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子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

ブーツ型のメロンクリームソーダに憧れて

 

先日、コメダ珈琲に行きました。

 

メロンクリームソーダを子供が頼んだのですが、ブーツ型のグラスなんですね。

てかブーツ型ゆえに、うわはー)^o^(と注文したというか。

 

そして何年ぶりでしょうか。

メロンクリームソーダを生で見たのは。

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おそらくメロンクリームソーダの歴史は40年くらいはあるはずで、というのも私が子供のころからあったから。

 

ちなみに私は子供の頃は、親からコーラなど炭酸飲料は飲んだらダメと言われ、自分もコーラの美味しさが分からないまま大人になった類の人間なので、基本的にメロンクリームソーダにも興味なかったし、我が子にも炭酸ジュースは買わないんですが、そこは喫茶店の魅惑のチカラかも(´∀`*)

 

さっくりググったらクリームソーダは1902年に資生堂パーラーで誕生したとな。

100年以上やん…

ビートルズより歴史あるやん…

アランドロン生まれるずっと前やん…

 

ただメロン的に緑色炭酸になったのはいつからかは分かりません。

でもメロンに見立てて緑色にしよう!という発想は斬新。

 

で、コメダ珈琲のメロンクリームソーダが100年の歴史の何周か目かをまわって、子供たちの心に衝撃を与えたものですから、よし!では家で再現してみようとなりまして、まずはブーツ型グラス探しです。

 

これはAmazonであっさり見つかり。選択肢はほぼなかったものの。こういう、リアル世間の市場にはないものがあっさり見つかるのがAmazonの優れたところですね。

 

次にメロンソーダですが、これが苦戦!Amazonでは500mlペットボトル24ダースの箱売りしかなく、24本はさすがに…となり。1本でいいんです。こういう1本売りしないのが、Amazonの「業者側」で使いにくいところ。

 

まあAmazonは4次元ポケットではないし、お金はかかるので、リアルスーパーで探すも…ない!

緑色炭酸、リアル市場では諦められてる!

 

と苦戦して、一度はカルピスソーダでやってみたら、まあ美味しかったんですが、これはホンモノのメロンクリームソーダではないヨネ、ということで、探索の日々の末、ある日子供が、「あったよー!」と自販機で見つけて、やっと解決したのでした。

メーカー忘れましたが、多分、勝手にサンガリアではなかろうかと。イメージですが。

 

大手が諦めたニッチをいくのが、サンガリアさんの魅力なので。

 

そして出来上がりました!

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やったやったーと、飲みましたら、子供が自販機で買ってすぐ我慢しきれずに開栓して飲んでしまい、そのあと走り回ってるもんだから、7割がたの炭酸が抜けていて、しかも慌てて?氷入れ忘れ、味はともかく的なことに。

でも見てください。

ちょっと汚いけど、自分たち的にはまあまあ再現力高し、ということで満足したのでした。

 

メロンクリームソーダとかフロートって、上のアイスと氷がくっついて、硬めアイスみたいな部分が魅力だなぁと改めて思いました。

 

マグロのほほの肉的な希少部位。

 

でブーツ型グラスは今も、カルピスクリームソーダで活躍しています。

飲むときにぽこんぽこをなるのが楽しく、最近のいいモノ買ったなぁ〜ナンバーワンです(*´∇`*)

 

じっと静かなゴールデンウィーク

ゴールデンウィークの5日間は、何にもしなかった5日間でした。

 

出かけた感はゴミ出しとスーパーだけ。子供たちは友達と遊んでいましたが、高校生はダンスしたり、たこパしたり、小学生は鬼ごっこしたり、デュエマしたりしたそう。

 

そして私はぼんやり、撮りだめみたり、スマホゲームしたり。雨もあり。

 

一瞬、子供たちが自立したらもっと、こんなぽっかり穴が空いたような寂しいような虚しいような気分になるのかなぁなんて考えに、涙が出そうになりました。

 

昔、大学生のころ、予定がないのがイヤで、必死に予定を入れていた時期がありました。

それに疲れて虚しくなって、今度は誰とも会わないようにしたりもしました。

夏休み、バイトにも行かず、電話にも出ず、一人暮らししていた片田舎の住宅街を、ひたすらあてもなく自転車でフラフラ走り回っていました。

コロナでもないのに。

 

そしてある日、それも虚しくなって、やめました。周りにもうっすら「あいつ大丈夫か」と心配をかけたみたいです。

 

一体私は何がしたかったんだろう。

 

と今も思うんですが、一方で、その片田舎を自転車で走っていた夏の風景をやたら覚えているのです。だからって、それが人生の何かの教訓になったわけでもなく。甘酸っぱい思い出な訳でもなく。

 

せめて隣の県に踏み込んだり、もう少し遠出すれば、なんかの格好はついたような気もしますが、市内を一切出ず。

 

強いて言えば、

人生、そんなもんかな

と身に染みた時間でしょうか。

 

このゴールデンウィークも、あの時の既視感を感じながら、うすらぼんやり過ごしていたら、いつの間にか終わってしまいました。

 

 

あの頃と違うのは、モンゴルの大草原みたいにやたらと広大でどっち向かえばいいか分からず、漠然と期待と不安を感じた未来が、今はもう、都心の借家の小庭くらいに収まっていることでしょうか。

 

そして私は結局、子供たちが成人したら、やっぱり自転車であてもなく出かけているような予感がします。

ママチャリで。一人で。

 

…自転車って何歳まで乗れるんでしょうか。

なんやかや好きな乗り物です。

あ、じゃあその時のために、人混みのなかで急ブレーキかけないおばちゃんになっておこう。

 

この先20年くらいは、自転車に乗れるくらいには健康でありますように。

 

 

ロビィストの響きだけで賢くなれた気がするけど、とにかく先が読めない面白さ

 

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度肝ぬきました。

 

先が読めない、考え抜かれた展開。

主人公エリザベス・スローンの強烈な人柄。

銃規制というアメリカの今そこにあるテーマ。

 

ロビィ活動のいろんな戦略と、映画の緻密な戦略が絡み合い、すごいモノみた余韻で2日くらい鼻息荒く、怖いモノなし気分でいれます。

 

営利、非営利の団体が政治家や政府に意見や提案をして政治を動かすロビイストという職業も、非常に興味深いです。

 

物語としてはまず、銃擁護派の団体(おじさんズ)が、銃規制法案を廃案にしたくて策略し、エリザベスのいる大手ロビィ会社に力を貸すように依頼してきます。

 

ロビイストの仕事は、広告マーケティングに近い感覚?いろんな戦略を駆使して、クライアントの利益のために、先の先を読んで事を運んでいく。みたいな。政治を舞台にする分スケールはでかいです。

 

で、ロビィ会社に勤める敏腕ロビィストのエリザベスはまず冒頭で、銃擁護派クライアントのおじさんズの依頼を断るだけでなく、高笑いしながら、けちょんけちょんに罵倒すんですよ。高笑いするエリザベスのフリキリ方に爽快感に包まれます(=´∀`)

 

会社は勝手に儲け話を蹴ったエリザベスに怒って、結局エリザベスは会社にいづらくなって、別のロビィ会社の社長にヘッドハンティングされて転職するんですね。

(ロビィ会社っていろいろな主張があって、しかもそれぞれに儲かるぽい)

 

で、そこから、あれよあれよと元いた会社を相手に押しも押されもせぬ者たちの大勝負が繰り広げられていきます。

 

銃規制派 VS  銃擁護派 バチコン!

 

ひとつひとつが手に汗にぎる、緊張感高まるギリギリ展開が続いて、ピンチに次ぐピンチに、うわはーo(`ω´ )oと食いついて観ていました。

 

それだけでなく端々に、憎い演出がたくさんあって。

 

例えば、裏切り者だと思っていた部下が実は水面下で抜群の働きをみせていたり、エリザベスがエスコートサービス頼んでたり(女性向け夜のお相手サービス)、そのエスコートサービスの相手が実は唯一エリザベスが読めなかった相手だったり、エリザベスの冷たさが、自分の人生までもかけた戦略ゆえだと後からジワったり…

 

でもエリザベスの強烈な個性ゆえに不利になっていったり、全部が全部、理想通りに進まないわけで、

そんななかで、あらゆる手を藤井聡太7段のように天才的に読み、プランAからプランBに切り替えたり。

 

エリザベスってば、ロビィ活動の成功のために、とんでもない場所に行きますからね。まさか!の。(どこかは書きたいけど書かないでおきます…)

でもそれも戦略って怖い人ですよ、エリザベスは。

 

エリザベス役のジェシカ・チャスティンさんは、かなりステキです。字幕版を見たんですが、脳内では勝手に、木村佳乃さんの声で吹き替えてました。

 

合うよ!木村佳乃さん。

でもアメリカならではのダイナミックな展開だから、日本でリメイクは難しいかも。

 

とにかくこれまでにないスタイルの女性が活躍する映画です。

もう、強いオンナとか、故に孤独な人生とか、いろんなの超えて、なんだろう。

ただただ私は痛快だったよって拍手したいです。

 

 

ちなみに監督はジョンマッデンさん。「恋に落ちたシェイクスピア」で1998年に米英アカデミー作品賞を獲っています。観てないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

ついに来たか…

 

 

ついに来ました。

子育ての超難関部門の最高峰にさんぜんと輝き、怪奇にして摩訶不思議。

誰もが戸惑い、困惑し、サジを投げ出しがちな、例のアレが。

 

そう、アレです。

性教育です(´∀`*)

 

そんなもん学校で習ってんだろー、と私がタカを括らなかった理由は、

自分が子供の頃、結構困った記憶があるのと、今のネット社会で、正しい見方を持つこと、リテラシー大事ね、てのを強く思うのと、

あと娘は同性だからともかく、息子にどう教えればいいか、早いうちに考えとかんとなあと思ったからです。

 

しかしです。四十路にして未知の初体験しないといけない訳でして、何をどうしたらハズキルーペの使い方以上にナゾな難問をクリアできるか。

 

で、読んだのがこの「おうち性教育はじめます」です。

めっちゃ勉強なりました!

マンガスタイルで、私みたいな、どうすりゃいいの?視点で描いてくれていて、入りやすかったし。

 

ポイントは、アレですね。

自分の身体を大事に扱う感覚をきちんと持っておくこと。

2、3歳からはじめとかな、いかんかった、と…。

え…手遅れ?いやでも、10歳にして、まだ2歳みたいなぼんやり具合だから今からでも間に合うって!

 

と無理くり良しとして、

子供からの「なんでおちんちんついてるの」的なカラダの不思議を笑いでごまかさず、てか質問こそがチャンスらしく、とっても大事な質問として捉えて「男女で身体が違うんだよ」ってことをちゃんと説明する。

 

そして、小学校くらいからは、犯罪防止に備えることと、自分は大事な存在なんだと感じられるように、下着で隠れる部分は人にかんたんに見せたり触らせちゃいけないという感覚を持つこと。

 

ただ親子のスキンシップは子育ての中で愛着や愛情を直に感じる大事な部分でもあるから、そこは線引きしましょうと。でもまあ高学年くらいからは、自分の子でも勝手に?触っちゃなんねーよと。

 

でもまだまだハグするしなぁ…

クレヨンしんちゃんの影響から、すぐ尻出すし…

風呂から裸で出て走り回ってるし。

未だ、うんこ、ちんちん、叫んでるし…

 

ということで、風呂上がりは洗面所でせめて下着はつける、ケツ出さない、などを注意するようにしました。

 

まあこのあたりなんかは初級ですよ。

問題は…この発言ですよ。

「学校で、寝てる時に白いドロッとしたやつがちんちんから出るって聞いたけど、白いドロッとしたやつって何なん?」

_:(´ཀ`」 ∠):

で、うまい答え方が全く思いつかず、高らかに笑ってごまかす母。かろうじて「また、ちゃんと話すから」とだけは言っときました…

 

そして本書を読むに至った訳でありますが、

本書では、同性から説明するのが良いらしく、ならばパパから、と促してみたものの、生返事で全くやる気配なく。

 

仕方なく、この本を片手に「おちんちんはペニスちゅーんですね。でペニスに血液が集まるとかたくなり、精子ちゅー赤ちゃんの素が出てきます。それが白いどろっとしたやつです。寝てるときに出る場合もあるので、その時は速やかに洗面所でパンツを洗い、洗濯機に入れとけば大丈夫!!!って書いてあるから」

的に伝えました。この"後の対処法"がミソだなと。

で、分かった?と聞くと、息子「半分分からんけど、パンツ洗えばいいねんな」と( ̄^ ̄)ゞ

 

これは成功ですか、失敗ですか…

 

そんなエピソードがあった訳ですが、あともう少し大きくなったら、もっと様々な難問に取り組まねばならぬ訳で、さあどうしたモノかです。

 

そもそも、性教育って日本じゃすごいタブー視されてるなぁと。そんなんをオープンに話す家族は稀でしょうし、変わってる、という感じなんかなと。

 

恥ずかしいとか後ろめたいことという、意識の植え付け具合がすごい。私自身、書くのちょいためらいましたし。

なかなかリテラシーアバンギャルドに進化していかないのは、そういう深い深い日本の「恥」の因習があるからなんでしょうか。

 

 

生物学的な説明だけじゃ全部うまくは説明できてないし、子供もなかなか素直に聞かなくなる、話し合いしにくくなるのは、娘バージョンで理解しているので、それを踏まえた上で

恥ずかしいとかより絶対大事な事として

しっかりこれだけは理解しておいて欲しいと思うのは

 

性は個性であり、自分の大切な一部であり、自分で守る必要があること。

それと同じに他人の性も大事なんだよ、ってこと。

 

やっぱり学校の授業だけじゃ伝わらないよね。。

私自身、そっか!性教育はそーゆー「自分を好きになる」の基本なんだな!と割と目からウロコでした。

 

本書では、性のリテラシーの低さが女性側のリスクを高めること、支配としての性、ジェンダーについても触れていて、軽く読める割に内容は深くて、本質もきちんと突いています。

 

愛情表現は多様であること。

男はこう、女はこうという固定観念やメディアを鵜呑みにしないこと。

 

LGBTも、今はマイノリティだけじゃなくマジョリティ含んだ

SOGI=Sexual Orientation & Gender Identity 

ソジ

と言うんだそう。

ほう〜(´∀`*)

 

子育ての超難関は、そう言った問題の根底にあって、まあまあ周りの大人がちゃんと小出しに伝えていくことが大切だと感じました。

徐々に。

ゆっくり。

でよろしくお願いします…。・゜・(ノД`)・゜・。

 

 

追記

その後、パパときちんと相談し、時が来れば?息子にはパパから話すことになりました。

パパが不在の場合は、親戚のおっちゃんや、まあ誰かしら大人の男性が良いらしいですー

それもない場合は、お母さん自らで私は全然ありかなと(*´∇`*)

 

自分の頭で考える

 

 

思った以上になんだか、感動がありました。

 

麹町中学は、定期テストなし、担任なし、宿題なし、行事は自分たちで考えて作る。

 

こんな中学校が実際あって、こんな校長先生もいるんですね。

 

うちの子に通わせたい、私自身が通いたい

と思いました。

 

面白かったのは、この工藤勇一さんという校長先生の考えがなかなかにアバンギャルドなこと。

 

ただ生徒や保護者からの受けを狙って、宿題やんない!とか、定期テスト辞め!とかではもちろんなく、

それが生徒の成長や学力向上をサポートするのに、全然役立ってない現実があって、じゃあ何があかんのか、どうすればいいか?

考えてやったのが、国が決めたことをせずに、学校独自の新しいルールを作ること。

 

だから工藤先生は、教育委員会のいうことを聞きません。会社でいうと、社長のいうこと聞かない部長です(´∀`)

 

しかも、国が定めた教育指導要領、いわゆる一般的な日本の学校の学習カリキュラムなわけですが、これも否定!

読みながらすげ〜!と笑っちゃいました。

 

なんで否定かというと、現場の先生たちから自由な発想を奪っているよと。

カタチばかり教科書なぞらして、実社会や実生活との結びつきがないよと。

 

そんなもんだから、さまざまな壁にぶつかっていきます。で、それを乗り越えるのに、「対話」していくんですね。

PTAや教職員組合や生徒や教育委員会と。

 

もともと工藤勇一先生のいる中学校は、都内でも進学校への進学率が高い麹町中学という有名な公立中学で、モデル校でもあり、ある程度、新しいことに取り組みやすい、教育委員会に物申しやすいという背景はあったと思います。

 

でもだからといって、なんでも好きにしていい訳ではもちろんなく、じゃあどこが実現のポイントかというと、

 
  • 目的が明確
  • 計画が明確
  • 対話で理解者を作る
  • 準備からすぐやる

 

かなと思います。

 

この本で、工藤先生は、教育の場でも生きる上でも大事なモノのとらえ方、考え方をたくさん書いているんですが、例えば

当たり前を疑う、自分の頭で考える、手段を目的化しない…

 

これは自分の日常でもよく感じることで、改めて、やっぱり大事よね!と感じたんですが、工藤先生の実行力の高さはなんなんだろな…と。

 

恵まれているとか、頭がいいとか、人柄とかもあるんでしょうが私はやっぱり

工藤先生も書いているんですが、

行動するかしないか

それに尽きるように思います。

 

あと、周りからの評価や気持ちに鈍いのも、いいですねえ(´∀`*)友達から嫌われて無視されても気づかないエピソードはなかなか羨ましいといいますか。

 

でも少し、違和感もあって、ひとつはリーダー教育。それって名門校的発想?というか、人を動かしたりする能力は、人を理解しようとする意思であり、私はリーダーだけでなく、どんな人にも必要だと思いました。てか、すぐリーダー育てたがる風潮も、よく分からない世の中あるある…

リーダーって何さ?みんなに大事なことじゃないの?

 

もうひとつは、いじめ対策の部分。工藤先生は人間関係のいざこざを自分たちで解決できる力を持つのがいちばん大事としていて、たしかにそうです。

ただいじめ問題の根が深いところは、子供たち個人間の人間関係で終わらない面があることで、例えば経済格差や人種、国籍、性差…大人社会の差別だったり格差の影響を多分に受ける、つまり子供同士で解決しえないいろんな社会の背景があるってことです。

 

だから単純に起きたことを見守っているだけ、ルール化したり、話し合うとかでは解決しない、先生たちや周りの大人に、その背景を理解する知識や広い視野や価値観や、何より時間が必要であり。

それらを用意してからが、自己解決力作りのスタートなんじゃないかと私は思います。

 

まあでももし麹町中学がスタンダート化したら、いろんな価値観も変わっていくし、我が子ももっと成長できたかもしれないなとは確実に思います。

モデルに留まらず広げて欲しいです。

 

麹町中学の雑誌取材風修学旅行と模擬裁判は楽しそうで、もう一度中学生に戻ってやってみたいです(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

 

 

 

 

 

 

話題のスーパーとかペッパーランチ風とか

お肉が安いロピアというスーパーに行ってまいりました。

お肉屋さん発祥のスーパーで、ちょっとコストコ意識した商品もあり、すごい人だかり!大人気です。

 

とはいえ、私は霜降り和牛は買わずにアンガスビーフ買いました。

グラム130円代。安い!1キロ購入。

 

その脂身少なめの肩ロース1キロを使って我が子が、ペッパーライスを作ってくれました。

ペッパーライスとはペッパーランチというチェーン店のメニューですね。

行ったことないけど。

 

もとは、いきなりステーキのペッパーフードサービスがやってたんですが、今サクッとググッたら、別の法人名に?去年移管したらしいです。ペッパーランチ - Wikipedia

 

とにかく、見た目がインスタやTikTok映えるところから、また最近のお肉人気なことからも、おうちご飯に作るのが、若者に人気ぽいです。

 

Brunoっていうおしゃれホットプレートが人気なのも相乗効果かもしれません〜ヽ(・∀・)

欲しいけど高くて手が出ませんが。 

 

さて、ペッパーランチ風ペッパーライスの作り方です。量は我が家オリジナルです。

 

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ご飯3合をホットプレートにどかん

周りにアンガスビーフ1キロばん!

そんだけ誰が食うねん…と内心感じつつも、わくわく(´∀`)
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水煮コーン2缶。クックパッドのレシピと全然量が違う(´∀`)
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ネギ、醤油、焼き肉のたれ(ロピアオリジナル)を適当にかけて

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バター乗せて完成!!

*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

 

良いのか?こんな簡単かつワイルドで…

そして並外れたボリュームで……

 

食べるときは混ぜ混ぜしていただきます。

 

とっても美味しかったです。

 

野菜がたりないから、春キャベツを生で、キャベツたれつけて食べました。

 

そして、完食。4人で…すげー(*´∀`*)

 

 

 

 

 

 

 

ハニーレモンソーダめっちゃ面白かった

 

 

少女マンガはお好きですか?

私はだーい好き(๑˃̵ᴗ˂̵) だった気持ちを思い出させてくれる作品に出会いました。

 

なんてっても子供の頃は、私もマンガ家になりたい!って毎日女の子の絵を描いてたくらい少女マンガ好きでした。

 

小学生時代は夜9時以降にテレビ見ちゃだめ的に、まあまあ厳しめ?な家でしたが、なぜか小学4年から、マンガ雑誌読むのはオッケーになり、りぼん、なかよしから始まって、別マ、別コミ別フレとか少女マンガ雑誌を貪り読んでました。毎月買ってもらって。(でもなんで別冊ばっかりだったんだろう)

 

そして日がな一日女の子描いてるのが楽しかったです。まあ、結局マンガ家は諦めたんですが。頑張ってれば今頃…かは分かりませんが、とにかく少女マンガ大好きだったなぁ。

 

でも大人になると自然と読まなくなって。

それがいま、我が子が読みたい!と言い出したのをきっかけに買ってあげて自分も読んだのが

 

ハニーレモンソーダ

 

です。

なんと掲載は、りぼん。少女マンガ雑誌界でもピカイチに優等生な雑誌です。

 

主人公は中学時代にいじめられっ子だった地味子の石森羽花(うか)ちゃん。たまたま道で助けてくれた金髪イケメンの三浦界くんに憧れて、同じ高校に入学します。

で、華やかな陽キャばっかりの高校で、いわゆる陰キャの石森ちゃんが三浦くんに支えられながら、友達を作っていくという。

 

中学ではずっと1人ぼっちで数々の嫌がらせや心ない言葉を投げかけられてきた石森羽花ちゃんが、初めて楽しい!と感じられるスクールライフをひとつひとつ経験していく、そしてまごうことなきツンデレであり、決めゼリフがヒーロー過ぎる三浦界くんとのラブコメ、その中での自分の成長!

 

伝統的少女マンガの王道であります。

 

でも私、実は子供の頃、りぼんで大人気だった「ときめきトゥナイト」好きじゃなかったんです。てか基本りぼんよりなかよし派で。

 

何が違うってなかなか表現が難しいとこですが、なかよしの方がちょっとだけやんちゃというか、私はなかよしで連載されてた、あさぎり夕先生の「あこがれアドベンチャー」が大好きだったんですが、元気系なお話が多かった気がします。

読者全員プレゼントで切手送って、憧れアドベンチャーのポシェットをゲットした時の感動は、今なお忘れられません。毎日ポシェット下げて遊びに行ってたなあ〜(´∀`)

 

で、このハニーレモンソーダは、りぼん連載だそうで。時代は変わりますねえ。。

 

でもね、きちんと、「りぼん」的線引きは引いてます。たとえ時代が変わってもそこは守らないと!っていうね。キスシーンまでだよ!っていう。

そんな「りぼん」の誇りも感じました。

 

とにかく、ハニーレモンソーダの何が良きかって、地味子の石森ちゃんの良さをイケメン三浦界くんが見抜いて、周りから揶揄されても、好きになり、気持ちをまっすぐ持つところ。

 

あと石森ちゃんが三浦界くんの一挙手一投足に、心臓への負担が心配なくらい、常にバクバクドキドキ激しく緊張してる胸キュンなところです。

 

素晴らしい。少女マンガはやっぱりこうでなくちゃ!って時間軸的に3周回って、原点回帰しています。

 

今さら回帰の必要性は全くないですが。

いいよねー青春。

 

ハニーレモンソーダは現在16巻まで出てて、3年の修学旅行終わったとこ(*´꒳`*)

爆売れ中らしく、絵柄も今どき、ノリや脇役の会話や日常の感じも今どきです。実写映画もやるそうな。これは多分見ません。メンツ的に…

 

 

けど基本的な、学園ラブコメ具合はほんと王道で、なんにしろ、三浦界くんは、同じツンデレでも真壁くん(ときめきトゥナイトの主人公の片想い相手)より断然カッコいい(´∀`*)

セリフがね特にね、ツボ押さえまくりです。

 

こういういわゆる少女マンガの素晴らしさに、大人になって気づいたこと。

 

それは、心理描写がとても丁寧なこと。

セリフ回し、コマ割り、表情、髪の揺れ具合、仕草などなどに人の気持ちをつかむ、絶妙なワザがいっぱいあって、特に私が少年マンガより少女マンガが優れているなぁと思う部分はまさにそこで、

地球滅亡とか世界征服とかナンバー1目指すとかじゃない、なんでもないフツーの高校生の日常を、実に丁寧に描くことですよ。

 

文化祭やら体育祭やら修学旅行やら誰しもが何らかで経験したことある「フツー」を、かくも素晴らしき瞬間に描き切る。

 

それがまあ、そんなイケメンが彼氏とか現実ないってーとか、実際テストとか受験とか部活のきつさや友達とのドロドロな人間関係とか、もっと陰鬱だよな…てな現実に引き戻されつつも、いやまあ顔のスペックスルーしたら、なきにしもあらずやん?あの廊下ですれ違った時のあの気持ちは同じやん?みたいな、フツーな日常を丁寧に描いて共感や憧れや希望を感じさせる、その文化度の高さは、少女マンガならではのものだと。

 

ハニーレモンソーダを読んで

私はそんな発見をしました。

 

早く17巻読みたいです(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

 

 

 

 

誰かの評価よりも、自分がどう生きたいか

 

 

仕事がなんとなくピークを越したので、

ストレス発散に南の島にバカンスなんぞ行きたいところだけど、そうもいかないので、プライムビデオを観ました。

なんだか痛快そうなものが良いよね!と、選んだこちら、めっちゃ痛快で面白かったです。

 

昔から私は、ダメ女子が、なんやかんやとしくじりながら頑張って何かを成し遂げたり、新しい生き方を選んだりする物語が好きなのですが、まさにその王道。

 

しかもSATCみたいにセレブでもバリキャリでも美人でもモテでもない女子なら断然応援したくなっちゃうのが人情というもの。

 

主役のレネー役のエイミーシューマー、好きになりました。

非モテの女子が、ある日すごいナイスバディの美人に変わったんですが、それは本人の思い込みというのがミソで、自己否定のネガティヴから自信たっぷりになると、同じ人物でこんなにも印象が変わるのか!という演出、演技、絶妙!

 

エイミーシューマーという女優さんには、ネガティヴ地味女子、前向きパワフル女子、どちらを見ていても、あーいるよね!という説得力あります。

 

主人公のレネーという名前でいえば「ブリジットジョーンズの日記」のブリジット役のレネーゼルウィガーを思い浮かべますね。もしかしてオマージュなんでしょうか。

内容も雰囲気もなんか似てるし。

 

 

コメディとしても面白いし、クリーニング店で逆ナンして怖がられて付き合う彼氏のほのぼのした感じも好感が持てます。

 

私、やっぱりアメリカの映画の何が好きって、表現がストレートなところです。

これはもう間違いなく、人を認めるとき、褒めるとき、

なんで君はそんなに自信があるの

君みたいに自信を持って生きたいよ

君は素晴らしいよ

尊敬してる

誇りに思うよ

 

もっとあなたの話聞きたい

あなただってステキよ

 

私があなたを好きなのは、あなたが美しいからじゃない

賢くて面白くて一緒にいて楽しいからよ

 

仲直りしてくれる?

今は無理

 

じゃあ気が変わるまで待ってる

分かった

 

とかね。アメリカで実際どこまで、リアルにストレートトーク?をしているか知りませんが、日本じゃ、まあしない会話です。

 

むしろ、気味悪く思われたり、うざいかもしれませんヽ(・∀・)

 

でも、言われて誰も心から悪い気はしないんじゃないかと。

それと何より、話が早い!好きか嫌いかという判断とか、自分がどうしたいのかをきちんと伝えると、物事が格段にスピード感を増します。

 

そういうスピード感が多分、映画のテンポの良さとなってハリウッドの魅力になっているのかもしれませんね。

 

あと、我が家も子供との会話は割とアメリカンかも。

ストレートトークしてますね。

 

いいですよ、ストレートトーク

私は好きです。

 

それと

この映画とは関係ないんですが、

アメリカでも、付き合ってる2人がそうそう、

I love you とは言わないと最近

英会話アプリやってて知りました。

 

かなり重い表現だそう。

だいたいはまだそこまで深い関係じゃない場合は

I like you とかだそうな。

意外。

 

話がそれまくりましたが、いろいろ勘違いだとしても、楽しそうに生きる人を、人はそうそう嫌いにはならないのかもなぁというのと、喉元過ぎれば熱さを忘れるといいますか、ちょい違うな…

 

誰かの評価よりも、自分がどう生きたいか

 

それが大事

 

とつくづく思いました。

 

自分をなかなか好きになれない人みんなに、おすすめです(´∀`)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を大切に扱うには<マインドフルネスとスキーマ療法②>

 

 

さてマインドフルネスが、自己流でもできそうな自分癒し方法であるのに対して、スキーマ療法はどうかということですが、まずスキーマ療法とは何か。

 

私的解釈ですが、認知行動療法における、「認知」の部分には、浅めと深めがあって、出来事をぱっとその場で浅く認識するのが「自動思考」、時間をかけて積み重なった思考グセや培われた価値観が「スキーマ」です。

 

スキーマは心理学の専門用語なんで、細かい定義はあるんだとは思いますが、「培われた受け取り方の習慣」みたいな感じでいいのではと思います。

 

ちなみに一般的な認知行動療法ではスキーマ療法ってしないそうで、これは伊藤先生のオリジナル療法らしいです。

 

スキーマ療法はプロ的治療法

マインドフルネスは浅めの認知には有効だけど、培われた認知や行動のスキーマまではなかなか対処できないということで、そしてこの培われた「スキーマ」がやっかいだからということで、スキーマを立て直す療法があります。

 

人にはさまざまなスキーマがあって、なかでも中核的感情欲求が満たされないことから生まれる早期不適応スキーマを、どうにかすんべーというのが、スキーマ療法の主題です。

 

もうこの「中核的感情欲求」とか「早期不適応スキーマ」とかの熟語が老眼にはキツくなってくるんですが(´・_・`)、追い討ちをかけるように、問題の早期不適応スキーマは5領域18種類もあるんですよね…遠い目…

 

だから超超カンタンに適当に言ってしまうと、

見捨てられスキーマ

無能スキーマ

スキーマ

完璧主義スキーマ

不信スキーマ

悲観スキーマ

自己犠牲スキーマ

服従スキーマ

コントロールできないスキーマ

etc

みたいな自分に都合がよくないのに、やっちゃうようなスキーマがうじゃうじゃあって、自分の認知のクセや考え方、価値観の、何がどれに当てはまるか分析して、そのスキーマカテゴリごとに、いつ、なぜそのスキーマが生まれたかを探って、そこから治療して行こう!ということです。

 

①にある、マミコさんの子供時代からの過酷な体験から分かるように、一般的な心理学療法では、どうも「過去の体験」にアプローチすることが基本みたいですね。

 

 

だから「スキーマ療法」では、マミコさんは、辛い辛い子供時代の体験を再び掘り起こす作業をしなければならないのです。

 

うん、これはなかなか素人ができることじゃないです。下手に触ると危険!

スキーマうじゃうじゃだし…

 

ということをプロの伊藤先生が行なったスキーマ療法の実践を、ふんふんと読みながら感じました。

 

 

もう一度育てられてみる

伊藤先生は、マミコさんへのスキーマ療法に、「治療的再養育療法」を用います。

 

これは字面から分かりますね。

もう一度、養育される体験をしてみて治療するという感じ。

 

子供時代に本来得ているべきなのに得ていない感情欲求を、治療で満たしていくことで、マミコさんの早期不適応スキーマを、ハッピースキーマに変えていくって話です。

 

ハッピースキーマは別に私がふざけて勝手に呼んだスキーマ名ではなく、伊藤先生が実際に本書で名付けいるスキーマ名です。

 

不適応なスキーマをハッピーな適応スキーマに変えていくんですね。

でこのスキーマにさらに、スキーマモードって奴を当てはめていくんですが、

スキーマモードってのは、どんなスキーマがでてくるかの自分の状態をカテゴライズしたもので、

  1. 傷ついた子供モード
  2. 傷つける大人モード
  3. いただけない対処モード
  4. ヘルシーモード

があって、上の3つから抜け出して、ひたすら幸せなヘルシーモード(心が病んでないすっきりした感じ?)

に導いて行こう、そのワザを身につけようという治療です。

 

 

そして伊藤先生はなんと。マミコさんの代理母的な役割を演じるんです。

 

ほほう…とため息が出ました。

 

なんといいますか。もろもろの専門家の知識や技術、手法はさておき、カウンセリングの方法の幹は「子育て」なんだ、と。

 

なんだか分からないけど、すごい。

 

しかもそれを大人のマミコさんを子供にみたて、カウンセラーが親役をして行なう。

 

いわば「お母さんごっこ」みたいに思ったりもしたんですが、この治療を進めていく過程がまた泣けるんです。そしてマミコさんが救われていく様に妙に静かに納得と感動がありました。

 

そして、自分もやっぱり…これやってきてるなと。

 

 

読書と映画

 

マミコさんがスキーマ療法の一環として行なった「治療的再養育療法」では、カウンセラーの伊藤先生がお母さんとなり、子供のマミコを、過去に遡って、助けていきます。

 

めっちゃ雑にザクッと説明すると、実際に辛かったマミコさんの体験の場面をイメージして、成り切って状況を再現。そこにお母さんである先生が登場して、マミコさんをそこから連れ出したり、相手を拒否したり、まっとうな対応をしてやっつけたりして記憶の塗り替えを行なっていくんです。

 

とにかくマミコさんを守る。

この治療の場面がね、読んでるだけで、自分も助けられている気持ちになって、なんだか泣けるんですよ。

不思議だけど、このやり方に納得ができて、それがなんでだろうと考えたら

やっぱり自分の実体験として、似た状況があったり、似たやり方を取った実感があるからだと思います。

 

私はマミコさんみたいに虐待を受けてきた訳ではないし、親や祖母や周りの大人から愛情を受けた認識は今もあるんですが、自分を大切に扱ってくれて愛情を示してくれる存在は、もしかしたら、てかほぼほぼ、どんな人間にも必要だと思います。

必要なはずです。

間違いなく必要。

 

大人が子供を大切に扱うこと、愛情を注ぐ体験を通してその感覚を身につけて、自分で自分を同じく大切に、また他者を大切に扱うことを学び身につける。

 

そういう考え方なんですね、伊藤先生のカウンセリングって。

 

じゃあなんでこの手法が意味あるかというと、自助するために実用できるからって訳なんですが、

たしかにスキーマ療法は素人が下手に手出しはできないんですが、この自分や他者を大切に扱う、とりわけ大人が子供を大切に扱うって、自分も体験してきていることです。

 

自分の体験に照らし合わせてみると、子供の時に感じた親やおばあちゃんや先生といった周りの大人と過ごした何気ない時間もそうだし、子供が出来てからは、子育てのなかで子供たちと過ごす毎日そのもののなかに、伊藤先生がマミコさんとやった治療的再養育療法の小さな実践が、たくさん転がっているんです。

リアルで。

 

そしてですね。マミコさんみたいに激痛の連続でないとしても、私には私なりに、満たされない記憶もあったし、心痛めた経験も少なからずあって、それが自分のスキーマにどう影響を与えてるのかは無自覚であったとしても、スキーマを立て直すために、無意識にやっているのが、読書や映画なんかな、と思いました。

 

つまり、自分で無自覚にスキーマ療法をしているんかなと。

 

親や周りの大人だけでなく、作家、映画監督、役者、クリエイティブを発揮する世の中全部のクリエイターが私を救っているし、その誰かのクリエイティブを自助のエネルギーにしてきている。

 

社会には割と、救いがあるなと思ったりします。

 

母性の強要とは全然違う

 

間違っちゃダメだなと思うのが、この「大人が子供を大切に扱う」を変な社会通念で、女性だけに母性という名で強要することです。

 

もし、母性が人間のメカニズムとして本能に組み込まれているのであれば、それは全人類に公平に組み込まれていると思うし、そこに強弱の違いがあるとしても、違いをつけるのは性差ではないと思っています。

 

母性という名称が誤解を生むのかなあとも思うんですが、父性も同じだし、祖母性でも他人性も同じこと。

とにかく「大人が子供を大切に扱う」という人間の本能メカニズムが今なお正しく機能していくべきだとは思います。

 

大人になってからは、たとえば大人のマミコさんにはカウンセリングやぶーたん(ぬいぐるみ)、私には読書や映画、また子供の存在、人によっていろいろだと思います。

それでも「自分や他者を大切に扱うこと」がいかに難しくて、いかに大事なことか。

 

すべての根源になることか。

 

本書で改めて見直すことができました。

 

マミコさんは最終的に伊藤先生がやった代理養育者の役をセルフでできるようになります。

つまり、ストレスに対して自助できるようになるんです。カウンセリング受け始めからトータルで10年かけて。

マミコさんって実は伊藤先生が臨床の実績を参考に煮詰めて創作した、一応架空の人物らしいです。

 

めっちゃ感情移入したけど!笑

 

というわけで、またひとつ、己れの生き方の知恵がつき、感動ある読書を経験できました。

 

悩み多き方にマインドフルネスとスキーマ療法の考え方、おすすめです。

 

 

 

 

 

私は癒やされたい<マインドフルネスとスキーマ療法>

 

 

 

「癒し」

どんな人にもどんな時にも少なからずの癒しは必要なんだと改めて思いました。

 

著者の伊藤絵美さんは、臨床心理士、いわゆるカウンセラーです。

 

伊藤さんが専門にするのは認知行動療法という分野。

 

で、この本2冊あるんですが、どちらもメインには伊藤先生の患者さんの治療の様子が綴られています。

マミコさんという伊藤先生のカウンセリング機関に通う患者さんが6年をかけて伊藤先生と行なってきた治療です。

 

1冊目は認知行動療法とマインドフルネスについて、2冊目がスキーマ療法について。

人の心はこんな風に癒され、自助する力をつけていけるんだと改めて人間ってすごいなと感じました。伊藤先生のカウンセリングの手法と過程も分かりやすく、自分なりに仕組みが納得できました。

 

以下ネタバレ含みつつ、自分的にではありますが、考察していきたいと思います。(1マインドフルネス、2スキーマ療法)

 

あまりに辛い経験を負ってきたマミコさん

この2冊のいちばんの読みどころは、患者さんであるマミコさんが、子供の頃からかなり辛い人生を体験してきている点にあります。

 

本の最初にマミコさんは、服装がやたら派手な挙動不審な人、職業は看護師で32歳、という感じで登場します。

マミコさんの子供の頃の経験は、シリーズ一冊目の終盤まで出てこないのですが、もうですね…辛い。

いわば犯罪の被害者なんですね。

ネグレクト、小児への性的虐待、暴力。

大人になってもセクハラ、レイプ。

 

しかもですよ、加害者は誰も法的に裁かれていません。犯罪があった事実自体、誰にも気付かれず、加害者は何年も、未だに誰からも何にも咎められもせず、マミコさん自身すら犯罪の被害者という認識を持たず、その体験の残忍さや理不尽さを、ただただ自分の生き辛さとして、弱さとして受け取っているんです。

 

だいぶダメです。

このマミコさんの過去をかたるくだりに、もう私は悲しくて悲しくて、マミコーーーー!と心が涙であふれました。

 

でも、この本の主題は、犯罪を裁くことではなくて、本人の心を癒し自分を助ける力を身につけること。

 

現代的な辛い人生ランキングのなかでも、一二を争うといっても過言ではないマミコさんの半生が、マミコさんそのものが、どうやって癒されて、自助できるようになるのか、そこがこの本が伝えていることです。

 

マインドフルネスとは

認知行動療法ってなんだというと、自分にストレスとなる体験に、意図的に対処して、ストレスを減らしたり、自助を促していく治療、でしょうかね。

 

で、マインドフルネスってなんだというと、その意図的な対処の中身として自分の体験、認知、感情、身体反応、行動を、もう1人の自分がちょい上から眺めるみたいに、気づいて受けとめること。そして最後にそっと手放すこと。

 

表現難しいとこですが。

 

マミコさんは大人になってから20代後半で看護師学校に入るまでは、ひたすら自暴自棄気味に生きてたようで、泥酔したり自傷行為したり、自殺願望に囚われたり、小さなことで見知らぬ人にケンカ売ったり、男性とめちゃくちゃな付き合い方をしたり。。辛さを受け止め切れずにいて、カウンセリング機関の扉を勇気を出して叩きます。

 

治療を受けてマミコさんはだんだんと気持ちも行動も変わっていくんですが、6年かかってます。

 

心理療法って辛いんだなと。

 

見たくない見られたくない、触ると危険な傷口に、良薬だとしてもいきなり劇薬を塗るわけにはいかず、伊藤先生は治療を段階的に「今」とりあえず必要な処置、先の劇薬のための土台作り、みたいな感じで進めていきます。

 

そのなかでも比較的初期の土台作りに使われた治療が、マインドフルネスです。

 

このマインドフルネスっていう療法もその考え方も初めて知ったんですが、すごく面白い!です。

 

マインドフルネスやってた

もっかい書くと、マインドフルネスって、自分の体験、認知、感情、身体反応、行動を、もう1人の自分がちょい上から眺めるみたいに、気づいて受けとめて、手放すってやつです。

 

マミコさんの実践したいろんなワークを通して、私自身もワークしている気持ちになりながら読んでいたんですが、これね。

何年くらい前からか、私やってるなぁと思ったりして。

マインドフルネスだとか、全然気づいてはいないんですが。

 

特に意識してやるようになったのは、去年のコロナ禍からでしょうか。

 

会社が休業になって、子供たちと過ごす時間が増えてなんだか癒された期間のあとに、テレワークになって1人で仕事する時間が増えて、それくらいの時からかな。

 

自分は今、こういう状況にいて、こんなことに心を囚われていて、こんな行動とってんなあ、と、特に困った状況のとき、抑圧を感じるときに、ふと冷静に自分を受け止めることが何度かありました。

 

何度かというか、日々ストレスが続いていたからしょっちゅうというか。

 

それまでは追い詰められた時には、人に愚痴ったり、無理に明るく振る舞ったり、トゲを出したりしてたのが、周りに誰もいなくて静かな環境にいると、そういう行為ができなくなりました。それが良かった。

 

やらなくていい余計なことをしてきたんだと気づいたんです。

 

コロナまでは、子育てに家事に仕事にと、日々がとにかく目まぐるしくて、こなすのに必死で、今自分がどんな暮らしをしているかとか、今日空はどんな色とか考えるヒマもないというか、「ザ・ガムシャラ!」でした。

それもコロナでゆったりした時間ができて気づいたこと。

 

ああ私は、疲れてたんだな、と。

がむしゃらだったんだなと。

今のこの心のゆとりを失いたくないなと。

ほんと、変に静かな気持ちで考えました。

 

で、コロナはいつか終わるとしても、もう前みたいな、忙しいだけで何にも見えてない、何にも発展しない、楽しめてない暮らしは嫌だ!戻っちゃいけない!望まない自分に我慢するんじゃなくて、これが私だと感じられる生き方したい!とつくづく思いまして。

 

そのために、じゃあ自分がどう生きたいのかを考える時間が去年でした。きっとこの本もそんな動機から読んでみたくなったんだと思います。

 

さておき、今、なんとなく私、マインドフルネス的な境地に立てたんじゃない?えー、自分でちゃんと癒されてたー?そーゆーことー?と少し得意な気持ちになってもいるんですが、

それは去年のコロナがあって、子供たちとやいやい楽しい時間が持てたからこそだと、それが気づきにつながったんだと今は思います。

 

でもレーズンワークは無理

マミコさんは、マインドフルネスのワークのひとつとして、レーズンワークを実践します。

 

レーズンワークは、一粒のレーズンを手に持って観察したり、つまんだり押したり、口に入れてからも舌で触ったり、弾力を感じたり舐めたり噛んだりをして、30分とかめっちゃ時間かけて味わうワークです。

 

これは…簡単にみえてかなりハードル高い!

私はできない気がします。レーズンがまず苦手だし。

マミコさんできるようになっていました。すごい!

 

まあでも、理屈としては、「いま」「ここ」の私自身をきちんと受け止めていく訓練ですね。

 

レーズン食べるとかのシンプルな行為で訓練して、もっと自分にとってストレス負荷が高い出来事も、マインドフルネスにそのまま受け止めて抜け出せるようにする訓練です。 

 

レーズンは無理だけど、理屈はよく理解できます。

 

で、ストレスに対するマインドを最後に、「そっと手放す」までがマインドフルネスには含まれます。

 

この「そっと手放す」って実感としては私は正直よく分からないところなんですが、でもなんかいいですよね。

そっと…って。

 

忘れるという無意識とはちょっと違う、一応バイバイ〜と手を振ってさらっとお別れするみたいなかしら?

 

ウンコのワークはやりたい

あと、印象的なワークは、ウンコのワーク。

これも面白くて、嫌な事、ストレスフルな出来事があったときに、後からそれをいつまでもぐるぐる思い出して、反芻して抜け出せない嫌な状態から脱する訓練です。

 

ぐるぐる、すごく分かる!

やってまう!

 

トイレでウンコ流すイメージで、そのイヤなぐるぐる思考を水洗トイレのレバーでジャーっと流す。

 

イメージしやすいです。

 

マミコさんほど過酷な人生の人じゃなくても、マインドフルネスは日常に取り込めるので、実用性かなり高し。

 

ということで、具体的なワークを日常に取り入れるのがマインドフルネスの面白いところなんですが、

じゃあ実際にどんな風に取り入れていけばいいかを少し考えてみました。

 

事実を事実とだけ受け止めるって結構難しい

 

やってた気にはなったものの、マインドフルネスは案外、難しい気がします。

 

どっちやねん。

 

私たちは、起こった事実に、事実以上の意味を見いだそうとしたり、感情的に批判したり、反省しすぎちゃったり、逃げ出したりしがちです。

 

そういうことを繰り返して生きてきているので、ちょっとマインドフルネス的にできても、ドラえもんみたいにいつも「じゃーんマインドフルネス〜!」と都合よく取り出せないなぁとも感じます。

 

たとえば、ある人間関係のトラブルが発生した時。

ある日、自分がAさんへの不満をBさんに話しちゃうとします。AさんがそれをBさんから聞いて、Aさんと私との関係がまずくなってしまいました。

後からめっちゃ反省して謝ってもAさんは私を避けるように。

それどころかAさんとBさんが2人して自分を避けるようになった上に、私の悪口を周りに吹聴し、周りからも仲間はずれにされちゃいました。

 

なんか学生時代を思い起こすようなエピソードになっちゃいましたが…笑

 

この場合、きっかけを作ったのは、確かにBさんにAさんへの不満を不用意に口にした私だし、他人の批判は軽々しくしない方がいい!という世渡りの機微を学ぶ教訓にはなったとは思うんですが、その後はずっと悩むわけです。

 

まずBさんはなんでAさんにちくったのか?

あと謝罪したのに、ABともになんで関係ない人巻き込み私を傷つける必要があるのか?

 

悩んでても仕方ないから、勇気を出して2人に理由を聞きました。でも無視される。あるいは、あんたとはもう付き合いたくないと言われます。

 

無視されたら、理由が分からないからどうすればいいかまた考え続ける。

付き合いたくないと言われたら、自分は2人が好きなのでかなり悲しい。

思考は続きます。

 

ABは実は元からイヤなやつかもしれない。

巻き込まれた周りも、私の言い分を聞かずに一方的にAB信じるってどうよとも思う。

 

そして、延々と繰り返すんですよ。

後悔と答えの見えない「なぜ?」をぐるぐる。

すごい苦しいです。

で苦しすぎて、

もう誰も信じられない だとか

こんなダメな自分死んだ方がまし だとか

他人に八つ当たりだとか

酒に逃げるとか

誰にも心開かなくなる とか

そうなってしまう場合も多々あります。

 

これにマインドフルネスを持ち込んでみますと、もう1人の自分が、あー自分はいま、後悔と答えのでないぐるぐるにやられてんなぁと認識し、だいぶまいってんなあー、うーむと感じていることをそのまま受け止め、で、時間とともにそれら手放します。

ウンコバイバイですね。

 

でも実際に私たちはこのマインドフルネス的な思考ができずに、心をぼろぼろにして、夜もろくに眠れなくなるほどに悩み続けるんです。

 

この苦しみのぐるぐるを

ゆっくり解きほぐして

少しずつ元気になっていく手段がマインドフルネスなんだろうと分かっていても思考は「回路」というだけあって、パターン化しがちです。

 

クセはなかなか抜けない。

 

これはね、やっぱり日々訓練が必要だろうなと。

レーズンだったりウンコだったり、日常の小さなことからシンプルな訓練に取り組むことが実はとても大事なんだろうと思います。

 

スキーマ療法はハイレベルなプロ的手法

 

で最終、どうすればいいか?って部分です。

 

たとえばさっきのABさんとの人間関係トラブルで、結果的に自分ができることは、自分をぐるぐる思考から解放させることと、あと状況を良くするために解決策をとること。具体的には、ABに気持ちと要望を伝えることです。

 

「私はあなたたちが好きだけど、あなたたちが私を拒否して付き合いたくないなら、悲しいけど仕方ない。でも関係ない周りを巻き込まれたらとても困る。だからやめてほしい」と伝えること。

 

これができたら、私的にはまあまあ、きちんとゴールまでこれたのかなと思います。

私の解釈としてはマインドフルネスだけではここまでは難しくて、この行動まで持っていくために必要なのが、スキーマ療法ではないかと考えました。

 

続く!