書くことは癒し。まったりシングルマザーの映画・読書・日々のこと

シングルマザーになりました。50代は60代をどう生きるかを考えていきたいと思います。読書や映画感想と仕事や子育て、離婚やモラハラについても思いついたら。

寂しがりながら生きていく

海街ダイヤリーで出てきた「しらすトースト」を作って食べてみました。

めっちゃ美味いす!


私は、バタートーストにマヨとシラス、刻み海苔をのせ、お醤油たらして食べました。子どもたちも大喜びでした!


まだ海街ダイヤリーゆーてるんですかい…


最近、上の子が、なんだかちょっぴり思春期にさしかかり、成長が喜ばしい…はずだけど、反面、寂しいというか。

ちょっぴり言い合いをしただけなんですが、子どもの反論が今までよりロジカルで真っ当で、これまでオトナの屁理屈でねじ曲げてきた(あかんやん)、ママのゆーこときーとき!みたいなノリが通用せず、母折れて謝るみたいな感じになりました。

でも、ママも悪いけど、やっぱり本質を理解して欲しいねん〜〜みたいなことを、そこだけは譲りたく無いと、また理屈を並べたりして。きちんと、筋を通して話す、そして子ども相手にいなさず相手の受け止め方を配慮して、みたいな対等な雰囲気が必要になってきています。

それは成長であり、喜ばしいことです。子どもと、早く対等に話したいと思ってもきました。

だけど同時に、私から「母」というレッテルを取って、一人のオトナとして、この子に対峙した時に、私は果たして、きちんとオトナのアイデンティティを維持できるんだろか…なんて不安がむっくりわきあがってきました。そんだけダメ母だったなあ、と改めて反省。

母という立場に甘えすぎてきたんだな。。

だって子どもはお母さん好きです。

ダメ母でもなんでも、子どもはお母さんが好きだから、私は、のうのうとダメ母でいれたんです。


一人のオトナとして、ダメって思われたくねー。

うーん、むずい!


そんなこんなでとにかくも、子どもは段々母を必要としなくなってくんだな、いつか、母を離れて自分で生きていくんだな、なんて。


はい、寂しいっす。もう寂しい。


けど、私は自分の親みて、思ったことがあります。

イムグォンテク監督の、祝祭という映画を観て思ったことがあります。


親は、寂しいものなんだ。

子どもが自立することを喜ばねばならない。

離れていく寂しさを黙って受け入れなければならない。

それは、喜びだから。

それが親の務めなんだ、と。

一生一緒に生きていくことは出来ないから。

親は老い、彼らはまだまだ未来を生きていく人たちなんだから。


黙って寂しがる。それが子どもへの最大の愛情なんちゃうかなと。子どもの邪魔したらあかんもの。自分の道を生きてほしいもの。


なんて。5月末にセンチメンタル5月病になりましたかな…