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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

「アンという名の少女 シーズン3」100年前と現代とのギャップをどう活かすか

 

アンという名の少女 シーズン3 DVDBOX

アンという名の少女 シーズン3 DVDBOX

  • エイミーベス・マクナルティ
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ネタバレあり。

シーズン2についで昨年からシーズン3をNHKが放映してくれてます!

 

 


シーズン3ではアン16歳!

ルーシーモンゴメリさんの原作を読んだのがずいぶんと昔なので、全然覚えてないんですが、ドラマはやはり原作と変えてきてるなとは思っていました。

 

まずマシューさん。こんなに長くご存命ではなかったような。でも「アンという名の少女」ではアンが16歳になってもマシューさんがいて、正直、マシューさんは大好きで、特にドラマのマシューさんは役者さんも吹き替えの声優さんもとても良いので死んでほしくないので、この「原作とは違う」展開は、かなり嬉しいです。

 

あと黒人のセバスチャンはやはり原作にはないし、アンが仲良くなる先住民の少女カクウェトとその家族も出てこないみたいです。

グリーンゲイブルズで働く貧しい少年でフランス人のジェリーもあそこまで詳しくないみたいだし。トランスジェンダーのコールなど他にもドラマで組み込まれた人物やエピソードがたくさんあるみたいです。

にしてもシーズン3でドラマが打ち切られたのがどうにも納得いかず、原因をネットで調べたら、確かに共同制作していたカナダの公共テレビ局CBCとネットフリックスとに確執があった?みたいですが、それ以前にまず原作が要は「古くて違和感がたくさんある」ことに端を発しているようです。

 

人種や民族の意識、男女の意識、子供への意識…

なんせ発行されたのは100年以上前。

昔を舞台にする小説やドラマや映画はやっぱり、赤毛のアンに限らずこの100年の劇的な変化に、どう向き合うか。

大きな問題なのはとてもよく分かります。

 

でも、だからって打ち切るのは違うと、いち視聴者として思うんです(´・ω・`)

 

だってね、私気になって調べたんですよ。

白人のルールによって寄宿学校に入れられた先住民のカクウェトが、学校で虐待されてるシーンがあるんですが、アンが会いに行って会わせてもらえずに帰るんですね。

そんなシーンがシーズン3の序盤にはあり、でもその後どうなったのか、分からないっぽいんです。

私はまだ5話までしか観てないんで、あと5話残っているんですが、なかなかカクウェトのエピソードが出てこないから、ヤキモキして…(´・ω・`)

でついググッてみたらば、ドラマはともかく、現実にどえらいニュースを発見。

 

カナダ、先住民同化政策の闇…寄宿学校跡地で大量の子どもの遺骨 首相「暗くて恥ずべき歴史の一章」:東京新聞 TOKYO Web

 

このカナダの先住民の寄宿学校跡から大量の子供の骨や墓が出てきたのが2021年6月。ほんとつい最近のニュースなんですね。衝撃です。

カクウェトが入らされたのはまさに、これやんか!と…こんなどえらい史実の話だったのか、と。

 

だからまあドラマで扱うにしてもかなり衝撃的なニュースがドラマ放送と同時期にあったわけで、センシティブな部分では確かにあるんですが、私はアンという名の少女というドラマを観てなかったら、このニュースも知らないままだったと思います。

 

しかもドラマのカクウェトという少女の視点があって寄宿学校に入れられた流れがあって、このニュースが何にもない状態より知りやすかったし理解しやすかったのではと思います。

 

だから「アンという名の少女」は、カナダが背負ってきた悲しい史実を世界に届けるきっかけとして、大きな役割を果たしているんではないか。

 

だとしたら打ち切りの根底にあると言われるのが、原作と現代とのズレなんだけれど、そのズレこそが、今このドラマを描く大きな意義なんじゃないかと。

 

ちなみにカナダ政府は過去の過ちを謝罪して、調査に積極的に取り組んでいるそうです。

 

こないだ金ローで観た「インディジョーンズ 魔宮の伝説」も舞台がインドで、変な民族や宗教に創作している部分もあるなぁ、変なイメージだなぁと懸念しながら観てましたが、やっぱりインドでは公開されてなかったとか記事みて、うん、物語は時に物議をかもすものだと思いました。特に100年の歴史の最終地点が今ってのがポイントなんかなと。

 

だってインディが映画で活躍した1980年代は(映画が描く時代は1930年代?だけど)確かに100年前と圧倒的に価値観違うけど、また今とも違ってだから「魔宮の伝説」なわけです。今ならこれ、絶対作らないはずです。

私はその作品自体を時代という文脈で理解することってやっぱり大事かなと思います。

歴史や時代という文脈では手放しで、あの時代は良かったなぁ なんて言えない部分がたくさんあって、個人のノスタルジーとはまた別もので、そこはきちんと分けるべきなんですよね。

 

昔っていろいろすげーな…と思うことは、悪いことでも悲しいことでもなくて、それだけ進歩した証しであり。逆に昔あったものが今は無くなったことで悲しい事もあるとは思うけれど、例えば、民族やジェンダーや子育てなんかに関しては私は、今もまだまだ問題だらけだけど、生きてる時代が100年前じゃなくて良かった今で良かった、と思うことが多いですし。

朝ドラひとつ観ていても、昔が舞台の物語は「今で良かった」と思うことが多いです。

 

で大事なのは、表現する際のリスペクトだと思うんです。

リスペクトったら大袈裟か。

扱う対象に対する敬意かな。

それが「アンという名の少女」に欠けている感じは一切ないし、むしろとても大切に扱っていると思います。ですので、ぜひ続けて欲しいです(*´ω`*)