恋愛に程遠い環境とメンタルにいる私ですが、今回は自分のこれまでとこれからの生き方を絡めて、「今だからこその私の恋愛観」を見いだしていきたいと思います。
恋愛とタイトルに謳いながら、書かれてあるのは切ないラブロマンスなんかでは全然ないのは、「中毒」で分かるかと思います。
最初、主人公である水無月さんは、私のようなおばちゃんでも共感できる40過ぎのサッパリした女性として登場します。事務のパートのおばちゃんながら、若い男性社員の恋愛沙汰をさらりと助けたりする、年の功な強さにも好感がもてます。
この水無月さん。かつては大学の同級生と結婚していました。藤谷くん。
だけど4年で離婚。その2年後、弁当屋さんに勤めながら、その店のお客さんで芸能人としてテレビにも出る作家の創路功二郎と付き合い出します。
この2人が水無月さんが中毒になった恋愛の対象者なんですが、水無月さんは実は粘着質。
あれれ・・・?と狂気的な振る舞いがじわじわと出てきはじめて。
クライマックスにはどえらい事実も判明しました。
この展開が素晴らしく緊張感あり。
文緒さんの文章は、構成が巧みです。どこを切り取っても退屈させないといいますか。
たまに小説にある、中だるみだったり、飛ばし読みしてしまう長い状況説明だったり、本筋に関係ない脇道が続いたり、同じ内容がまた出てきたり・・・それはそれで作品の「味」なので私は嫌いではないのですが、そういった現象がほぼないんです。
考え抜かれたパーツがていねいに織り込まれていて、お得感でぎゅうぎゅうしています。
書くのすごく疲れ果てそうだな・・・と感じるほどに。。
だもんだからサスペンスとしてもかなり面白いんです。
だけども今回、恋愛と中毒をテーマに考えていきたいのでサスペンスは置いときますね。
まず水無月さんが結婚した藤谷くんと愛人になった創路さんの人物像。
これがまあ全く違うんです。
創路さんはまあまあ名の知られた作家で金稼いでて、わがままで金遣いが荒く浮気性で明るく社交的。
藤谷くんは地味で人当たりは穏やかだけど自己肯定感が低くて根が子供。
これどっちがいいですか?
私の夫は藤谷くんタイプ。
藤谷くんは妻の水無月さんに仕事をしろというんですね。で、自分のお給料もいつも決まった額だけを渡して、足りない分は妻である水無月さんが稼いでくれと。あと出費には細かい。な割に自分が好きな本は買いまくる。そして、家事は一切しない。
私的には藤谷くんはかなりいけすかない奴です。夫に似た藤谷くん。(さらっと身内をディスる)
でも水無月さんは藤谷くんの気持ちが離れてなお、藤谷くんに執着します。
一方で愛人になった作家先生の創路さんは、チャラくて愛人いっぱいで水無月さんを振り回すけれど、水無月さんに新しい経験と給料という名のお手当をたくさんくれます。
うーん。私なら昔だったなら藤谷くんだけど、今ならやっぱ創路先生かな。お金をくれるからでなくて、精神が自由だから。
他に女がいたり、いつかはその関係に終わりが来るとしても、自由な精神に惹かれます。自由って大人って事です。きちんと自分の人生背負って、他者を他者としてあつかえるという事です。
まあそんな生き方できる人は稀かもしれません。
藤谷くんは仕事が何なのか分からないけれど(水無月さん脳内でどーでもいい部分だったのかも)、すぐお金に困るから稼ぎは良くないでしょうね。そして藤谷くんは自分と他者とは別な生き物である事を理解していない、自分に自信がないからいじけた世界で他を拒絶する。文中にもありますが、「子供」な部分があります。これ、我が夫にも感じます(さらっと身内をディスる2)
私は夫に、私はあなたのお母さんじゃないよとよく感じます。
で創路先生は豪邸に住み、愛人を4人持って店や仕事を世話して、海外旅行に連れて行くくらいにセレブです。
だけども水無月さんは、先生の娘に嫉妬して、またも超えてはならぬ法の線を超えてしまうんです。
懲りない女、水無月さん。
どっちにしろヤバい方に転がる水無月さんは、ほんま病気なんだなー、でも私は気ままで自由で海外旅行に連れて行ってくれる創路先生タイプが好きかな(*´꒳`*)つまり夫じゃないタイプ(笑)
という結論になりました。
それで読み終わっても良かったんですが、
いやいや、そーゆーことでなくないか?と。
文緒さんは、あなたはどっちがタイプ?とか言っているんでは決してないわけです。どう考えても。
そんなタイプ判断チャート式な恋愛モノにしてしまったら、ほんとに申し訳ないです。。
確かに水無月さんの行動は病理的に問題を抱えているのは確かなんでしょうが、気持ちは分からなくもないです。
「私は恋愛している」「私達は愛し愛されている」という状況が心地よくなってしまうと、それを壊されたり失ったりする不安や恐れに対して敏感に反応して保身に走るのは、当然といえば当然で、まあその強弱はありますが、ヒトの素直な心でもあり。
だから「愛し愛されている」状態のノーマルな恋愛スタイルが元から破綻している創路先生ならば、保身に走らずに互いが寄り掛かり合わずに上手くいくんじゃないかと、私は考えたんですが
水無月さんは結局、創路先生にも深く依存し、すべてを壊してしまいました。
そこがこの「恋愛中毒」の中毒たる所以といいますか、文緒さんが突きつける「恋愛とはなんぞや」というナゾ仕掛けなんじゃないか。
私自身は創路先生みたいな人と恋愛したことも、ていうか友人や知り合いにすらあんな破天荒な人はいないので、未知なる世界への好奇心みたいなものもあるかもしれません。
でも文緒さんは、どんな相手でも現実なんも変わらないよ?って突きつけてきます。
じゃあ、もう真の恋愛なんか、この世にはないのか?
そもそも「真の恋愛」ってなんなのか。恋愛に正しいも間違いも、良いも悪いも、答えあるわけじゃない。
一生とか永遠とか約束はできないけれど、その時の好きや愛しさはきっと本当だから、それでいいんじゃないか。
でも未来も欲しくなっていく人間の業の深さよ。
何にしたって未来の約束は本当に難しいです。
親子のつながりでも、未来は約束できません。
子はいつか巣立ち、親は寂しく老います。
強いて言えばそれが親子の真のつながり方。
約束はしないけど、未来にもつながってればいいよね。という希望です。
人を好きになり愛するとき、ずっと一緒にいたいから同棲したり結婚します。
でもやっぱり壊れてしまう。
結婚して何年も経って今私が感じるのは、哀しくも恋愛は壊れるということです。。
まあ昔から真の愛などは求めてはなかったんですが、あ。やっぱり壊れるんだなあ〜としみじみ感じます。
でも、それが悲しいかというと全然。
壊れたまま別の関係に変わった気がします。むしろ、今の関係の方が好きだし、心地よいです。
なんでだろうと思ったんですが、いまの方が私を縛るものがないからじゃないかと。
そう、恋愛に縛られて依存性になっちゃった水無月さんのように。
もし恋愛関係を壊したくないなら、依存も共依存も相手への期待も、そーゆー欲を出さないのがいちばんいいんです。
でもそれが本当に難しいんですよ。自分の今が不安定だと依存や期待は余計に強まっていきます。
水無月さんもですが女性の場合は社会的ないろんな課題があって、経済力で不利なことが多く、余計に依存から抜け出せいことから悲劇を招くことがあります。
だから経済的な自立もめっちゃ大事やなぁと思います。
ただ私は経済力だけが依存から脱出できない理由ではないと思うし、そもそも経済力って、主婦の場合、家事や育児は報酬や賃金がない労働だから、いわゆる経済力はない、ってなっちゃう。
年収にしたら500万円とか600万円とか言われる主婦の労働や貢献は、現実社会で個人の資産として一円も蓄積されないです。スキルや人間的な深みや金に換算されない価値は他に代え難いくらい蓄積されてても。
じゃ経済的な自立なしでは恋愛は無理なんか?
それもまた違うというか。もし恋愛が経済力と直結しちゃうなら、もうそれは本当にイベントですよね。バレンタインフェアという商戦と同じです。
思うに、やっぱ精神の自由なんじゃないかと。
自分がやりたいこと、好きなこと、ありたい暮らし。
それを叶えるチカラって、なんていうか、
私にはどーせ無理だしとか、金ないしとか、才能ないしとか、頭悪いし、ブスだし、デブだし、失敗したら怖いしとか。
そーゆー得れていないものを数えることからは結局生まれてこなくて。
どんな状況や自分だろうと、自分で自分を心地よくする方法を見つけることができたら、もしかした恋愛に依存しなくてすむし、もしかしたら恋愛が壊れないんじゃないか。
僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものがなんなのか
それがこの胸に解る日がくるまで
と尾崎豊さんが歌うように、水無月さんは水無月さんであるために、中毒を起こしながら闘っている途中なのかもしれません。
というなんとなく結論めいたことを考えてみたんですが。
尾崎豊さんは言います。
別れ際にもう一度
君に確かめておきたいよ
こんなに愛していた
誰がいけないとゆう訳でもないけど
人は皆わがままだ
慣れあいの様に暮しても君を傷つけてばかりさ
こんなに君を好きだけど明日さえ教えてやれないから
すごく共感。好きなのに傷付け合うくらいなら未来が見えないなら別れた方がいい…わかり過ぎて切なくなります。
でも今の私は、そもそも恋愛において好きな人に明日を教える必要はないし、教えてもらう必要もないのではないかと思っています。
豊よ、明日は教えなくて良かったんだよ!!
思い詰めないで!
って30年前の豊さんと自分に伝えたいです。
ていうか、尾崎豊さん亡くなって30年経つのですね…ついこないだに思えます。。
パートナーは自分を映してくれる鏡であっても、どう生きていきたいか、どう生きていくかは、結局、おのれの問題です。
わがままでいいんですよ。
傷つけたって悩まなくていいんです。
いや悩むのは大事。
でも自分を曲げる必要はないし、その分他人に優しくなればいい。
創路さんはバツイチなんですが、前妻さんはチュニジアで暮らしています。なんかの研究しているらしいです。
私はこの小説に出てくる女性たちのなかで、この前妻さんがいちばん自由だなぁと思います。
多分外国で娘を育てながら仕事して、苦労しているずですが、でも自分の道を歩いています。
私がもし、やりたいこと、ありたい生き方に挫折しそうになったとき(しょっちゅうだけど)、とことん悩んで下まで落ちた後は
誰かのせいにせず、誰かに寄りかからず、自分を偽らずにやりたいことのために一歩行動を起こせばいいんだと。
まずは己に恋愛せよと。…なんかナルシストみたいだけど…自分を楽しまなきゃってことです。
その先に他者との良き関係があるんじゃないか。
もし疲れ果てて依存したくなったならば、その時はそれを許してくれる人に許可を得てひととき肩を借りよう。
そしていつかまた肩を貸そう。
そんな風に生きていくのはかんたんじゃないけれど、相手に明日を教えなきゃと他人を背負う恋愛より、自分に夢中で自分大好きな方が絶対楽しいし、良い恋愛ができる気が今の私はしています。
いいのかこの結論で。。
そうか。
私はそれを目指したいんだな。
恋愛中の切ない気持ちをもはやアルバムの中から引っ張りださないと思い出せない、40過ぎてだいぶ経つ私も、まだまだ自分の人生のなかで正しいものがなんなのか、闘いの途中なんであります。