「癒し」
どんな人にもどんな時にも少なからずの癒しは必要なんだと改めて思いました。
著者の伊藤絵美さんは、臨床心理士、いわゆるカウンセラーです。
伊藤さんが専門にするのは認知行動療法という分野。
で、この本2冊あるんですが、どちらもメインには伊藤先生の患者さんの治療の様子が綴られています。
マミコさんという伊藤先生のカウンセリング機関に通う患者さんが6年をかけて伊藤先生と行なってきた治療です。
1冊目は認知行動療法とマインドフルネスについて、2冊目がスキーマ療法について。
人の心はこんな風に癒され、自助する力をつけていけるんだと改めて人間ってすごいなと感じました。伊藤先生のカウンセリングの手法と過程も分かりやすく、自分なりに仕組みが納得できました。
以下ネタバレ含みつつ、自分的にではありますが、考察していきたいと思います。(1マインドフルネス、2スキーマ療法)
あまりに辛い経験を負ってきたマミコさん
この2冊のいちばんの読みどころは、患者さんであるマミコさんが、子供の頃からかなり辛い人生を体験してきている点にあります。
本の最初にマミコさんは、服装がやたら派手な挙動不審な人、職業は看護師で32歳、という感じで登場します。
マミコさんの子供の頃の経験は、シリーズ一冊目の終盤まで出てこないのですが、もうですね…辛い。
いわば犯罪の被害者なんですね。
ネグレクト、小児への性的虐待、暴力。
大人になってもセクハラ、レイプ。
しかもですよ、加害者は誰も法的に裁かれていません。犯罪があった事実自体、誰にも気付かれず、加害者は何年も、未だに誰からも何にも咎められもせず、マミコさん自身すら犯罪の被害者という認識を持たず、その体験の残忍さや理不尽さを、ただただ自分の生き辛さとして、弱さとして受け取っているんです。
だいぶダメです。
このマミコさんの過去をかたるくだりに、もう私は悲しくて悲しくて、マミコーーーー!と心が涙であふれました。
でも、この本の主題は、犯罪を裁くことではなくて、本人の心を癒し自分を助ける力を身につけること。
現代的な辛い人生ランキングのなかでも、一二を争うといっても過言ではないマミコさんの半生が、マミコさんそのものが、どうやって癒されて、自助できるようになるのか、そこがこの本が伝えていることです。
マインドフルネスとは
認知行動療法ってなんだというと、自分にストレスとなる体験に、意図的に対処して、ストレスを減らしたり、自助を促していく治療、でしょうかね。
で、マインドフルネスってなんだというと、その意図的な対処の中身として自分の体験、認知、感情、身体反応、行動を、もう1人の自分がちょい上から眺めるみたいに、気づいて受けとめること。そして最後にそっと手放すこと。
表現難しいとこですが。
マミコさんは大人になってから20代後半で看護師学校に入るまでは、ひたすら自暴自棄気味に生きてたようで、泥酔したり自傷行為したり、自殺願望に囚われたり、小さなことで見知らぬ人にケンカ売ったり、男性とめちゃくちゃな付き合い方をしたり。。辛さを受け止め切れずにいて、カウンセリング機関の扉を勇気を出して叩きます。
治療を受けてマミコさんはだんだんと気持ちも行動も変わっていくんですが、6年かかってます。
心理療法って辛いんだなと。
見たくない見られたくない、触ると危険な傷口に、良薬だとしてもいきなり劇薬を塗るわけにはいかず、伊藤先生は治療を段階的に「今」とりあえず必要な処置、先の劇薬のための土台作り、みたいな感じで進めていきます。
そのなかでも比較的初期の土台作りに使われた治療が、マインドフルネスです。
このマインドフルネスっていう療法もその考え方も初めて知ったんですが、すごく面白い!です。
マインドフルネスやってた
もっかい書くと、マインドフルネスって、自分の体験、認知、感情、身体反応、行動を、もう1人の自分がちょい上から眺めるみたいに、気づいて受けとめて、手放すってやつです。
マミコさんの実践したいろんなワークを通して、私自身もワークしている気持ちになりながら読んでいたんですが、これね。
何年くらい前からか、私やってるなぁと思ったりして。
マインドフルネスだとか、全然気づいてはいないんですが。
特に意識してやるようになったのは、去年のコロナ禍からでしょうか。
会社が休業になって、子供たちと過ごす時間が増えてなんだか癒された期間のあとに、テレワークになって1人で仕事する時間が増えて、それくらいの時からかな。
自分は今、こういう状況にいて、こんなことに心を囚われていて、こんな行動とってんなあ、と、特に困った状況のとき、抑圧を感じるときに、ふと冷静に自分を受け止めることが何度かありました。
何度かというか、日々ストレスが続いていたからしょっちゅうというか。
それまでは追い詰められた時には、人に愚痴ったり、無理に明るく振る舞ったり、トゲを出したりしてたのが、周りに誰もいなくて静かな環境にいると、そういう行為ができなくなりました。それが良かった。
やらなくていい余計なことをしてきたんだと気づいたんです。
コロナまでは、子育てに家事に仕事にと、日々がとにかく目まぐるしくて、こなすのに必死で、今自分がどんな暮らしをしているかとか、今日空はどんな色とか考えるヒマもないというか、「ザ・ガムシャラ!」でした。
それもコロナでゆったりした時間ができて気づいたこと。
ああ私は、疲れてたんだな、と。
がむしゃらだったんだなと。
今のこの心のゆとりを失いたくないなと。
ほんと、変に静かな気持ちで考えました。
で、コロナはいつか終わるとしても、もう前みたいな、忙しいだけで何にも見えてない、何にも発展しない、楽しめてない暮らしは嫌だ!戻っちゃいけない!望まない自分に我慢するんじゃなくて、これが私だと感じられる生き方したい!とつくづく思いまして。
そのために、じゃあ自分がどう生きたいのかを考える時間が去年でした。きっとこの本もそんな動機から読んでみたくなったんだと思います。
さておき、今、なんとなく私、マインドフルネス的な境地に立てたんじゃない?えー、自分でちゃんと癒されてたー?そーゆーことー?と少し得意な気持ちになってもいるんですが、
それは去年のコロナがあって、子供たちとやいやい楽しい時間が持てたからこそだと、それが気づきにつながったんだと今は思います。
でもレーズンワークは無理
マミコさんは、マインドフルネスのワークのひとつとして、レーズンワークを実践します。
レーズンワークは、一粒のレーズンを手に持って観察したり、つまんだり押したり、口に入れてからも舌で触ったり、弾力を感じたり舐めたり噛んだりをして、30分とかめっちゃ時間かけて味わうワークです。
これは…簡単にみえてかなりハードル高い!
私はできない気がします。レーズンがまず苦手だし。
マミコさんできるようになっていました。すごい!
まあでも、理屈としては、「いま」「ここ」の私自身をきちんと受け止めていく訓練ですね。
レーズン食べるとかのシンプルな行為で訓練して、もっと自分にとってストレス負荷が高い出来事も、マインドフルネスにそのまま受け止めて抜け出せるようにする訓練です。
レーズンは無理だけど、理屈はよく理解できます。
で、ストレスに対するマインドを最後に、「そっと手放す」までがマインドフルネスには含まれます。
この「そっと手放す」って実感としては私は正直よく分からないところなんですが、でもなんかいいですよね。
そっと…って。
忘れるという無意識とはちょっと違う、一応バイバイ〜と手を振ってさらっとお別れするみたいなかしら?
ウンコのワークはやりたい
あと、印象的なワークは、ウンコのワーク。
これも面白くて、嫌な事、ストレスフルな出来事があったときに、後からそれをいつまでもぐるぐる思い出して、反芻して抜け出せない嫌な状態から脱する訓練です。
ぐるぐる、すごく分かる!
やってまう!
トイレでウンコ流すイメージで、そのイヤなぐるぐる思考を水洗トイレのレバーでジャーっと流す。
イメージしやすいです。
マミコさんほど過酷な人生の人じゃなくても、マインドフルネスは日常に取り込めるので、実用性かなり高し。
ということで、具体的なワークを日常に取り入れるのがマインドフルネスの面白いところなんですが、
じゃあ実際にどんな風に取り入れていけばいいかを少し考えてみました。
事実を事実とだけ受け止めるって結構難しい
やってた気にはなったものの、マインドフルネスは案外、難しい気がします。
どっちやねん。
私たちは、起こった事実に、事実以上の意味を見いだそうとしたり、感情的に批判したり、反省しすぎちゃったり、逃げ出したりしがちです。
そういうことを繰り返して生きてきているので、ちょっとマインドフルネス的にできても、ドラえもんみたいにいつも「じゃーんマインドフルネス〜!」と都合よく取り出せないなぁとも感じます。
たとえば、ある人間関係のトラブルが発生した時。
ある日、自分がAさんへの不満をBさんに話しちゃうとします。AさんがそれをBさんから聞いて、Aさんと私との関係がまずくなってしまいました。
後からめっちゃ反省して謝ってもAさんは私を避けるように。
それどころかAさんとBさんが2人して自分を避けるようになった上に、私の悪口を周りに吹聴し、周りからも仲間はずれにされちゃいました。
なんか学生時代を思い起こすようなエピソードになっちゃいましたが…笑
この場合、きっかけを作ったのは、確かにBさんにAさんへの不満を不用意に口にした私だし、他人の批判は軽々しくしない方がいい!という世渡りの機微を学ぶ教訓にはなったとは思うんですが、その後はずっと悩むわけです。
まずBさんはなんでAさんにちくったのか?
あと謝罪したのに、ABともになんで関係ない人巻き込み私を傷つける必要があるのか?
悩んでても仕方ないから、勇気を出して2人に理由を聞きました。でも無視される。あるいは、あんたとはもう付き合いたくないと言われます。
無視されたら、理由が分からないからどうすればいいかまた考え続ける。
付き合いたくないと言われたら、自分は2人が好きなのでかなり悲しい。
思考は続きます。
ABは実は元からイヤなやつかもしれない。
巻き込まれた周りも、私の言い分を聞かずに一方的にAB信じるってどうよとも思う。
そして、延々と繰り返すんですよ。
後悔と答えの見えない「なぜ?」をぐるぐる。
すごい苦しいです。
で苦しすぎて、
もう誰も信じられない だとか
こんなダメな自分死んだ方がまし だとか
他人に八つ当たりだとか
酒に逃げるとか
誰にも心開かなくなる とか
そうなってしまう場合も多々あります。
これにマインドフルネスを持ち込んでみますと、もう1人の自分が、あー自分はいま、後悔と答えのでないぐるぐるにやられてんなぁと認識し、だいぶまいってんなあー、うーむと感じていることをそのまま受け止め、で、時間とともにそれら手放します。
ウンコバイバイですね。
でも実際に私たちはこのマインドフルネス的な思考ができずに、心をぼろぼろにして、夜もろくに眠れなくなるほどに悩み続けるんです。
この苦しみのぐるぐるを
ゆっくり解きほぐして
少しずつ元気になっていく手段がマインドフルネスなんだろうと分かっていても思考は「回路」というだけあって、パターン化しがちです。
クセはなかなか抜けない。
これはね、やっぱり日々訓練が必要だろうなと。
レーズンだったりウンコだったり、日常の小さなことからシンプルな訓練に取り組むことが実はとても大事なんだろうと思います。
スキーマ療法はハイレベルなプロ的手法
で最終、どうすればいいか?って部分です。
たとえばさっきのABさんとの人間関係トラブルで、結果的に自分ができることは、自分をぐるぐる思考から解放させることと、あと状況を良くするために解決策をとること。具体的には、ABに気持ちと要望を伝えることです。
「私はあなたたちが好きだけど、あなたたちが私を拒否して付き合いたくないなら、悲しいけど仕方ない。でも関係ない周りを巻き込まれたらとても困る。だからやめてほしい」と伝えること。
これができたら、私的にはまあまあ、きちんとゴールまでこれたのかなと思います。
私の解釈としてはマインドフルネスだけではここまでは難しくて、この行動まで持っていくために必要なのが、スキーマ療法ではないかと考えました。
続く!