もし、明日、死ぬとしたら、いまを後悔しないように生きたい。
でも後悔しないような生き方とは、一体どんな生き方なんだろう。
45歳。多分、何ごとも大事に至らなければ、10年は生きるだろう。
子供たちは大人に、夫は同じだけ歳をとり、母は老いている。
私が思うとおりに生きていいなら、
実はあれこれしたいことがないでもない。
貯蓄をやめて、起業したり、ギターを習ったり、英会話を習って世界を見に行きたい。
体力をつけるためにジムに行き、テニス教室に通いたい。
そして。
そして。
書きたい。
優しい人でいたい。
愛する人を助けて。
理想の自分で死にたい。
でも、
今の自分でいい。
結構頑張っている。
応援してる。
子供たちを。
働くお母さんたちを。
女性を。
みんなを。
子供たちが女性たちがたくましく生きていける、
自分で道を選び歩いていける世の中であれば、
世界はそんなに悪くはない。
でも、もし
奪われて、強いられて、
死んだ方がマシだなんて
思わせてしまう世の中なら
まだ死ねない。
まだ優しくなれない。
まだ満足はできないんだ。
自分に。
自分の未熟さに。
あー、まだ続いていく。。
まだまだ足りない自分に落ち込む。
今の自分だからこそ
できること。
子供たちに遺せるもの。
お金でも不動産でもなくて。
それは一体何?
知恵?
信頼?
チャンス?
バイタリティ?
ユーモア?
明日、もし死ぬとしたら、
やっぱり私は子供たちに、
笑顔を遺したい。
大好きって言いたい。
だから、おそらく死なない10年かけて、それをせねば。
横でぐーすか眠る息子の歯軋りにイラッとしている場合じゃない。