子育て 仕事 両立 ワーママ アラフォー 映画 本 読書 感想 フリーランス 起業 正社員 40代 生き方 プライムビデオ 

子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

もはやマリラ視点で!「アンという名の少女」

「アンという名の少女」ネットフリックス 2017

今NHKでやっている(日曜夜11時)「アンという名の少女」が非常にいい出来で、非常に面白いです。
何気なく見始めたのですが、はまっちゃってます。
制作はネットフリックスですね。
ていうかまだ5話までしか見てないんですよ。
でも、しっかりはまっていて、いまドラマの中で何より楽しみにしています。
半沢直樹も終わったことだし・・・)
NHKがどこまで放送するかは知りませんが、シーズン3まであるみたいです。

思春期のアン具合が絶妙

アン役の子、エイミーベス・マクナルティというカナダの女優さん(というか子役?)だそうで、
決して美人さんではないけれども、「アン」にぴったり過ぎて、すぐに物語に入り込めます。
確かアン・シャーリーは、赤毛で細っこくてそばかすがあるという描写だった気がするのですが
そこはバッチリだし、演技も上手で表情が上手。

映像めっちゃキレイ

映像すごいなあ。
グリーンゲイブルズ、めっちゃキレイじゃないですか?
ディテールもいいんですよ。
マリラの服の袖の経年の汚れとか。
暖炉の上の飾りとか。
干し草のふわふわの感じとか。
いつも曇っている空とか。
マシューのシャツの開襟具合とかw

マリラとマシューの成長物語with私 (この章めっちゃ長い)

アンよりマリラ側に近づいた私は、マリラとマシューの姿に大いに学ぶとこあり。
以下、ネタバレですが、

第5話では、アンが「学校行きたない!」と言い張ったのをマリラが「行きなさい!」と無理やり行かすんです。
アンが何故学校に行きたくなかったかというと、友だち(特に女子)とコミュニケーションがうまく取れずに浮いちゃったんです。
そんで例のホレ、有名な、ギルバートの頭を黒板でどつくっていうエピソードあり。
そんで、アンは、「学校行くふりしてさぼる」っていう未だ普遍的思春期の王道行為を行ないます。
案の定マリラにバレます。怒ったマリラは、なんと。
神父さんを呼ぶんですね。お説教してもらうために。
いいな~。私も神父さん呼びたい。

でも神父さん。
なんと。
「女の子は学校など行かなくてよろしい。家事覚えて結婚すればいい」とお説教。
アンだけでなくマリラもポカーンとなるんですね。

そこからマリラがすごくすごく悩むんですね。
そしてすったもんだした後にアンに言うんですね。

「神父さんは時代遅れね」

そうマリラは、神父さんの言葉に悩んでいた。
これまでそうだった自分の姿も重ねて。
アンはそういう生き方をすべきなのか。
女子にはその選択肢しかないのか。

そしてアンに「どう生きていくかは自分で考えなさい」と。

そうやってアンは学校に戻ります。

このくだり、まさに今の娘と私です。
嘘ついてさぼる思春期行為も、受験というこれからの生き方の選択を迫られている時間も。

神父さんはいないけど、女子がどのように生きていくのか、
親はそれをどのように受け止めて何を語るべきか。
何も語らなくてもいいかもしれないです。

赤毛のアン」は、モンゴメリが1908年に発表した長編小説です。本気の100年前です。
「熱源」と同じ時代です。
tsubatarou.hatenablog.com


私はでも、「熱源」であった「民族問題」の変遷と違って、
このジェンダーの問題に関しては、100年も前の物語からあまり変わっていない実感があります。
確かに100年前よりはかくだんに女性の生き方の選択肢は増えました。
でも今なお神父さんのような考えが社会規範の残りかすのように、現存するのも事実であり。

この「未だ神父さん論残りかす現象」に愕然とする。
するからこそ、これからを生きる女子である娘に、自由に生きてほしい。
私より、息子より、夫より、誰よりも自由に生きてほしい。
そういう期待をどうしても持ってしまうのです。
「男社会でなめられるな!だから勉強せい」という思いでついガミガミ言っちゃう。

でも、そうではないんでしょうね。
それがすでに「自由」じゃない。
それがすでに「縛り」になっちゃっている。
神父さんのように。女性を縛る呪いの言葉に。
個を縛るジェンダーの呪い。

難しい。本当に難しい。子育てむずい。
ただ神父さんみたいなおじさんはともかく、若い世代を見ると「女だから」「男だから」の時代じゃない。
こないだ「噂の保護者会」でりゅうちぇる
「自分が楽しいと、好きだと思えることを固定観念にしばられず、やればいい」と言っていて
頼もしかったです。
最近ほんと若い世代に教えられることばっかりです。(それはまた別で書きます)

だから。
「未だ神父さん論残りかす現象」にも「男社会でなめられるな現象」にも
全部にはむかって、自分で考えて、自分で判断して、固定観念にしばられず生きていってほしい。
それこそが真の自由なんだと。

ということで、いま親への反発心の強い娘を、「頼もしい」と見守っていこうと思います。
マリラ!がんばろうね!

あ、あとマシューさんね!
ガミガミ系マリラに対して、マシューのいいところは
癇癪持ちのアンを「勇ましいな」と褒められるところ!
アンにちっとも厳しくなくて、アンのやることを全肯定するとこです。
でも実際には、ただただのほほんとして、あんま役に立たないところw
すごい好き。
まず子供が子供であるだけで「あんたはいい子やで」って大人が肯定できる社会であってほしいから。

人生の折々に出てくる「アン」は結局原作がスゴイってこと

赤毛のアンは昔アニメでやってたんですよね。世界名作劇場かなんかで。子どもの頃。ほぼ幼少期。
→調べたら高畑勲監督だった

その時のアンって子供心に、偏屈で意固地っていうか、あんま好きじゃなかったんです。
全然共感できなかった。絵も好きじゃなかったし。
特にアンがずっと着ていた灰色の服が嫌いだったです(笑)。

高校生の頃は、「赤毛のアン」シリーズの文庫が何故か家に全巻あって(赤毛のアンって実は続きモノ)
でも結局3巻くらいまでしか読んでなかった気がします。

その時は、そこまで共感できなかった訳でもないけど、プリンスエドワード島とかグリーンゲイブルズとか、
「ただの田舎やん」って判断していました。何がいいんやろ~?って。
でも自分が思春期の偏屈になってみて、アン自体には共感はできる部分もあったし、
アンが幸せになりますように、とは思っていたし
ギルバートとの恋愛も上手くいきますように、ってワクワクもありました。

そして46歳のいま。このネットフリックスの「アンという名の少女」を毎週見だして
その良さがすごく分かるように。
アニメ→原作→ドラマ
人生を通してこれだけ見るって、結局原作の強さなんでしょうね。

とにかく「アンという名の少女」めっちゃいいです。
ぜひ娘と見たいので、取り溜めして「一緒に見よう」と言っています。

そしてこの「アンという名の少女」が辛いところは、良すぎて他のドラマがぜんぜん面白くなくなるっていう・・・
はい、いつものパターン。