四月某日。
つい先日、父が亡くなった。
2年半続いた肺がんの闘病生活が、ついに終わりを迎えてしまった。
まだ時間が経ってないからか、毎日、夕方になると
寂しい気持ちでいっぱいになる。
父の最期は
自宅療養のなか、気道にまで広がった腫瘍と、肺炎のため、呼吸困難に陥り、
在宅治療のかかりつけ医の判断による、終末期鎮静という手段がとられた。
終末期鎮静は、鎮静剤を断続的に投与し、眠ることで痛みや苦しみを取り除く。
ただ、それは徐々に呼吸抑制がかかってくる。最期は心臓が停止する。死に向かう手段。
鎮静の間は飲む食べるは一切しない。
というか、すでにできない状態故に鎮静が選択される一面もある。
けれど父に意識がないわけではない。
当日朝もまだ会話もできた。
終末期鎮静には本人、家族の理解と承諾が要る。
他界する前日朝、眠る薬を使うこと、使うと痛みや苦しみはなくなるが継続とともに呼吸抑制がかかり死に至ることを、医師は告げたが
父は黙っていた。クビも動かさなかった。
拒否はせず。そして、単発で少量を入れることに承諾。
1時間後に目を覚まし、
「まだ生きてるで」と呟いた。
けれど、夜になって鎮静が切れたのか見ているのも耐え難いような苦痛が続き、翌朝早く、「しんどい…もうええ…」を最後に継続的な鎮静剤スタート。
私はその場にはいず、かけつけた時には、すでに意識もあるようなないような状態で、
お父さん!
話しかけると目は開くが、焦点はこちらを見ているものではない。
手を握る。どんだけ苦しかったろう、怖かっただろうと涙が出る。
調べたら鎮静開始から息をひきとるまでは何日かはかかるとあったから、まだ数日はと思っていたが、
その日の夜、呼吸が浅くなり、心臓が止まった。
継続的な鎮静からしばらくして、胸と気管のゼイゼイはなくなっていたが、口は開けたままだった。
お父さんお疲れさま。
お疲れさま。
人の死を初めて目の当たりにした。
まだ若かった。
総合病院に入院中に腫瘍内科の主治医から、余命1カ月と聞いてから、2カ月と数日が過ぎていた。
父には余命を伝えてなかった。
母も妹も私も。
誰も父の気持ちを考えると
そして絶望してしまうだろう父を見る苦しみを背負う勇気もなく、伝えられなかった。
父は、辛い冬が過ぎて春を迎えることができたから、秋くらいまでは、持つと思ってたみたいだった。
母も私も、もう数週間くらいは、酸素量を増やしたり、オプソを増やしたりしてだましだましでも、時間があると予想していた。
なくなる9日前の主治医の外来でも、かかりつけ医師からも、いつその時がくるかは分からないとは言われていた。
明日かもしれないと。
悔やんでも
もう父はいない。
何を悔やんでるのか。
それも全て後から感じる、ああすれば、こうすればで、仕方ないことで、ただ、
父の最期の意識はいつまであったのか、
最期にどんなこと考えてたのか、
苦しい、しんどい、じゃなかったらいいのに、
前から言っていたみたいに、人生やり尽くして悔いはない、と
思いながらだったらどんなにかいいのに。
でも、私にはなんとなく、父の最期は、
走馬灯を見るなんて、よく聞く死に際なんかじゃなく、
明日もまた朝がきたら起きる当たり前の日常に続いているような、
そんな最期だったんじゃないかと思う。
だから、あれからずっと、昨日も、今日も、父が起きてこないことが、悲しい。
いないことが不思議でならない。