- 作者: 中島義道
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/08/28
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- 作者: 加藤 恭子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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子育て 仕事 両立 ワーママ アラフォー 映画 本 読書 感想 フリーランス 起業 正社員 40代 生き方 プライムビデオ
最近ちょっといいことがある日々です。
音楽を聞き出した。
ジャンルはAOR。ロックが疲れたんです。
向かうものがないからか、トシか、疲れてるのかわからないけど、今の自分にちょうどいいのが、このアダルトオリエンティッドロックでした。
てまだそんなに聴き込んでないですが。
時代でいえばAORは、70年代からちょうど80年代へ移るはざかい期。私は幼児から小学生に上がる時期なので、存在すら知りませんでした。聖子ちゃんや郁恵ちゃん、桜田淳子さん、西城秀樹さんなどをテレビで見ていた時代です。
同い年の友人が高校時代にはまってたらしいですが、その頃も私自身は全くスルーしてました。パーラメントのCMにボビーコールドウェルが使われていた時代すね。その頃の私は、パーラメントはスルーし、中学時代からさらにビートルズを幅広く聴き込んで、ほかは50〜60年代、オールディーズのコンピアルバムを集めてました。ニールセダカとか。
あと、これまた最近知ったけど、当時また別の友人の影響から崎谷健次郎さんを聞いてましたが、崎谷健次郎さんは、wikiではジャンルはAORと書かれてるんです。ってことで、全く無縁でもなかったんだなあ〜と、後に思うわけですが。
プラチナムベスト 崎谷健次郎~Mellow Groove Collection (デジタルミュージックキャンペーン対象商品: 400円クーポン)
そんなAORほぼ初体験な先日、友人から、今や60超えたボビーコールドウェルが、ヅラっぽい。という話を聞いて…がくーん。
ヅラかい
いやヅラがあかんのではなく。
私には音楽があるから髪はいらん!とはならないんだね…と。
そうあって欲しかったな、と。
アーティストに、俗な部分を見せられたらやだなぁ、ていうアオいタマシイが、あるからでしょうか。
でも、今のところ、ボビは一番好きです。
風のシルエットの頃の初期のビジュアルはめちゃ好きです。初めて見たときのヅラ疑惑に負けない衝撃がまだあります。かっこええがな!ていう。
今日は、NHKの朝イチでやってた、つながらない生き方 が面白かったから書くつもりだったのに、ボビの話になってしまいました
よ。
そうそう、それもだけど、NHKの番組が最近面白いね、の話もあるな。
朝イチは前から好きだけど、バリバラとか。ドキュメント系とか。
え、どれ書く⁉︎
いろいろ書きたいな。
とりあえず、「つながらない生き方」は、SNS過渡期時代の今の自分のモヤモヤ感にどんぴしゃりだったわけで。
ママ友な。
分かるわあと。
私なんて、LINEのグループ、途中で抜けたからね。ざわつくの覚悟で。自慢でもないけど、正直良かったな、と。家にいる間、どんどん子供の話聞かなくなってたから。
そもそも、Facebookにしろ肌に合わないのもある。きっと。私の脳内になかなか発表できそうなキラキラしたものがない、だけでなく、名前を知ってもらった上で、脳内をもうお見せするに値するものがほんとないんですみんな悩まないのかな脳内そんな健全ですか恥ずかしくないのか理解される自信はどうやったら持てるのか自分がこんな脳内マイノリ
ティーだったなんて。
てグダグダしていたら、ただただ重荷に感じてたというのがSNSなわけで。なのに、生半可に参加してたり、自分がほんまイヤになる嫌い、って泣いてたお母さんのお話、笑えない。ちょっと嬉しくて笑ったけど。
いやSNSを扱いきれてない人は、私だけでもないんだな、と嬉しくて。
なかでも蛭子さんの部分は秀逸。
中島義道とか通じるものあります!
で、この日の朝イチが始まる少し前。
奇しくも、
まさにこのお話の
つながりたい 僕ら
に対するお話の
解答に
私の好きなブロガーさんが果敢にも挑んた更新のお知らせメールが(*^^*)私に参りました。
それが、蛭子さんのさらに上なわけです。
蛭子さんは、友達よりも自分の好きなことを優先しようよ。本当に面白いと思うことしようよ。
と仰っていたんですが、
私の好きなブロガーさんは、
自分の本当に好きなことが分からないのがSNS時代なんだ、と仰っているわけです。
うーんと、達筆に叶わぬので、表現にズレが生じるかもですが、私の解釈にて、
見せる自分に慣れだした私たちに
見せることを除いた、…仮に見せずにこっそりと…てイメージにしときましょうか。
そうその、誰にも見せずにこっそりと感じる、求めるもの、欲しいもの、なんて、考えつかないんじゃね?
みたいな。
そもそもは、まず自分の行動ありきで、次にデジタルで発信していたものが、逆にまずは見せる体裁で、行動を決めていくようになったような
とでもいいましょうか。
そうなるとアレですよ。
見せる
という体裁で、好きなことも、面白いという感情すらも、決めていくんじゃねーのか、見せる を抜きにして、やりたいことやれるのかな、ていう。
私の好きなブロガーさんは
それじゃ怖いことならない?
人に見せる
じゃなくて
人と対話する
道具なんだよSNSは。
と仰っておりました…。(私の脳内で)
チェコ好き さんというブロガーです。
若いのに、造詣が深くて
読めば読むほど、はっ!とさせられる方です。
今一番尊敬している人の一人でございますです。
とまあ、そういった複合情報を本日はたまたま?一石二鳥的に得ることができ、なんだか宝くじのちょっとした配当があった気分(*^^*)な日でございました。
では、ごきげんよう
ここ数日、悩みがあり、眠りが浅くなったり、若干、食欲をなくしています。十分、食べてるけど。
このメンタル不調は、私がバカにしてきた、職場での人間関係が原因です。
そもそも、職場は職を全うする場所であり、仲良しごっこの場所じゃねーんだよ。
と考える傾向にありがちなわたくしですが、いやまさか、ここに来て、まいっちゃうとは、自分の未熟さに、とほほ…です。
しかし、いつまで悩みを引きずらねばならぬのか、を考えて、とりあえず解決策を見出すべく、まずはググりました。
検索ワードは
すぐにキレる 同僚
キレやすい人
境界性パーソナリティー
いやあ、あるわあるわ。知恵袋とか小町とか他いろいろ。
みんな大変なんだな、と分かっただけでもムダじゃなかったと思います。(笑)
そして3日連続寝不足の今、休みまでそのことでアタマいっぱいの今、抜け出していないけど、ほんの一筋の糸口をつかんだかもしれない…し、つかんでないかもしれない……みたいな、今。
アタマの切り替えなんすよ。要は。
相手の行動のおかしさを何度もアタマで再確認したり、自分にも非が、てか隙があった点を後悔したり、どうやったら相手をぎゃふんとできる毅然とした態度を保てるか悶々悩んだり、これからもきっと問題が起きる可能性が少なからずあるような、出来事だけでなく人格そのものに対して信頼できかねる相手との同空間でのこれからの時間を想像してひたすらに気が滅入ったり、それをループで繰り返してきて。
うんにゃ!
自分も相手ももはやもう、何ミリたりとも期待通りにはならないのですあきらめるんです人は変わらないし理解し合えないしそんなんは夢物語でナンセンスで非現実で哀しいだけなんです。
解決策を探すとか。
そう。問題は、私が仕事をしている、生きている、その愉快さに心の照準を合わせること。
要は、どうしようもない現実はそれでよし!として、それより考えるべき別なことがあるはずな気がちょっとしてきたんです。
たとえば、今私は一介のパートの身でありながらも、メディア統括トップと直接やりとりできる社員部内ミーティングに参加させてもらい、ベンチャー企業の規模拡大フェーズにおける部内組織体制の再構築と設計みたいなことに参加させてもらってます。
つーか、全エネルギーをここに費やしている。変な悩みが生まれるついこの前までは、休みの日ですら、この組織運営設計におけるいろいろな課題やその解決策なんやらばかり考えておりました。うーん、うーん、と。
この仕事はまだスタートしたばかりで、しかも割といい感じのスタートだったんだけど、考えてみれば、まだまだ序の口なわけで、これからなんですよ。奔走すべくは。
まだ、本質的な意味での体制も整備されてないし、現状の改善結果の中にも新たな課題が生まれています。
うん。いや、がんばらなあかん。あかんよ?わたし。
そんで、大事なのは、わたくしは、ここにあり、と自負してます。
この仕事で私はキャリアを積みたいわけじゃないし、お給料をもっともらいたいわけでもないし、ほならなんでこの仕事を一生懸命やりたいか。
それは、なんや!
最近ハッと考えたのは、それは、誰もが働きやすい職場を作りたいからなのではないかなと。
私は、上の子を出産して再就職して以来、ずっとアルバイト、パートです。少なくない数の転職も経験してます。徹夜とかフツーにしていた独身時代と違って、早く帰らないといけない、残業できない、時間給だからその分の会社的コストに見合った工員的働きを見せないといけない、社員に迷惑かけちゃいけない、でも子供はインフルエンザやマイコプラズマやノロウイルスに感染する、急に休まないといけない、結果迷惑かける、いづらい、ひとつの仕事だけでも最後まで責任が持てない、いつも後ろめたい気分でいる、役立たず、その割に子育ても不完全、子供に負担をかけてる、家事もおろそかで家が汚い、なんだか全部中途半端、一体何がしたいのか、私無力、非力、情けない、生き方間違えたんか、それとも私が未熟だからか、いや、社会的サポートが未熟やからか、はあ〜〜〜〜あ。
という数年を過ごしてきました。親や保育所や学童のサポート、無自覚に女はお母さんとして家事も育児も中心で当たり前な考え、でも自分はすごく協力的な夫だと思ってる夫と喧嘩しながらの共働き生活、そんな中で。
だから、パートでも社員でも、新人でもベテランでも、お母さんでもお父さんでも独身でも、若くなくても若すぎると言われても、時間が短くても、残業しなくても、誰もが公平に自分の成果を出せて、やりがいを感じれて、日々のルーティーンに追われるばかりじゃなくクリエイティブな業務にも取り組めて、新しいチャレンジができて、でも、家族やプライベートもしっかり充実させれて、本が読めて、料理が義務じゃなく楽しみに思えて、健康に暮らせる。
そんな職場を作りたい。
それが私の目標であり、そのための仕事だと考えいます。
でも、完璧はムリなんは分かってます。だけども今よりよくなることはできるはず!
見ました。
録画したテレビ初放映?の
よかったよー。
泣いたよ。
この映画は、やっぱり 「父」 がテーマなんですよね。
私には9歳と4歳の子供がいます。
もし自分だったら、交換はないです。
今自分の子供と血が繋がってなかったと言われても
離れられないし、離れる必要感じません。
てか、多くのお母さんお父さんそうなんじゃないかなあ。
そのいわば、常識的な親の立ち位置に、福山雅治演じるパパが、なかなか立てなかった。てことが、この映画の問いかけなんだと私は思います。
だから実際にあった赤ちゃん取り違え事件を取材した、ドキュメンタリー書の参考文献と、是枝監督のこの映画の差異を、一部取り沙汰されているのも違和感を感じるのです。まあ赤ちゃん取り違えという設定というか背景というか、それがかなり衝撃的なんで、そっちに気をとられてしまう気持ちも分からなくはないんですが。
でも、この映画は、事件が生んだ悲劇ではなく、「父がテーマ」だとして見る方が監督の言いたいことに近づける気がします。
父親とは?を考える。そこがまず。
私はすごくよい視点だと思います。母親については言われがちだから。
この映画ではお母さんは、当事者の両家とも、ハナから交換はしたくないんですね。そらそーだ思う。
血のつながり、て気にして育児してないもんね。
じゃあ何故、福山パパが、交換しようと思ったか?そこ!そこなんですよ。
それを理解するカギとして、福山パパとフランキーパパの違いが分かりやすいんですが、福山パパは忙しいパパ、フランキーパパはそうでもないパパなんですね。
ここの差異を、エリートパパ、ビンボーパパとして認識するのは早計やと私は思います。
金がある家、ない家。
その違いじゃないんすよ。
パパが日曜日に家にいて、子供と遊んでるか。
一緒に風呂に入るか。あるいは一緒に寝てるか。話してるか。笑ってるか。子供に眼差しを向けているか。子供の顔を見ているか。
シンプルにいえば、それかなと。
なんやかや言って人は、一緒の時間を過ごすなかで、様々なエピソードを共有し、様々な喜怒哀楽を共有し、距離を縮め、親しみを感じあい、愛着を持ちます。
幼いうちの育児には、愛着というものが大切だよ、必要だよとされてもいます。
てか、母である私自身、持って生まれた母性より、よっぽどこの共有の方が愛情につながってる、て実感してます。母性をあんまり信じてない。
忙しいパパの不利な点が、まさにこの共有による愛着の希薄さ、いや、自信のなさなんじゃないでしょうか。
頑張って仕事している福山パパが別に悪いわけじゃない。ただ、やっぱり育児に必要なものの大事なひとつが不足しがちにはなる、というより、自身が負い目感じてるわけですよ。
ケイタ君に対して。
それは仕事をしてる私自身にもあるんですね。負い目。でも、その後は違います。
福山パパはこう思いたかった。
でも血の繋がった親子だから、絆は無くならない。
でも、その最後の砦の血の繋がりという拠り所を無くしたら、ほな父親ってどうしたらいいの?て問いかけてるんです。この映画は。
それでもまだ血の繋がりという拠り所にすがるの?
それとも子供と共有できるよう仕事控えるの?仕事減らす?辞める?じゃあ収入減るけど、一家の大黒柱として食べていかせられる?
私は映画の結末に共感しつつも同時に、時間がすべてだとも思わないです。子供と過ごす時間が少ない忙しい親がすべて子供との愛着関係が希薄なんか?というと、必ずしもそうではないと思うから。
福山パパが閑職に左遷させられなかったままなら?変われないの?
結局、親子の絆、結びつきってなんやねん?
血じゃない、時間じゃない。
そう考えると、ほんと悩みこんでしまいます。
親子の絆がなんなのか、その答えはまだ私には分からないです。
ただ、寂しいのは子供なんかな?かわいそうなんは子供なのか?
もしかしたら、親の方が寂しいのかもしれない。
共働きとかシングルマザーとかシングルパパとか、子供との時間がなかなか取れない親はジレンマ持ってますよね、きっとみんな。めっちゃ悩んでますよね。
子供が寂しくないか。
我が子のこと見えてないんじゃないか。
犠牲にしてるんじゃないか。
でも。子供といる時間の幸せを求めてるのは子供だけなんだろうか。もしかしたら、親の方が寂しいのかもしれない。子供には未来があり、親には人間を巣立たせる覚悟がいる。いつか手から離れて、それを祝わなければならない。成長を祝わなければならない。
だって子供の成長は嬉しいけど、私には寂しいんです。同じ時間を過ごしていても、向こうは日々変わっていくんですよ。大きくなっていくんですよ。反対に親は年をとり小さくなりながら。
だから子育てから逃げることって、実は子育ての寂しさから逃げている面があるんじゃないか。とか、ふと思ったり。
それが答えかは分からないけど、親は寂しい生き物で、人間は寂しい生き物で、子育てはそれを自覚するための、それこそミッションなんじゃないか。
なんて思ったり。
共働き両親に育てられた子供だった昔を思い出したりしました。
お父さんとは寂しい生き物。
お母さんよりももしかしたら。
でも、寂しくない親より、寂しい親でいてほしい。寂しくないフリをしても。
だから、時間がどうではなく。血でもなく。
寂しさと向き合える親でいられるか。
そんな覚悟が、親の条件なのかもしれないなあ、と自分の父親を振り返って考えたりします。
かつて、そう20年も前の私にとって、音楽は毎日を乗り切るのに、欠かせないものでした。
中学生時代は、ビートルズに出会いました。それ意外には取り立てて特筆すべき趣味はなく、時代時代に、一世を風靡した音楽聴いてました。
ちなみに夫は最近、ナゼかはわからないけど、一世風靡セピアの『汚れちまった悲しみに』をよく口ずさんでいます。
いろいろありはするものの、ライブに行ったりするほどのハマる出会いはそんなになくて、最終ビートルズなんかな、と思う。
とゆーかジョンレノン。
とはいえ、語るほどの知識や深みはなくて、好きな人が行き着く6070年代の派生音楽を聴いたり、ギターやバンドを始めたりもしなかった。だからといって、無駄だったとは思わないし、今でも、やっぱり私にはビートルズが頂点だし、ビートルズに出会った時のぎゃー♪O(≧∇≦)O♪とゆー衝撃はいまも覚えてます。そんなん、中学生の時以来ないけど。振り返れば大したことまったくないな…いやでも音楽聞いてたんすよ。毎日。とにかく。必要だった。
そして、30歳を前後にここ10年くらい、私のライフに音楽は、ほぼなくなったんです。
びっくりするくらい、音楽が生活に、ない。
自転車でもバスでも電車でもウォークマンで音楽聞いていた、あの頃がなんか不思議なくらい。
No music no life
とか、フツーに、んなこたない。音楽なしで生きています。
家で原稿を書くときにFM802を付けるクセはあるが、BGMであり、テレビを見もしないのに寂しいから付けてるみたいなもんです。
それが、よいか悪いかは分からないし、問題じゃないんだけれどもね。
歳を取ってもうたんやね、と…
そうゆうことなんかな、と、ふと思ってみました。
で、それが結論ではなくて、
何が言いたいかとゆーと、最近、
音楽が生活に戻り始めたんです。と。
それは、娘がもたらしました。
ピアノを習っている娘の発表会の練習に付き合い出した( ̄▽ ̄)
その曲がね、エンターテイナーてゆーんだけども、めっちゃ音の数少ないのに、楽曲として、カンペキでなんか感動したんですよ。
子ども向けのアレンジだから、もちろんそうなんだけど、それにしても、クラシックの中では明るくて楽しくてステキな楽曲なんです。弾いてて楽しくて。
20世紀初頭に活躍した作者のスコットジョプリンは、27歳の時にエンターティナーを作曲。
お父さんは奴隷経験があり、アフリカ系アメリカ人がまだまだ生きにくい時代に、音楽の才能を伸ばしラグタイムというジャンルを生み出した立役者だったんだけど、存命中は、あまり陽の目を見なかったみたい。
で、時を経て1970年代、ジョプリンのエンターティナーが脚光を浴びるきっかけとなったのが、『スティング』とゆー映画なんです。
いや、正直、スティングを未だ見ていないですが、くしくも、以前、見たい映画候補として、TSUTAYAでレンタルして、DVDに録ってたんです!偶然のステキさ!
で、まだ見てない。エンターティナー、聞けば知ってる曲です。ああ!知ってる!てうなずいてもらえます。
9歳の娘に自分が弾く曲のバックボーンとかコンテクストとかは、まだ多分あまり重要じゃない。
けど、私には、偶然出会った音楽が、単純に娘の練習に付き合って弾いてみて、楽しくなっちゃったよ、て曲が、アメリカの歴史とか映画史に足跡を残すような、ストーリーを持っていたとゆー感動があったんでございます。
歳を取って、人生に音楽がなくなったわけじゃなく、出会い方が変わっただけなのかもしれません。
日付がかわりましたが、8月15日は第二次世界大戦、日本の太平洋戦争の終戦日でした。
敗戦でしたが、私は本当に戦争が終わって良かったと思う。
悲しい戦争が。
戦争を、体験した人が年をとり、若者には伝わらない時代へ向かってる。
あかんなあ、と思う。でも、そうなんだろな、とも思う。
NHKの戦争特番とか、いっぱい見てほしい。怖くてしかたなくなる。
とにかく、理屈じゃないのが戦争で、遠い場所で兵隊だけがドンパチやるのでなく、民間人がひどい目に合うのが戦争で、非人道的な狂気の世界へいつの間にか陥るのが戦争だ。
キレイな戦争がありますか?
殺人なんですよ。命の取り合いです。
そこが私の何より戦争が嫌いなところ。
戦争じゃなくても、確かに世界はキレイじゃない。
そう。
でも、汚い平和な社会が戦争したら、もっとドロドロになり、もう救いはなくなる。一筋の光もなくなり、残酷さだけが残るでしょう。
人間とゆー生物は、戦争がしたくなるのかもしれない。ただ、戦争をしたくない、とゆー生物でもあり得る。
生物の話なのか?単に嫌なんだよ。残酷で不自由で誰かが死んだり憎しみ合うのが。
痩せたいのですが、それより、毎日あまりに疲れやすく、ヤバイなあ、と気が落ち込む最近。
もう40ですよ、
今年。
それにしたってやばいやな。この体力のなさと。
ただ、生活を省みて、原因もあるよね。
まず、早寝もするが、だらだら夜更かしもしてる。
夜中におやつをくったり。
めっちゃダメじゃん!ばか!
で、揚げ物やら肉類が多過ぎ。これはねー、家族もあかんよね。魚嫌い、濃い味大好きな夫が一番、あかん。
運動しない。でもこれは、物理的に子育てと家事と仕事してるなかで、無理だ。疲れてるから、しんどいし。
疲れない身体になるには、筋力をつけることは必須やけど、ちょっとハイレベルな話なんで、とりあえず、可能なことを考えてみましょう。
1
早寝早起きをする。
2
食べたものをカレンダーにチェック
3
漢方を飲んでみる
合うものを探さないとね。
4
無理をしない
とりあえず、この4つをがんばろ!