「流浪の月」 凪良ゆう
題材にはされていますが、ロリコン、小児性愛者の話ではありません。
帯に「せっかくの善意を、わたしは捨てていく。そんなものでは、わたしはかけらも救われない」と書かれていますが、ここの善意というのは、無償の善意や同じ地平にある善意ではなく、自分より弱いとみなしたものへの庇護の精神みたいなものですね。
主人公は少女誘拐事件の被害者として、かわいそうな存在だから、彼氏たちは彼女の心の傷を思いやり、優しく庇護します。
でも、彼の身の周りの世話して、自分がやりたいことに許可が必要な関係に、主人公は疑問を感じ始めます。ついには彼の束縛がDVへ。
立ち上がれ!
ずっとそう思い読み続けて、主人公は立ち上がります!
いいぞ!わーわー!
そんな本でした。笑
主人公と彼氏の会話やエピソードが、あるわ〜と思わせる巧さがあります。
また、途中、イラっとする部分もあります。
いや、実は誘拐じゃないんです、従兄弟から性的被害を受けたから家出して助けてもらったんです!
って早く言えよう〜と
助けてくれた文(ふみ)は小児性愛者の誘拐犯の罪を背負っただけでなく、そのレッテルに一生つきまとわれ、後ろ指さされ、仕事も住居も転々とするという、まるまる地獄みたいな人生になっちゃったんだよ⁉️
確かにね、それも一理あります。
でもねー、分かるっちゃわかるというか。
なかなか言えないですよ。世話になった叔父叔母が自分の息子の犯罪を隠した姿や、何にもしてないのに父親の病気によって崩れていく自分の家族を見てきて。何もかも失ってきたわけで。
自分に何かできるチカラはない。そう思ってしまうのは、よく分かります。だから、誰かに依存する生き方になってもいくし、所詮自分は無力と思って行動してしまう。そのあたりの流れに、私はしっくりきました。
それは結構あることなんじゃないかと。
そんな主人公を変えていくのは、文のそばで生きたいという強い思いというか、執念?
まあ、頑ななこだわりですね。
そこだけは何がなんでも譲れない。
意思なく生きてきた主人公が初めて意思を持ち、頑固一徹にこだわるものに出会えた。
それが文。
文ではなく、ラーメンやピアノや温泉やパン作りの場合もあったかもしれない。
何がどうなったら人はその何かにこだわるか。分からないけど、意思を持ってやっと自分の人生が始まるんだなと。
誰かの批判にも負けずに、きちんと出会い、まっすぐに向き合うのは、案外難しいことで、生きるチカラなんだなぁと読後、改めて自分の生き方を見つめました。グダグダの毎日に一石を投じてくれた、よい一冊でした。