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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

「紋切型社会」"異論"こそが私の翼

 

 

ライターの武田砂鉄さんによる、テンプレ化した現代的フレーズを批評して、日本の社会や現代文化を読み解く、みたいな本です。

 

帯にあるデュマゴ文学賞に惹かれたわけでなく、人から勧められました。デュマゴ賞ってよくわかってないし。

 

2015年初版刊行。話題だったようで、

素通りしたのは何故なのか。忙しかったのかな。

 

ちっとも知らずに、6年経ってしまいました。のれてない。

 

だからか、冒頭の章「乙武君」で、語られていることがなかなか頭に入ってこず、何がいいたいのかがよく理解できないまま章を読み終えて、…ああ、6年前だからかと。 

 

今だったらハンディキャップのテーマは乙武氏を選ばない気がするから。

それでもって砂鉄さんは、乙武君と川田龍平さんをめぐる、世間が呼び分ける「乙武君」「川田さん」の君・さんの呼び方の違いが、呼ぶ方と対象の距離感を表しているよね、という事例を引き合いに、社会的な障害者の位置付けみたいな話を絡めているのかなと見受けたんですが、そもそも私は逆で、「川田龍平くん」「乙武なんちゃら」と呼んでいたから、共感しにくかったです。

 

なぜ私の場合は「川田君」かというと学生時代に講演を聴きに行ったことがあるからなだけなんですが、やぱり本人を見たことがある、ナマで考えを語るのを聞いたことがある分だけ身近で、乙武さんは、下の名前の漢字が読めなかったから。

調べたら、洋匡=ひろただ さんでした。

あと、乙武氏に関しては不倫騒動があってから、著作よりも、もはやタレントというか芸能人としての認識が強いからかも。逆に川田龍平くんは芸能人ではない認識です。

※でも基本、有名人の不倫・結婚自体はほっといたれや派

 

で、不倫騒動っていつだっけ?と調べたら2016年で、不倫前と不倫後で、まあまあな認識の隔たりを感じ、「紋切型社会」初版発行は6年も前かあと遠い目になった次第です。

 

だものだから、この6年の月日にちょっと萎えたというか、もしかしてこの後続く各章も、2015年には膝を打つ言葉の選択でも、2021年の今には違和を感じてしまうかもと若干身構えてしまい、2回くらい寝落ちしつつ(最高の昼寝)読んだらば、面白かったです。

 

いくつか確かに違和感を拭えない部分はありました。たとえば、著者がかつてやった友人の石川くんのトイレ覗きエピソードは、東京オリンピックの辞任騒動を知る今となっては、だいぶ気まずい気分になります。

あと情熱大陸とか、そもそもあんまりみないよねっていう。

 

でも読み進めるうちに、ひざを打つものがたくさん出てきました。

砂鉄さんの独特な比喩や言葉選び、表現方法にはじめは頭が追いつかず、なんか難解だなぁとも感じたけれど、だんだんとクセになるというか、面白くなってきて、章を追うごとに、文脈パターンみたいなのが飲み込めてきて、旨みが出てきます。

 

特にラストまでの5章は、真骨頂じゃないかなと。

 

主題としては、「誰がハッピーになるのですか?」「逆にこちらが励まされました」と言った世間の共感圧力というか同調圧力というか、異論を排除する言葉選びに対する違和感だったり、「そうは言っても男は」や「若い人は、本当の貧しさを知らない」という古き因習の押し付けへのアンチテーゼだったり、「うちの会社としては」「国益を損なうことになる」というようないつのまにか個から全体主義に向かっていくような、抽象的すぎて責任所在が不明なワードの欺瞞などなどの重箱の隅をつつく感じです。

 

ライターの末席として耳が痛い章もあって、「読み手に優しく」なんて上から目線で、文章や言葉が分かりやすければいいのか?という問いかけには、自分は仕事としてそこを追求しまくってるなぁハハハー(=´∀`)と。しかも、結果分かりやすくなっているかも不明。

 

武田砂鉄さんはその他大勢の雇われコピーライターではなく、批評や異論を世に投じる役割として、つまり実名で活動するジャーナリストなライターで、ライターと一括りにいう中でも与えられた役割が全く違うという前提に立たなければだめです。

 

とはいえ、広告だろうと批評だろうと、マーケットコントロールみたいな価値観でやり過ぎると、結局なんにも届かないんじゃないか、という砂鉄さん的問いかけは自分の実感としてあります。真摯だからって届くわけでもないけど(*゚▽゚)ノ

 

昔、「広告批評」という雑誌があったんですが、それが面白くて、でも何年も前に廃刊しました。

 

「紋切型社会」に批評の対象として出てくる糸井重里さんも、かつては広告が何かを世に問いかける役割を一定の枠内でこそあれ担っていた時代の先駆者的存在で、今はそういう広告の先駆者たちが築いてきたものが、かつてほど光をあびず霧散してるとしても、きっとライターの心には武田砂鉄さん的社会の片隅をどうにか浮き彫りにさせようとする批評家の目もどっかにある、と私は思います。

思いますよ、砂鉄さん。

 

というか、砂鉄さんが言っていることは、だれもがある程度は思っていることなんじゃないかと。

その言葉自体というよりもその言葉を発するシチュエーションは、あれ?という違和感を感じるけど絶妙に「ちょっと待って今なんて?」と言い返すほどの重みもない感じではびこってしまうというか。

 

で、特に砂鉄さんが熱く語るのは、「異論」を煙たがる風潮ですね。

私も、異論を受け入れない風潮を感じます。

会社でも家庭でも半径5メートル以内でそれは起きています。

異論、難しいです。不毛な戦いにぐったりします。

 

最近通う英会話教室で、英語圏ネイティブの先生と話す機会ができてからは、日本って、対話の学習してないなぁとしみじみ思います。

対話をする、というのは異論=否定 ではないんですよね。自分の主張があって、人にも主張がある。

それが普通。争いやわだかまりにはそんなにならない。いや、なってしまっても気に病まない。

異論、反論繰り返せば、今までなかったサジェスチョンや発想が生まれる。

 

砂鉄さんが嘆くように、日本社会は確かに当たり障りないことの前提でまわります。いやまわっていた。コロナまでは。

 

大勢と同じであることに満足を覚えたり、目の前で起きていることに疑問を持たず、モヤモヤを上手くやり過ごす。

 

私はそれはそれで、弱い人間の生きる術じゃないかとも思うんです。

たとえば、原爆だとかアウシュビッツだとかの現実を、ずっと背負っているとしたらそれは想像を超えた生き地獄です。日曜だろうと昼寝も許されない気がしてきます。

 

だから私たちはどっかで真剣に向き合ったり、片一方で目を伏せたりしながら、ちょっとずつ指の隙間からのぞいては、「これだけは見逃さないでおこう」「今だけはしっかりつかんでおこう」ということをつかみとっていく。そういう訓練が必要なんじゃないかと。

 

それは森達也監督の「i 新聞記者」を見て感じたことでもあります。映像の中の望月衣塑子さんは、目の前の現実に怒りながら、そのあと子供と笑い、弁当をむしゃむしゃ食べていました。

 

社会に疑問をはさみ、怒りを持って突きつけるというストイックな行為を、まっとうなジャーナリストがどう自分のなかで咀嚼しているのかなあという、長年の疑問がありました。

望月さんは少なくとも、普通の人間でした。

あと杉山春さんも。児童虐待のルポ書いている人。あんなストイックなルポを書いた人は、テレビでは普通の優しそうなおばさんでした。

 

砂鉄さんがどういう生活をしている人なのかは分からないけれど、「誤解を恐れずに言うならば」の章を読む限りは、学歴コンプレックスに開き直ったりするくらいに、たいしてお金持ちでもない、もてまくるわけでもない、若者に人気のインフルエンサーでもない、ココイチで一人カレーを食っているような、一人間の日常を日常として過ごす人だったらいいのにと思っています。もしかしてもっと高尚なところを読者に感じてほしかったかもですが、しかも若干論点もずれているかもですが、ごめんなさい。

 

誰もが「それはおかしい」と声に出していいのならば、「それはAではない。Bじゃないか」と言っていいのならば、特別な声じゃなく、社会の片隅に生きる、生活する人の声であってほしい。そんなんいっぱいあるよ!半径5メートルにあふれてる。

 

砂鉄さんのステキな文章の引用します。

すっかり社会の片隅に目が届かない社会にある。むしろ、届かなくってよし、がそれなりにひとつの極論として立派に機能してしまっている。

あらゆるツールによってどこまでも可視化されていくくせに、社会の片隅は広がったままほうっておかれている。

 

本田は自身を拗ね者と呼んだが、今、拗ね者はひとまず腫れ物扱いにされる。大雑把につながっている人たちにとって、まったく悔しいことに、拗ね者は厄介を呼び込む存在と規定される。

悔しい。その場で起きていることが、舐められている。

中略

人の気分をうまいこと操作する言葉ではなく、その場で起きていることを真摯に突き刺すための言葉の存在は常に現代を照射し続ける。

いかに言葉と接するべきか、言葉を投じるべきか、変わらぬ態度を教えてくれる。言葉は今現在を躍動させるためにある。

 

特に「悔しい。その場で起きていることが、舐められている。」とか。

うわ分かる!と同時に、どちらかというと長いめの砂鉄さんのレトリックにあって、すごく短くちょこんと完結していて、ぐっときました。

 

 

2015年と2021年を隔てる大きな変化はやっぱり何よりコロナでしょうか。

コロナは社会の片隅の他人事を、事実として自分事に置き換えた出来事だったと思います。しかもまだまだ終わってない。

 

砂鉄さんが今、何を見ているか。どこが気になっているか。気になります。

最近なんか出してないかなあ?とサクッとググッたら、男性優位主義についての本を書いていました。そっちいったんだ!え、どんぴしゃ(*´▽`*)男性が書く男性優位主義、興味あります。

 

 

チャンスとお金が手に入れば、ぜひ読んでみたいと思います。

日岡くん、早くガミさんになあれー

 

 

孤狼の血」の続編です。

ガミさんがいないので、やはり物足りないです。

ガミさん魂を継承した日岡くんも、まだガミさんぽさが全然足りず…

まだストーリーテラーの役回り、狂言回しのポジションなんですよねー。

 

今回は日岡氏がヤクザの国光と兄弟の盃を交わして、いよいよ…ではあるんですが、なんだかなぁ。

 

こう、その必然が真に迫ってこないというか。

前作みたいな、カタギを守るため、という説得力がいまいちなくて、盃交わす動機がどこにあったんだろうと。

 

まあ国光さんは良い人ではありますよ。

シノギは絶対シャブじゃないし、シャブ否定派。

じゃあ何で国光さんは金儲けしてるんって語る部分あるんですが、そもそもぼろ儲けしたのはアーケードゲームだそう。

いわゆるゲーセン?昔喫茶店にあったインベーダーゲームとかパックマン的な?

まだ当時ちびっ子だったしなあ。

 

小説の時代が昭和から平成に変わったあたりなんで、さらにその時点からの昔話となるからいまいちアーケードゲームにぴんとこず、でもってなんでゲームセンター的なものが違法なんかもよくわかってない私。

あれか、賭け事だからか!

賭博のつながり。

 

まあ国光さんは頭が良くてそういう事でかなりビジネスの才があるし、北柴の親父を命をかけて守りたいっていう仁義な人でもあるんですが、なんでそこまで北柴のおやっさんを慕うのか理由がいまいち不明だし、その北柴のおやっさんってのも、重要人物な割に、実際一度も登場しないし。

出たんかな?私見逃してますか?

 

ちょいあれかなぁ、編集さんに孤狼の血が好評につき、続編書くようにごり押し?されたのかなぁ〜なんて邪推してしまっています…

 

とにかく日岡くんが、真のガミさんになる日を待ち望むべく、最新作の「暴虎の牙」も読みたいと思います。(結局投資)

 

あでも今回はめちゃくちゃヤクザが死にます。命=タマの取り合い度は高し。でもそれも事後報告なんですよね。

全体が起こったことの後追い的な。

ただ日岡くんが田舎の駐在員として飛ばされて、そこでの田舎暮らしの雰囲気はちょっと良かったです。

駐在さんって、駐在所が自宅なんですね。

どんな暮らしだろうって興味がわきました。土日も仕事なんかなぁ。

そもそも警察官は休みってどうとっているんでしょう?

非番に呼び出しってよくドラマにも出てきますが、シフト制なんでしょうか。

 

 

ただただ打ちひしがれる。しかないのか

https://ml.asahi.com/p/000004c215/11885/body/pc.html

 

また衝撃的なニュース。

心が、折れてしまいます。

私だけじゃないでしょう。子育てに頑張っているお母さんお父さん、誰かの子供。つまりみんな。

多くの人がショックを受けているのでは。

 

この2日、どうしたらいいのか考えても、ただただ打ちひしがれるしかなく。

 

自分の無力さや、なぜ?なぜ?なぜ?と。

 

加害者の心理をいくら掘り下げても分からない。

この残虐さは自分が子供の頃に、与えられるべきものを与えられてなかったからなのか、気づかないまま大人になってしまったからなのか、そんな闇を探る気にもならないです。

 

もうどこかで防ぐしかないんです。

 

まず、ろくでもない奴に頼らなければ女性が暮らせないような社会システムを変えないと。

女性も男性もシングルでも子育てできる経済力を持てる、生きていけるシステムにしないと。

 

経済力。めっちゃ大事。

 

でももっと大事なのは、「知ること」。

 

社会には救済システムがある。

 

子供と生き延びるために、利用できるものを全部利用する。そのために、必要なのは、経済力以前に知識だと、私は思っています。

 

たとえば、児童扶養手当

低所得の子育て世帯に対する子育て世帯生活支援特別給付金(ひとり親世帯分)

児童相談所、婦人保護所

就業支援

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/boshi-katei/index.html

 

思わぬ妊娠、出産したら、心の準備なく始まってしまう子育て。どれだけ大変か。若い人なら独身の周りとの生活の違いに余計に葛藤があるかもしれない。

だから、救済システムを利用するだとか考えにくいかもしれません。

だったら社会の固定観念も変える必要があります。

 

恥とか自己責任とか、未だはびこる固定観念や因習に縛られず、多様性を認め合うこと。

いろんな子育てがあるんです。

誰も、あるべき理想に押しつぶされる必要ない。

 

それよりも、困っている人間を放置して、手を差し伸べない、そういう社会でいいんだろうか。

 

それの方が恥ずかしくないか。

 

競争ばかりさせず、

できないことは恥ずかしいことじゃない。

という教育。

 

母性の押し付けも。

子育ては母性でできることじゃない。

もしも、どうしても子育てできないなら、手放すのも選択肢。

できる人に任せる。

 

知る機会をもっと頻繁に。いろんな子育てがある、いろんな生き方、選択肢がある。

「知る」だけで違ってくる。

 

子育てしていて、身に染みて感じることです。

 

 

嘆いても怒っても、社会は今すぐには変わらない。

 

だから、開き直って、知識をつける。

 

頼るんじゃない。

 

利用する。

 

もうひとつは、救済システム自体を変えなければなりません。

予算をかける。税金使ってください。

市や児相の相談員の体制を厚く深く。判断、アクションをもっと素早く。

北欧諸国の福祉制度からも学ぶ。

救済システムがもっと利用者視点の利用しやすい、子育てのスタンダードになれば世の中は変わります。

 

政策を変える為に一市民として、選挙での投票も大事。 候補者が「子育て支援策」をどう提示しているか。

もう政党や所属で選ぶ時代じゃないです。

その人が、どんな政策を掲げているか。当事者視点で考えてくれるか。

自分の大事な一票を入れる価値があるか。

 

 

分かりにくさも解消する。

GAFAはじめ巨大資本の方々、子育てを助けませんか?

 

この分かりにくい、まどろっこしい、必要な人に全然届かない救済システムが、デジタルの技術なら素早く的確に届くものになる。きっと。

 

社会的弱者を助ける社会的意義はありませんか?

 

弱者って別から見れば強い味方にもなります。

 

そもそも隣の“私”です。

 

パイを取り合うゲームに絶対の勝者が事実いるんだとして、パイのお裾分けは無意味ですか。

 

社会を構成する下々のその他大勢が、3歳児を苦しめ死なせる世の中の方がいいですか。

 

 

 

 

 

「お探し物は図書館まで」会社から降りても社会と私は交わっていく

 

 

お探し物は図書館まで

青山美智子 2020

 

 

本屋大賞2位 という帯につられて読みました。

市のコミュニティハウス内にある図書館を舞台にした群像劇の短編集で、それぞれ年齢も性別も違う主人公たちが図書館の司書の小町さゆりさんに何げなく紹介された本をヒントに人生を変えていきます。

 

最初は、そこまで何にも感じなくて、むしろ「タイトルいただけないよなあ」とかぼんやり思ってしまうくらいに、まあまあまあ…な感じだったんですが。

最後の物語が、どっひゃーええもん読んだがな!

と涙目になるくらい良かったです。

 

上手く言えないんですが、青山美智子さん、素晴らしかったです。

 

確かに文学作品としても素晴らしい、が同時に「本」への愛情が詰まっているから、あーだから本屋大賞、獲るよね、獲るわ、と。

本屋さんで働く人も出てくるし。

 

あと司書の小町さゆりさんのキャラ立ちの良さ。映画化された想定で、脳内で当てはまる女優が想像できず。…私的にはマツコちゃん?

 

でもって短編のそれぞれにつながりを持たせる伏線が上手く散りばめられていて、最後の物語がこの伏線を絶妙に回収しているし、この最後の物語に登場する「げんげと蛙」という草野心平さんの詩集の語り口がめちゃくちゃ良くてですね。

 

草野心平さんの「げんげと蛙」は昔、教科書で読んだことあるなあ〜くらいの認識しかないんですが。ケルルン、クックという印象的なワード。

こんな深いものなんだと。

 

 

 

 

青山美智子さんの草野心平作品への愛情がものすごく伝わるのが嬉しかったです。

 

で、この物語で短編ごとに実在の本を紹介しているんですが、どれも読んでみたくなるんですよ。

 

ダーウィンのやつとか。めっちゃ読みたい!となり。

 

でポチろうとして7000円なのにびびって、諦めたんですが(΄◉◞౪◟◉`)

 

 

青山美智子さんのすごいとこは、まさにコレ。この自分の本だけでなく、連鎖的に、登場する本を読ませたくさせているところです。

 

本というのは人それぞれに解釈があって読み込み方がある、という当たり前のことにも改めて気づかせてもらえたし、読書って見方をかえれば、何にもしてないわけですよね。

文字を読んだだけで。

何か自分の人生における意味ある行動をして変化をもたらした訳じゃない。

でもです。

 

でも、人は読書で救われるんです。

 

そのことを改めて、いや再度、自覚させられました。

だからこの作品は、もう「本」自体への、その存在への、畏敬の念というか。

まさに青山美智子さんの溢れる本への愛情が、読み手の私にもシンクロしてきました。

 

なんだこの心の揺らぎは!

 

まあそんな素晴らしい作品なんですが、最後の「正雄 65歳 定年退職」が急激にかなり胸を打ったもんだから、頭がまだ整理しきれてないながら、感動を記録しておきます。

 

最後の3ページくらいなんて、脳内に電気走りました。

 

 

私は最近、仕事で上手くいってなくて、もう歳も歳だし、いろんなやる気がペシャンコになった風船みたいにしぼんでます。

ギックリ腰してから治らない腰痛もあるし。

 

そういう時に自分に何が必要かって本を読むことだなぁと。

あと、睡眠。あと考えるための静かな時間。

 

それはきっと私だけじゃないんだな。

 

青山美智子さんもだし、多くの人が物語や記録や詩をこれからもずっと必要としていて、何にも諦める必要なんかなくて、そこに静かにあるものに光を当ててくれて、小さなものたちを輝かせる。

 

何にもしたくない、うずくまっていたい

腰も痛いし

でも

もっと読もう、出会いたい、知りたい

とも思ってしまう。

そんなふんわりした雲のような明日への期待がむっくり湧いてくる秋の読書です。

 

 

 

 

高齢者向けマンションのコンビニビジネスは超グッドアイデアだと思う

 

 

「52ヘルツのクジラたち」が良かったので、町田そのこさんの「コンビニ兄弟」読んでみました。

 

ラノベやん。

作家っていろいろ書くなあ。

 

今ちょうどうちの娘に勧められて「思い、思われ、ふり、ふられ」読んでたんですが、似てるというか、高校生の男子女子たちの思考がすごく共通していて、あー今どきの高校生の思考はこんななんだあと納得。

 

 

コンビニ兄弟は、フェロモン撒き散らすイケメン店長がいるコンビニを舞台にした群像劇なんですが、その中に出てくるアラフォーパートさんの息子ちゃんにまつわる回とか、男子の恋愛観ややりとりが、まんま「町田さんこの漫画、読んだん?」くらいになんか似ていたんです。

 

好きかどうかを自覚する

 

好きと自覚してもいろんな感情で言えない

 

親、大人の都合や事情に振り回される

 

好きな子が友達を好きと知る

 

友達に先越される

 

自意識と利他の狭間で悩む

 

みたいな。

 

いやだからどうってわけでもありません。

 

私は何よりテンダネスというコンビニのチェーン展開ビジネスに興味がわきました。

 

リアルなコンビニがこの小説くらい頑張ったコンビニなら、行きたいなぁとも。

 

イートインスペースがいつも清潔でキレイとか、原価率が高そうな商品おくとか、お弁当の味つけが何食べても濃くて同じじゃないとか。

 

コンビニも物語の舞台になる。という視点は素晴らしいし、何より「テンダネス門司港こがね村店」みたいな、高齢者向けマンションの階下にコンビニ入れて、ランチのテイクアウトで安全見回りの役割も持たせるとか、良きアイデアだと思いました!

 

実際あったら、ぜひ入りたいです。イケメン店長がいて、食べものにこだわっていて、コンビニを拠点に地域が見守ってくれる、そんなマンション。

 

 

 

「孤狼の血」群れない強さ

孤狼の血 2017 角川文庫

 

 

警察×ヤクザの小説はもしかしたら初めてかもしれません。

しかも、広島が舞台。

といえば、「仁義なき戦い」ですよね。

 

 

 

見たことないので、見てみたくなりました。

Amazonプライム有料か…チ

 

さて、「孤狼の血」の魅力はたくさんあるんですが、やっぱり決めては、ガミさんで、まさにヤクザ社会を渡り歩く刑事の一匹狼ぶりが真骨頂です。

ガミさん。やる事めちゃくちゃだけど筋の通った図太い男。

あとガミさんとバディ組む新人日岡もいいです。

 

でもただそれだけじゃ、なんかの二番煎じに過ぎなくなるなかで、小説「孤狼の血」を佳作にしているのは、丁寧な人物やヤクザ、警察組織の描写と、物語が展開するに連れて、作者の柚月裕子さんが何をこの小説でいいたかったか、がめくるページの回数とともに沁みていくことです。

 

ヤクザが怖いのか、警察が怖いのか、じゃないんですよ。いやそれもベースにはあるんですが、結局どっち向いていようが群れなきゃ生きていけない世の中で「孤狼たる」ことのまがいなさなんじゃないかと私は思いました。

 

生半可な生きざまでは孤狼にはなれない。

ガミさんみたいに、なんもかんも無視して、己を貫いて生きれないわけです。

 

でも、だからこそ、ガミさんという光に私たちは惹かれるわけで、憧れるわけで。

 

無理だけど、でも、誰しもが一匹狼を心に飼っていたいよね。立派な狼でない小さな子犬だとしても。

 

ちなみに映画も観ました。プライム無料です。

 

結構物語のディテールを原作と変えていて(尺の都合もあるんかな?)序盤は、えー失敗じゃない?と思いましたが、後半からまた原作とは違うけれども、なかなかに厚みが出てきて、これはもう演者たちの名演の賜物に尽きるなと思いました。

 

 

 

主役の役所広司さん、松坂桃李くん。

石橋蓮司さんとか。間違いない。

でも私のガミさんのイメージは大地康夫さんでした。役所広司さんはちょい男前すぎ感。

 

あと、原作に比べて全体の作りが通俗的というか、下世話というかステレオタイプの安っぽさ感じたというか。ターゲットおじさん?だからって今どきそれ?というか。ターゲットおじさんでもこの物語は「そこ」じゃなくない?というか。MEGUMI出てくる序盤から。

 

私は舞台が昭和末期だからってムダにそれを押し出さない原作の方がすっきりしていて、やっぱり好きです。

 

 

あ、あと広島弁

「こちらあみ子」も奇遇にして広島弁

いいですね。

でも映画だと私が思っていた広島弁となんかちょい違うというか、じゃあ正しい広島弁知ってるんかと言われたら知りませんが。

 

「●●しんさい」が好きです。

 

 

 

 

 

「タクシー運転手」名作だった

 

 

見る前に思っていたのを、いい意味でめちゃくちゃ裏切ったのが「タクシー運転手」。

 

最初、パッケージビジュアルから、寅さんチックなのほほんロードムービーをイメージしていたんですが、ぜんっぜん違いました…

 

いやでも前半は割と明るくポップな気分で見ていました。

人情味溢れる、てか人情味以外なんも持っていない一人娘育てているタクシー運転手のおじさんのドタバタみたいな。

 

でもですね、時は1980年5月の場所は韓国。

知らなかったんですが、軍事政権の厳しい戒厳令下で、デモと軍の衝突が起こってたんですね。

メディアは軍事政権にびびってプロパガンダで事実報道もできません。

 

そこに外国人記者が真実を世界に知らしめようと潜入するんですが、この思惑を知らずにお金目当てだけで、外国人記者を助ける事になったのがタクシー運転手のおじさんです。

 

結局、軍がデモ隊の民間人を撃ちまくるとか、戦時中の日本の憲兵みたいな私服軍人が殴るわ蹴るわの暴行して学生さん殺したりとか、半端ないことが起こって、それをまあカメラに収めていくんですが、タクシー運転手のおじさんは、韓国は住みやすいいい国でまさかそんな事が起こるとは思ってないから、こらえらいこっちゃと。

 

泣きました。

 

この外国人記者さんはユルゲン・ヒンツペーターさんという実在の方で、タクシー運転手さんも実在の方。

物語も実際にあった事実ベースらしいです。

 

そして韓国の歴史、特にこの1980年から後のことも知りたくなりました。

 

で、軽くググってダイジェストに読めるものがさっとは見つからなかったんですが、

 

 

これ見る限りでは1980年代の韓国は学生から始まった民主化運動がすごい勢いで広がっていった時代だったようです。

 

そうだったのか…全然知らなかった…

 

1990年代後半、私は大学生の時に韓国に行ってるんですが、おそらくまだその空気感の名残もあっただろうのに、なんも知らんまま行って帰ってきたな…

若き日のぼんくら頭が悔やまれます。

 

ということで、タクシー運転手は時代も分かるし、作り手の本気を感じるかなり名作です。

 

そして清々しいくらいにイケメン、美女が出てこない(ユンゲル役のトーマスクレッチマンさんはまあイケメンか)のがまた素敵で、各位のしぶい名演あふれています。

タクシー運転手のソンガンホさん、いいですね。

隣にいるおっちゃん感。

 

 

「こちらあみ子」はい、こちらは私です!

 

 

「星の子」が良かったので、今村夏子さんのデビュー作という「こちらあみ子」を読みました。

 

かなり良かったです。

 

読後の余韻が続きます。

 

 

 

物語はあみ子の視点で読むんですが、このあみ子が最初はかわいいんですが、だんだんざらざらしてきます。

 

文庫の帯の「この感情のざらつきをずっと忘れたくない」って上手いこと言います。

 

ずっと忘れたくないというか、忘れられない、とか思い出す、が近いかもしれません。

 

こちらあみ子ほか、2つの短編も入っており、全部良いです。

 

部分部分では、あみ子の行動は、可愛らしい子供であり、懐かしさもあります。

 

だけど、世の中のあるべき形におさまれない。

解説で町田康さんは一風変わった女の子、と言い、穂村弘さんは異形の人と呼んでいます。

 

どちらも、なるほどという感じで、町田康さんの「外側」というのも得たり。

 

でも書道教室や道端の風景、お菓子など登場するディテールが懐かしく、身近で、既視感を感じさせます。

 

そして、まるで自分があみ子になった気分でいたら、あみ子はピーターパンのように中学生になっても同じで、だんだんその変わらないさまに、哀しみと愛しさの綱引きみたいな感情が生まれて、最後はおとぎの国に行ってしまった寂しさが残ります。

 

あみ子は、純粋であるが故に、自分が好きな誰かの心を重くする。

 

誰しもがどこかで自分のなかにあみ子を住まわしているけれど、あみ子だけでは生きていけないことを成長の過程で学んでいきます。

 

この「あみ子が実際いたらかなり周りは重かろう」という視点を決して見失わずに、それでいてあみ子にあみ子を徹底して辞めさせることなく、大人になったあみ子を登場させられるのは、この独特の文調だからできるというか、素晴らしいなと思いました。

 

また2番目の「ピクニック」も好きです。どちらかと言うと、あみ子より、読後感が優しいです。

 

最後の「チズさん」は短いですが、極め付け。

放課後に学童保育をサボってはお邪魔していたひいおばあちゃんをめちゃくちゃ思い出しました。

私が年寄りが好きなのは、やはりこのひいばあちゃんと過ごした日々ゆえなのは間違いなく、

切れ端ではあるけれども、今もなお、ひいばあちゃんの佇まい、歩き方、匂い、テレビの暴れん坊将軍ジャスコのチーズパンなどなどが焼き付いています。

今村さんもおばあちゃんっ子だったんかな。

 

でもどれも胸にじわりと沁みる感覚は全体に違わなくて、そのどれもに共通する感覚として今の自分ではなく、幼い自分、子供の自分を彷彿とさせるようにわたしには感じられました。

 

優しくて、はかなくて、輪郭がぼんやりしていて、掴みどころがないような感じさえあり、同時におかしみも多少あって。

 

あみ子も七瀬さんもチズさんも、外側のままでいいから、時々会いに行きたい。

 

また読みたいと思いました。

 

 

 

 

 

I can understand よりも I want to understand

20代のころ、神戸で生まれ育った一つ上の従姉妹に、「恵まれていて、いいよね」と言われたことがありました。

従姉妹は高校生の時に母をくも膜下出血で亡くし、翌々年に阪神大震災で家を失いました。

 

NHK朝ドラ「おかえりモネ」を観ているとあの時を思い出します。

 

40代に入った頃、ふと従姉妹が、神戸の震災の頃の話をしました。

それまで一度も従姉妹から震災の話を聞いたことはありませんでした。

最近やっと、震災や災害のニュースを見れるようになったと。今まではどこのニュースだろうと一切見れなかったと。

 

ふとした言葉でしたが、私が想像する何百倍も。

 

何年も。

 

その時になって、ようやく私は従姉妹に計り知れないいろいろな思いがある事を、知ったような気がします。

 

ずっと、同じ視線で、同じ位置で見れないことの意味を考えてきました。

 

想像力はとても大事だけど、現実とは違う。

 

何も言えないし何もできない。

気持ちを受け取りいたみを分かち合うことも。

 

このカベはなんだろうと。

 

20代の頃は従姉妹に対し

勝手に恵まれてると決めつけないで

私には私の悩みがある、あなたは知らないだけ

 

言葉にはしないでも、一瞬そう感じたのも事実です。

 

人を理解なんかできないな…、私って小さいなぁと強く身につまされた思い出でもあります。

 

でも。

私にできること。

私にとって大事にしなければならないこと。

 

そこだけは失っちゃなんねえ、でもそれがなんだかぼんやりしていて、はっきり見えない。

 

 

坂口健太郎さん演じる菅波先生が、モネ、清原伽耶ちゃんに言いました。

 

僕にはあなたの気持ちは分からないけれど、分かりたいと思う。

 

ただの小さな意思表示です。

 

でも、「意思」には可能性を感じさせるものがある

 

 

どうしようもない理不尽な世の中に

立ち向かうために必要なのは

 

I want to

なのではないか

 

誰もがそれを持つ権利があって

 

信じる自由がある

 

 

前々から思っていたけど「おかえりモネ」はいい脚本です。

 

失うことの、喪失の、計り知れない影響力

 

小さなボタンの掛け違えで、人の心の、混じり合いそうで、混じり合えないはがゆさ

 

理解しあえない現実への、悲しみややるせなさ

 

そしてどう生きるのか

 

毎朝ぼんやり、しんみり、じんわり、観ています。

 

 

 

 

 

ダイヤのA(エース)を観て野球嫌いが治った理由

野球というものが私は全然好きじゃありませんでした。嫌いというより、興味が持てず?

 

小学生の頃、周りの男子の多くはリトルリーグに入っていたんですが、当時は女子が参加する前例がなく、男子の友達に誘われるもマネージャーとして、ということでした。

でも小学生マネージャーも聞いたことない…

 

タッチが大人気な時代です。マネージャーっつったら南ちゃんです。それかな。

タッチは名作だけども、南ちゃんみたいな女子は現実にはいないわけで。

 

それにあの時代はだいたいの家庭が夕飯どきにナイターつけてて。阪神強かったなぁ。掛布、バース…まゆみ…

 

で、自分がリトルリーグで野球できない事に当時はなんの疑問も湧かなかったし、ただもう「野球は他人事」として、しかもその後だいたいの球技に興味が持てず、じゃあ女子ならばソフト部へ!ともならず、

ただただ中途半端に文系のインドアな根暗少女として生きてきました。

 

そんな私がハイキューの次にハマったのが

 

アニメ「ダイヤのA(エース)」。

 

 

原作の発表年代としてはダイヤのエースの方は2006年でハイキューは2012年。

 

アニメはダイヤのエースが2013年、ハイキューが2014年から第一期がスタートしていて、アニメは割と同時期スタートです。(Wikipediaより)

 

いや別にこの2作品を比較する必要もないんですが( ´ ▽ ` )ノ

ハイキューはバレーボール、ダイヤのエースは野球だし。

ただ物語が長いというか、進むのがかなり遅い部類であることと(笑)、部活が舞台っていうのが共通点で、どちらも現実的というか、身の丈に合った設定です。

 

それゆえにか、それなのにか?は分からないけれども、2作とも観たらめっちゃ面白かったです。

というか、どちらのアニメもそもそもおすすめしてきたのは夫なんですが、夫は少年野球の経験者。

 

とはいえ彼もまた野球好きな父親の「男子たるもの野球やれや」ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3プレッシャーに耐えきれず高校からは野球から離れ、私と同じくプロ野球の放送も見ないという「やってたくせに興味がない」というか、逆に「やってたからこそ好きになれなかった」というか。

 

まあそんな感じだったんですか、やっぱり子供たちがスポーツしてると、なんだかんだで日常にスポーツが絡んでくるわけで、アニメ好き夫的にはちょっぴり昔の自分を重ねたりもあるんでしょうね。

 

今まさに夫の推しアニメが「ダイヤのエース」です。

で、毎日のように見ろ見ろとうるさいので、そんな推しなら、まあじゃあちょっぴり見てみるかなという次第で軽く観てみれば、いや面白いです!!

 

 

野球嫌いもハマったよ!「ダイヤのエース」のここがいい

 

主人公がとにかく前向き

 

ストーリーは東京の強豪校の青道高校(でも6年間甲子園出場なし)にスカウトされて入った田舎の野球少年、沢村栄純(えいじゅん)が、ピッチャーとしてエースをめざしながら、仲間たちや監督らと甲子園をめざす日々をものすごく分かりやすく丁寧に描いています。

 

ハイキューと同じですが、この主人公がとにかく、超ポジティブでへこたれない。

 

才能はあるんだけど、まだダイヤの原石で周りに刺激を受けながら成長していくんですが、あれやこれやの事件のなかで、時に泣いたりしながらも、基本は前向きにへこたれずつき進みます。

 

人間あれです。

へこたれない人みたら、やっぱり応援したくなるし、元気でます。

もう単純にスポーツモノの良さってそれやんね。

 

野球のルールがわかる

 

ルールというか、ゲームメイキングのセオリーといいますか。

 

夫いわく、野球はルールがまあまあ複雑だから、まだまだ多分理解できてない面あるよということですが、ダイヤのエースを観ていたらゲームとしての流れがすごい分かるんです。

 

で、何故か!というのが実はダイヤのエースの最も大事な特徴の部分でもあるんですが、ストーリー運びを担うのが、先輩キャッチャーである「御幸(みゆき)カズヤ」なんですね。

 

このミユキくんがイケメンおしゃメガネキャラにも関わらず?、試合全体を把握してひとりごちるシーンが多く、なーるほど、そういうことか!とまあ、試合の流れや起こった出来事がよく理解できるんです。

 

夫いわく、キャッチャーちゅうのは試合全体を俯瞰的に見れる人が適しており、またそれがキャッチャーの役目である、らしいです。

 

だから、ダイヤのエースはピッチャーの栄純が主人公なんだけれども、キャッチャーのミユキの心理描写でことが運び、またそれによりゲームの流れがよく理解できるだけでなく、野球の基本ルールもよく分かるという入門書的な役割までも果たしている、実に優れた一面を備えているんです。

 

これはタッチや他の野球漫画にはなかった部分で、てか野球マンガをタッチとルーキーズしか知らないんだけど(>_<)あ、キャプテンも。

 

私はダイヤのエースをみて野球の試合の流れや出来事が理解できたことで、俄然、急激に、野球に興味が湧いてきました。

 

また、ミユキ先輩がですね、高2にして妙に落ち着いた色気があるんですよね。フツーにイケメンなんですが、ちょいイヤミな性格な割になんやかや面倒見良くて、ピッチャーの栄純や古谷に対して「お前の思いを俺にぶつけて来い!」みたいな心のつぶやきも多くて、なんか…モヤっと腐女子気分になったり…(*´Д`*)

 

で、まあなんにしろ(さらっと流す)、ミユキは絶対的にこのアニメのキーマンなんで、何を語るにもミユキの存在は欠かせないところであり、「影の主人公」として、ダイヤのエースを見る上でその動向は見逃せません。

 

 

そして甲子園が始まる

ダイヤのエースを毎日見出して2ヶ月。

夏の高校野球がいよいよ始まりました。

楽しみにしてました。

なんとそしてダイヤのエースを毎日毎日、観続けた英才教育により、これまで分かったようでよく分からなかった実際の試合の流れや出来事が、どういった意味を持つのか、何が行われたのか、分かってきたんです。゚(゚´ω`゚)゚。

甲子園の気になる試合は、スポーツ観戦の禁じ手、録画で見出しました。生では観れないし。

 

アナウンサーさんや解説者の言ってることもやっと理解できてきました。

 

本当にちょっとしたことですよ。たとえば…ピッチャーがバンバンヒット打つ打者の三振をとる。で、やったね!という後、外野がエラーしたりで、いつのまにか満塁になったりします。

いやこれピッチャー辛いなぁと。

また、バッタがバントした球をキャッチャーがすかさず拾ってセカンド→ファーストでゲッツー。

何これカッコいい(涙)✌︎('ω'✌︎ )

そーゆーのが46年生きてきてやっと分かったんです…

 

ピッチャーの球の速さや球筋の違いは全然分かりません。ストライクやん?って思う球がボールかい〜とかフツー。

ましてや変化球の違いとかチェンジアップとか全然分からないです。

ただ、いやめっちゃ狭くない?と見えるストライクゾーンという枠に対してインだとかアウトだとか高めだとか低めだとか、めっちゃ使い分けて投げるってどんな神業だよ、という畏敬の念。ただただ、彼らはすごいことしてんだなぁと。

 

ちなみにオリンピックでは野球ではなくソフトボールを観てたんですが、まあこれも面白くて。しかも世界相手に金メダル取ったし。むしろソフトボールの方がサクサク進んで面白かったかもしれません。

 

部活としての野球を外側からも

「体育会系部活のなかでも野球は根性論がまだ生きている」

というように、ダイヤのエースにも古臭い感じがやっぱりあるんです。

一方でその古臭い根性論を冷静に批判してるシーンがあったりもします。

 

たとえばクリス先輩のお父さんはアメリカ人の元日本リーグのプロ選手なんですが、トレーニングも論理的だし、日本のクソ練習しすぎ体質にも批判的なんです。

まあクリス先輩が肩を壊してしまったからもあるんですが。

 

あと、栄純なんかは、ミユキ先輩はじめ先輩らにいつも生意気な口を聞いています。本当にあんな風に先輩後輩がズバッと言い合えてたら、すごい風通しいいよね!と。

 

あと監督と学校との関係とか。

 

やっぱりいちばんはイケオジ片岡監督

 

イケメンはミユキ先輩だけじゃない!

そう、イケオジ枠に片岡監督がいます。

片岡監督は一見怖いチンピラ風情なんですが、これがめっちゃいい監督で。

回を重ねる度に、無口な片岡監督の心に刺さるセリフの深み、教育者としての指導方針とか、めちゃくちゃステキに見えてくるんです。

 

3年が引退するときにベンチ入り出来なかった部員たちに、片岡監督が「これからも俺の誇りであってくれ」と頭を下げるシーンは泣きました。

 

また、各校の監督陣もかなり個性的で、市大三高の田原利彦監督とか、めっちゃ好きです。

田原監督は会話に「真中ボーイ」とか英単語入るのに誰も突っ込まないのがフシギ。

 

という事で個性的な面々が数多く登場するのもダイヤのエースの魅力です。

 

あ、成孔学園の巨体ピッチャー小川常松も好き。

アンパンマンの歌聞いてアメリカンサイズのアイス食べながら泣くシーン。あと、全く似ていない栄純と比較してわ自分とのキャラ被り心配したり。

でもなんかいい奴。

 

 

なんか書くこと多すぎて、疲れてきました…眠いです。

 

しかもまだ私が観ているのはセカンドシーズン途中なので、甲子園録画も観なきゃだし、忙しいですが、これからも頑張ってできる限り毎日観て行こうと思います\(^-^)/