昨日、ジブリの米林宏昌監督作品 「思い出のマーニー」が、金曜ロードショーにて初放映やってました。
見ました!
期待してなかったんですよね。最近のよく分からないジブリ後継者の育成作品。
で、結論から言うと、めっちゃくちゃよかったす。
やっぱり私、アラフォーだけど、中2だなあー。耽美で暗いの好きだなー!
確かに、持病があったり、家族とナイーブな関係だったり、ファンタジックなシュッとした少女が出てきたり、アリエッティに共通する部分は多くありました。
でも私は、94年の「耳をすませば」に近いテーマを感じました。
耳をすませばよりも、絵画的で物語的で詩的で美しい世界が、マーニーにはありました。
米林さん、ええやん!
基本、きれいな世界が好きです。中2の少女は、きれいな世界が、そのまま好きでいれるかどうかの選択を、ひっそりと迫られるんで、きれいな世界が好きなままの少女は、地下活動へと足を踏み入れます。なんのこっちゃ。
自分が世界の外側にいる感覚を感じている、もしくは感じたときがある人には、おそらく、自分の代弁者が杏奈という存在であり、この作品なんではと思いますね。
世界の外側にいると感じている全国の少女に、何かを届けるチカラを持ってます。
べた褒めやなあ。
世界が、広がれば広がるほど、ひとりぼっち。
オトナになっても、家族ができても蘇る感覚。
最後にプリシラアーンの主題歌がトドメです。
だって、私も夜、1人、月を眺めながら、自分の小ささにやるせなくなってましたから。未だやってますからね。
誰か私を、ここにいる私を、見つけてくれる?
私はここにいる。
私はここにいる。
誰が私を必要としてくれる?
…いや涙出ます…。
いい作品に会うと、物語ってすごいなあ、と思います。誰かが創造したカタチのないものが与える感情の揺さぶり。
人生に必要なのは、酒とストーリーだな。
でね。大事なのは、どうにかこうにか自分を好きになっていくことなんです。
いや正直、誰も別に私なんか必要としてないすよ。子供たちに多分母親は必要だけど、それがために家族を求めたのだけど、それは、向こうからやってきたんでなく、自分が作った世界です。私を必要としてくれる他者がいる世界。
それはそれで、なかなか一筋縄ではいかないんですが。子供たちもいつか私が必要ではなくなるときが必ずきますから。
基本、世界は私なんか必要じゃない。そこんとこから、はじめるしかない。
外側から踏み出すしかない。
内側へ、ではなく。自分の世界へ、です。
弱さや醜さや不条理や孤独を抱えながら、踏み出すしかないんですよね。
もがくしかないんですよ。
もがいて、もがいて、なんとか小さな裏路地でもいいから、地に足つけて自分が歩める道を、草を踏みつけてつくるしかない。
だから、私は、思うんです。
外側の少年少女たちが、
あんたがいて、よかった。
って言ってくれる誰かと出会えますように。
感じられる何かと出会えますように。
オトナが、きちんと、
あんたがいて、よかった。
と伝えるくらいの
豊かさがまだ世の中にありますように。
別に親じゃなくてもいいんです。
近所のじいさんばあさん、通りすがりのおばちゃんでいいんです。
あんた、ステキやで。
私が今、いっとこう。
外側の少年少女に。