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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

他者から学ぶ ーアウティングについて思う

きっと誰しもに、いくどとなく「穴があったら入りたい出来事」は訪れるものかもしれません。

私の場合は、まあまあ山盛り。「穴があったら入りたい出来事」は多い方じゃないかと思います。
ふと寝る前に昔の自分の恥ずかしい所業を思い出して、急に布団の中で七転八倒をしてしまうことが、ままあります。
若いころから「布団で七転八倒」はしていたんですが、
年を重ねるにつれ、これまでは気づかなかった「恥ずかしい」「申し訳ない」「情けない」思いが芽生えて
なおのこと七転八倒が増えたりしています。
七転八倒の中身がちょっと違ってきている感じもします。
は~~全然不惑でもないし、知命(50にして役割を知る)もない・・・

でもなかには、自分のこれからの生き方の模索として、きちんと向き合っていかねばと思う問題もあります。

たとえば「アウティング」。
アウティングって、本人の了解を得ずに、その人のセクシャリティを他人に伝えることです。
今はこれが日本でもおおっぴらに問題視されてきました。


でも、思い起こせば若かりし頃、自分も今になって、申し訳なさでいっぱいのアウティングが結構あるんです。

たとえば、セクシャリティに限らず、出自。あとその人の仕事や生活の状況とかですね。

友人との呑みの席の何気ない会話だったりするんですが、「いやそれ言う必要ないだろよ」というのが今になって記憶によみがえってきたりします。
たぶん、アウティングするのって全部が全部、悪気があるわけじゃないとは思います。
私自身も悪気があったわけじゃなくて、「何を隠す必要があるんだ!」とむしろ正義感だったりする。
それがまたアホなんですが、なぜ私がアウティングしたのか、なぜそれがやっぱりダメだと今思うのか。
改めて考えてみました。

というか普通に、「いや他人のくせに人のことをとやかく言うなよ」ていうのがまず大前提にあって。
そういうのは日常茶飯でも結構あることで、その場で「おいおい言うなよ」と気づかせてくれる人もいれば
言わず去る人もいます。

それにね、友人だからいいじゃんと言ってても、世の中ってやっぱり「悪いやつばかりでもないけど、いいやつばかりでもない」
という部分で、アウティングによって、その内容がどこかで漏れて、実際にその後、差別を受けたり危険な目にあったり、傷つけられたり
そういう悪意をぶつけられる可能性もあります。

そしてその危険性に対して、いつ悪意をぶつけられるか、本人はずっと思い悩むことになるわけです。
結局、アウティングの何がダメかって、する方じゃなくされた本人がその危険性に思い悩むことなんですよね。

言い出したらキリがないくらいに、「あれもアウティング?」「これもアウティング?」となるわけですが、
その線引きは、やっぱりこの「いい奴ばかりでもない世の中において、余計な一言で当人を不安にさせるかどうか」なんだと思います。

若いころは「いい奴じゃないやつが悪い!」「堂々としていたい!」とただただ思っていた部分もあり。
それはそうなんです。差別する人が悪いし、傷つけるのは犯罪です。
でも、今は思うんですよね。
だからって口に出すかどうかは、私が決めることじゃない、と。

それは当事者である本人が判断することで、いくら親しい友人間でも、自分は差別主義者を嫌悪していても、
当人の問題を、人生を背負うわけでもない自分がどうこう判断することはできないんです。

「堂々といきよう!」といっても別に本人が恥ずかしいと思って隠しているわけじゃなく、ただただ「いい奴じゃない」奴に嫌な目に合わされるのが怖いわけで。


差別って言うのはそういう何重ものしがらみや目に見えないやっかいさを社会に潜ませていて、
アウティングの罪で七転八倒に悩むくらいなら、他人に一切無関心に生きてった方が楽でいいんじゃないかとすら思います。

失敗や失言をせずに、誰も傷つけずに、自分も傷つけられずに生きていけたら、どんないいでしょう。

けれど、それは現実として可能なのか?

他者と関わるのは、そもそもまあまあやっかいなことです。けれど避けては通れない。

他者が他者である限り、時に共感ができてもやっぱり他人で、その違いをどう受け止めるかですよね。

アウティングの罪は知ることとコミュニケーションで償っていくしかない。

自分が世間知らずだった事を受け止めて、分かってなかった事を受け止めて、無知の知から始めてみる。

この広い世界のすべてを悟ることはできないわけで、みんなどこかで間違えます。

間違えてもやり直せる。

しくじってこそ見えるものがある。

ということで、まずは今年中に友達に謝りたいです。そしてその問題をじっくり話せたらいいなぁと、思います。

かつて怒ってた友達に。今も仲良しな友達に。

何!急にあんた!って思うやろなぁ(о´∀`о)