2010 文春文庫
大阪の女性が醸し出す泥臭さが、自分の根っこの感性に引っかかってリンクする時があります。「乳と卵」がまさにそれでした。
あ、川上未映子さんって、コメディなんだね。
なーんて思うくらいにじわっとユーモアが光る短編です。
30台後半の母の巻子と、小学5年生の緑子は、大阪から二泊三日で東京に住む巻子の妹のなっちゃんを訪ねます。目的は巻子の豊胸手術。
語りはこのなっちゃん。関西弁ベースの独特の語り口調は、私が大阪人だからか、すっと入ってきて読みやすいです。
時折、緑子がノートに書く日記みたいな作文みたいなものが入りますがこれもまた、おませな思春期の入口の小学女子の卑屈さと無邪気さが入り混じる感じが切なくも楽しかったです。
特に緑子はかなり好きというか、緑子の感性が好き。シングルマザーとして京橋のスナック勤務、ほか昼間にも働いて働いて、ガリガリに痩せ細っている母巻子への反発心と寂しさと愛情の入り混じりが切なくて愛おしく、初潮ってなんや?とか言葉の意味に悩んだりが微笑ましく。
緑子は、母への反発から、口を聞かなくなり、コミュニケーションはすべてノートに筆記。私は話さずにノートに書いて伝えるって行為やそういう場面が何故か昔から好きです。話すより、素直な心に近い気がなんとなくするからかしら。
母巻子も、豊胸手術に心が囚われているものの、緑子を思う気持ちは伝わってきます。
そしてこのなっちゃんの語りにしろ、緑子の作文にしろ、まあ泥臭い。
読みながら泥臭さに、宮本輝の小説を思い浮かべました。「泥の河」だけに…(ちなみに「泥の河」は大阪が舞台の超名作です)
でもやはり私も大阪人。自分の泥臭さも自覚しているし、大阪に漂う泥臭さや、それを描く作品の泥臭さには常に一目置いています。
このいわゆる泥臭さの何がステキかというと、方言による物語の行間に、肉体と心を持って営まれる人間の暮らしのリアリズム、ダイナミズムがあるからです。
ようは、笑い飛ばして生きる力とかバイタリティとか、そーゆーやつです。泥臭さには必ずユーモアがあります。辛気臭い現実を泣いて笑うのです。だから、切なさや哀しみもセットなんですけどね。
✳︎私が思う大阪の泥臭さって、落語とかお笑いとはまた違って、もう少し静的で物悲しいものです。原色カラーの「やっぱすっきゃねん」とか「悲しい色やね」とか「じゃりン子チエ」より、も少し淡い色彩です。もちろん「やっぱすっきゃねん」「悲しい色やね」は名曲、「じゃりン子チエ」も名作で大好きです。
あれ?と疑問に思う部分もあって、たとえば巻子の収入部分でスナックで週6で働いて月に25万あるなら大阪では2人なら十分食べていけるから巻子は昼間に働く必要がないのでは?とか。
表題に卵が付いてるからといって、生卵をぶつけまくる、ってのは易すぎないかい?とか。
まーそれが主題ではないし、この小説の高い表現力と泥臭いユーモアの前では些末なことですよ。
巻子が自分の乳首や貧乳について語る部分も、わろたらあかんけど、なんか、じわる。おかしみの妙。
緑子切ない。けど緑子の感性がなんかじわる。
そしてみんな、結局、優しい。
ということで、初の川上未映子さん作品、良かったです。他も読んでみようと思いました😊
ちなみに、「乳と卵」は、2007年の芥川賞受賞作品でございます。