なんやかやでまだ言うんか!
…。
まだ言いたいんです。
ひとつ言えてない、家族の物語で、大事なこと。
「海街ダイヤリー」には、綾瀬はるか演じる看護師の長女がいて、銀行で窓口してる次女の長澤まさみがいて、販売員の三女の夏帆がいます。
私が思うのは、長女はやっぱり看護師なんか、と。女性の職業選択の幅が狭いなと。
「海街ダイヤリー」に感じる昭和の家族観のようなものが、私はちょっぴり苦手です。
昭和の家族のあり方を描いている作品でいうとたとえば「オールウェイズ 三丁目の夕日」が分かりやすいですが、嫌いじゃないしむしろ面白かったけど、じゃあ、あの時代はよかったね。と心から思うかというと思えないのには、理由があるのではないかと自問して。
やっぱりそれは、女性の生き方に今以上の縛りがあることだなと、しみじみ思うのです。
「海街ダイヤリー」は、女性の生き方を問うために作られた映画ではないし、「三丁目の夕日」もそうです。
でも、家族のあり方を歴史的な流れで捉えるなら、家族のあり方と女性の生き方は切っても切れないものだと思うのです。
「海街ダイヤリー」は、14年前に家を出た三姉妹の母が、ワガママなお母さんとして出てきます。大竹しのぶがワガママな感じを上手く演じてます。
でもこのお母さんは、本当にワガママなんか?父親は、外に女作ってた。お母さんは料理が下手だった。お母さんは、これと理由が示されるシーンがある訳でもないけど、いろいろあって娘たちを残して出て行った。父親が先か、お母さんが先かはいまいち分からなかったけど、とにかく子どもを捨てる母親には世間は当たりが強いです。
是枝監督の「誰も知らない」もそう。YOUが演じたあの母親は、実際ひどいです。
それはそうなんだけど、じゃ、父親はどうなのか。どこにもその追求は、ない。
子どもを捨てる母親にもそれなりの理由があり、もちろん父親にも責任はあり、でもそんな理屈を超えて、家族の物語には、時として、理屈なき母性の追求が際立つものが見られます。有無を言わさない母性性の絶対視みたいなものが。
私は現代を生きるいち母親として、昭和の家族観に見られる、その母性の絶対視が、ときどき、なんだかな〜〜しんどいな〜〜と感じてしまいます。
「海街ダイヤリー」の長女にも、ちょっぴりそんなしんどさを感じてしまいました。優しい食堂のおばちゃんにもです。
ダメ母な私の劣等感なだけかもしれませんが。
ちなみに、小津安作品に出てくる女性、描く女性像には、そういった苦手意識はなくて、むしろ原節子ステキやわ〜〜と思ってます。
小津作品は、男性もステキです。何より言葉づかいが今と違ってとても丁寧で、みんな紳士淑女に見えてきます。何が違うのかしら。
昭和への回帰願望、ではなくて、そもそもリアル昭和だから?
男性が女性を「君は」て呼ぶから?
よく分からないけど、「家族の物語」が、昭和回帰でもなく、ジェンダーを通した違和感もなく、繊細に、かつ大胆に描かれる日を、待とうかな。