子育て 仕事 両立 ワーママ アラフォー 映画 本 読書 感想 フリーランス 起業 正社員 40代 生き方 プライムビデオ 

子育てと正社員の両立にぎりぎりな40代の母(映画・読書・日々のこと)

子育てしながら正社員として仕事しています。40代の母のブログです。コピーライター、読書、映画、プライムビデオ。育児の悩みや仕事の悩み、広告、マーケティング、家族のこと、ふと思うことを綴ります。

特にこだわりがあるワケでもない、ファッションへのぬるい想い

ひとつの目標があります。

パリでも通用するマダムになる。マダムつったら、ミラノだけど、やっぱりカジュアルが好きですので。カジュアルつっても、アメカジとか、ベレー帽かぶったりオーバーオール着たりではなくて、ほんま白いシャツにスキニーデニム、足元はパンプスでアクセサリーは小ぶりのダイヤモンドのネックレスだけ的なのが私のイメージするところです。オトナなフレンチが一番しっくりくるちゅーか。

パリジェンヌってそんな金かけてワードローブ揃えないらしいですね。ベストセラーの受け売りだけど。その上、読んでない。


ただ、アラフォーとして、パリ歩いててもおかしくない人になりたい。服がね。あとそれをビービーエーなりにこなれ着こなす体型。


そんな話をしつつ、実はフレンチカジュアルって何だと言われたら、知らないなあと。あくまで映画や雑誌のイメージですので。

しかもパリに行ったこともなければ、この先一生行かないだろう予感もします。金持ちなら行くけど、な。


参考になるブロガーさんのコーデをほぼ毎日見倒し、ゾゾタウンのコーデをチェックし、美容院で雑誌見たり、たまに買いつつ。


楽しい時間です。ほぼ1日の癒しの時間と言っても過言でもないくらい。


あーあっしはファッションが好きなんだなあ、と。


で、そこからの、5キロ痩せる。という目標が、今あります。

服をかっこいく着たいのに、土台がダメだとどんだけ着るもの頑張っても、ビービーエーぽくなるんだよねえ。体型もだし、頬のたるみと二重顎が、輪郭をおかしくしてブサイク。

 あと、食生活見直して肌を整えねば。疲れも取れるように睡眠も大事。

という、カタチから入って器の中身を磨く必要に気づきました。


アラフォーでかわうそ君体型の私は、オトナのカジュアルというものの、これだ!がまだ分かりません。いつか会得出来ますように


ちなみに今は、ベージュのロングトレンチ、ボーダーTシャツ、ガウチョまではいかないワイドめなクロップドパンツ、が着やすくて好き。


お気に入りアイテムは、

イカットのコンバース

白いGショックの腕時計、

ファビオルスコーニのパンプス、

です。みんなユニクロ好きだし、私ももちろんいくつか持ってるけど、かわうそ君体型には、実はああいう万人向けの定番服って、着こなしが難しい気がします。


ルメールとか絶対買わないと思う。買ってみたら良かったりするかもだけど、サイズ展開はあっても、デブはデブに見える胸騒ぎがあります。










人気者と不人気者


あなたは人気者?と聞く方もどうかしているけれども、私って人気者です!と答える人もまた、めんどくさそうな雰囲気ですよね。

とはいえ、誰しもが心の中では多くの他者から、支持を得たいと思っているのが定石!

でも、実際には、人気者にはなれない。
そもそも人気があるかないか分からない。
人気ってどこから、どのくらいの支持を得れば、人並み以上なのか?

まあとにかく、人気者になりたいのは分かるけど、不人気者の魅力というのは語られることがそんなにないかな、と思います。

そこで不人気者の奥深い魅力をあぶり出すことで、今の自分の自己評価や見方を少し変えてみるのもありかな?てなことで、考えてみました。

◎不人気者ってステキだよ!その1
「注目をあびないからこそできる好き勝手」
人気者は、まずその言動が、多くの人たちから熱いまなざしをあびがちです。支持される結果であり、むしろそれこそ人気者たる所以ですが、過度の注目は、過多で持続的な緊張感と、期待に応えねばという使命感を生み出す可能性が高くもあります。それらは、日々の積み重ねのなかで、人気者から自由な言動を奪い、逆に抑圧となることもあるでしょう。
しかし、不人気者の場合は、誰からも注目されず、気に止められないわけで、緊張感も使命感もありません。言動は自由だし、もともと人気がないわけだから、言動によってますます不人気となるとしても、失うものもなく、たいしたリスクとはなりません。

不人気の魅力2
「友達が少ない」
不人気ですからね。もちろん、わいわい周りに友達がいつもいる、とか、友達同士の付き合いやコミュニティがたくさんある、とかな感じはないわけです。
でも
沢山友達がいる=人気
そもそもその方程式は正しいでしょうか。友達の線引きも、いろいろです。

同じコミュニティに入っているから
一緒に遊んだり、飲んだりするから
よく話すから

それをする他者を友達と呼ぶ人もいれば、
 
気が会うから
付き合いが長いから
苦労をともにしたから
なんでも気兼ねなく話せるから
お互いを尊敬できるから
といった相手を友達と呼ぶ人もいます。

自分の周りの他者の数で考えてみると、前者の方が、後者よりも圧倒的に、数は多くないですか?
前者が多く、後者が少ない。そんな人気者もいるかもしれません。
今一度、友達の何が好きか、なぜ付き合うのか、考えて、それから、友達の定義と数を決めてみるのもいいでしょう。

人気者のように、たくさんの遊び友達はいなくても、数は少なくても…なんならたった一人でもいいから、自分を出せる他者を得ている不人気者の方が、私は心の安定や充実した時間をより多くもてるのではないかな、と思います。

私の場合は、40過ぎて、無理して他者に合わせる、というのがとてもおっくうになりました。いや、そもそも昔からそれができなくて、今もたまに悩んだりしてしまいます。
ただ、どうしたって、心から楽しくないのに、他者の和に入るため、あるいはコミュニティを失いたくないがために興味ないものに手を出すみたいな時間つぶしは、人生折り返しになった中年には、ようやらんです。イヤだ、とかでなく、面倒なんですね。ただ、ただ。不人気な所以だなあ〜







外側からの景色

昨日、ジブリ米林宏昌監督作品 「思い出のマーニー」が、金曜ロードショーにて初放映やってました。

思い出のマーニー [DVD]

見ました!
期待してなかったんですよね。最近のよく分からないジブリ後継者の育成作品。
 
で、結論から言うと、めっちゃくちゃよかったす。
 
やっぱり私、アラフォーだけど、中2だなあー。耽美で暗いの好きだなー!
 
 
確かに、持病があったり、家族とナイーブな関係だったり、ファンタジックなシュッとした少女が出てきたり、アリエッティに共通する部分は多くありました。
 
でも私は、94年の「耳をすませば」に近いテーマを感じました。
耳をすませばよりも、絵画的で物語的で詩的で美しい世界が、マーニーにはありました。
 
米林さん、ええやん!
 
基本、きれいな世界が好きです。中2の少女は、きれいな世界が、そのまま好きでいれるかどうかの選択を、ひっそりと迫られるんで、きれいな世界が好きなままの少女は、地下活動へと足を踏み入れます。なんのこっちゃ。
 
自分が世界の外側にいる感覚を感じている、もしくは感じたときがある人には、おそらく、自分の代弁者が杏奈という存在であり、この作品なんではと思いますね。
 
世界の外側にいると感じている全国の少女に、何かを届けるチカラを持ってます。
 
べた褒めやなあ。
 
世界が、広がれば広がるほど、ひとりぼっち。
 
オトナになっても、家族ができても蘇る感覚。
 
最後にプリシラアーンの主題歌がトドメです。
 
だって、私も夜、1人、月を眺めながら、自分の小ささにやるせなくなってましたから。未だやってますからね。
 
誰か私を、ここにいる私を、見つけてくれる?
私はここにいる。
私はここにいる。
 
誰が私を必要としてくれる?
 
…いや涙出ます…。
 
いい作品に会うと、物語ってすごいなあ、と思います。誰かが創造したカタチのないものが与える感情の揺さぶり。
 
人生に必要なのは、酒とストーリーだな。
 
でね。大事なのは、どうにかこうにか自分を好きになっていくことなんです。
 
いや正直、誰も別に私なんか必要としてないすよ。子供たちに多分母親は必要だけど、それがために家族を求めたのだけど、それは、向こうからやってきたんでなく、自分が作った世界です。私を必要としてくれる他者がいる世界。
 
それはそれで、なかなか一筋縄ではいかないんですが。子供たちもいつか私が必要ではなくなるときが必ずきますから。
 
基本、世界は私なんか必要じゃない。そこんとこから、はじめるしかない。
外側から踏み出すしかない。
内側へ、ではなく。自分の世界へ、です。
弱さや醜さや不条理や孤独を抱えながら、踏み出すしかないんですよね。
もがくしかないんですよ。
 
もがいて、もがいて、なんとか小さな裏路地でもいいから、地に足つけて自分が歩める道を、草を踏みつけてつくるしかない。
 
だから、私は、思うんです。
外側の少年少女たちが、
あんたがいて、よかった。
って言ってくれる誰かと出会えますように。
感じられる何かと出会えますように。
 
オトナが、きちんと、
あんたがいて、よかった。
と伝えるくらいの
豊かさがまだ世の中にありますように。
別に親じゃなくてもいいんです。
近所のじいさんばあさん、通りすがりのおばちゃんでいいんです。
 
あんた、ステキやで。
 
私が今、いっとこう。
外側の少年少女に。
 
 
 
 

マツコデラックス=私のテレビ

好きなテレビ〜。

 

マツコデラックスの出ている番組。

マツコの知らない世界月曜から夜ふかしマツコとマツコ怒り新党はなんかたまたまかあんまり面白い回じゃなかったからか?見てないです。
マツコとマツコ、終わったから寂しいです!マツコロイドの相談室や触れ合い、マツコロイドの開発者、阪大の石黒教授の得体の知れなさとか内容もさることながら、私オープニングがかっこよくて大好きでした。あれ作ってるヒト、きっと有名。でも知らない。確かにマツコはキャラが極端に立っているからアニメ化に向いてます。でもあのオープニングアニメーションの世界観に映し出されたマツコ像は今までありそうでなかった、何というか、色気とインテリジェンスが混在しているんですよ。
 
一番好きなのは、マツコの知らない世界で、ユニークな素人と絡むマツコは、気遣いと毒舌が絶妙で、やっぱりインテリジェンスで、オシャレで、一番好きです。この番組のスタイリストさん、いいわあ(^o^)/
かつてナンシー関さんというすごい人を失い、マツコ来たー!って思ったけど、マツコは、ナンシー関よりよっぽど、テレビ向きな、さじ加減をバツグンに飲み込んでるヒトである。
 
どちらが、とは言えない。テレビ向きかそうでないかの違いはあれど、どちらも無二の逸材であることには間違いありません。
ナンシー関は戸籍もメンタルも女性、マツコはゲイで女装している、という点で、マツコにはジェンダーの問題が常にまといつく訳ですが、どちらも性差を超えているところで魅力を感じられる部類に入るヒトたちだと思うので、よくも悪くも性差問題は関係ないと私は判断しています。アラフォーの先輩なあたりはやっぱりマツコに親近感わくかなー。
ただ、あまりにテレビ向きでテレビ出過ぎなのがマツコの心配な点。5時に夢中!でめっちゃ貧乏ゆすりしてました。なんか、しんぱーい……(ほっとけ、て感じですが。)
 

朝イチ。

有働さんがまず大好きです。いのっちも、マツコ的要素のあるテレビ向きなヒト。誰も傷つけないしゃべりができる逸材です。
また、柳沢さんが、すごくいいスパイスになってる。柳沢さんは、父親だったら、絶対娘(私)にうざがられてます。でも娘はお父さんをほんとは尊敬してて、目標にしてたり。テレビみながら、またアホなことゆーて、って悪態をつきつつ。
つまり、朝イチは、主婦をターゲットに、きわどいテーマ(うつや不倫や政治まで)を扱い話題になりながらも、番組の器を作る主軸メンバーが、とても温和でオトナで、茶目っ気あって、そのハーモニーにより、地に足がついたバランスを創出しているクオリティが高い点が魅力です。毎日やるだけに、見てる側にはすごい信頼感あり。で、何と言っても有働由美子アナウンサーですよ。彼女がNHKの好感度と信頼度を一気に格上げしてます。私の中で。なりたい。あこがれ。いつまでも有働由美子さんを追いかけます!
 

サラメシ!

またNHKですが、最初に友達にすすめられて見たらなんかもう、会社にお弁当作って持っていきたい病になり(これまで外食派だった)、ここ3週間くらいお弁当ランチになってます。すぐ影響受けます。
まだそんなに見だして日が浅いけど、よかったのは、羽田空港のランチ。気象台、社食、飛行機の誘導係りの女の子、みんなよかったー。
 

名探偵コナン

私が大学生の頃にアニメスタート。当時はまあフツーに子供番組として興味なく、ただ、結婚して仕事から家に早く帰るようになってから見るようになりました。その頃は、確か月曜7時くらいからだったかな?正直コナンちゃんが見れるくらい早く帰宅する喜びが付いてたからかな。でもそこから投資が始まり、原作漫画をコンプリートしました。古本屋だけど。3年前くらいに漫画買いはストップしたので今はコンプリートじゃないです。ただ、昨年、鳥取旅行の際に青山剛昌ふるさと館に行けたことは、めっちゃ嬉しかったです!
魅力ねえ。私はほんとに推理力がないから、だいたいの事件で犯人が分からなくて、へー、この人が犯人かあ、となる面白さかな。あと、蘭ちゃんと新一のラブコメ黒の組織の絡み。そのまんまやな。まあもう飽きてもいるんだけど、もはや視聴をやめる意味も逆にないみたいな。
 
NHKグレーテルのかまどやバリバラ、ドラマも好きなのでいろいろありますが、きりがないので今日はこのへんでー。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

コンサバな主婦がアグレッシブに生まれ変わる魔法

明日は娘の運動会。 お弁当の仕込みはしたし、あとは早起きして、残りをやっつければ、万事オッケー!

…早く寝ないと。 なのに寝ない。

最近、やりたいこと、というか、考えたりやってみたりしてワクワクすることを、ひとつしました。 それで、あ、私、なんもやってなかったなあーって、しみじみ思いました。

この、今自分は子供たちの母だから、結婚して家庭を支える主婦だから、やりたいことできないに決まってるじゃん病は、なんなんか。

いや、価値あることなんすよ。誰かのために頑張ることは。ただ、正直、これでいいのか?と考えてしまう時があるんです。

価値あることだと理屈では分かってるし、子供たちと一緒に笑うだけで、あたたかい気持ちになってとっても癒されるんだけども、癒されるのは、逆に日々が疲れているから、というかやるべきことが沢山あるのを、ひーひーこなしてる感じだから、もうありがたいな、でっかいモチベーションだよな、それなかったら、絶対やらねーよな、な感じなんですね。私をお母さんゆーて愛してくれて。

…子供が私を愛してくれる、だから頑張るという、有償の母の愛。

で、そんなマイライフが辛いか、と言われると、そうでもなくて。私はやるべきことがあることに、安心してしまってます。40過ぎて、やることない人、なかなかいないでしょうけど、要は、コンサバなんだろな… コンサバの良し悪しはわかんないけど、まあ実際、20代の時よりずっとコンサバなんだと思う。

やるべき習慣の中に基本、身を委ねてる。それこそが、私の暮らしがコンサバな理由です。思考を停止させると、ある意味平和ですよ…。ありがたいことに。

でも。私の中の何かが、いや、コンサバも、危険があるよ、と言います。 それは何か?わかんないけど、与えられた社会的な役割に乗っかることに、人生の意味があると安心して、ほんまにええのんか?と思ってしまう瞬間。

1人でも笑えるし、自分だけでも楽しいし、ワクワクすることをちょっぴり今の生活に加えたら、めっちゃくちゃ楽しくなりそうじゃないですか?

ということで、川柳やら音楽鑑賞やらを始めました。

川柳かい…… 昼顔ちゃうんかい。 なんとか活動ちゃうんかい。 自分探しの旅でもないんかい。

…ちゃうんです。 そーゆーんではないんですね。 根が高等遊民なんでしょうね。我の世界に浸れたら、いいんです!

趣味に没頭したい! 1人ほくそ笑み満足したい!

……。 もしかしてフツーの主婦のやってること?

ただ、あれですよ。若干オタクというか、下衆というか、卑しいというか、根が非社交なんでしょうね。あーだこーだ言われたくないけど、自分はうんちく語りたいみたいなね。

ま、そんな感じで、しょうもないことをちょっぴりずつ、してみて、人生をもう少しアグレッシブに生きてみようかな。

そんな1人前夜祭でした。 おやすむなさい。

日本は世界とどう向き合うか…コトバにはチカラがある。

今回の安保法案の参院可決、ニュースアプリでいろいろ見てたら、メディアによる論調の違いがすごく顕著で、なんかおかしかった。

あー、そっか、視点変えたら、そう来るか、みたいなのがいっぱいあって、 産経と朝日、東京新聞とかだけじゃなくて。 ただ、アプリ自身のセグメントがよく分からないけど、反対の方が多い気はしました。

可決しちゃったし、私も不安ですもん。子供の将来とか。 ネットは匿名を盾にバッシングオリンピックだから、あんまり政治の話はしたくないけど、個人的には、今回の安保のことをきっかけに、これからの先行きは分からないけど、日本が世界とどう向き合うべきか、考えていきたいなあ、と感じました。

とはいえ政治には無知な私に小難しい話はわからないので、政治、政策というのではなく、社会全体の空気というか、目指すベクトルというか、大きな流れとして、世界との対峙の仕方を模索できればなあと。その転換期になればな、と。そんなことをテレビのニュース見ながら考えてました。

私が考えた模索は、安保云々じゃないです。日本を守りたいし、国際的ないざこざが増えていくのも分かるし、心配だから、対抗できる力を持ちたいと思うのも理解できる。だからこそ日本を守る手段として、武力ではなく、別の部分から迫ってみてもいいんじゃないのか。つまり、武力以外の解決の可能性を考えてみたいんです。

結論から言うと、話し合いとか取り引き、駆け引き手腕とか、いわば、ペンは剣よりも強しとも言われるコトバのチカラで解決できないかと。

日本に必要なのは、コトバで戦うスキルとスキルを備えた人材の育成なんじゃないか。

いや、そんな単純な話でもないし、いろいろ専門的見地から、多角的な視点で語られるべきだし、その上で安保法案でもめてることは百も承知なんです。

まあそれはそれとしてですよ。日本に暮らして思うのは、てか日本でしか暮らしたことないっすけど、日本と欧米諸国はじめ他国の違いは何かと考えるときに、よく言われるのが、和を重んじる文化、風習があるということだと思います。 自己主張し過ぎず、えばらず、自慢せず、奥ゆかしさとか、こっそり努力するとかを美しいこと、美徳とする文化がある。利己より利他。自分一番はワガママで、他人を思いやることが一番大事。周りとの協調があってこそ、社会は成り立っている。

はっきりと家庭や学校で教わる訳ではないけれど、小さい頃からその空気の中で生きて暮らし、どこか染み付いている。 それが日本の文化。

和を重んじる文化は私は美しいと思います。特に、日本の暮らしやすさは、この和の精神があるからこそ、他国にはない魅力じゃないですか。日本が世界に誇れることだと思います。電車は時間通りだし、お店の人は親切だし。ほんま、「おもてなし」に関しては、一部のではなく、全体にレベルが高くて、たとえば、高級レストランだけじゃなくて、フツーの居酒屋とかスーパーにも高いサービスクオリティーがある。世界の他の国々は絶対勝てないことだと私は思います。 めっちゃ好きです。そんな日本。

一方、自己主張してなんぼなのが、世界の列強の国々です。特に大陸の人々。国と国、民族と民族、異教徒同士が隣り合わせに暮らし、血で血を洗う戦争ばりばりな歴史を持つヨーロッパ、アジア。生きるためには勝たねばならん、勝つためには自己を正とせねばならん。そしてそれを周りに認めさせないといけない。ずっとそんな歴史を辿ってきて、そら、自己主張が磨かれていきますよね。そもそも多種多様な人間がひしめくなかで、きちんと自己主張せねば、自分が何者か理解してもらわねば、盗人や曲者に間違われ亡き者にされる可能性だってあるわけです。

そんな列強の方々と日本に暮らす私なんかが、ひとたび議論なんかになった日には。怖い!ディベートやディスカッションなんかのコミュニケーションによる争いごとの中で、奥ゆかしさとか協調とか調和とか日本の美しい風習・文化なんか一蹴です。なんも言えねえ。で終わります。最後泣いて土下座かもしれません。

自己主張は悪とまではいかないけれど、歓迎されてるでもない日本で育ち暮らす人が、言ってなんぼ!曲がった事でも真っ直ぐやねん!と自己主張しなければ生き残れない歴史を歩んできた大陸の人と、討論とか話し合いをして、どうやって勝つねん?

討論や議論や話し合いで、日本の人が勝てる道はないのかな。美しい風習と文化を持つ日本だからこそ、独自の自己主張の方法を模索しないとあかんと思うんです。

大事なのは、議論には必ず勝たなければならないということです。議論で勝つ=思った通りの決議がとれる、相手に自分を力ずくではなく心から認めさせる。

だから、相手が納得していないのに無理に押し通したり、決議を強行するのは、勝ちじゃないといえます。何故なら、相手はきっと、恨みを持ったり仕返しを考えるから。マイナスに転じると分かって押し通すのはルース。

その観点から考えたとき、実は、議論や討論で不利に見える日本の美しい風習文化の中に、解決のカギがあるんじゃないでしょうか。

議論で本当の意味で勝つために必要なことって、

誰にでも伝わりやすいコトバで話す

ロジカルな説明力

感情的にならずにいられる

相手のことを知り理解する

相手が本当に納得するまで誠意を尽くす

などが必要だと思いますが、これって、日本の美しい風習文化の精神に似てません?

利己より利他で、和を大切にするその根源は、他者への愛みたいなもんですよね。それは他者を理解したいという意思の表明です。

だから、本質的には、日本人は、議論が下手じゃない、むしろ、かなりハイレベルな国民じゃないかな。

ただ、問題なのは、多くを語らずとも伝わり合える同じような人々だけで長い間暮らしてきてしまったこと。日本は、他者に多くを語る必要のない平和な時代がずっとあったちゅーことですよ。 それはそれで、良かったな、と思います。 が、その良し悪しは別として、語らずとも伝わるなんて、国際社会では通用しないことは、もう大体みんな分かってはいるんだと思います。

語らないと絶対伝わらないくらい、むしろ、語っても語っても伝わらないくらい、なんもかもが違う人々の中に混じって語る。 それがこれからの日本が、取り組むべき道なんじゃないのかしら。

まずは、語る。語ろうよ。自分のことを。自分の国のことを。他者を理解するための聞くチカラはあるんだから。

議論の場の公私や規模はいろいろでも、まずは「私たち日本国民は、こんなことを大事にしていて、こんな風に考えていて、こんなことに価値を感じるんです」と。

あなたの国や民族とは違う部分もあるだろう。その違いはぜひ知っておきたい。でも、同じ部分もあるかも知れない。 嬉しいこと、悲しいこと、感じる心は同じかも知れない。

職場に部署は違うけど、ヨーロッパから来た仲間がいるんですが、いつも明るい彼だけど、南アメリカから新しい仲間が来たとき、心の友を得たジャイアンみたいにめっちゃ喜んでました。彼は日本が大好きだし、みんなから愛されてるし、楽しいこともあるやろけど、異国で暮らす大変さもあるんやろなあと、そんな当たり前なことに、そのとき気づきました。

国際社会のパワーバランスという波に乗るのは、法案じゃなく、日本が語りかけることでしか、本来的には叶わないんじゃないかなと感じます。

ちゃんと話しもせず、粘り強く説得もせず、他国と同じ条件に近づければ、他国は私たちを理解してくれるんでしょうか。認めてくれるんでしょうか。やるなあ、と一目置いてくれるんでしょうか。いいように利用したれなんて露とも思われず対等の信頼を獲得できるんでしょうか。

電流流す柵よりも、収穫を祝うパーティの方が、抑止力になりません?相手は畑を荒らす動物じゃないんだから。キーキーわめく子ねずみでもないんだから。

子供たちには、議論に勝つチカラをみがいてほしい。日本の美しい風習文化を身につけながら、そこにコミュニケーション力の自負が備われば、ものすごい国になる!国はそんな人材育成に注力してほしい。

言葉でたたかう技術

仕事は慎重に 批判も慎重に

なんだかなあ。

エンブレムの取り下げ騒動。


そんな騒がんと、さっさと違う提案したらいいだけやん、と思ってしまう。


大層なことやなあ、と。


あと、盗作とか模倣とかとは違うと私は思う。


ネット社会になって思うひとつに、引用の多さ。

文字の引用も許可がいったり、いらなかったり、線引きが曖昧になってきてる。

デザインも、それ自体は多分、オリジナル。ただ、モチーフをそのまま無断で流用しちゃった、ていう。


アンディウォーホルの作品はなんやねん、ともう一度考えて、答えが出なかった。ただ、慎重に、敬意を持ってモチーフを扱わないといけないとは思う。

でも紙媒体とは常識が変わってきたネット社会に感覚が埋没したんかな、ていう。


もしかしたら、自分もしてしまうかもしれないよ。プロやからダメでシロートだから許されるというのもなんか違う。要はモチーフ元とか引用元への礼儀というか、敬意というか。それをうっかり軽視した未熟さ。なだけ、ていうと語弊があるかもしれないけど、あんた(キャスター)がそんな怒ることなん?あんたに迷惑かけた?って見ててむしろ、佐野さん大丈夫かなと考えてしまいます。


全然好きでもないのに。

同じ方向にすぐ流れ、吊るし上げる対象の生活とか家族とか想像しないマスメディアの方がよっぽど思考停止やん?それは許すんや、吊るしあげへんのか。ふーん。


まあ、昼間にテレビをつけた私があかんのかな。昼間にテレビ、やっぱりがっかりして終わるなあ。


nothing's gonna change my love foryou

ジョージベンソン。1984年の曲です。 超有名だから、聴いたら、はあはあ、これか、と思うはず。

https://m.youtube.com/watch?v=Tr97MQiqW38

GEORGE BENSON 5CD ORIGINAL ALBUM SERIES BOX SET

AORの特徴として、音にはこだわるけど、歌詞ってなんかいつも、愛してる愛してない系のどってことないものが多い気がします。悪くいえば陳腐。英語だから、全然気にならないけど。意味分かって聴いてねーしな。

でも、夜中に暗闇で延々AOR聞いてたら、すごく浸れます。私だけ?

今ふと、前に知り合いと何気ない会話で、自分の好きな音楽を人に教えるって恥ずかしいよね、と言うことで、意見が一致したのを思い出しました。

人に教えるとなった途端、私は多分、「わたし、AORが好き!」なんて言わないでしょう。なんか差し障りのない大物とか無難な洋楽を言うんですよ。つーかそれすら思いつかない。テイラースウィフトとか?

そう考えると、好きな音楽を堂々とFacebookなどでカミングアウトできる人が、めっちゃ羨ましいです。匿名だからできることを、実名でできるなんて、肝のすわりが完ぺきだな。

ノミの心臓の私にはできないことです。

でも本当はAOR好きだ!って言いたい。何故か?仲間が欲しいから!まあ、別に一緒に聴いて、感想を言い合うとかはしませんが。

幸いにもリアルな友達にAOR好きな奇特な人物がいるので、CD交換とかしてるんですけどね。してるんかい?輪があるんかい?

1人だけど。

それでも、

AORが好き。

てなかなか言えない理由のひとつに、AORが実はあまりにポピュラーだからなのもあります。CMとかバラエティー番組の挿入とかでやたら聴きます。バラエティー番組はそんなないか。過去に巷にあふれかえり過ぎたんだと思います。だから、知る人ぞ知る感はまったくないし、楽曲が商業的だと評価されがちなんですね。

ただ、私は、それが商業目的に見るからに染まっているように見えるとしても、質自体にはなんら劣る部分がないこと(多分)、むしろ今の音楽の土台を築く素晴らしいアイデアが70〜80年代当時にしてすでにたくさん詰まってること(多分)、さらに前にも書いたけれど、私自身がAOR全盛期に子供だったので、リアルタイムで聴いてなかったこと、などなどから、AORが流行遅れ…コマーシャリズム…というイメージの洗脳がほぼなく、むしろ新鮮な音楽として受け入れられたんですね。うーん、ほんまなんでも時代とかタイミングとか、あるよなあ。

AORは、私が子供だった昔から、21世紀もだいぶ過ぎた未だあふれかえっているので、もちろん聴いたことはあるんですよ。でもまったく心に残ってないというか、印象になかったんです。

そっかこの曲、AORなんや。

今の私にはすごーく心地よくて、丁度よい具合やなあ。

40過ぎて。まわりまわってたどり着いたのがAOR

50は何に出会うかな?演歌とか?

で、人に言えないんじゃん? その素晴らしさを声を大にして言えないって、じゃあ今上に書いたことはなんやねん? どないやねん。

けど、やっぱり、好きな音楽は人に言えないんです。ごめんなさい。 こっそり、1人、聴かせていただきます。。

追記 あと、音楽通の人のサイトはめっちゃ発見あるし楽しいし好きだけど、音楽通の人から自分の音楽をバカにされたらやだなぁ…てのもあるかも。なんせ、ネットみてたら、プロじゃあないのに玄人はだしの人ばっかりだもの。

上司が腹立つ〜〜!ときの気持ち対処方法

誰かからの理不尽、特に上司や上の立場の人が、腹立つ〜!て思うのは、自分が正しくて相手が間違っていると考えているからかもしれない。
相手に理想を求めすぎなのかもしれない。

そもそも、本当のそのヒトのことをどれだけ知ってるだろう。ただ単に今まで平和友好的にいれたのは、利害が一致していてぶつからずに済んだからか、それ以前に利害関係の土俵に上がってなかったか。たまたまお互い害を与えう存在ではなかった。それだけのことなのかもしれない。

自分のことを理解してくれてるなんて、都合のいい解釈=うぬぼれ なんでしょうかね。

中島義道さんはそんなことを語るから、いやまさになるほどそうだな!と膝を打ちました。



ただ、義道おじさんが言うみたいに、悪い奴に出し抜かれないくらい自分も強くなる、て具体的にはどうしたらいいのでしょうか。本日は、ちょっぴりそんなことを考えてみます。

悪い奴に出し抜かれないために、むしろこっちが、出し抜いたれ!と気張って過ごすのは、私は正直できないです。それは、他人を出し抜く悪どさが嫌だからとか、間違っているからだとか、そんな理由ではないのです。
要は…しんどいから。気張って生きるの嫌だから。体質が体育会系じゃないから。低空飛行していたいから。

ダラダラやっていきたいんです。

それに相手を出し抜けれたときに、やったった感あるかな?と考えたときに、そんな気もしません。むしろ自分が嫌になりそう。
一体、人間の強さとはなんなのか。
少々のことで動じない鈍さのことか?
辛いことがあってもなにくそと踏ん張る粘り強さか?

義道おじさんという哲学者を振り返ってみましょう。

中島義道さんは、数々の著書を出す人気哲学者ですが、本を読めばわかりますが、かなりひねくれたおじさんです。

人が好きじゃないし、好かれたくもない。
構いたくないし、構われたくない。
いつも笑顔な人が嫌いだし、自分を好きだという人も嫌い(笑)。取り付くシマなしなヒトで、ものすごく面白いんだけども、あんまり深みにハマると危険。

私の嫌いな10の人びと (新潮文庫)

私の嫌いな10の人びと (新潮文庫)



そもそも、1人でいい、と思っているならば、誰にどう思われようと、仲間がいなかろうと、実害を被らないーーー金を奪われるだとか、やりたいことを邪魔されるとか、家庭を崩壊されるとか、健康を奪われるとかーーー限り、1人で何が問題なの?ラクでいいじゃん。という感覚だから寂しいとか悲しいとかそんなんはもう通り越しているわけです。逆にいうと、人と関わってきたなかで、傷ついてきた結果なのかな、と思います。大体、1人でいい、って人は昔からそうじゃなく、ただ早い段階で、自分を護る手段として1人でいることを選んでるフシがあります。私の知る限り。

ただ、私はそこまで極端な考えはできないから、理解もできる、いい部分もある。という解釈をしています。
1人でもいっか!と思っている人も、他人への依存度は低いけれども少なからず誰かと関わって生きねばならぬし、どうしたってぶつかることもあるでしょう。

ただ、あいつはダメだとかバカだとか問題あるとか、逆に高い評価でさえも、周りの自分に対するあれこれを、シャットアウトする能力はすごく持っていらっしゃる、という点において、強さを感じるのです。

もうひとつの強さのパターンとしては、これも義道おじさんにも通じるんですが、というかこっちの方が一般的には理解されている気もしますが、誰かと上手くいかなかったり、理解を得れなかったりすることよりも、もっと気になる“なんか”がある、という人生にすること。うらやましい。夢中になれるものがある、これは無意識にやっている人もいるかもしれないけれど、意図的に意識的にやらないと挫折する場合もあります。受験とか、研究とか、仕事とか、趣味にしたって、なんでも人間関係から離れた部分で、やりたいかどうか、貫きたいかどうかを測るモノサシは、自分のなかで多分みんな持ってるんじゃないでしょうか?



それって強さ?
いや、強いと私は思います。敵を作らないのは最強ですが、敵を作らないのは現実というより夢想に近く、それよりは、敵とか味方とかどうでもよくする面白いことに打ち込む、そんな強さの方が現実的かな、と思います。

ただ問題は、敵の攻撃が実害が及ばない場合ばかりではないこと。ほっときゃ済む場合ばかりではなく、実際に、嫌な上司が自分のやりたいことの妨げになることです。

ただ、そこでも今一度、振り返ってみたいのです。

自分がやりたいこと、めざしている道、などなどを邪魔しているのは一体なんなのか?本当にそいつが邪魔しているのか。もしかしてそいつがハタでわめいていても、無視できるんじゃないのか?わめかれても、黙っていれば、やり過ごせないのか?それよりも、理解ないことを理由に言い訳してるだけじゃないのか?非協力的な空気にイラついているだけじゃないのか?今ある限りでなんとかする方法は本当にないのか?

冷静に見極める「賢さ」ですね。強さを身につけるには必ず、賢さ、つまり頭で1度考えてクールダウンする行程が必要なんじゃないかなと思います。身近な人に、こんなことあったけど、どう思う?と話してみるのもいいことです。

で今回私自身が、理不尽だな、と思うことがあったわけですが、自分を振り返って考えてみれば、別に私のやりたいことを妨害されたわけじゃないんすよ。全然関係ないことで注意を受けただけで。いやでも、だいぶムカつくです。その場で注意したら済むことを、幹部から注意あるから、と権力をかさに圧力をかけるような言い方にです。自分じゃないよ、幹部の意見だよ、的なズルさも感じました。
まあ、上司がそんなんを言う理由を考えたら日頃から言うこと聞かない私が疎ましいんやと思います。言うことをきかないメンバーは、マネジメントに不慣れな人には、だいぶうざいんやろな、と。しかも私は多分、幹部からもし本当に注意を受けたら、素直には謝らないんだろうな、と思います(笑)。自信あり‼︎むしろそいつの正体を暴きたい。だけど難しい。信頼はあっちにありますから。しかしうちの会社はパートを下にみるよな。まあ今までそうじゃなかった会社なんてなかったけど。

あれ。話がずれました。なんやかや理屈こねて、やっぱりだいぶ腹立ってるんやな、私…。
最初に書きましたが、私はその上司が好きだったんですよ。上司っていうか正社員とパートの違いはあるけどほぼ同僚で、めちゃ好きやったし、なんなら今もやっぱり嫌いじゃないんです。だから腹立つんかもしれません。

ただ、私が今仕事でやりたいことを、本当に今回の注意事件(笑)で妨げになったか、と言われたら、ムカつくための時間は奪われたもののそれ以外は妨げになってないんす。
上司や幹部から、私が一番一生懸命やってる業務改善のためのミッション仕事を取り上げられたわけじゃなく、むしろ注意を受けて、ミッションには関係ない、いらない業務を減らされました。
人を増やしたり、普通に今までやってきたルーティンワークを減らしてくれたり(それはむしろ増えてる…)、私の都合のいい環境には全然してくれないけれど、その辺は会社全体の経営状態や社風を鑑みれば、まあそんなもんかな、と。

いかに自分のルーティンワークの効率を上げて、限られたパートタイムのなかで、自分のやりたいミッションをさくさく進めていくか。

本当は、そこ。今の自分は、そこを一番考えるべきで、ムカついて時間を無駄にしてる場合じゃないのです。全く時間がとれずに遅々として進まない仕事をいかに進めるか。来週こそは仕上げたいなあ。うん。

だからですよ。腹立つことや理不尽は、もう生きている限りは避けられないことならば、自分のしたいことに向かっていける限りは、そこを妨害されない限りは、…まあ、理解しあえないことも多々あるけれども、言いたいことはいいつつ(ガマンするとストレスで太るから)、必然として一部から反感を買いつつ(笑)、受け入れることも必要なのではないでしょうか。

ヒトってそんなもんかな。自分もそうだしな。1人でもしゃーないな。

くらいで、問題をほったらかしておけば、いつかどうでもよくなるかもしれない。

それが強さだよ、とは言いません。ただ、武術などで、己れの弱さを知ることが、武道での第一歩みたいに言われるように(誰が言ってらっしゃるかはわかりませんが(;^_^A))、強さっていうのは、生まれ持った人の性質ではなく、高いスキルが必要なものでもなく、己れを振り返って足りない部分を補うために、日常で身につけることができるちょっとした知恵と工夫なのでは、と思うのです。いや、本当に頑強な、しなやかな力強さを身につけるには、私は高いコミュニケーションスキルは必要だと思います。欧米やアジア列強に行ってみて、義道おじさんや加藤恭子さんみたいに、そこで、ガチで自己主張勝負、生きる勝負、くらいの経験はいるでしょう。


言葉でたたかう技術

言葉でたたかう技術



なんてね(*^^*)あとは、義道おじさんの言うように、上司の悪口に花を咲かせられる仲間をみつけること。幸いなのか不幸なのか、私より上司の理不尽を感じているメンバーが他にいるので、ぜひ一緒に陰で罵詈雑言に花を咲かせたいなと思います。

疲れたあ〜〜!(;´Д`Aめちゃくちゃ眠いから寝まーす!



AOR プラス つながらない生き方

最近ちょっといいことがある日々です。

 

音楽を聞き出した。

ジャンルはAOR。ロックが疲れたんです。

向かうものがないからか、トシか、疲れてるのかわからないけど、今の自分にちょうどいいのが、このアダルトオリエンティッドロックでした。

てまだそんなに聴き込んでないですが。

時代でいえばAORは、70年代からちょうど80年代へ移るはざかい期。私は幼児から小学生に上がる時期なので、存在すら知りませんでした。聖子ちゃんや郁恵ちゃん、桜田淳子さん、西城秀樹さんなどをテレビで見ていた時代です。

同い年の友人が高校時代にはまってたらしいですが、その頃も私自身は全くスルーしてました。パーラメントのCMにボビーコールドウェルが使われていた時代すね。その頃の私は、パーラメントはスルーし、中学時代からさらにビートルズを幅広く聴き込んで、ほかは50〜60年代、オールディーズのコンピアルバムを集めてました。ニールセダカとか。

あと、これまた最近知ったけど、当時また別の友人の影響から崎谷健次郎さんを聞いてましたが、崎谷健次郎さんは、wikiではジャンルはAORと書かれてるんです。ってことで、全く無縁でもなかったんだなあ〜と、後に思うわけですが。

 

 

 

 

 

 

そんなAORほぼ初体験な先日、友人から、今や60超えたボビーコールドウェルが、ヅラっぽい。という話を聞いて…がくーん。

ヅラかい

 

いやヅラがあかんのではなく。

 

私には音楽があるから髪はいらん!とはならないんだね…と。

 

そうあって欲しかったな、と。

アーティストに、俗な部分を見せられたらやだなぁ、ていうアオいタマシイが、あるからでしょうか。

 

でも、今のところ、ボビは一番好きです。

風のシルエットの頃の初期のビジュアルはめちゃ好きです。初めて見たときのヅラ疑惑に負けない衝撃がまだあります。かっこええがな!ていう。

 

 

 

 

 

今日は、NHKの朝イチでやってた、つながらない生き方 が面白かったから書くつもりだったのに、ボビの話になってしまいました

よ。

 

そうそう、それもだけど、NHKの番組が最近面白いね、の話もあるな。

 

朝イチは前から好きだけど、バリバラとか。ドキュメント系とか。

 

え、どれ書く⁉︎

いろいろ書きたいな。

 

とりあえず、「つながらない生き方」は、SNS過渡期時代の今の自分のモヤモヤ感にどんぴしゃりだったわけで。

 

ママ友な。

分かるわあと。

私なんて、LINEのグループ、途中で抜けたからね。ざわつくの覚悟で。自慢でもないけど、正直良かったな、と。家にいる間、どんどん子供の話聞かなくなってたから。

そもそも、Facebookにしろ肌に合わないのもある。きっと。私の脳内になかなか発表できそうなキラキラしたものがない、だけでなく、名前を知ってもらった上で、脳内をもうお見せするに値するものがほんとないんですみんな悩まないのかな脳内そんな健全ですか恥ずかしくないのか理解される自信はどうやったら持てるのか自分がこんな脳内マイノリ

ティーだったなんて。

 

てグダグダしていたら、ただただ重荷に感じてたというのがSNSなわけで。なのに、生半可に参加してたり、自分がほんまイヤになる嫌い、って泣いてたお母さんのお話、笑えない。ちょっと嬉しくて笑ったけど。

いやSNSを扱いきれてない人は、私だけでもないんだな、と嬉しくて。

 

なかでも蛭子さんの部分は秀逸。

中島義道とか通じるものあります!

 

で、この日の朝イチが始まる少し前。

奇しくも、

まさにこのお話の

つながりたい 僕ら

に対するお話の

解答に

私の好きなブロガーさんが果敢にも挑んた更新のお知らせメールが(*^^*)私に参りました。

 

それが、蛭子さんのさらに上なわけです。

 

蛭子さんは、友達よりも自分の好きなことを優先しようよ。本当に面白いと思うことしようよ。

 

と仰っていたんですが、

私の好きなブロガーさんは、

 

自分の本当に好きなことが分からないのがSNS時代なんだ、と仰っているわけです。

うーんと、達筆に叶わぬので、表現にズレが生じるかもですが、私の解釈にて、

見せる自分に慣れだした私たちに

見せることを除いた、…仮に見せずにこっそりと…てイメージにしときましょうか。

そうその、誰にも見せずにこっそりと感じる、求めるもの、欲しいもの、なんて、考えつかないんじゃね?

みたいな。

そもそもは、まず自分の行動ありきで、次にデジタルで発信していたものが、逆にまずは見せる体裁で、行動を決めていくようになったような

とでもいいましょうか。

 

そうなるとアレですよ。

見せる

という体裁で、好きなことも、面白いという感情すらも、決めていくんじゃねーのか、見せる を抜きにして、やりたいことやれるのかな、ていう。

 

私の好きなブロガーさんは

それじゃ怖いことならない?

人に見せる

じゃなくて

人と対話する

道具なんだよSNSは。

と仰っておりました…。(私の脳内で)

チェコ好き さんというブロガーです。

若いのに、造詣が深くて

読めば読むほど、はっ!とさせられる方です。

今一番尊敬している人の一人でございますです。

 

とまあ、そういった複合情報を本日はたまたま?一石二鳥的に得ることができ、なんだか宝くじのちょっとした配当があった気分(*^^*)な日でございました。

 

では、ごきげんよう