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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

ルースエドガー_アメリカのグレーを描く秀作

 

LUSE 2019 アメリ

 

よくできた映画です。

テーマがとてもいいです。

ネタバレありあり。

 

 

アフリカの戦場で暮らしていたルースは幼い頃、白人夫婦に引き取られ養子になってアメリカで暮らします。

高校生になったルースは、成績優秀、スポーツ万能、めっちゃいいやつ。

でも、社会の先生なんかしら?ウィルソン先生って同じ黒人の女性の先生が、ルースのロッカーを勝手に捜索して、違法な花火を見つけるんです。

違法な花火ってなんだ。

 

んで、世界の有名人をピックアップして提出させたルースのレポートが、なんか暴力肯定派の人だった、と、母親を呼び出すんです。

 

まあ、ここまではいいとして。

私が、ここが間違いのスタートだなって思ったのは、

この呼び出しの後、ルースの両親は、ルースを疑う態度なんです。ずっと。

なんで?

 

んで、ウィルソン先生が割と生徒を型にはめて退学にさせたりする先生なもんだから、ルースはそれを両親に伝えるんですが、それはスルー。

なんで?

まあまあ問題だろってこと訴えてますよ?

 

そこは我が子を全面信じてよし(=´∀`)人(´∀`=)でしょうよ。

 

まあ疑われたら、ルースも気分悪いわね。

だから、いろいろ策略を練って、ウィルソン先生に復讐するんです。

でもって頭がいいもんだから、復讐がことごとくうまくいってウィルソン先生はクビになり、ルースは優等生としてスピーチしてめでたしめでたし。

 

というあらすじではあるんですが、この映画はあらすじも面白いし、スカッとするっちゃするんですが、この映画が伝えたいのは、全然そこじゃないです。

 

これね、日本人もよく分かると思います。学校の規律が厳しいから。未だに意味不明な罰則とか校則がたくさんあるから。

特に子供時代に、受験やヒエラルキーに悩んだ人なら。

 

クビになったウィルソン先生にルースが会いに行って言います。

同じ陸上部のデショーンがマリファナで退学になった時、先生は言いましたね?

だから黒人はダメだと言われるんだ。ルースを見習えと。ルースになれと。

 

僕はそれが辛かったと。(ルースの復讐はデショーンのためでもある)

それに対してウィルソン先生は

私たちはアメリカで一つの箱に入れられるんだ。

あんたも私も黒人はみんな同じ箱に入れられる。

だから、その中で箱からはみ出さずうまく生きて行って欲しいんだと。

 

ルースは言います。

ステレオタイプに括ってるのは、箱に入れたのは、先生だと。

 

このやりとりにこの映画の全てが詰まっていると言っていいと、私は思います。

 

この会話の黒人の部分を、子供とか落ちこぼれとかに入れ替えたら分かりやすいです。

 

アメリカは、徹底した実力主義でそれはいい変えれば超競争社会です。

誰にでもチャンスがあるとしても特に有色人種は飛び抜けて実力を持っていないといけない。

そういう暗黙の了解をルースとウィルソン先生は語ってるんですね。

 

ルースがスピーチの練習で1人、涙ぐむシーンは沁みますね。

自分のコミュ力を上げて、演技力をみがいて、生きていく術を学んだルース。

ルースがオバマに例えられる場面があるけど、なるほどルースのスキルって、ただ優秀なんじゃない、これぞ政治力だなと。やぼったく言えば世渡り力。

 

でもルースは政治力を身につければ自分が幸せなのかを考えます。

 

完璧を求めないで。

 

これはルースだけでなく、世界中の子供たちの声だなと。

 

私はこの映画を完全にルース視点で観ていたんですが、子を持つ親として、ルースの両親にあんまり共感出来なかったんですね。

そもそも、最初に言ったように、ルースを疑わないだろって思うし、トラウマに苦しんだルースを支えたならなお、そんな事で我が子を疑うか?って。

 

でも、どっかで、身につまされる気持ちもあって、思春期の子供の扱いって難しいとは思うんです。

 

それまではわーお母さんー!だったのに、思春期に入ると、ある日急に境界線が生まれて、どこまで聞いてよくて、どこまで踏み込んでいいか、互いに探り出すみたいな。

だいたいが子供が親をウザがるんですが、ルースなんかむしろ、親に対して、くそババア呼ばわりもせず、めっちゃいい子で、それ故に、疑ってかかる両親はひたすら理想主義者か完璧主義者なんでしょうかね〜。

 

私は自分が思春期の頃に、見えない学校のヒエラルキーからはみ出したから、そーゆー大人の押し付けにはほんとうんざりするんですが、でも同時に、思春期の子供に「そのスカート短すぎへん??」とかチクチク言ってるんで、親って難しいなぁと思いはします。

 

でも、やっぱりどんな悪ガキだとしても、親は味方でいたいし、無理矢理にでも、たとえフリでも、味方に見せる方がよいかなと思ってます。

だからルースの親、頑張って。私も頑張るから(о´∀`о)

 

なんか、ムーンライトでも思ったんですが、白黒はっきりしないグレーなアメリカ映画って、やっぱりちょっと日本的な感じがします。

 

 

 

孤独のグルメ(ドラマ)_ひとり飯派のシアワセのランチ

 

 

私は出産して再就職してから、コロナで在宅ワークになるまでは、基本的にランチは1人で行ってました。

もともと1人で飲食店に入るのが苦手だったんですが、お店がいっぱいある都心で働いていたのと、仕事のメドが個々人で違うのと、人間関係が煩わしかったのとで、やってみるとこれが地味に楽しくて。

 

相手に気を使わずいつ何を食べてもいい!

ただそれだけで

私はなんて自由なんだ

と思いました。

その思いの先駆者がいた!

ということで「孤独のグルメ」なんですが、

かと言っておっさん主役だし東京だし、最初は特に興味なかったんですが、去年の大晦日スペシャルをたまたま観て、じんわり良かったんで、

プライムビデオでシーズン1から観ることに。

まだシーズン4。

 

ここが楽しい孤独のグルメ

 

行く店がイチゲンだけどクセが強め

松重豊さん演じる井之頭五郎が仕事途中で寄るランチの店が毎回、クセ強め。

五郎は毎回仕事で訪れた街で、その時々に食べたい気分で店やメニューを選ぶんですが、女性が1人で入りにくいおじさん向け大衆食堂とか焼き鳥屋とかも多く、羨ましい気持ちでいっぱいです。

でもね、五郎って毎回イチゲンさんなんですね。初めてその店に入るんですよ。

だけどそんなの気にしてない。

だからきっと「女性が入りにくい」ってのは勝手な固定観念で、イチゲンとか女性とか関係なしにどんな食堂も行っていいんじゃないかという勇気をくれます。

 

そういえば先日、1人じゃないけど、ごくごく近所の常連さんしか行かない風情が漂うローカルな喫茶店に、息子と入ってみたんですが、メニューが豊富だし、イタリアンスパゲッティ(ナポリタンの関西での言い方)がめっちゃ美味しかったです。

マスターも普通に無愛想なのがまたいいです。

 

 

店内での挙動が勉強になる

 

そもそもひとり飯が苦手な人はその理由に、

店で注文を待ったりする時に何したらいいか分からん

という人も多いかもしれません。

いわゆる所在ない気持ち

というやつでしょうか。

そんな方は特に、五郎さんの心理描写が参考になるはず。

五郎さんはたいがい、メニューをじっくり観ます。そして店の雰囲気や周りの人の注文なんかをサラッと見て、体調や気分もあわせて総合的な判断でメニューを決定。

注文して料理をまつ間も、店や料理のことをあれこれ思い巡らします。

いよいよ料理が運ばれてきたら、何から手をつけるかを考え、だいたいご飯とおかずを交互に、たまらん、とか、美味い、とか

取り立ててグルメっぽくない、味のこまかな批評など一切ない、ぼんやりした感想を抱きながら、ご満悦で完食。よく途中で追加注文もしています。

松重さん、胃腸が強い。

 

だから、ひとり飯では、この後の仕事の事だとか腹立つ奴の顔なんかは一切合切忘れて、目の前の料理に全集中すればいいわけですね。それを教えてくれています。

 

耳に残るテーマソング

テーマソングか分からないけど

「ごろーう ちゃらちゃららん

ごろーう ちゃらちゃららん

いっ、のっ、がっ、し、らっ♪」

という女性のジャズ調?の歌が流れてて、耳につきます。

最初はなんて歌っているのか分からなかったんですが、よくよく聞いたら主人公の名前やん、と。

力入ってなさが絶妙です。

 

 

自分が好きになる

 

これは、私の個人的なアレですが、

そもそも私がランチや映画に1人で行く理由って、

ひとつには、食べたいもの、観たいものが人となかなか合わない

スケジュール調整が面倒

ってのもあるんですが、

1人で行動する自分が好き

っていうか。

 

コロナ前の出勤していた頃は、保育所のお迎えや晩ごはんの支度があって、残業する間がないぴったり定時上がりな毎日のなかで、楽しみというか息抜きが、ランチと月1の有給休暇での平日お出かけみたいになってる部分があって、

だからって誰かとのコミュニケーションも煩わしいから、1人でやってみたら、すごく良かったという感じなんですが、

だからひとり飯がライフワークな井之頭五郎とはまた違った背景と角度なんですが、

このドラマ知ってから、ますます、あの時間は大事だったんだなと。

ただ飯を食うとか、映画観る、とかじゃなく

私は自由だー

という清々しさといいますかね。

その際の選択の全部が自分次第

という冒険のようなワクワク感も手に入り。

 

孤独な時間にこそ何かが生まれる

みたいな?

 

まあ大げさなんですが、あながちバカにできないというか、

1人行動って

ラクさだけじゃなく

自由である証

でもある!

ということで、孤独のグルメも、1人ランチもおすすめです。

 

<補足>

ランチでも毎日外食したらお金はかかるから、何にお金をかけていいかをその時々に合わせてシフトさせるのが大事かもですね。

ちなみにコロナ後は、自宅で自炊ランチなんですが、それにより、出費がかなり抑えられて、それはそれで良かったです)^o^(

1人だし。

女性の描き方で観る朝ドラ

朝ドラをだいたい毎日観ています。

 

最近ニュースアプリを見てたら、

朝ドラの「ちむどんどん」が共感できない

みたいな記事が割とたくさん出てきまして、

私と感想が違うので、

ほう…と。

ぐぐったら、割と全般に否定的でした。

私は面白いから、

なんでかね?

と思って考えてみました。

 

否定的記事の主な見解としては

  • 主人公暢子による、和彦と愛というカップルの略奪愛が納得いかない
  • ニーニーがダメすぎる

だから面白くない、ドラマとしての質が悪いって意見が目についたんですが(*´Д`*)

…私はここが逆に好きな部分なんで、不思議ですねえ。

(朝ドラのドラマの質としては、ご都合主義なのは今に始まったことでなし)

 

確かに和彦くんは、暢子と愛ちゃんのどっちが好きやねん?

という風な読めない感じなのですが、まあでもです。人間どっちか決めれないこともたくさんあるでしょうよ。

そもそも私には、逆に和彦は愛ちゃんとは、同僚でそばにいたから、なんとはなしに付き合ってるっぽい感じになったけど友達に近いよね…みたいに見えたけど、2人の馴れ初めを見逃したのかしら。

 

ニーニーがダメ人間な件も、「実際いるよねー、でも憎めないみたいな人って」としか思わないので、妹たちにニーニーが怒られる場面が、ギャグというか愉快だなぁという感想だけで観てました。

基本悪い奴じゃないけど、アホやなぁ。はみ出てるなあって人が朝ドラにはあんまり出てこないから、逆に嬉しいくらいで。

ただ、ニーニーのバカっぷりに対して、「男はつらいよ」の寅さんみたいに会話劇にコメディの分量をもう少し割増しても良いかもしれません。

 

でも何より私は「ちむどんどん」の女性の描き方が、「カムカムエブリバディ」より断然好きです。

 

大きな違いは

理不尽な扱いに抗うか否か、です。

 

カムカムは、主人公の安子が夫の実家から受ける「嫁」の扱いが嫌で、それよりも安子がそれに対して、抗わないのが嫌というか、大人しすぎるのが残念で、戦前のあの家父長的な感じが否定されずにいるのが観てて歯痒かったです。

 

それに対して戦後が舞台のちむどんどんは、女性が皆んな、古い価値観にはっきり抵抗するから、清々しい気持ちで観れます。

 

たとえば、姉の良子は、夫の実家から嫁は仕事するなと言われて、子供連れて実家に帰って教職に復帰する道を選びます。

 

新聞記者の愛は和彦との結婚を辞めてパリに行きます。これね、身を引いたって受け取るんじゃなくて、やりたい事選んだって見たら、愛はかなりカッコいいんですよ。

最初の頃は見かけがお嬢さん風だし、言動もいわゆるおっさん受けする気立ての良さがあって、保守的な女性なんかなーって観てたんですが、ちゃんと社会をみているジャーナリストの姿勢がステキで、あ、カムカムとは違うなぁと。

 

あと、フォンターナのオーナーなんか、たくましく自立しまくる女性の先駆けだし、主人公暢子も、料理人として生きる道にブレは全然ないです。

 

略奪愛っていうか、そもそも和彦と愛って、勝手にフィアンセみたいなことになってるだけに思えたし、百歩譲って暢子の略奪だとして、それが何か?と。

なんでドラマの恋愛に「一途さ」「正しさ」を求めないかんの?

不倫や略奪にあれこれ言いたくなるんだったら、日本人はやっぱり慎ましい女性、3歩下がった女性が好きなんだなあって。

 

 

今書いていて思ったけど、朝ドラを観る人は、いや、記事を書いている人は、別に女性の自立だとか、社会的位置づけの変遷だとか、恋愛や繋がり方の自由だとか、そこに興味があるわけでは全然なくて、

朝ドラに対して身の丈に近しい個人的人生に共感を求めているだけなのかもしれませんね。

 

私は、朝ドラはだいたい女性が主人公で視聴者層としても女性を想定しているだろうだけに、テーマの一つには、歴史的な女性の人生の変遷ってのがあると踏んでみるから、てかそこを重要な部分としてみているから、

カムカムより、既存の概念や前時代的な社会通念にはっきりとNO!という姿勢が伝わる、ちむどんどんの方がストレスなく観れます。

 

それに、ちゅらさんよりも沖縄の文化への深掘りもしっかりしているし、沖縄の音楽も料理もたくさん出てきて、楽しいです。

 

だけど結局、朝ドラ観る人は、いや記事書いてる人は、沖縄にはあんまり興味ないのかなぁ。

 

「おかえりモネ」が人間の複雑な面を扱ったテーマ性で、お!と思ってたんですが、

カムカムが戦前舞台の昔っぽい朝ドラ王道路線、故に誰にも共感出来なかったんで、

そこに来て、ちむどんどんが沖縄の文化や歴史✖️戦後の女性の生き方の変遷をしっかり描いているな、と感心しているくらいです(・ω・)

 

ただ言ってもちむどんどんの舞台は60〜80年代だからか、仕事取るなら結婚や家庭は犠牲になってしまうのか…とも思います。だから、まだまだ、やっと女性の生き方や社会の価値観がいろいろ変わってきた始まりの時期として描かれている気はします。

あえて、エポックメイキングの初期を描いているんだなと受け止めています。

 

あれかな、朝ドラの視聴者想定が女性と言っても40代以上の高齢者が主体で、20代や30代女性じゃないのかな。

だとしたらある程度、保守的な方が受けるのかもしれないですが、なんだか進歩しねーなーと感じるのは否めないところ。

 

日本のドラマはもうそろそろ優等生を返上して(てゆーか年々優等生が濃くなってるような)、社会の負の部分や現実の抑圧への闘いをもっとリアルにしっかり描いていかないとアメリカドラマにはやっぱり勝てないと思います。

(私の中で)

 

 

ジェンダーギャップ指数2022出たよ_日本は116位

ジェンダーギャップ指数が7月13日に世界経済フォーラムによって発表されました。

日本は、世界146か国中116位です。

もちろんG7中、最下位ですね。

 

それに関する記事を浜田敬子さんが書いていました。

gendai.ismedia.jp

 

ハマケイさんは、私が尊敬するジャーナリストの一人~。

tsubatarou.hatenablog.com

 

進まない女性の活躍。

ハマケイさんはこの原因をいくつかとりあげているんですが、

ひとつには、企業側が管理職採用しようとしても、

「女性の方が積極性がない」

という理屈があるんですって。

でも特別に積極性求めるのがそもそも「ギャップやん」と思いますけど。

 

で、なんで女性の積極性を求めたがるかというと、「女性は結婚や出産で辞める」という古いイメージが未だにあるのでは、と。実際には違うんだけど。

まあそんなことから男女で同じ能力や実績があったら、管理職には男性をとりがちだと。

そうすると、女性には経験やキャリアを積む機会がなくなっていきます。

 

要は、出産や育児の制度は整ったけど、「やる気」「教育」「キャリア」に関してなんにもないよね、ということを言ってはります。

 

「上司が女性の仕事を評価する、期待する、キャリア幅を開く」という状況がないと、なかなか進まないのは確かに。

そして現状としては、上司=管理職の女性の割合がとっても少ないから、おのずと上司は男性です。

その男性上司が、女性のキャリアというものにリテラシージェンダー的公平性の考えがあるかどうか、てのがありますよね。

 

だって、普通に考えたら、男性上司は男性部下を育てやすいって思うような気がします。自分をモデルに先を考えることができるし、育成するにも効率よいわけです。

それに、出産みたいなライフステージの変化に対しても、先進的な考えの男性だったらイクメンやる!って人もいるでしょうが、それまでの仕事の仕方そのままだと、社畜か、よくて家事育児をお手伝い程度で、という選択になりますよね。

いっぽう女性は出産して働くとしたら、ほとんどが「育児の主体は自分に決まってる」でキャリアを考えます。

まだまだ。そうでしょ。現実。

 

としたら、すでに自分自身は社畜や育児お手伝い程度を選んできた上司が、どういう部下に成長してほしいって思うか。

にかかってきてしまいますよね。

 

業績がひっ迫していたり、ひたすら売上優先の会社だったら、能力は高くてもライフステージの変化含む先々の配慮が必要な女性のキャリア作りを親身に考えてくれる体制は厳しいです。

 

ただ。

ハマケイさんはそこにちゃんと着目して、対策を講じている企業を紹介してくれています。

 

たとえば、キリン。

経営層や上司も巻き込んだ女性社員の育成プログラムをスタートしたそう。

これは上司と女性社員がワークショップに参加して、意識のギャップを埋めたり、女性が管理職として手を挙げやすい状況を促したり、「結婚前」にキャリアを積めるような体制を作る取り組みだそうで、10年やってきた成果として管理職をめざす女性が増えているそうです。

 

まあでも10年取り組んで、目標値が全体の12%(2013年の3倍)だそうなので、「亀の歩みだな・・・」とも思ったんですが、でも小さな成果の積み重ねですものね。

こういう「変えていく動き」って。

反動をふまえつつの。

 

大手がこの状況なので、景気のよくない日本で、末端まで到達するには100年かかるやんと思いもするんですが、でも私は自分の会社でも20代の女子が「管理職めざしたるー」と思いながら「結婚や出産もしたるー」と思って欲しいと、すごく思うので、大手が率先してしてくれることは、大事だなと思います。

「あそこがやってるよ、成功してるよ」て言えるって民間企業では大事ですよね。

 

 

これとは別の何かで読んだのですがIT業界って、男性が圧倒的に多いそう。

新しい産業だから、ジェンダーに対しても新しいのかなと思いきや、そうでもないのが不思議です。でもスタートアップ企業とかは、労働時間も長いだろし、長期勤務の制度を整えるにはある程度の資本力組織力が必要だっていうことなのでしょうかね。

それか、そもそも長期勤務を考えないのか。

私のいる会社もかつてはベンチャーを気取っていたのですが、「成功」を意識しすぎて「働き手がしんどくなる」のはベンチャー所以のあかんところかもしれません。

 

そもそも私が斎藤幸平さんの「資本主義社会では、企業は上昇することしか見えなくなる」に共感するのは、自分の会社がほんとにそうだなと思うことにあり。

でも、それに異を唱えて、ジャンダーギャップ指数とか、SDGsとか、なんとかしようという動きもあるわけで。斎藤さんは「それじゃ遅々としすぎ」と言っているんですけどね。

 

tsubatarou.hatenablog.com

 

でもさ、今のところ、じゃあ私の目の前にある自分の現実に取り組めることって、

「全然立派でないうちの会社が少しはマシになりますように」という気持ちで意見をだしたり

「うちの息子が将来、家事育児を率先してしますように」と思って子育てするくらいなんです。

それも四苦八苦しています。

 

あと、企業取り組みとは別に、女性が自信をつけるために私が個人的に思うのは、

「学ぶ」ことだと思います。

若いうちって、自分もそうだったんですが、そこまで先々の心配をしないというか、女性が社会や婚姻関係の中でどういう扱いを受けてきているか、あまり実感がないままで(良くも悪くも教育の場では男女平等気味)、社会に出てしまう。自分がどう生きればいいのか考えずに、選択肢を狭めている若者も多い気がします。

もっと市民活動や地域レベルでセミナーとかワークショップしてほしい!

でもそれだと参加者がおばちゃんばっかりになりそうだから(苦笑)、大学で学ぶのはもちろん(上野千鶴子に次ぐ存在はいないのか!)、高校、いや中学校くらいからジェンダー教育時間を増やしてほしいです。

 

あ、そうそう、小学生男子の教祖「ひろゆき」も、「IT業界では女性が優秀な人が多い。でも活躍する割合にしたら極度に少ない」って言ってました。フランス在住のひろゆきさんについてはまた書きたいと思います。

 

 

 

ブリットマリーの幸せなひとりだち_63歳にして家出した主婦にめっちゃ共感

 

ブリットマリーの幸せなひとりだち

2020 スウェーデン

 

はいHuluで観ました(´∀`=)

女子が元気でる物語。

なかなかしんみり、元気でました。

いや…めっちゃ励みになりました╰(*´︶`*)╯♡

ネタバレあり。

 

専業主婦歴40年のブリットマリーは、夫さんに浮気されて、家を出ます。

 

ゆーて63歳です。ブリットマリー。

すごい決意や思います。

 

でも福祉国家スウェーデンといえど

40年、専業主婦しかしてなくて、仕事経験、スキルがない63歳にはハロワ(的機関)もお手上げで、

田舎のユースセンターの子供サッカークラブのコーチの募集しかなく、ブリットマリーは仕方なくなんのゆかりもないど田舎に夜行バスで向かいます。

 

いやでも63歳の婆さんにサッカーコーチの職をあてがう時点でスウェーデン、面白いんですけど(о´∀`о)

 

で行ってみればユースセンターはボロボロだし、近所の子供たちが戯れに球蹴っとるなぁ…みたいななかで、住む場所もないからユースセンターを片付けながら暮らし、みたいなブリットマリー。

 

しかし、親切な人もいたもんで、ブリットマリーに好意を寄せるお巡りさん、ピザ屋のイタリア人親子、下宿先の大家でありほぼ全盲の元女子サッカー選手やら、気のいい人たちと出会い、ブリットマリーはなんとかかんとか取り繕って新生活を送ります。

 

1日ずつよ、ブリットマリー。1日ずつ。

 

と毎朝自分に言い聞かせて。

 

で、お子様たちはお子様たちで、居場所がなかったりして。親がいなくてピザ屋の息子に世話になりながら、サッカーしかない!なんて言うサッカー少女とかにブリットマリーが逆に触発されてね。

 

私の人生はなんだったんだ。

と。

 

迎えにきた夫にブリットマリーは最後に言います。

 

一度だけでも、汚れたシャツを自分で洗濯かごに入れて欲しかった。

と。

 

夫はいいます。

言ってくれたら良かったのに。

 

いやまあ夫は間違っちゃいない。

だけど、そうじゃないんでしょね。

ありがとうって今更、こうなってしまって、言ってもらうのも違う。

 

分かる。分かるわー!

 

はや夫との関係の問題じゃなくなってて、自分の人生のことだから。

自分が一歩進むための、最後の一言なんですね。

もうそれを言ってまうのは。

 

そーゆーことだから。

それはもう過ぎた事だから。

 

63歳の専業主婦の婆さんが、サッカー少女に触発されて、自力で生きていく。

 

何より励みになりましたよ。

画面のおばちゃんおっちゃんと子供しか出てこないのサイコー^_^

ブリットマリーの 

日本でもそこいらにいそうなおばちゃんぶりが

とても良かったです。

 

あとブリットマリーが専業主婦になった背景が、さりげなくジンときます。

 

それにしても、スウェーデンでは60代って日本の40代くらいの感覚なのかしら。ブリットマリーよくあんな身体動くなぁ。考えてみたら、あと10数年で私も60代じゃないか。今でさえ運動してないのに60代であんだけ身体動くかしら。家出する日のために、運動しておかねば。

 

あとやっぱりね。ハロワは渋ってたけど、

家事ができるって、人として生き抜く基本です。

真の意味で生きていけるわけで。

主婦力は全人類の基本だわー(*´∀`*)

ムーンライト_しっとりした成長物語。ついでにアメリカの人種比率

 

2016 

やっと観ました。ネタバレあり

Amazonプライム

ううん、Huluでね(*゚∀゚*)

アカデミー作品賞。助演賞。獲得作品。

 

あだ名がリトルのいじめられっ子シャロン

主人公の少年期、青年期、大人になってから。

各時代ごとに3人が演じているんですが、

少年期のリトル君がとってもかわいいです。

高校生になったシャロンもかわいいです。

雰囲気似ています。

 

なのにですよ?

大人シャロンが急にいかつい…

 

いや紆余曲折あったのは分かります。

ドラッグの売人だし取り外せる金歯もまあ、いいでしょう。

しぐさとか無口さとかは同じだなぁとは感じたから、役者さんの演技的に間違ってるわけではないんですが。

 

この映画は、ヤク中お母さんと2人暮らしで貧しい、さらに同級生のケビン(男子)が好きかも?な1人の黒人男性の成長を、アメリカらしくなく、静かなムードで描いています。

 

ちょっと日本とかヨーロッパの映画っぽいかも。

だからもしかしたら、逆にアメリカ人には新鮮で、日本人は見慣れた感じがするのかもしれません。

 

私はヤク中ではないけれど、息子を持つ母として、息子を観ている気持ちにさせられました。

息子好きだけど、現実が重くて息子と向き合わないお母さんのやるせなさと、境遇に無力でしかない少年。

ただシャロンはフアンという頼れる大人と出会うんです。彼の仕事はヤクの売人なんですね。シャロンのお母さんに知らずヤクを売っていたりします。けれどシャロンは、彼の優しさによって救われます。

 

シャロンが大人になって、施設にいるお母さんに会いに行くけど、あんな風に息子は、母と過去を許さなければならないのだとしたら、息子って切なすぎます。でも私はこのシーンがいちばん印象に残っています。息子に優しくしよ…

 

それとこの映画ですが、正直ほとんど黒人しか出て来ません。

それってなかなか…なくない?

あるのかもだけど、私は知りません。

 

アメリカのドラマや映画が好きなんで、映像作品に登場する人種割合を考えるクセが割とあったりもするんですが、白人ばかりは普通にあっても(それも最近は珍しいかも)

黒人ばかり…てのはほとんどないような。

 

で、ちょっと気になって、現在のアメリカの人種割合を調べてみました。

 

こんな感じ。

https://www.nhk.or.jp/school/syakai/10min_tiri/kyouzai/001601.pdf

f:id:tsubatarou:20220713231250j:image

ヒスパニック増加中!

 

日経新聞

米の白人人口初の減少 20年国勢調査、多様化進む: 日本経済新聞

 

ほーう。

黒人ってそんなにいないんですね。

半分くらいは黒人かなと思ってました。

そこまでじゃないとしても3割強くらい?

 

ヒスパニックやアジアやその他も入れたら有色人種は4割くらいでしょうか。

2060年には有色人種が白人の割合を超えるのも驚きです。

なんで?

いろいろ知らないもんだなあ(=´∀`)人(´∀`=)

 

話がずれましたが、なんとなくハッピーエンドなんで良かったです。

たまにはアメリカの静かな作品も悪くありません(´∀`=)

 

 

 

アメリカのめっちゃすごい女性たち_「型破り」こそが強みだった

2014年 マガジンハンス 町山智浩

女性が頑張ってて元気が出るシリーズ♪

面白かったです!元気でるー!
2014年の出版なので、取り上げている大物女性陣が若干古いというか、
2013年あたりに話題になった人が多いですが、それでも、元気でます。

取り上げられているのは55人。
オプラ・ウィンフリーとか好き好き!
でもほとんど知らないな。。
コメディからビジネス、政治家、映画監督などなど沢山いるけど
意外とコメディエンヌ多いです。
成りあがりの王道なのでしょうか。(日本でもそれはあるかも)

それでもって、みなさん苦労人。
特に子供時代。少女時代。

まあ苦労されてますね。
貧しかったり、黒人だったり、女性だったり、障害を抱えていたり。
それだけで他の人より重いもの背負ってのスタートだったりして、
だからこそ、それをパワフルに乗り越えるのが本当に小気味良くて。

それにしても、未成年での結婚や妊娠の経験者が多いのはなんなのでしょうか。
しかも妊娠がレイプだったりして、想像を超えた辛さがあり。
あと、お母さんが刑務所にいるお父さん会いに行って妊娠したのが自分(ホープ・ソロさん)とか…

半端ない乗り越え感です。
逆にそれで自己肯定感を失わず、人生を前進させられる強さがすごいです。
人間ってこんなに強かったんですね。

同時にアメリカの闇も考えさせられます。
やっぱりなんやかんやいって日本って治安いいし、安全だし、平和ですよ…

確かに彼女たちは今や大富豪だったりするし、
幾多のライバルたちを蹴落してきたんだろうし、
でもそれが胸クソ悪くないというか日本とすごい違うなぁと感じる部分があって、
何だろーって考えて、思ったのが
「はみ出てるな」ということ。

いや正確には「はみ出ても大丈夫」な環境なんだなと。
日本での成功ってなんというか、枠の中で、ビジネスが当たったとか
努力の結果、プロとして大成したとか
そういう二宮金次郎的な世界観でサクセスストーリーが語られる気がします。

かたやアメリカのサクセスは、とにかく型破り。
型をやぶることこそがサクセスとでもいわんばかりに。
だいたいがたくさん挫折したり蹴落とされたり、薬や酒におぼれたり、自殺未遂したり(苦笑)
激しいんです。。

何よりですね。
本当に辛い過去の人が多いんですが、虐げられているんですが
でも虐げられた者の悲壮感がないんです。
なんででしょう。

日本だと、もう「取り返しのつかない経験」「どんだけ可哀そう」が先行しがちというか、
そういう枠に入っちゃってなかなか前に進めない人が多いじゃないですか。
自分だってそうです。
たぶんアメリカ人だって大多数がそうなんでしょうが、
でもこの本に出てくる女性たちを見ていると、
それって結局、誰かにつけられたレッテルを気にしているだけなのかもしれないなあと。
人を悲壮にさせるのは、その辛い経験自体よりも、他者の目なのかも。

彼女たちの強さは結局、他者の判断に依存しない強さではないかと思う次第です。
要は人の目を気にせずに、がむしゃらにやりたいことをやってきたってこと。

アメリカってきっと、人間の強さも弱さも、混沌としたものを世間が割と受け入れていて、
日本みたいに刑務所に入ったからって家族が村八分にされたり、
就職ができなかったり、そういうのが少ないというか、
もちろん世間体という概念も普通にあるんでしょうけど、
おそらく各人の意識下で占める割合は日本よりかなり低そうだなと。

人種や宗教が多様だし、人と違うことが前提な社会ってのもあるんでしょうけど。

でもそんなアメリカでも、成りあがるにはかなりの「型破り」がいるんでしょうね。
自分の持ち味をどれだけアピールできるか。
でも才能とか、努力とかではない、
生きる力というか、バイタリティこそが
「めっちゃすごい女性」の大きなカギなんだと思いました。
めっちゃあこがれるわ~(*´з`)



映画評論家の町山さん、奥様とLAに住んでるんですね。
いいなあ~(*'ω'*)

人新生の資本論_気候変動がヤバい時代の大きな可能性を秘めた一つの魅力的な展望

2020年 集英社新書 斎藤幸平著

この本、大ベストセラーなんですって。
・・・みなさんすいすい読めたですか?
私は読破に1ヶ月かかりました(寝落ち多し)

でもね、100点です!いや200点!
もう世の中の見え方が一切合切変わりました!

正直に話してしまうと、最初は何を言いたい本なのか、わからずに読み始めました。
「人新生」=ひとしんせい という言葉にちょっと好奇心湧いただけで。

「人新生」は、地球の地質学の新しい時代区分らしいです。
人類が地球環境に与えた影響が甚大すぎて気候まで変動しちゃって、
ぶっちゃけ地質にものすごく影響を与えてしまった時代ということです。

で、そういう気候変動の時代に対して、斎藤さんはものすごい勢いで警鐘を鳴らしています。
というか、もう警鐘とかで間に合う段階ではなくて、
「残念ですが。。。手遅れです」と言ってるんですね。
あらゆる数値や現状を鑑みて、もういつなんどき、地球が「デイアフタートゥモロー」になってもおかしくないと。
読んでて、この映画がずっと脳裏に。


この本を読むまでは当時16歳のグレタ・トゥーンベリちゃん(もう「さん」か)が、なんであんなに怒ってたのか
正直ぴんと来てなかったんですが、それは40代の私が「未来を生きる人」視点ではないからですね。
グレタちゃんに限らず、うちの息子なんかも、学校でSDGSを勉強してから
まあ、ちょっとしたごみの分別にもうるさいです。やたら詳しいし。
それは、「自分ごと」だからなんですね。
グレタちゃんは、「あなたたち大人のしてきたことのツケを背負って未来を生きねばならないのは私たち子どもなんだ」
と怒っていたわけです。
そのことがやっと&よーくわかった本でした。
(斎藤さんはドイツの大学にいたようで、ドイツだから余計かもとふと思う)

ともかくも、「デイアフタートゥモロー」を見たことがない人は、
絶対に見ておくべきで、そんなことは斎藤さんは何一つ言ってはいないんですが
私たち大人がもたらした結果が、この本の言いたいことが、ビジュアルでより分かりやすく理解できるはずです。
ディザスターエンタメとしても完成度高いので、セットでぜひ。

だからもうね、突然豪雨とか、ありえない場所にひょうが降るとか、竜巻発生とか、ありえない時期に30度超えるとか
そういうのって、もう今当たり前になって久しく、
地球上で人類が生き残る危機をはらむ気候変動の序章であり
もう本章に入りかけている、、もう未来を心配するレベルではないんだよ
「今やばいんよ」ということをこれでもか!と斎藤さんはたたみかけてきます。

そして「なぜもう今ここまできてしまったのか」。
問題はそこです。
とってもざっくり結論から言うと、斎藤さんは「資本主義」のせいだって言っています。
「大企業が、儲けのために、アマゾンの森林を破壊している」というのはまあ言われていることですが
じゃあなんで、大企業はアマゾンを破壊するのか?
なぜ大企業が儲けようとすることが気候変動につながるのか?

世界の仕組みはどうなってるんだ?
という部分で、出てくるのが「グローバルサウスの犠牲」です。
要は欧米や先進国(日本含む)が自分たちの快適な生活のために、
周辺外部の国々の資源や労働を、環境や現地の人の命や健康までも、顧みずに搾取していっているせいだと。生態学帝国主義が行なわれていると。

たとえばファストファッション
私が大好きなユニクロ。気づけば全身ファストリテイリングに投資。
それくらいどっぷり浸かっているんですが、
じゃあ私の服がどこで作られているかって、バングラデシュとかです。
綿花栽培には大量の農薬を用い、40度以上の劣悪な環境での労働、
1000人以上死んだ事故が起こったりしているんですって。
そんなこと日本のニュースで言ってますか?
「知らぬがほとけ」で、いまどんだけグローバル社会っていっても情報ですら先進国や大企業に有利に動いているわけですよね。

だからといって、お金持ちでもない私が、作り手の顔が見える上等な服を買えるかっていう、
そういう庶民の個人が抱えてしまう矛盾こそが
「知」がもたらす二律背反のストレスなんですが、
まあでも、パリジェンヌは10着しか服を持っていないらしいので

私も「本当のおしゃれはユニクロで毎年Tシャツをイロチで買いあさることじゃない」という認識をもっと強く持つべきだと思います。
ユニクロでもいい。10年着れるように大事に使う。

かといって、もはや右も左も前も後ろも、何をしたって「環境破壊なんじゃないか」というくらいに普通にあふれかえっています。大量生産バンザイ。
激安バンザイ。
グローバルサウス産のものも含めて海外依存度高い日本。自給率の低さ。
グローバルサウスの人々への想像は想像にすぎず、外部依存による「自分は快適な生活」に慣れてしまっています。
だから、この本を読んでいると、「じゃあどうしたらいいんだよう」という気持ちになってきもします。

そこで。
斎藤さんが言うには・・・「晩年のマルクスが割と答えを出してんだよ」というので「資本論」につながってきます。
正直、マルクス資本論はとっても分かりにくいので(高校生の時に9ページ目で挫折)
げーっと思ったんですが、そこが後発の学者さんの良いところで、要点をまとめて書いてくれています。
とはいえ「それでも分かりにくいよ・・・」というのが、正直な私の感想。
でも頑張って読み続けてそれをかなりざっくり、まとめあげますと

「協同組合による参加型社会」
これこそが気候変動にも対応する、資本主義ではなく、真の「脱成長」の、社会主義な視点での社会のベストなあり方だと斎藤さんは言っています。
本当はもっと、この結論に紆余曲折といろんな理論を展開の上でたどり着いていて
これ本当に「最終章」で言っている最後の最後の結論なんですが。。(あっさりネタばれ)

だから、文字のイメージで解釈すると間違ってしまう可能性もあって
斎藤さんが言っている「協同組合による参加型社会」がどういう意味かというのはやはり読んでもらった方がいいです。


「とにかく儲けずにはいられない」資本主義はやっぱり、「絶対的デカップリング」「グリーンニューディール」「再分配」「経済停滞という意味での脱成長」
とかではどうしようもなく、そもそも資本主義を許容しながら地球環境やグローバルサウス問題をどうにかするのは土台無理なんです。と。
(出てくる言葉が聞いたことないものばかりで・・・(*´Д`))

ただ斎藤さんは「協同組合による参加型社会」はすでに現在、実践されている事例もあると、いくつか紹介してくれています。
たとえば、「フェアレス・シティ」です。
スペインのバルセロナが有名らしく、バルセロナの「気候非常事態宣言」は2050年までに二酸化炭素排出量「ゼロ」を宣言していて、グローバル企業と対峙する姿勢を示していると言います。これにはバルセロナがもともと市民や労働組合による社会運動が活発だったという背景もあるそうですが、バルセロナ・アン・クムーという市民政党の市長が誕生し、草の根の声を採り入れる市政を行なっています。
市民運動を10年以上かけて培っていった成果だそう。

他にも、GMが撤退した廃墟で有機農業を始めたアメリカ・デトロイトの「ワーカーズ・コープ(労働組合)」。
誰もが無料で食べられる「公共の果樹」を育てているコペンハーゲンのエディブルシティ運動。
などなどを取り上げています。

で、これらの運動は、取り組みのノウハウを、世界のあらゆるコミュニティに「どうぞどうぞ」と提供していっているそうです。
横の連帯が非常にあると。
そして「グローバル・サウス」の考え方も大いに取り入れられていて、エクアドル憲章にも組み込まれた「ブエン・ビヒール」(よく生きる)は、経済成長ではなく、先住民の知恵・工夫から学ぼうという考えだそう。

そういえばブレイディみかこさんの「他者の靴を履く」でも出てきたんですが、「エッセンシャルワーク」にも触れています。
コロナ禍はじめ、どんな時も人の暮らしのために欠かせない「仕事」ですね。
医療や介護、教育。スーパーの店員さん、パン屋さん。

彼らの給与水準が低く、ホワイトカラーと言われるブルシットジョブが高給というのはほんと、間違ってると。
ブルシットジョブとの対峙がまさに、斎藤さんの言っているお話。(ディビットグレーバーさんのことも触れてます)

そうそう、私が積読しっぱなしのトマ・ピケティさんも「21世紀の資本」の時より、全然考えが変わって、マルクス社会主義的な社会を推奨してるんですって。

マルクスの理論は分からないとしても、斎藤さんのいう「市民が主体の自分たちのためのいろんな運営」というのはとても分かりやすいです。
電気もガスも、インフラ運営は地域の市民。
(通信も市民運営だったら、こないだのauみたいな全国的な電波障害にはならなかったのかも?)
そこで方針を決めるのも、働くのも、市民。
「自分ごと」だと責任も感じて「儲け」より「実用」「安全」などで判断しますよね。
なるほどと。


こういう考え方は、世界的には割とすでに浸透していて、もはや「常識」の一部なのかもしれません。
日本じゃメディアで誰もあんまり言ってない気がします。
やっぱりこう、いろいろ遅い感じ。。

ということで、斎藤さんの気候変動には今の資本主義じゃ駄目だというお話に
最初は「そうはいっても、だからって、急に田舎で有機農業やりだしたり、田舎のコミュニティも入りづらそうだし、そういう田舎のコミュニティが女性の多様な生き方に柔軟かと考えたら疑問だし、
一応フラットで多様性を内包してくれる都会での快適な生活を変えることは難しい」と思って読んでいたんですが、
そうじゃなくて、「儲け」じゃない生産や労働のあり方を追求する方法があるって言っているんですよね。
それはつまり、都市生活のなかでも相互扶助のある市民主体の共同and協同組合がいろいろ決めて作っていく社会なんだと。

すでにいろいろな場所で始まってるんだと。
確かにこれならできそう。
しかももう、そうならないと気候変動がやばいんだなと。
日本の世の中が実際に、いつ、そうなれるか、いやなれないのかも?
だって市民運動、苦手やん…
空気読んで声をあげないやん…
既成の価値観に従順すぎるやん…

そこは分かりませんが、「人新生の資本論」が語ることは、
大きな可能性を秘めた一つの魅力的な展望であり、指針といえるでしょう。

それにしても、読んで、本当に目からうろこ&開眼したことが多くって、
自分の環境問題に関する認識の甘さを知ったということもありますが、
マルクスとか資本論とか大上段に構える学問が、実際の生活に結び付いていることが知れる本」という意味でも、非常に価値があったなと思います。

味付けイカという命づな

先日、小学生の息子がですね。

「7月4日に南海トラフ地震が起きるらしい」

と言い出しました。

…ほう。

誰から情報?と尋ねたら、

Twitter」とのこと。

Twitterで誰がゆーてますん?と尋ねたら、

「未来人」とのこと。

…ほう。

未来人がいるんだ。すごいと。

で、それは誰だい?と。

「分からないけど現代人も同じことを予言している」と。

…ほう。

その現代人は学者さんか何か?と尋ねたら

 

「知らない。けど多分その人も未来人かも」と。

 

…ほーう。…何にも分からん。

常日頃から、情報は「誰が」発信しているかが大事だよー、言ってるよね?

と母が理屈っぽく語るのを完全スルーで

 

息子は立ち上がり、台所をごそごそ探り、

味付けイカ、コーン、シーチキン、ミックスフルーツの缶詰を見つけ出し、リュックサックに詰め出しました。

 

「そのセレクションは喉が乾きそう」と2リットルのミネラルウォーターを渡しましたら、喜んでそれも詰めていました。

 

そして、7月4日が平和に過ぎ。

 

日本が無事で何よりです。

味付けイカの入ったリュックはまだリビングに置かれています。

 

 

酒のあてに我が家に常備されています。

 

 

メタモルフォーゼの縁側_ゆる~くってあったかい年の差の推し活仲間

 

 

「メタモルフォーゼの縁側」鶴谷香央理

5巻で完結しちゃいました~~

もっと読んでいたい~~!

 

頑張ってる女子シリーズ。(フィクション含め、知ると元気になるやつ紹介)

 

縁側に座ってさわさわと頬に風があたる、ゆるやかな時間が流れる作品。

 

ざっとあらすじを言うと、友達がいない腐女子高校生が、バイト先の本屋さんで、BL漫画を買いにきたおばあちゃんに出会って、友達になる話です。

 

75歳の市野井雪さんはある日、本屋さんできれいな絵の漫画を買ってみちゃいます。

なんと、それが男の子同士の恋愛マンガ。

ボーイズラブですね。

でも素直に共感できたりして、

そしてその本屋さんにバイト勤務する腐女子高生のうららちゃんとの

推し活仲間としてのやりとりがはじまります。

 

でも・・・言ってしまえば、まあただそれだけなんです。

でも「それだけ」がとてもいいです。

 

だってありそうです。

こんなことがあったら、すごくいい。

 

特に市野井さんがやっぱりいいんです。

うららちゃんは、母子家庭で、友達がいなくて、どっか寂しさを抱えている子なんですけど、市野井さんと出会うことで、「BL腐女子の推し活仲間」を得ます。

でもそれだって、最初から元気いっぱいに意気投合とかじゃなくて、

気を使いながらの探り探りなんですよね。

そして市野井さんはさすがの年の功で、うららちゃんとの距離の取り方が絶妙で、

ぐいぐい行く時は行くし、だけど相手の状況をきちんと読んで

超えちゃいけない部分もちゃんとわかってます。

 

ずっと前から思ってたんですけど、

たとえば小さな子供とか、小さな動物とか

高齢者にフィットする存在を結び付ける「縁」や「出会い」が

これからもっと大事になっていくんじゃないかと。

 

ただ、腐女子とか女子高生との接点までは想像をしてなくて、

でも考えてみればBLがこれだけ大きなマーケットを形成している根底には

やっぱり人間の原点の結びつきが、

同性同士という通俗を超えたからこそ

浮き彫りになるという側面もあるからで

そこに70代が共感しうることは現代ではぜんぜん可能なんではないかと。

うちの母もそうだけど、今の70代って、古い因習にあらがってきた世代でもあり。

 

歳をとって頭が固くなっちゃう高齢者もいるけれど、そうでない高齢者もちゃんといて、そこにスポットをあてるのは、新しくも、「あるあるあるね」と納得できます。

 

ただ最後がね~ちょっと切ないです。

でも、ちょうどミドルの40代の自分としては、「別れ」というのは人生で絶対に抜いてはいけない経験だと、最近ようやく実感として感じてきて(どんな人生も最終は死だし…)

そういう「別れ」「喪失」を何回も繰り返して、そうやって婆さんって

市野井さんみたいな、ゆるくてあたたかい結びつきを与えられる存在になっちゃうんだろうなあと。

ただそこにいるだけで、温かい存在。

 

そういうのがもっとメジャーなイメージになれば、ほんといいと思います。

映画もプライムになったら観ようっと。