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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

いのちの停車場_終末期在宅医療の家族の指南書

 

幻冬舎文庫 2021 南杏子

小説の方です。

素晴らしい小説でした。

 

物語としては、東京の名のある大学病院の救急救命センターの副センター長まで上り詰めた医師の白石咲和子が、現場責任を問われ大学病院を去り、地元の金沢で地域の方たちの訪問診療をする物語です。

 

作者の南杏子さんはなんと現役医師で、小説家。

医療現場の描写がリアルで分かりやすくて万人が読みやすいのに加えて、在宅医療や終末期医療についての実際がきちんと表現されていて、めちゃくちゃ勉強になりました。

すごく勉強になりすぎて、5年前にうちの親父さんやおばあちゃんが亡くなる前に読みたかった…と悔しかった程です。

 

小説にもありますが、戦後日本は、現代医療の発展により、誰もが質の高い医療を病院で受けられるようになりました。それに伴い病院で亡くなる人が増えたことで、人が実際にどのように死んでいくかを見る機会がほとんどなくなりました。

 

ところが今、高齢社会が到来し、社会保険などの医療費による財政の圧迫を抑えるために政府の動きとして予防医療や終末期在宅医療が推し進められてきています。在宅医療では、家族が介護はじめ「家族の死」「看取り」も経験しないといけなくなり、現場ではすったもんだが起こっています。

まさに5年前の親父さんの場合もそれでした。

 

私の親父さんの時の話を少しします。

親父さんは肺癌でした。手術はできず、2種類の抗がん剤治療を行って効果なく、病院の担当医に在宅医療を勧められました。それで退院して、在宅診療になったのですが、正直にいうと私は、在宅医療にきちんと理解と納得ができていたんだろうかという気持ちを未だに持っています。

 

そもそも父は在宅医療への切り替えに全面的に乗り気ではなかったのに、病院規則を理由に在宅に切り替えられたという感じが、今も否めません。

 

それは、先述のように政府が終末期医療について基本的に在宅を推進している社会背景を、私たち家族がよく知らなかったのもあります。

今はまだ浸透してきましたかもしれませんが、5年前は、え?病院にいたらダメなの?って雰囲気がありました。

 

父は抗がん剤治療にも意欲的でした。でも父の「病院で抗がん剤治療を続けたい」という意志はなんとなくスルーされ、「病院に長くいるより早く自宅に帰りたいだろう」という担当医から端々に感じる暗黙の了解で、でもそのことに違和感を感じていながら誰も口に出さずに事が進んでしまったように思います。

 

小さなモヤモヤが今もまだ引っかかるんだから、

じゃあ何が結局引っかかってんだろうと思います。

 

やっぱり私は、病院の担当医が説明不足だったんじゃないかと思うんですよね。

 

それを踏まえて、フィクションではありますが、現役の医師である南杏子さんが描く咲和子先生には、開眼しきりです。

 

何よりこの咲和子先生はまず、自分が家族に何の話をするのか、表明します。それから2時間くらいかけて、人が最期に向かっていく様子や看取り方の説明をしたりするんです。

 

これだけ手厚いのが、在宅医療のスタンダードではないかもしれません。

それはもちろん分かりますが

もし父のときに担当医が

もっと在宅医療の意義や過ごし方を時間をかけて話してくれたら、その後の親父さんや家族の取り組み方もまた違ったのではと考えさせられました。

 

父は性分的に「闘う人」で、その性分の良し悪しはともかく、癌に対しても「最期まで抗い立ち向かうもの」みたいな解釈でした。いわば癌と闘うことが生きる意味だったわけです。

かたや在宅医療はそうではなく、病気を受け入れながらできるだけQOLを保って過ごす、というスタンスです。

当時の私たちには、在宅医療のバックグラウンドやスタンスの理解がかなり足りてなかったと今は痛感します。父は病院など外部の人に対して決してわがままをいうタイプではなく、むしろ病院とか医師など権威あるものに対してすぐに信頼を寄せるタイプでした。母もです。

 

病院の担当医には、病気を穏やかに受け入れていくことの意味や在宅医療の意義をもっと家族に説明してほしかった。

咲和子先生がやっているようなそれを現実の医師に求めるのは贅沢な事でしょうか。。

 

まさに「いのちの停車場」にも、末期癌で余命わずかの6歳の少女の両親が、在宅医療ではなく、病院で抗がん剤治療を諦めずにやって欲しかった、なのに諦められた、見捨てられたと、咲和子先生に嘆き話す場面があります。

 

咲和子先生は、病院でも担当医から何度も説明を受けているはずの話を両親が全く理解していない、と悟ります。

強く持続的な緊張とストレスのなかにある家族には、医療方針や現状などを理解する心の余裕がない場合があるそうです。

だから咲和子先生は、これからは在宅医療医師として患者を引き継いだ自分が家族に何度でも説明しなければならない、とその役割を語ります。

 

親父さんのとき、まさに私たちもそうだったのかもしれません。それに病院の医師に「家族ごと抱える」意識を求めるのは筋違いなのかもしれません。

 

けれど在宅医療では、家族ごと受け止める必要が生まれます。その前提で病院の担当医は、病状だけでなく、ヒトをみて、しっかりと在宅医療医師に引き継ぐ必要はあると思います。

 

こんな風に思うのは私が家族の終末期在宅医療を体験したからでしょうが、今後、在宅医療が増えていくでしょうから、そのあり方は、さまざまに課題を抱えていくんだと思います。

 

この作品は、在宅医療を理想化するのではなく、それらの課題を現役医師である南杏子さんがしっかりと静かな視点で捉え、患者や家族への優しい眼差しを持って書かれています。

 

 

いちいち「そうそう、そこなのよー」とか「なるほど、だからそうするのかー」やら「家族の立場からしたらほんまにそうなのよー」など共感できるんですね。

 

医療小説として普通に面白いんですが、南杏子さんがすごいのはこの「いまの現場視点」を見事に言語化している点ではないでしょうか。

 

「ドクターX」でもなく「コードブルー」でもない。

どっかの「すごい手術」「大変な現場」じゃない。  

高齢社会を迎え、今後さらに終末期医療、在宅医療は身近になっていく社会で、私たちが実際に接する「あるある!」な「普通の医療」の臨場感。

高齢社会の医療のリアルを指南してくれます。