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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

Coda あいのうた_この愛が理解できるなら

2022 ネタバレあり。

元気出るー--!!
涙も出るー--!!
素晴らしかったです。
すべてが。

両親も兄もろう者で、自分は聴者(ていうんですね)の17歳のルビー。
漁師のおやっさんと兄と朝の3時に起きて毎日漁に出ています。
だから、高校の授業では居眠り。
合唱部に入ったものの、人前で歌うのが気が引けて逃走(*´з`)

でも、ミスターV(合唱部の先生)が、キャロルキングばりの彼女の歌声に可能性を感じ、大学進学をすすめます。

おやっさんと兄は、「ろう」だと足元をみられて不当に買いたたかれたり、漁師仲間の輪にもちょっと入れていない感じ。

そんななかで、聴こえるルビーは家族のための通訳者。
常に家族と行動をともにし、「社会」と「家族」の間を媒介する存在です。

だけど、だけど、
「私の道」を見つけてしまいます。そうそれが歌。

ルビーの両親はアメリカらしい、ちょっとファンキーな家族なんですが
兄も含めて仲がいいんですね。
下世話な会話の中にも家族の愛が垣間見えます。

この映画の家族の愛ってのが、「北の国から」レベルに描き方が素晴らしいんです。


号泣シーンが2か所あります。
ひとつはおやっさんのためにルビーが歌うシーン。

合唱クラブのコンサートに出向いた両親と兄3人は、ルビーに拍手を送ります。
もちろんルビーの歌は聴こえてないんです。
ルビーがデュエットする場面はそのことを観る側に伝えるために、音をなくした演出がされています。
ずっとずっと両親も兄も、この音のない世界にいるわけです。
(なんか実際にはろうの人って“無音”じゃないとも聞いたことあります)

コンサートが終わり、家に着いておやっさんが「俺のためにうたってくれ」とルビーにいいます。
歌うルビーの喉に触れて、手に伝わる喉の「振動」で歌を感じます。
忘れられないシーンです。


もうひとつ。
大学受験に家族と向かったルビー。
こっそり試験会場に見に来た両親と兄に向けて、手話をしながら「青春の光と影」を歌います。


www.youtube.com


ルビーはもちろん知っています。自分のコンサートのときに両親が聴こえていなかったことに。
だからルビーは、試験だけど、自分を観ている家族に「伝えることができる方法」を使うわけです。

この一連の流れ。全部、互いへの気遣いの行為ですよね。

あとルビーが大学に進学したいと両親に伝えたあと、お母さんが「ベイビーがいなくなっちゃう」と語ったときに、おやっさんが「ベイビーじゃない。昔から大人だ」というシーン。
さらに最後におやっさんがルビーに「Go!」というシーン。
めっちゃ素敵でしたね。

アメリカの手話と日本の手話は違うとは思うんですが、アメリカって、表現に思いをのっける文化なので、表情と手話とが合わさって、ルビーや家族の使う「表現」は、とっても感情がこもっています。

この映画を観ていたら「世界」がいかに、「聴こえること」に依存しているかを感じます。
聴こえる人たちを中心で回っています。
だから、漁が危険だって監視員のおばちゃんが決めつけて、親父さんは長年ずっとやってきた漁師の免許をうばわれちゃうんですね。

もうこういうのって、どうしようもないくらいに無自覚に「聴こえて当然」の世界があって。
そして「聴こえること」ふくめ、いろいろな「それが当然じゃない世界」側の人間のことを、社会を牛耳る多数派は、ちっとも想像することなく、一生を終えようと思えばできることでもあり。

そんな世界で、ルビーという存在そのものが「あっち側とこっち側が、つながることができる」という生き証人ですよね。

それで兄は、大学をあきらめようとするルビーに言います。
「卑屈になるな」。

今を生きる兄は、きっともっと世界とのズレを感じてきた経験が多い両親より、世界と融和しています。
自分のチカラを信じています。

両親と兄は、漁師たちを不当に搾取する既成の漁業組合を抜けて、自分たちで漁業の協同組合をつくるんですね。
猟師たちが扶助しあって顧客に直接、魚を売るんです。
すばらしいですね。
まさに斎藤幸平さんのいう「社会参加型の協同組合」じゃねーか。
よくぞ描いたよ。
tsubatarou.hatenablog.com

ちなみにこの作品は2022年、アカデミー賞を3部門受賞しました。