。
もうね、これだけでも十分面白いですのに。
でも平野啓一郎さんは推理作家ではぜんぜんなくて、たぶん純文学系の方なので(芥川賞も受賞されてます。読んでないけど)、
この推理小説ばりの「身元捜し」の展開の中で、社会のいろんな姿を浮き彫りにしていきます。
たとえば、東日本の大震災によって奪われたささやかな安心感のある日常。
1923年の関東大震災での朝鮮人虐殺。
在日韓国人・朝鮮人にとっての右傾化する社会。
ブローカーを介在した戸籍売買という犯罪。
凶悪犯罪加害者の家族(子供)の悲惨すぎる人生。
夫婦の危機、いわく「思想」の違い。
日本の死刑制度の是非。
数え上げるとかなり濃厚です。
そしてそのどれもの考察が深くて、唸りました。
どれもに真に迫ってくるものすごくあって、特に私が心に残ったのは、「暴力」を身近に感じてしまった主人公の城戸さんの心情を描く生々しい場面です。
(そうそう〜主人公は里枝さんじゃないのです)
在日3世であり帰化している城戸さんは、それまでとくに差別など受けずに、意識もせずに40年近く生きてきました。
けれど2011年の東日本大震災が起こった時、報道番組で、震災にからめた関東大震災の朝鮮人虐殺を扱った小さな特集をたまたま目にします。
さらに2013年、当時ひどかった隣国へのヘイトスピーチのニュース報道を観て、関東大震災の朝鮮人虐殺の番組を思い起こすに至った城戸さんは、パニックシンドロームみたいになってしまいます。何かをきっかけにそのことを考えだすと、息苦しくなって立っていられなくなってあわや倒れそうになるのをじっとこらえる…。
この城戸さんの苦しみの描写は本当に臨場感があって、文字を追うだけで、自分もパニック症状が出たかのような気分になりました。
こういう辛さ、よく分かります。
一緒くたにはできないですが、私も子供のころ、夏休みに戦争展を観に行って、あまりにショックでご飯が喉を通らなくなりました。B29が来るんじゃないかと暗闇が怖くて不眠症になり、激痩せし、ちょっとしたことで鼻血とじんましんが出たりして、親に心配をかけたことがあります。
暴力を自分の間近に感じたとき、目にしたとき、その恐怖で人は崩壊するかもしれない。
また、「偽谷口大祐」の歩んできた「犯罪者の息子」としての過去も、言葉にならないくらいに悲しくてやるせなかったです。
殺人を犯した加害者の子供として、家族を失い、どこにも頼る場所がなく、いじめられ、つまはじきにされ。
なぜ、小学生がこれほどまでの苦しみを背負わなければならないのか。
でも一方で苦しみを背負わされた「偽谷口大祐」を守っていきたいという人もいたことも分かります。
偽大祐が通っていたボクシングジムの人々。この場面が本当に救いで、丹下のおっちゃんを思い出しました。゚(゚´Д`゚)゚。→明日のジョー
うなりながら考えました。
無知による悪意や憎悪、暴力を向けられた時に、たとえそれが間違っていると理解していても、自分が自分の存在を決して否定せずに堂々と生きられるものなのだろうか。
平和に生きてるつもりの日常の中で知らない人からの悪意に触れたとき、私たちはどうすればいいのか。
それは…分かりません。
けれど、美涼ちゃんが、反ヘイトデモに参加してるのをテレビを見て知った城戸さんは、嬉しかったのです。
美涼ちゃんの強さは「正しいこと」への屈託のなさ。
自尊心も平和も、めっためたに打ち砕かれそうな悪意、憎悪、暴力の恐怖から、たった1人の行動に救われることもある。
私が「戦争ノイローゼ」から救われたのも周りを見れば、笑っている友達がいて家族がいて、穏やかな日常に立ち返れたから。そしてきちんと戦争にNoを突きつける現実の社会(の価値観や活動)があったからです。夏休みが開けたらしばらくして、いつのまにか治りました。
人を攻撃して生きるのか、
愛を持って笑って生きるのか。
主人公の城戸さんは、物語のなかでさまざまに判明していく事実を直視しつつ、里枝さんに「夫の正体」を報告しに行きます。
遺された子どもたちとともに未来を生きる里枝さんに。辛く険しい道を生き抜いてきた彼の正体を。
平野さん、なかなか描きにくいところを描いています。不穏な空気をまとった今の社会を忌憚なく描く様には感銘を受けました。
これは「マチネの終わりに」でもあった要素ですが、それ以上に今回は主人公が日本に暮らす平凡な(弁護士だけど)人物なので、余計にシズル感を持って琴線に響いたのかもしれません。
私たちはもっと柔らかく生きた方が絶対に幸せなはず。
ちなみに以前「マチネの終わりに」を読んだときに、とっても感動したので私の周辺の女性たち数人におススメしました。
でも読んだ人が全員「いや・・・なんか好きじゃない」となりました。
なんでやぁ?となったんですが、「ある男」を読んで分かりました。
多分女性の描き方です。平野さんの作品には「きゃしゃな美女」がよくでてきます。
銀河鉄道999のメーテル的な?
なので、「ある男」は本当に素晴らしい名作だし、平野啓一郎さんは素晴らしい小説家ですので、私の意見などたわごとではありますが平野さんに一言だけ言いたいです。
「きゃしゃな美女」は…できれば登場させない方向でいけないでしょうか。そうしたら女性読者が爆増するはず。
あ、あと本物の谷口大祐は生きているのか?もしっかり描かれています。
いやー良かった(=´∀`)