子育て 仕事 両立 ワーママ アラフォー 映画 本 読書 感想 フリーランス 起業 正社員 40代 生き方 プライムビデオ 

子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

ここがすごいよ五社英雄_ちょっとネタバレあり

観れるだけ五社英雄作品を観るという楽しい強化期間を実施しました。

なんで五社英雄作品かと言うと、先日「マツコの知らない世界」で、マツコちゃんとIKKOが五社英雄作品の女優さんたちを信仰の対象レベルに褒めていたから、リピート含めてどうしてもまた観たくなってしまいました。

Amazon貼りましたが有料。観たのは、全部Huluです。Huluありがとう(´∀`=)1ヶ月1050円。

www.hulu.jp

 

「鬼龍院花子の生涯」1982

ヤクザの父・鬼政(仲代達矢)に幼い頃拾われた松江(夏目雅子)を通して、父の生き様を描く。花子は、鬼政の実娘で松江の妹のことで、花子が死ぬまでを物語としています。

 

「陽暉楼」1983

高知の花柳界が舞台。女衒の父(緒形拳)と芸妓の娘・桃若(池上季実子)の愛憎の物語。芸妓同士のトイレでのケンカシーンが有名。

 

「櫂」1985

根は純真だが女好きな女衒の夫(緒形拳)に振り回される女房(十朱幸代)の哀しい半生記。いちばん好き。

 

吉原炎上」1987

19歳で吉原に売られた久乃(名取祐子)が花魁としてのし上がっていきます。花魁たちの群像劇でもあります。

 

 

「陽暉楼」と「吉原炎上」は子供の頃から何回か観ていて、女優たちの美しさと脱ぎっぷりの迫力とダイナミックな物語に、呆然とした記憶あり。

あと「肉体の門」も何年か前に観てました。

 

肉体の門」1988

肉体の門

肉体の門

  • かたせ梨乃
Amazon

戦後を生き抜く売春婦たちの物語。

 

子供の頃見た(たぶん親父さんの観ていたやつを襖の隙間から覗き見)のも含め、どれもテレビの深夜放送だったと思うので、やっぱり深夜放送はスゲーなあ、育てられてるなあと思います(=´∀`)人(´∀`=)

今はもうテレビは深夜放送でも無理なのかしら…

他にも観ていたり観てなかったりもあるんですが(後述)、自分的に「ここがすごいよ!」と思うのが上の4作品なのでここを「五社作品」の基準にして記しておきたいと思います。

 

ここがすごいよ五社作品

①俳優陣の色気と美

五社作品の舞台って明治末期〜昭和初期が多いですよね。だいたいが芸妓、花魁、女衒界で、主役は女優さんなんですが、めちゃくちゃキレイ。

吉原炎上の名取祐子さん、陽暉楼は池上季実子さん、浅野温子さん、櫂は十朱幸代さん。鬼龍院花子は夏目雅子さん、岩下志麻さん、夏木マリさん。

今も有名な女優さんが若い頃、どんだけキレイ!ってのもあるけど、十朱幸代さんなんかは40代でめっちゃキレイだし、吉原炎上でも、遊郭のお母さん役の倍賞美津子さんもキレイ。

みんな首が長い。

 

で、女優はもちろんだし男優さんがね、またすごいわけです。緒形拳さんのあの漢くさい色気は凡人にはムリ。

仲代達矢さんいわずもがな。

そして特筆したいのは根津甚八さん。私は根津甚八さんのなんかアイシャドウが似合いそうな、YMO時代の坂本龍一バリの知的✖️色気みたいなのも、あれは昭和50年代だからこそのものだと感じます。

 

②撮り方の美

五社作品における女優たちを始めとする色気って、なかなか現実ではお目にかかれないものだし、どうやって五社監督は画面にかもし出してるん??

とため息ついて眺めていました。

共通点として気づいた特徴のひとつに、割と端々に顔のどアップが何秒間か入るんですね。

それかな。

全然普通にシロートなんでなんにも分かってはないんですが。

というかよくよく観てたら、アップ時に全体にあんまり表情がない。じーっと見つめるだとか、わなわなってなっているとか、決意を固めるたりしていそうですが、セリフも音もないです。役者の顔のアップによって、すべてをさらけ出していそうで、実は何も見せていないような、深いサジェスチョンがあるようで、無に帰すような、それが分からなくて逆に目が離せず吸い込まれそうな不思議な感じ。

 

あと所作。花魁の佇まいひとつとっても、女衒の女房にしても、「凛とした」という言葉そのものの品があります。

がちゃがちゃした人いないです。

浅野温子さんが役的にがちゃがちゃしてそうですが、凛とした目力ががちゃつきを上回る感じ。22歳でアレはすごいですよね。終盤の駅のシーンとかも安定感が凄い…

 

もちろん、西川峰子さんが「ここ噛んで〜」と赤い布団の海で、血を吐きながらのたうちまわるシーンなんかは狂気をはらんでるんですよ。

藤真利子さんの金魚鉢のシーンもいわんや。

だけど吉原炎上は赤をメインに画面が美しくて、人間臭さがあるようでいて、あんまりないんですね。

画面を「絵」として完成させているなあと。

 

③時代風俗

大正前後の風俗描写もめちゃくちゃ質が高くて(エロの方ではなく社会文化の方)、廓の細かい作りだとか、日本家屋の土間とかまちの陰影な美しさだとか、遊郭の習わしや花魁道中みたいな催事の描写ひとつとっても、美術や時代考証の確度の高さに見入ってしまいます。

あと音楽もいいです。何か起こりそう!ってわくわくします。

 

④セリフ

なんていうか、各作品これだけダイナミックな展開において、ムダなシーンもセリフもひとつもない気がします。

全部が絶対的な必要性を持って、必要な場面で発せられていると感じます。

特に土佐が舞台な作品が多いから土佐弁のリズムっていうのが大事なんではと。

「なんちゃあないき」「つかあさい」「なめたらいかんぜよ」とか、掛け合いを聞いていたらリズミカルで心地いいです。

私はそもそも自分のネイティブである大阪弁が映画で出てきたとき、多少の違和感があっても作品の流れを邪魔するものでなければ、何も思わないタイプなんで、ネイティブな土佐弁がどんなものかはわかりませんが、五社作品のセリフまわしのリズム感は素晴らしいなと思います。

 

名作と言われる作品であっても中だるむシーンってあったりするんですが、退屈する瞬間がほぼなかったです。

✳︎ただ「鬼龍院花子の生涯」は、他作品に比べて展開に若干の無理くり感というか、なんとなく「んなアホな〜」な気配も。制作年代では初期の作品だからかと思います。

 

⑤深いテーマ性

どれも女優の脱ぎっぷりや狂気じみていく様が強烈なインパクトをのこすんですが、宮尾登美子さんの小説がベースの作品が多くて、それらは明治末期から昭和初期にかけて、つまり家父長制が当たり前にあった時代に生きた女たちの哀しい物語なんですね。

私が特に今だからこそ刺さったのは「櫂」で、女衒の統領である緒形拳さんの女房、十朱幸代さんがほんとに切なくて。「わ、分かるよ、分かるよ十朱幸代さん!」って涙なしには観れなかったです。

 

亭主はあちこちで女に手を出して、その女との子を作ってですよ。

で、その妾の子を育てろと言われたり、別の女を住まわすから家から出ていけと言われたり、愛情持って育てた子を今度は返せ言われてです。

十朱幸代さんは「悪いことしちょらんのに」なぜか周りからも大将に謝れ、許してもらえと助言されて、でも謝らないから、とんとん拍子にすべてを夫に奪われてしまいます。あのラストの雨のなか、橋の上で十朱幸代さんが傘をさして去っていくシーンは、きっと一生忘れられません。

で、実は緒形拳さんは女房に戻って欲しがったという。

どーゆー理屈。

男のメンツ。

ひたすら、はあ?な。

でもこれ、今現代を生きる私は、「今とこの時代と、どこが違うねん」と強く感じました。

 

そもそも女衒という職業が少女を売り買いする商売で、子供が裸になって値踏みされたり、「そこの子も連れていきな」ってな具合で実にかるーくかるーく、お金に代わっていくんですね。

実は緒形拳さんは、そんな女衒という職業に劣等感を持っていたりするわけです。

劣等感があるから余計に「わしがお前たちを守り食わしてやっている」という自尊心を守りたい気持ちが強まるし、女房に男として認めて欲しいという願望が、純真を通り越して、ひたすら抑圧と支配という形で発露されます。

 

今のモラハラ夫問題と原理的には同じで、まあまだまだ難しい普遍的な課題なんかなぁと思います。

この「男のプライド」ってのがやっかいだとしても、頭から否定しても多分いい方向にはいかないでしょう。ならば、「子供の予防接種につれてくイクメンでカッコいい俺」というプライドにスライドさせた方がいいのかもしれないし、

「一家を支える男の役割を降りたら、意外と楽しく生きれたヨー」という実体験や実績が必要かなと思うんですが、日本が多重苦なんは、だんだん全体的に貧しくなってきていて、役割を降りにくかったり、役割を降りたものの貧しさに心が荒んだりしやすい、そして結局、皺寄せは女性や子供に来やすい、そんな土台なところで。

 

確かに現代は、女衒がふつうに違法だし、あの時代よりは豊かだろうし、文明は発展しているけれども、女や子供ってことで意思や存在が軽く扱われやすいことは未だにあるし、人生が経済力や環境に左右されやすいのは、なんら変わってないですわね。

 

だから、これだけ五社監督が美しくも哀しい女の物語を描いても、根本的には今も弱き妻としての十朱幸代さんはたくさんいるし、モラハラ男尊女卑の緒形拳さんも潜在的にはまだまだいるなぁと。

これは実に悲しいことだし、社会課題として変えていかないといけないです。

 

一方でです。

じゃあ十朱幸代さんは、モラハラ夫に負けた弱い女性なんか?

トイレで取っ組み合いのケンカする名取祐子さんと浅野温子さんはみじめなんか?

五社監督はそうは描いてないです。

 

むしろ十朱幸代さんなんかは、下手なハードボイルドより後ろ姿がカッコいいし、髪わしづかみにして取っ組み合ったり、好き放題言いあっている花魁たちなんかね、なんだか清々しかったりするんです。

 

「耐えて忍ぶだけが女ですろうか」

十朱幸代さんのセリフです。

 

確かに奪われている。

虐げられてもいる。

けれどもそれでも意思を貫く姿には

やっぱり尊厳が宿っているんですよ。

誰も我慢なんかしなくていい。

奪われても踏みつけられても

自分を失わないこと

美学とかいうと空々しいけど

彼女たちの「負けてなるものか」、

「何くそ」的な気高いスピリットが

作品全体に横たわっている。

そしてそれこそが五社作品の肝なんだと。

私は思います。

 

 

おまけ①結局どうなん

内容が内容だけに、下品にもゲスにも過剰にシュールにもなりかねないところを、非常に鋭敏なバランス感覚や感性を持って、比較的万人がエンタメとして受け取る事ができる芸術作品に押し上げている、これはもう五社英雄の高い感性、さらに深い人間洞察や、原作への敬意や理解、宮尾登美子の原作自体の骨太さなんか全部がまざりあって、さらに俳優から裏方まで作り手の高い熱量があって生み出されたミラクルな作品なんじゃないかなあと、40年の時を経て感じる次第です。

 

ちなみに人間としてのザ・五社英雄を知りたくてググッたりしてみたんですが、情熱はむちゃくちゃあるけど、妻を大事にする家庭人でもなんでもなく女遊びも普通に?する昭和によくあるステレオタイプ的なのしか得れず…だからほんとのところはよく分からないです。

 

おまけ② 脇役が楽しいです。

私的に印象的なのは、成田三樹夫さん。子供心に、こいつはほんま悪い奴やなぁ!と思っていました。

あと井上純一さん、丹羽哲郎さん、小林稔侍さん、左とんぺいさん、益岡徹さん、大村崑さんとか!

ひそかに、藤山直美さんとか紳助も出てたり。

仙道敦子さんが子役でよく出てきて、かわいいス(●´ω`●)

石原真理子さんもめっちゃかわいいし。

草笛光子さんはすでに貫禄。

あと岸部一徳綿引勝彦ハナ肇とか。✳︎敬称略

中村晃子さん出てたり!

脇の人たちがすごいデスよ(´∀`*)

 

おまけ③他作品

今回を機に4作品だけでなく他にも、「北の螢」(1984)、「陽炎」(1991)、「女殺油地獄」(1992)も観ました。

これらに関しては確かにテイストは五社作品だけど、残念ながらというか、そうなんかあと発見したというか、上の①~⑤をほぼ感じなかったです。

で、何が違うんだろうと考えたんですが、たぶん全然テーマが違います。女性の半生を描いた作品と、どちらかというと任侠やアクションに寄せた作品とで。

原作が宮尾登美子かそうじゃないかが、大きいかも。でも「吉原炎上」は登美子作品ではないし、それだけじゃない気がします。

製作会社?五社作品はだいたい東映だけど、「陽炎」「女殺油地獄」は松竹だから、それかなあ?とも思ったですが、「北の螢」は東映

 

うーん。もしかしたらかける予算と時間?

だって「吉原炎上」であれだけ生々しい火事シーンをやっておきながら(たぶん予算的にもかなりな予測)、「北の螢」のクマに襲われるシーンなんかは明らかに安っぽいです。「え・・・それでいいの?」って引くくらい。。雰囲気や俳優は五社作品ですが、ていねいに時間をかけて作り込まれた感じが私にはしなかったんですよね。。。セリフもぐっと来ない。。

 

だからなんていうか、監督がすごいとか、脚本家や俳優がすごいとか、映画ってそうじゃないんだなあとも思いました。今回の強化月間を通して。お金を出す製作会社の力の入れ具合とか、世に出すタイミングとか、様々なせちがらい事情もあるんでしょうね・・・。

そういう現実のなかで稀にミラクルが起こるというか。

だけども(私的に)ミラクル作品を多数生み出している五社英雄はやっぱりすごいです。

あと極妻シリーズは、何を何回観てて何を観てないかも、もう自分でも分からないのでそっとしておきます・・・。

 

ではでは。

 

※製作費をwikiで調べたら「吉原炎上」は総額1億2000万円。「北の螢」は不明でした。ただ「陽暉楼」の製作費が約8億円。

てことは「吉原炎上」がむしろ少ないような。フシギ。