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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

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ドイツの児童文学作家が100年前に描いてる「少年ジャンプ」あります

 

新訳 飛ぶ教室 (角川つばさ文庫)

新訳 飛ぶ教室 (角川つばさ文庫)

 

 

飛ぶ教室」エーリヒ ケストナー

那須田淳 木本栄 訳 角川つばさ文庫 


高校生か大学生くらいだったと思います。

私が「飛ぶ教室」を読んだのは。

児童文学ってなんか眠いイメージ。お説教イメージ。薄ぺらイメージ。。そう思って若干舐めていたんですが、おお、面白い!と感じたのがケストナーでした。

 

1899年に生まれたケストナーがドイツの児童文学界にデビューしたのは、第一次世界大戦から戻ってからでした。命令と服従しかない軍隊に反発して大学に入り、詩人として活躍。

その後、「エーミールと探偵たち」を発表し、有名作家として知られていきます。

 

ja.wikipedia.org

 

私が初めてケストナーを知ったときに印象深かったのは、ナチスドイツに反発したこと。執筆を禁止され、著作が焚書(ふんしょ=言論統制のための権力者による焼却行為)になったエピソード。それでも偽名で書き続けたそうな。ケストナーは本当の父親がユダヤ人だったけど、どういう理由か養子に出され、自分はドイツ人だという誇り?があったそうで、また、人気作家だったためにナチス焚書以上の露骨な迫害は出来なかったそうです。

 

今回、「飛ぶ教室」を久しぶりに読んで、ケストナーの何がよいのかが良く分かりました。

 

ストーリーは中学生男子たちの学校生活、友情、悩みなどを描いたものですが、それ自体も読めば割と楽しいです。文章もモノローグではなく、客観的で分かりやすいし読みやすいです。那須田淳さんと木本栄さんの訳、良かったです。

主人公のジョニーが、父親に捨てられていて、読書が好きで、作家を目指しているあたりは、自分の投影なんでしょうね。私は孤独な主人公が好きなので、これまた好感度高しです。

 

ただ言い方が悪いかもしれないですが、ただの少年たちの日常でもある訳で。なんでこんな、ただの少年たちのケンカしたり怒られたりが割と楽しく読めるのか?何がケストナーの魅力なのか?

そこが不思議で。

 

ケストナーは、「物語の前に」で書いています。

 

おとなってどうしてこうも忘れっぽいんだろう。自分だって子どものころには、かなしいときや、しあわせじゃないときだってあったはずなのに。

 

だから、「飛ぶ教室」にはいじめや貧困という現実、個々の悲しみや辛さが描かれています。

でも、「飛ぶ教室」の真の魅力は、そこじゃないことに今回気づきました。

 

飛ぶ教室」の魅力は、「ゆるい大人たち」だなと。

 

寄宿舎の正義先生、ヒッピーみたいな禁煙さんなど周りの大人たちがゆるくてステキです。

そもそも彼らが友達だと思って接している禁煙さんの存在はとても魅力的です。学校の空き地?隣接?の一角に廃車になった禁煙車両を運びこみ、まあいわゆる浮浪者といいますか…!30代男性なのですが、あまり働かずに家庭も持たずに社会と交わらずに、生きている大人が禁煙さんです。

正義先生にしろ、禁煙さんにしろ、彼らは、主人公たち悪ガキを決して否定せずに、彼らの言い分にきちんと耳を傾けて、そして解決策を一緒に考えます。

 

ケストナーは「飛ぶ教室」で、大人よ、こうあれ!と言いたかったのではないかと。

本来オトナはこうでしょ!って言いたかったんではないかと。

 

親ではなく、先生でもなく、他人の大人、これがオトナなんだよ、という本質を語ってくれている気がするんです。

 

正義先生にはこんなセリフが出てきます。

 

主人公たち悪ガキチームが、別の学校の生徒たちとケンカして寄宿舎の門限を破ったことで正義先生の部屋に連れて行かれます。

正義先生は言います。

「なぜ、相談してくれなかたんだね?きみたちは、そんなに私を信用できないのか?だとしたら…私も罰を受けるべきだろう」

そして正義先生は自分の子供時代に同じように門限を破って罰せられた話をします。その時に助けてくれた友達への友情も。一緒に受ける罰は、外出禁止。先生の部屋で一緒に紅茶を飲んで過ごすことでした。

 

オトナって、子供より偉いわけじゃない。ただそれだけの真実がグッとくる場面です。

 

次にわたしがクゥッ(*≧∀≦*)としびれたのが、超脇役の上級生が、20年同じジョークしか言わない校長先生を評価した時のセリフ。

「先生って職業には義務と責任があるんだぜ。自分をたえず、高めていかなくちゃいけないのさ。じゃなきゃ生徒たちは毎朝ベッドに寝っ転がったまま、レコードに録音された授業を聞いてりゃいいってことになるだろ。僕らが必要としているのは人間としての先生で、歩くかんづめなんかじゃない。僕らを成長させたいなら、先生だって成長していかなくちゃ」

オトナとして耳が痛いぜ!でも、それわかる!

で、実は校長はこっそりこの話を聞いていました。校長先生、しゅん太郎。。

これに対して皮肉屋の厨二病なセバスチャンが「いろんな先生がいたっていいじゃないか」とかばうという。このセバスチャンの厨二病からの成長シーンは、後に校長がハッスルするネタの伏線なんですが、そんな伏線に、ただの脇役に、自らが学び成長することをやめないオトナに、子供は学ぶんだと、それがオトナの務めでしょ、とオトナがオトナである真理を語らせています。

 

また、何そのゆるさ!非常にすばらしい!と感じたのは、

すったもんだの事件のあと、正義先生が寄宿舎の生徒たちに、「先生は今からビール飲みに行くよ。ビールの一杯くらい飲まないとやってられないからね。級長の指示に従って大人しくしといてね!」といって、ビールを楽しく飲みに行く場面。

 

先生が子供の前で聖人君子の如く振る舞わなければいけない、人間らしさや間違いを許さない不寛容な社会。大人が子供と対等な関係になれない、システマティックな縦割な社会。

 

ケストナー

そんなん辞めませんか?

と言っているんです。

もう100年も前に。

 

この戦前やナチス時代と比べてすら、未だに変わらない社会の窮屈さ、それへの絶妙にして鋭い眼差し。

それをさらりさらりと楽しく読める物語に仕上げる力量。

 

児童文学はやっぱり、なめちゃいけない。

痛感します。