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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

人間関係に弱りました

ここ数日、悩みがあり、眠りが浅くなったり、若干、食欲をなくしています。十分、食べてるけど。


このメンタル不調は、私がバカにしてきた、職場での人間関係が原因です。


そもそも、職場は職を全うする場所であり、仲良しごっこの場所じゃねーんだよ。


と考える傾向にありがちなわたくしですが、いやまさか、ここに来て、まいっちゃうとは、自分の未熟さに、とほほ…です。


しかし、いつまで悩みを引きずらねばならぬのか、を考えて、とりあえず解決策を見出すべく、まずはググりました。

検索ワードは

すぐにキレる 同僚

キレやすい人

境界性パーソナリティー


いやあ、あるわあるわ。知恵袋とか小町とか他いろいろ。

みんな大変なんだな、と分かっただけでもムダじゃなかったと思います。(笑)


そして3日連続寝不足の今、休みまでそのことでアタマいっぱいの今、抜け出していないけど、ほんの一筋の糸口をつかんだかもしれない…し、つかんでないかもしれない……みたいな、今。


アタマの切り替えなんすよ。要は。

相手の行動のおかしさを何度もアタマで再確認したり、自分にも非が、てか隙があった点を後悔したり、どうやったら相手をぎゃふんとできる毅然とした態度を保てるか悶々悩んだり、これからもきっと問題が起きる可能性が少なからずあるような、出来事だけでなく人格そのものに対して信頼できかねる相手との同空間でのこれからの時間を想像してひたすらに気が滅入ったり、それをループで繰り返してきて。


うんにゃ!

自分も相手ももはやもう、何ミリたりとも期待通りにはならないのですあきらめるんです人は変わらないし理解し合えないしそんなんは夢物語でナンセンスで非現実で哀しいだけなんです。

解決策を探すとか。


そう。問題は、私が仕事をしている、生きている、その愉快さに心の照準を合わせること。


要は、どうしようもない現実はそれでよし!として、それより考えるべき別なことがあるはずな気がちょっとしてきたんです。


たとえば、今私は一介のパートの身でありながらも、メディア統括トップと直接やりとりできる社員部内ミーティングに参加させてもらい、ベンチャー企業の規模拡大フェーズにおける部内組織体制の再構築と設計みたいなことに参加させてもらってます。


つーか、全エネルギーをここに費やしている。変な悩みが生まれるついこの前までは、休みの日ですら、この組織運営設計におけるいろいろな課題やその解決策なんやらばかり考えておりました。うーん、うーん、と。

この仕事はまだスタートしたばかりで、しかも割といい感じのスタートだったんだけど、考えてみれば、まだまだ序の口なわけで、これからなんですよ。奔走すべくは。


まだ、本質的な意味での体制も整備されてないし、現状の改善結果の中にも新たな課題が生まれています。


うん。いや、がんばらなあかん。あかんよ?わたし。


そんで、大事なのは、わたくしは、ここにあり、と自負してます。


この仕事で私はキャリアを積みたいわけじゃないし、お給料をもっともらいたいわけでもないし、ほならなんでこの仕事を一生懸命やりたいか。


それは、なんや!

最近ハッと考えたのは、それは、誰もが働きやすい職場を作りたいからなのではないかなと。

私は、上の子を出産して再就職して以来、ずっとアルバイト、パートです。少なくない数の転職も経験してます。徹夜とかフツーにしていた独身時代と違って、早く帰らないといけない、残業できない、時間給だからその分の会社的コストに見合った工員的働きを見せないといけない、社員に迷惑かけちゃいけない、でも子供はインフルエンザやマイコプラズマノロウイルスに感染する、急に休まないといけない、結果迷惑かける、いづらい、ひとつの仕事だけでも最後まで責任が持てない、いつも後ろめたい気分でいる、役立たず、その割に子育ても不完全、子供に負担をかけてる、家事もおろそかで家が汚い、なんだか全部中途半端、一体何がしたいのか、私無力、非力、情けない、生き方間違えたんか、それとも私が未熟だからか、いや、社会的サポートが未熟やからか、はあ〜〜〜〜あ。


という数年を過ごしてきました。親や保育所や学童のサポート、無自覚に女はお母さんとして家事も育児も中心で当たり前な考え、でも自分はすごく協力的な夫だと思ってる夫と喧嘩しながらの共働き生活、そんな中で。


だから、パートでも社員でも、新人でもベテランでも、お母さんでもお父さんでも独身でも、若くなくても若すぎると言われても、時間が短くても、残業しなくても、誰もが公平に自分の成果を出せて、やりがいを感じれて、日々のルーティーンに追われるばかりじゃなくクリエイティブな業務にも取り組めて、新しいチャレンジができて、でも、家族やプライベートもしっかり充実させれて、本が読めて、料理が義務じゃなく楽しみに思えて、健康に暮らせる。


そんな職場を作りたい。

それが私の目標であり、そのための仕事だと考えいます。


でも、完璧はムリなんは分かってます。だけども今よりよくなることはできるはず!




そして父になるがいいたかったのは、事件が生んだ悲劇ではなくての

見ました。

録画したテレビ初放映?の

そして父になる

そして父になる



よかったよー。

泣いたよ。

 

この映画は、やっぱり 「父」 がテーマなんですよね。

 

私には9歳と4歳の子供がいます。

もし自分だったら、交換はないです。

今自分の子供と血が繋がってなかったと言われても

離れられないし、離れる必要感じません。

てか、多くのお母さんお父さんそうなんじゃないかなあ。

そのいわば、常識的な親の立ち位置に、福山雅治演じるパパが、なかなか立てなかった。てことが、この映画の問いかけなんだと私は思います。

 

 

 

だから実際にあった赤ちゃん取り違え事件を取材した、ドキュメンタリー書の参考文献と、是枝監督のこの映画の差異を、一部取り沙汰されているのも違和感を感じるのです。まあ赤ちゃん取り違えという設定というか背景というか、それがかなり衝撃的なんで、そっちに気をとられてしまう気持ちも分からなくはないんですが。

 

でも、この映画は、事件が生んだ悲劇ではなく、「父がテーマ」だとして見る方が監督の言いたいことに近づける気がします。

 

父親とは?を考える。そこがまず。

私はすごくよい視点だと思います。母親については言われがちだから。

この映画ではお母さんは、当事者の両家とも、ハナから交換はしたくないんですね。そらそーだ思う。

血のつながり、て気にして育児してないもんね。

じゃあ何故、福山パパが、交換しようと思ったか?そこ!そこなんですよ。

 

それを理解するカギとして、福山パパとフランキーパパの違いが分かりやすいんですが、福山パパは忙しいパパ、フランキーパパはそうでもないパパなんですね。

ここの差異を、エリートパパ、ビンボーパパとして認識するのは早計やと私は思います。

 

金がある家、ない家。

その違いじゃないんすよ。

 

パパが日曜日に家にいて、子供と遊んでるか。

一緒に風呂に入るか。あるいは一緒に寝てるか。話してるか。笑ってるか。子供に眼差しを向けているか。子供の顔を見ているか。

シンプルにいえば、それかなと。

 

なんやかや言って人は、一緒の時間を過ごすなかで、様々なエピソードを共有し、様々な喜怒哀楽を共有し、距離を縮め、親しみを感じあい、愛着を持ちます。

幼いうちの育児には、愛着というものが大切だよ、必要だよとされてもいます。

てか、母である私自身、持って生まれた母性より、よっぽどこの共有の方が愛情につながってる、て実感してます。母性をあんまり信じてない。

 

忙しいパパの不利な点が、まさにこの共有による愛着の希薄さ、いや、自信のなさなんじゃないでしょうか。

 

頑張って仕事している福山パパが別に悪いわけじゃない。ただ、やっぱり育児に必要なものの大事なひとつが不足しがちにはなる、というより、自身が負い目感じてるわけですよ。

 

ケイタ君に対して。

それは仕事をしてる私自身にもあるんですね。負い目。でも、その後は違います。

 

福山パパはこう思いたかった。

でも血の繋がった親子だから、絆は無くならない。

 

でも、その最後の砦の血の繋がりという拠り所を無くしたら、ほな父親ってどうしたらいいの?て問いかけてるんです。この映画は。

 

それでもまだ血の繋がりという拠り所にすがるの?

 

それとも子供と共有できるよう仕事控えるの?仕事減らす?辞める?じゃあ収入減るけど、一家の大黒柱として食べていかせられる?

 

私は映画の結末に共感しつつも同時に、時間がすべてだとも思わないです。子供と過ごす時間が少ない忙しい親がすべて子供との愛着関係が希薄なんか?というと、必ずしもそうではないと思うから。

 

福山パパが閑職に左遷させられなかったままなら?変われないの?

 

結局、親子の絆、結びつきってなんやねん?

血じゃない、時間じゃない。

そう考えると、ほんと悩みこんでしまいます。

 

親子の絆がなんなのか、その答えはまだ私には分からないです。

 

 

ただ、寂しいのは子供なんかな?かわいそうなんは子供なのか?

 

もしかしたら、親の方が寂しいのかもしれない。

共働きとかシングルマザーとかシングルパパとか、子供との時間がなかなか取れない親はジレンマ持ってますよね、きっとみんな。めっちゃ悩んでますよね。

 

子供が寂しくないか。

我が子のこと見えてないんじゃないか。

犠牲にしてるんじゃないか。

 

でも。子供といる時間の幸せを求めてるのは子供だけなんだろうか。もしかしたら、親の方が寂しいのかもしれない。子供には未来があり、親には人間を巣立たせる覚悟がいる。いつか手から離れて、それを祝わなければならない。成長を祝わなければならない。

 

だって子供の成長は嬉しいけど、私には寂しいんです。同じ時間を過ごしていても、向こうは日々変わっていくんですよ。大きくなっていくんですよ。反対に親は年をとり小さくなりながら。

 

だから子育てから逃げることって、実は子育ての寂しさから逃げている面があるんじゃないか。とか、ふと思ったり。

 

それが答えかは分からないけど、親は寂しい生き物で、人間は寂しい生き物で、子育てはそれを自覚するための、それこそミッションなんじゃないか。

 

なんて思ったり。

共働き両親に育てられた子供だった昔を思い出したりしました。

 

お父さんとは寂しい生き物。

お母さんよりももしかしたら。

 

でも、寂しくない親より、寂しい親でいてほしい。寂しくないフリをしても。

 

だから、時間がどうではなく。血でもなく。

寂しさと向き合える親でいられるか。

 

そんな覚悟が、親の条件なのかもしれないなあ、と自分の父親を振り返って考えたりします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生きることは稼ぐこと

昨日、仕事で、久しぶりに、
無力感を味わいました。
私のいる部署は、制作部なんで、
作ったものを売るわけです。
とはいえ、基本は営業さんが受注した依頼を請け負うわけで、会社的に稼いでるのは営業さんです。

ただ、お客さんには制作部が作り出すものに、お金を払ってもらってる。と、制作部メンバーである私なんかは、そう考えて仕事してるわけです。

それはつまり、制作部が作り出すもんが、お客さんの役に立っていて、もしくは役に立つことを目的にしたものであり、それを生み出し、お金を払って買ってもらい、役立ててもらうことが私たち制作部の存在理由であり、モチベーションなわけです。

かたや、営業さんは、お客さんの数を増やすことが存在理由であり、モチベーションなわけです。

この、存在理由とモチベーションの差異が会社を発展させている…となれば、理想なんだけど、昨日、それとは逆な出来事があり、なんか、もやもやしてしまう…。というか、最近、営業さんと接する機会が増えて、その差異についていけないとゆーか、なんだかなーとゆー思いが日に日に募り。

最終的には、私は資本主義のシステムに合わないんだな、とゆー、結論で、自分を納得させると。

確かに制作部が作ってれば、それだけでお客さんが勝手に、こりゃいい、これ欲しい!とわんさか押し寄せてくることは、現段階では不可能なんですね。

だから、営業さんがいてくれて私たちは仕事ができるし、食べさせてもらってるわけです。

ただ、営業さん様!なスタイルでやっていると、(実際我が社はそうならざる得ない)お客さんを増やすことが段々、至上命題になってくるわけですよ。何よりも優先すべきはお客さんを増やすことだ。よりよいものを作るよりも、お客さんに役立ててもらって喜んでもらうよりも、お客さん増やすこと、儲けること、会社でかくすること、それが大事になっちゃうんですね。
これは、資本主義経済である限り否めない流れです。だって、どこまでも、儲けて、でかくして、ていうのが、企業としての目的なわけですから。
むしろ、ベンチャーと言われる我が社で過ごす中で、いや資本主義ってこういうかとかと、定型パターンを目の当たりにさせてもらってるなあ、と軽く感動すらします。

とすると、お客さんを増やすことが至上命題の営業さんのスタイルが、それが悪いとか、間違ってるとかではなく、むしろ資本主義経済において、真っ当な姿勢なわけですね。
ならば、それについていけない私は資本主義に合わない…落伍しちゃった( ̄▽ ̄)となります。

いや、ここで言いたいのは、制作部がお客さん増やしたいと思ってないわけでは決してなくて、むしろ同じく増やしたいと切に願っていることです。本当にみんな。
ただ、それは、役立つものを売っていれば、あとから結果としてついてくんじゃね的な、牧歌的なもんなんですね。

卵が先かニワトリが先かで、いいもん作ってないから営業頼みになるのか、営業頼みだから創造力がおろそかになるのか。
正直、私は後者だと踏んでいるんですが。牧歌的な浅知恵で。

そんなわけで、そんな状況において現実的に、自分が昨日みたいな無力感にさいなまれずに、お客さんに役立つものを売って喜べる日はまだまだ来ません。

そんな日が訪れるために、具体的に今すぐ効果てきめんを見込んでできることも、多分なんもないです。あったら無力感ねーだろ、てゆー。

私は稼ぐことの大変さを本当には知らないのかもしれません。

ただ、いいもん作って、それでお金もらえて生きていけたらいいなあ〜楽しいな〜って夢想している、思春期の中学生と同じレベル。アラフォーの厨二病ってたちわる。いや、ろんもち、お時給いただいている分は稼いでるし、子育ては未来への社会貢献だとも思いもしますが、こう、直接的じゃないから自信がないんかしら。はい、100円、と私の作ったもんお客さんに渡して、はいおおきに、て言われ銭をいただいてないから、そんな気になるんかしら。

いやまて。てことはですよ。
……。
あ、今日はもう思考を停止します。頭の整理だけで。余計こんがらがったけど〜








歳を取るってノーミュージック?スコットジョプリンが来たー!( ̄▽ ̄)

かつて、そう20年も前の私にとって、音楽は毎日を乗り切るのに、欠かせないものでした。


中学生時代は、ビートルズに出会いました。それ意外には取り立てて特筆すべき趣味はなく、時代時代に、一世を風靡した音楽聴いてました。


ちなみに夫は最近、ナゼかはわからないけど、一世風靡セピアの『汚れちまった悲しみに』をよく口ずさんでいます。


いろいろありはするものの、ライブに行ったりするほどのハマる出会いはそんなになくて、最終ビートルズなんかな、と思う。

とゆーかジョンレノン。

とはいえ、語るほどの知識や深みはなくて、好きな人が行き着く6070年代の派生音楽を聴いたり、ギターやバンドを始めたりもしなかった。だからといって、無駄だったとは思わないし、今でも、やっぱり私にはビートルズが頂点だし、ビートルズに出会った時のぎゃー♪O(≧∇≦)O♪とゆー衝撃はいまも覚えてます。そんなん、中学生の時以来ないけど。振り返れば大したことまったくないな…いやでも音楽聞いてたんすよ。毎日。とにかく。必要だった。


そして、30歳を前後にここ10年くらい、私のライフに音楽は、ほぼなくなったんです。


びっくりするくらい、音楽が生活に、ない。

自転車でもバスでも電車でもウォークマンで音楽聞いていた、あの頃がなんか不思議なくらい。


No music no life

とか、フツーに、んなこたない。音楽なしで生きています。


家で原稿を書くときにFM802を付けるクセはあるが、BGMであり、テレビを見もしないのに寂しいから付けてるみたいなもんです。


それが、よいか悪いかは分からないし、問題じゃないんだけれどもね。

歳を取ってもうたんやね、と…

そうゆうことなんかな、と、ふと思ってみました。

で、それが結論ではなくて、

何が言いたいかとゆーと、最近、

音楽が生活に戻り始めたんです。と。


それは、娘がもたらしました。

ピアノを習っている娘の発表会の練習に付き合い出した( ̄▽ ̄)


その曲がね、エンターテイナーてゆーんだけども、めっちゃ音の数少ないのに、楽曲として、カンペキでなんか感動したんですよ。

子ども向けのアレンジだから、もちろんそうなんだけど、それにしても、クラシックの中では明るくて楽しくてステキな楽曲なんです。弾いてて楽しくて。

Entertainer

Entertainer


20世紀初頭に活躍した作者のスコットジョプリンは、27歳の時にエンターティナーを作曲。

お父さんは奴隷経験があり、アフリカ系アメリカ人がまだまだ生きにくい時代に、音楽の才能を伸ばしラグタイムというジャンルを生み出した立役者だったんだけど、存命中は、あまり陽の目を見なかったみたい。


で、時を経て1970年代、ジョプリンのエンターティナーが脚光を浴びるきっかけとなったのが、『スティング』とゆー映画なんです。


いや、正直、スティングを未だ見ていないですが、くしくも、以前、見たい映画候補として、TSUTAYAでレンタルして、DVDに録ってたんです!偶然のステキさ!


で、まだ見てない。エンターティナー、聞けば知ってる曲です。ああ!知ってる!てうなずいてもらえます。


9歳の娘に自分が弾く曲のバックボーンとかコンテクストとかは、まだ多分あまり重要じゃない。


けど、私には、偶然出会った音楽が、単純に娘の練習に付き合って弾いてみて、楽しくなっちゃったよ、て曲が、アメリカの歴史とか映画史に足跡を残すような、ストーリーを持っていたとゆー感動があったんでございます。


歳を取って、人生に音楽がなくなったわけじゃなく、出会い方が変わっただけなのかもしれません。



ホテルのレストランで、あ、お金かけてもいいな、と思えるサービスに出会う

潰瘍性大腸炎の父に合わせて1人違うメニューを創作してくれた!



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ちょっとした工夫気分をよくするね!

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加賀太きゅうりをミョウガ味噌でいただきました。





戦争が終わって本当に良かった

日付がかわりましたが、8月15日は第二次世界大戦、日本の太平洋戦争の終戦日でした。


敗戦でしたが、私は本当に戦争が終わって良かったと思う。

悲しい戦争が。


戦争を、体験した人が年をとり、若者には伝わらない時代へ向かってる。


あかんなあ、と思う。でも、そうなんだろな、とも思う。

NHKの戦争特番とか、いっぱい見てほしい。怖くてしかたなくなる。


とにかく、理屈じゃないのが戦争で、遠い場所で兵隊だけがドンパチやるのでなく、民間人がひどい目に合うのが戦争で、非人道的な狂気の世界へいつの間にか陥るのが戦争だ。

キレイな戦争がありますか?

殺人なんですよ。命の取り合いです。


そこが私の何より戦争が嫌いなところ。

戦争じゃなくても、確かに世界はキレイじゃない。

そう。

でも、汚い平和な社会が戦争したら、もっとドロドロになり、もう救いはなくなる。一筋の光もなくなり、残酷さだけが残るでしょう。


人間とゆー生物は、戦争がしたくなるのかもしれない。ただ、戦争をしたくない、とゆー生物でもあり得る。

生物の話なのか?単に嫌なんだよ。残酷で不自由で誰かが死んだり憎しみ合うのが。

ダイエットのレベルではなく、40代をできる限り、快適に過ごすための肉体改造が必要

痩せたいのですが、それより、毎日あまりに疲れやすく、ヤバイなあ、と気が落ち込む最近。


もう40ですよ、

今年。


それにしたってやばいやな。この体力のなさと。


ただ、生活を省みて、原因もあるよね。

まず、早寝もするが、だらだら夜更かしもしてる。

夜中におやつをくったり。


めっちゃダメじゃん!ばか!


で、揚げ物やら肉類が多過ぎ。これはねー、家族もあかんよね。魚嫌い、濃い味大好きな夫が一番、あかん。


運動しない。でもこれは、物理的に子育てと家事と仕事してるなかで、無理だ。疲れてるから、しんどいし。


疲れない身体になるには、筋力をつけることは必須やけど、ちょっとハイレベルな話なんで、とりあえず、可能なことを考えてみましょう。


1

早寝早起きをする。


2

食べたものをカレンダーにチェック


3

漢方を飲んでみる

合うものを探さないとね。


4

無理をしない


とりあえず、この4つをがんばろ!

アドラー心理学がすごい1

アドラー心理学

 
「嫌われる勇気」という本を読みましたが、この本はタイトルは一見、自己啓発本に見紛いますが、実はアドラー心理学を解説している、入門書的読み物です。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え



読んだ感想を結論からいうと、感銘を受けました。
 
アドラー心理学は、世間的にもあまり知られていないようですが、私も全く知りませんでした。
でも、ヨーロッパでは、フロイトユングレベルの学者さんだったらしく、ただ、自身の学説が、賛否両論、てか、否定系意見が割とあったようで、あまり知られてないようです。
そんで、自己啓発とは違うんですが、ちょっとお説教じみているというか、宗教的な雰囲気があり、それが科学を愛するアカデミーには、もしかしたら、不評だったんじゃないかなと思います。
 
そんなアドラー心理学とは、一体どんなんや?
だいたいの自分の理解はあるんですが、本的な内容を忘れちまったので、次回読み直し書きます。
 
感想だけ言います。宗教とかお説教の嫌いはあれど、その学説、考え方、ええがな!というのが、私の最終結論です。
 
自分の身に活かせます。
優しい気持ちに、三日間くらいなれます。
一週間くらい、ポジティブになれます。
そして、何より、困ったときのヘルパーさんとして、考えや行動の指針として、支えになります。
 
…それ宗教やん!
と自分で書いていて思いました。
 
宗教ではないんです。自己啓発とも毛色が違うと思います。
 
ひとつだけ、アドラー心理学について、書いてみます。
 
フロイトユングの、原因論を否定。アドラー心理学は、目的論を説く!
 
トラウマ。フロイトが発見、命名した、人間の行動や考えや心身の症状を生み出す、心の傷ですね。
 
このトラウマは、幼い頃に受けた衝撃や緊張、極度のストレスなどなどを、時間を経てなお、心の傷として背負い、それがために、個人の人格や行動や性癖や価値観に影響を及ぼすちゅう話です。
それに対して、アドラーは異を唱えまして、トラウマは関係ない、人は、目的のために行動している、と説いたわけです。つまり、過去ではなく、今!今、その人が望む目的から、行動が導き出される、という話なんですね。
私の解釈では。
 
それって、つまり、どういうことか?
疲れたからまた次回に!ばいばい!
 
 

録りだめログ 宇宙兄弟 鍵泥棒のメソッド

録りだめしたテレビ番組を週末に一気にみる習慣がついた太郎母さんです。

今日は、大分前にテレビでやっていた実写映画の宇宙兄弟を見ました。

原作の方が断然面白い。

よくある、二時間に収まりきれなかったパターンですね。

原作の面白さを担う大きな要素、登場人物が要所要所で吐く、ぐっとくる!かっこいいセリフってのが、あまり意識されてない感じが一番物足りない。

もっと意識してよう。

役者さんはよかったし、うまくまとめた感じも無きにしも非ずだけど、やっぱりな。

アメリカとか密室テストシーンが安っぽい。

でもそれはいいんです。

ただ、原作は、楽しめる要素が格段に多いし中身が分厚い。

はい、原作をほめたかったんですね。

 

ちなみに先週末にやっと見た、鍵泥棒のメソッドは、面白かったです。

鍵泥棒のメソッド

内容がかなり分厚いす。この監督さんの〈内田けんじさんという〉運命じゃない人バブルへGO!も前に見たことがあり、同じ監督さんとは知らず今回、この映画を見ましたが、断然、鍵泥棒のメソッドがよいです!覚えてないもの。他の作品のストーリーとか、内容。

 

堺雅人香川照之はいわずもがな、嫌いなはずの広末涼子さんがよい!ぶりっ子じゃない演技できるんだな。

 

映画を見なくなってはや八年。つまり、出産してから、八年。あれ9年?

ほんと、見なくなったな。たまに地上波で見るだけで、シアターに行かないし、TSUTAYAにもほぼ行かないなんて。

 

八年か九年前にも、いや、90年代後半、世紀末から、すでに邦画がきてるなという手応えはあったが、もっとですね。

商業として、成立してるなあ。

調べてみたら、某映画サイトでは、アナ雪とアメージングスパイダーマン以外、ランキングトップ10はほぼ邦画なんでした。

人口が減りだすなかで、元気な業界なんですね。邦画。なんでだろ。

でも、単純に面白いのが増えたような気がします。

金をかけずに面白い作品が。

新しい映画の価値を創出してるよね。

今の若い監督さんたちががんばってるんかな。

あと、原作の漫画や小説が進化しているのもあるかも。

進化というか、新しい価値の創出。

切り口がニッチで専門性が高かったり、それもあるんだけど、私が思う限りの仮説としては

 

1 もともと邦画は面白かった、だけど、どっかの時代に物語よりもお金をかけた作り込みを優先させてしまった。

2 消費者に、非現実、非日常ではない、より自分たちの日常に近い世界感、親しみやすさが受ける時代になり、金をかけずにニーズに応えられるようになった

3 撮影技術が向上したりして、凝った演出ができるようになった

4 俳優さんがドラマより映画を大切にしだすようになり、ギャラや知名度でなく中身で出演を決めたりするようになり、キャスティングの質が向上した

 

とか?でも、単館とかは潰れていってるんよね。しかも、劇団ひとりの映画が動員数2位って不思議。昔じゃ、あり得ない気がする。

 

ただ、流行りに流されない、大きなものに巻かれない、多様性を包括する業界でいてほしいです。