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愛って、結局なんなのだ

 

ノベライズ 花束みたいな恋をした

ノベライズ 花束みたいな恋をした

  • 作者:坂元 裕二
  • 発売日: 2021/01/04
  • メディア: 単行本
 

 

昨年、劇場公開された映画「花束みたいな恋をした」のノベライズです。

 

「子供に読書おすすめ大作戦」で、これだったら本を読むというので買ったのに、いつもの結局私が読んだだけバージョンです。

 

菅田将暉くんと有村架純ちゃんですからね。

まあ映画観たい延長なんでしょうね。

 

ただ私が、おお?おおう⁈ となったのは、脚本が坂元裕二さんという部分。

 

そうなんだあーと。

 

坂元裕二さんのドラマはどれも面白いからだいたい観ている…というか、たまたま観て「めっちゃよかったやん」と思うドラマがだいたい坂元裕二という人が脚本を手がけているということに、1〜2年前に気づいたといいますか…

 

たとえば「カルテット」「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう…」(だろう?うろ覚え)「最高の離婚」「woman」「anone」(好きな順)

 

 



今やっている「大豆田とわ子と3人の元夫」も面白いです。

 

坂元裕二さんがいかなる脚本家か、Wikipediaで見ましたらば、トレンディドラマ時代から活躍されてる方で、女優の森口瑤子さんとご結婚されていて娘さんがいる、という特に必要なかったプライベート情報も仕入れてしまい、まあそれは置いときます。

 

そして「花束みたいな恋をした」ノベライズですが、読後の余韻でずっと考えてしまっています。

 

何をか?というと、愛って結局何か?に尽きる話なんですが、というよりも、人を想う難しさと言いますか。

 

どんな好き好き言ってても、20代から付き合い始めて50年、ずっと好きってなかなかないわけで。

 

それはたとえばうちのお母さん、腹立つときもウザイときもあるし、でもまあ嫌いにはならないよね…

 

というたわいない家族とのつながりや、

 

生き方も考え方も全然違うけどずっとつるんでるよな…

 

という友達関係のつながりも、全部ひっくるめて。

 

そもそも恋愛はそこいらの好きとは別格に、「好き」であるものなんですか?

 

性的な魅力を感じている間柄だから?

セックスするから?

 

でもそういう生物としての要求には、個人差や年齢による加減が出てくるし。

 

子供作ったら、性的な魅力はもういらないから、子育てチームメイトは恋愛対象者じゃなくていいわけですよね。

というか恋愛感情がなくなってもいいですよね。

 

でもじゃあ、子供なしのカップルは?

おじいちゃん、おばあちゃんのカップルは?

ゲイやレズビアンカップルは?

子育てしてないカップルはなんでカップルでいるの?

 

カップルがゲシュタルト崩壊してきた…

 

というように、交尾やら繁殖やらという生物の目的を差し引いた部分で、人間の「人を想う」心理や行動を考え出すと、答えが出なくて3日くらいずっと考え続け、疲れて放棄する…ということがままあります。

 

そもそも「花束みたいな恋をした」は、普通の20代の男女の出会いから別れを描いているだけっちゃだけの物語なんですが、自分に当てはめて考えださせるツボというか地雷というか、そんなもんをプチプチ押されてしてしまい、訳が分からなくなってきます。

 

考えてみれば、坂元裕二さんの脚本の物語は全部そんなんだなあと。

 

展開やセリフが抜群に気が利いていて面白い上に、「人を想うってなんだろう」をいつも投げかけてくるといいますか。

 

私の実感を込めた人間の「人を想う」基本としてひとつ思うのは、人間は寂しい生き物だというのは思うんです。故に人を想う。人を乞う。でも乞うゆえに寂しい。

 

現に今、私が親としての寂しさを感じたりするからなんですが。

 

でも坂元裕二さんの描く物語は、私の個人的な見解みたいに、人間は寂しい生物だよっていいたい感じではないんですよね。

もっとその向こう側なんですよ。

 

もっとなんというか、もちろん基本寂しいし、個体では生きていけないし、社会的なつながりを持っているわけだし、そこ大事だとも思うんですが、

そこを超えた魅力があるんだよと。

 

傷ついたり、寂しかったり、ヘナヘナになっちまう人生のなかで、まあまあな苦しいことがある人生のなかで、あなたはひとつも「生きててよかった」瞬間はなかったですか?

 

そう、そんな感じの問いかけといいますか。

 

生きてて良かった瞬間を振り返って考えた時に、実は私がどうでも良いと忘れ去った出来事や、当たり前だとタカを括って視野に入れてない日常のやりとり、過去だけどその時は大事だと感じた気持ち。

 

そこいらにまあまあ、その「生きてて良かった」って言ってもいいくらいの瞬間は隠れていたりはしませんか?と。

 

月見うどんの最後にぷっくりした黄身を吸う瞬間みたいに。

 

もしかしたら絶望して終わったかもしれない人生を、何かが生かしてくれている。

 

「何か」は、自分であり、自分が関わるあらゆるものと自分との化学反応であり、化学反応から生まれる今と未来の自分を作っていくエネルギーであり。

 

そんな瞬間をひとつでも持てて、今生きていて良かったかどうかでいえば、良かったんじゃないかと思えるなら人生上々。

 

それは自分もだし、人類や生き物全般で見ても、同じレトリックが当てはまるわけで、他人も同じなんですよね。

 

つまり。ヘナヘナだけど生きててよかったと思う自分と同じように他人もヘナヘナかもしれず、同じように生きてて良かったと思っているだろうと想像しませんか?と。

 

人は自分であり、生きていて良かった瞬間を求める仲間。

 

自分を大事に想う=人を大事に想うってほぼ同義。

 

自分も人も、丁寧に扱ってみれば、小さな「生きてて良かった」は沢山ある。

 

そこに、恋愛だとか家族だとかのレッテルを無理に貼る必要もなくて、ただそれだけのことなんじゃないのー?

 

とまあ、坂元裕二さんは問うているんじゃないのか。なんて考えるに至りました。

 

勝手に。

 

坂元裕二さんの物語は頻繁に出てくる登場人物のミニエピソードが抜群に面白いんです。

 

お金でも評価でもない、持っているもののサイズや数じゃない「生きてて良かった」が、溢れています。